番外編 銀閃の刃 後編
よろしくお願いします。
「……母さんの、姿を見てみたい」
絞り出すようなシャレルドの要求に、ダニエルは静かに頷き、シャレルドと連れだって夕暮れの街を歩き始めた。
その道すがら、ダニエルはシャレルドの母親であるアンヌのことを、ぽつり、ぽつりと、掠れた声で話し始めた。
ダニエルとアンヌは、元々は同じ田舎町で育った幼馴染みであったこと。
先にダニエルがあの貴族の家で使用人として雇われ、少しでも稼ぎが良くなるようにと、メイドの仕事をアンヌに紹介したこと。
雇われてしばらくして、アンヌが当時の令息――現当主に襲われたこと。
アンヌがそのショックで、心を病んでしまったこと。
その、たった一度で、アンヌはシャレルドを身籠り、実家へ帰されたこと。
病んでしまったアンヌは、シャレルドを産みはしたものの、その当時の記憶すら一切失くしてしまっているということ。
産まれたばかりの赤ん坊だったシャレルドには、赤児でありながら異常なほどの高い魔力が宿っており、その魔力暴走に困ったアンヌの家族がダニエルにシャレルドを託し、ダニエルが貴族家へ連絡を取ったこと。
貴族家は、赤ん坊の持つ高い魔力を『貴族徴兵』に使えると踏んで、シャレルドを引き取ったこと。
その後、アンヌは少しずつ心を回復させ、自分と結婚したこと。
貴族の家で、一人死地へ行くために置いておかれるだけのシャレルドが不憫でならず、ダニエルがシャレルドの教育担当の名乗りを上げたこと。
「本当に……本当に申し訳ないと思いながら、今まであなたに接してきました」
ダニエルは、下町の小さな家の前で足を止め、深く腰を折った。
「家は、そこです。シャレルド様……お願いします。アンヌに、あなたが息子だとは言わないでほしいのです。
あの記憶を、揺り起こし、取り戻せば、アンヌはまた苦しむ⋯⋯。
……酷いですよね。なにも悪くないあなたにばかり、残酷なことを押し付けて。
申し訳ない。だが……どうか、お願いします」
震えながら頭を下げるダニエル。
シャレルドは何も言えず、暮れゆく街の風景を見つめることしかできなかった。
薄暗くなりつつある街の、一軒の窓。
その向こうには、温かい光の中、笑顔で針仕事をする美しい女性――アンヌと、その足元で無邪気に遊ぶ幼い女の子の姿があった。
女性の髪は金に近い茶色、瞳は青かった。
女の子は濃い茶色の髪に、茶色の瞳だ。ダニエルに似ている。
絵に描いたような、幸せな家庭の風景がそこには広がっていた。
ダニエルが鍵を開けて、静かに帰宅する。
「ただいま」
アンヌがパッと立ち上がり、弾んだ笑顔でダニエルを迎えた。
「まぁ、あなた。お帰りなさい。……あら、そちらのお客様は?」
帰宅したダニエルの後ろに佇むシャレルドを見て、アンヌが不思議そうに首を傾げた。
自分が産んだ我が子だとは、微塵も気づいていない。
「俺の親戚の子だよ。近くまで来たから、少し休ませてやってくれ」
シャレルドがその狭い家の中に一歩足を踏み入れると、そこには、美味しそうな夕飯の匂いが温かく立ち込めていた。
「まあ、そうなの。……賢そうなお坊ちゃんね。今、お茶を淹れますね。お夕飯、ご一緒にいかがですか?」
アンヌが優しく、優しい笑みをシャレルドに浮かべて奥の台所へ引っ込むと、足元にいた小さな女の子が、てちてちとシャレルドに近づいてきた。
そして、シャレルドの指先を、小さな、温かい手でぎゅっと握りしめた。
突然やってきた見知らぬお客様が物珍しいのか、くりっとした愛らしい目でシャレルドを見つめている。
「……おにーちゃん、あそぼ!」
シャレルドの指先を握る手は、とても小さく、驚くほどに柔らかな手だった。
「ルル。お客様に失礼をしてはダメよ」
奥からアンヌの穏やかな声が響く。シャレルドが生まれて初めて触れる『暖かな家庭』に呆然と立ち尽くしていると、ダニエルが背後から、切なそうに声をかけた。
「……シャレルド様。よかったら、ルルを抱っこしてやってくれませんか?」
言われるがままに、シャレルドは恐る恐るその小さな女の子――自分の異父妹を抱き上げた。
軽い。そして、信じられないほどに柔らかくて、温かい。
この優しい温もりは、あの貴族の屋敷には、どこを探しても存在しなかったものだ。
ルルは、初めて子供を抱っこして全身を硬くさせているシャレルドの首に、ぎゅっと小さな腕を回して抱きついた。
そして、シャレルドの顔を覗き込んで、嬉しそうに笑った。
「おにーちゃん、おかーさんと、似てるね?
おめめの色、おんなじ!」
「……っ」
虚を突かれ、シャレルドは言葉を失った。
きつく胸を締め付けられ、息をすることすら忘れてしまう。
シャレルドはそれ以上何も言えなくなり、女の子をそっと床に下ろすと、弾かれたようにその家を飛び出し、すっかり暗くなった街へと逃げるように走り去った。
(なんで……? あの子はあんなに愛されて、なのに、俺は――)
胸が、痛い。苦しい。嗚咽が込み上げる。
(俺には、育てられた家にも、この母の家にも、どこにも居場所なんてない。
誰からも必要とされてない。
それどころか、存在すら望まれてないんだ。
いないものとして扱われて、死なせるために飼われて……!)
唯一、ダニエルだけは、信じていた。そのダニエルさえも、自分自身のために真実を隠していた。
(生まれた俺を、あの貴族家に渡さず、アンヌとごと受け入れることは出来なかったのか?ーーしたくなかったんだ!ーー俺が、邪魔だったんだ!)
シャレルドは涙で視界を滲ませながら、がむしゃらに夜道を走り続けた。
(それなのに……俺がもし逃げたら、あの女性も、ルルも、あいつらに惨殺されるっていうのか……!?
だから、ダニエルまでこうして俺を死地へ追いやることを選んだ!)
「くそっ、くそオオおっ!!」
シャレルドは夜道で激しく嗚咽しながら、怒りと絶望で魔力が暴走しそうになるのを、必死に歯を食いしばって抑え込んだ。
追いかけてきたダニエルが、ゼイゼイと激しく息を吐きながら、冷たい夜道でシャレルドの前に両手をつき、地面に額を擦り付けて頼み込んできた。
「いた……良かった。シャレルド様、本当に……本当に、酷いことを頼んでいるのは分かっている! すまない……本当に、すまない……!」
ダニエルもまた、嗚咽を漏らして、地面を濡らすほどボロボロと涙を流して泣き崩れていた。
もし、シャレルドが身代わりを拒否してこのまま逃亡すれば、面子を潰された当主は、手切れ金を渡して追い出した元メイドとその家族など、虫ケラのように殺す命令を下すだろう。
先ほど見た、あの温かい夕飯の匂いがする家は、一瞬にして血の海に変わるのだ。
(ああ……そうか。なるほどな)
冷たい夜空を見上げながら、シャレルドの心は、パキンと音を立てて粉々に砕け散った。
ーー俺は、誰からも愛されない。今も、未来もーー
あの冷酷な実家にとっても、俺を忘れて幸せになった母親にとってもーー。
俺はただ、『死んで構わない存在』なのだ。
捨て犬。人ではない。
死なせるために都合よく、生かされていただけ。
「……分かったよ、ダニエル。戦地へ行く」
「シャレルド様……っ!」
「その代わり、二度と俺の前に現れるな。お前らは、俺に『死にに行け』と言ったんだ。……それだけは、絶対に忘れるな」
(ハハハッ……!
俺は人間じゃなかったんだ。
ただあの屋敷で、都合よく飼われていただけだったんだ。
貴族として美味い餌をもらって、魔術を学ばせてもらって……すべては、貴族徴兵へ行かせ、死なせるためだ!)
ダニエルは、シャレルドとの最後の別れ際、泣きながら縋るようにこう言った。
「死んでほしいなんて、思っていない!
生きて……どうか生きて帰ってきてほしい。
それだけは、本当の、心の底からの願いだ……っ!」
だが――その言葉すら、その時のシャレルドの耳には、あまりにも薄っぺらい、自分たちの罪悪感を減らすための、都合のいい綺麗事にしか聞こえなかった。
シャレルドは、徴兵の命令に粛々と従った。
(俺は、誰にとっても、死んで構わない無価値な存在なんだ――)
シャレルドは一人、生存率数パーセントの辺境の激戦地へと赴いた。
すべての感情を完全に殺し、ただ、魔術を使うだけの冷酷な「刃」としてーー。
お読み頂きありがとうございました。
シャレルドが戦地へ行ってから数年後、第2王子だったイシュトルが送られてきました。
何度も番外編を後から投稿して、ややこしくしてすいません。
完結してから、彼らのことを考えていると、ストーリーが生まれてきてしまいます。
これで、おしまいにします。
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長くお付き合い頂き、つたない物語を読んで頂き、ありがとうございました。




