第3話:キャンパスの「氷の王子」と、秘密の目配せ
「――ちょっと紬、アンタ聞いてる!?」
二限の講義が終わり、学食のテーブルでパスタを突ついていた私は、目の前に座る友人の凛の声で我に返った。
「えっ? あ、ごめん凛、なに?」
「なに、じゃなくて! さっきから何ぼーっとしてるのよ。……あ、もしかしてまた『隣の幼馴染』のこと考えてたでしょ」
図星を突かれて、私は思わずフォークを握る手を止めた。
「違っ……別に考えてなんて――」
「顔に『錬くんのこと考えてました』って書いてあるから。
本当、二人の距離感ってバグってるよね」
凛は呆れたように溜め息をつきながら、アイスコーヒーのストローをくわえた。
「だってさ、毎朝わざわざ隣の部屋に行って起こしてあげて、朝ごはんまで作ってあげてるんでしょ? それもう完全に『奥さん』の領域じゃない」
「ち、違うよ! 錬は朝が壊滅的に弱いから、放っておくと単位落としちゃうの! 幼馴染として見過ごせないだけで……」
「はいはい、ただの幼馴染ね。……でもさ、相手はあの『橘錬』だよ?」
凛がアゴで示した視線の先――学食の入口付近が、なにやらザワつき始めていた。
「キャー、橘くんじゃない……?」
「今日もスタイル良すぎ……モデルか何か?」
「でも声かけられないよね。昨日も女子からの連絡先交換断ってたし……」
周囲の女子学生たちの熱い視線とヒソヒソ声を集めながら、ひとりの男子学生が歩いてくる。
長身に黒のシンプルなシャツ、隙のないスマートな立ち振る舞い。
氷のように冷ややかな瞳で周囲を一瞥し、近づこうとする女子たちに目線だけで「話しかけるな」と牽制している。
大学で『氷の王子』と恐れられ、同時に絶大な人気を誇る男――橘錬だ。
(……さっきまで私の部屋で『出汁巻きおいしい』ってふにゃふにゃ笑ってた人と、本当に同一人物なんだろうか)
今朝の無防備な姿とのギャップに、私は密かに溜め息をつく。
私にとっては「手のかかる弟みたいな幼馴染」なのに、大学での彼は遠い世界の人みたいに見えることがある。
「ね? 誰に対しても塩対応で有名なあの王子様がさ、紬の前でだけ甘えてるなんて、周りが知ったらひっくり返るよ」
凛が面白がってニヤニヤしてくる。
「そんなんじゃないってば。錬は私に対しては雑なだけ……きゃっ!?」
不意に、影が落ちた。
「誰に対して雑だって?」
耳元で響いた掠れた低音ボイスに、背中が跳ねる。
振り返ると、いつの間にか私の席のすぐ後ろに錬が立っていた。
周囲の女子たちの「えっ、橘くんが誰かと話してる……!?」という驚愕の視線が、一斉に私たちに突き刺さる。
「れ、錬……!? なんでここに……」
「次の講義の教室、こっちの棟だから。ついでに紬の顔見に来た」
さらりと、とんでもないことを言う。
凛が「ほーらね」と言いたげな顔でニヤニヤしながら、私と錬を交互に見つめている。
「橘くん、紬をあんまり困らせないであげてねー?」
「困らせてない。……紬、金曜のパフェ、楽しみにしてるから」
錬は私の方へ少しだけ体をかがめると、周りには見えない角度で、フッと口元を柔らかく緩めた。
朝の部屋で見せるような、私だけが知っている優しくて甘い笑み。
「じゃあ、後でね」
ポン、と私の頭を軽く撫でて、錬はそのまま大教室の方へと去っていった。
残された学食内は、静かなパニック状態だ。
「……ねえ紬」
「な、なに……?」
「あのアイスピックより冷たい橘錬が、あんなデレデレな顔するの初めて見たんだけど。
本当に『ただの幼馴染』で押し通すつもり?」
凛の追求に、私は赤くなった顔を隠すように両手で覆った。
(……だから、そういう顔を外でしないでって言ってるのに……!)
胸の奥が、ドクドクとうるさいくらいに脈打っていた。
冷徹な王子様が見せる、私だけの特別な顔。
それに浮かれている自分に気づいて、私はますますパニックになるのだった。
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