番外編 銀閃の刃 前編
よろしくお願いします。
また番外編を書きました。
今回はシャレルドの生い立ちエピソードです。
タイトルは「ぎんせんのやいば」です。
シャレルドの記憶の最初は、広大な貴族の屋敷の一室の風景だ。
部屋は屋敷の端。使用人たちの部屋のすぐ近く。北向の部屋。
思い出すその部屋は、昼間でもいつも薄暗く、殺風景だった。
子供時代から、シャレルドに「家族」は存在しなかった。
しかし、その屋敷には、幸せそうな一家がいた。
屋敷の中心にある、南向きの日当たりの良い豪奢な部屋。
そこで当主とその正妻、そしてその子供たちが楽しげに笑い合う声。
シャレルドはその様子を、ただ遠くから眺めることしか許されなかった。
当主一家は、シャレルドの存在をまるで透明な石ころであるかのように無視し、一切関わろうとはしなかった。
使用人たちもまた、腫れ物に触れるかのようにシャレルドに関わろうとせず、ただ命じられた最低限の世話を事務的にこなすだけ――。
決して使用人ではなく、けれど、貴族家当主の家族でもない。
そんな奇妙で孤独な檻の中に、シャレルドはいた。
ただ一人、そんな使用人の中でシャレルドに話しかけ、時に寄り添い、成長すれば学問を教え、人としての生き方を導く男がいた。
ーー使用人のダニエルだ。
ダニエルはシャレルドを、「主」として扱わず、かと言って「使用人」としても扱わなかった。
ただ一人の人間として、対等に、温かみを持って接してくれた。
シャレルドを存在しない影のように扱うのではなく、ダニエルだけはシャレルドの目をきちんと見て、シャレルドの存在を認識してくれた。
ダニエルだけが、幼いシャレルドの質問に答え、要望を優しく聞いてくれたのだ。
誰も見ないシャレルドのことを、ただ1人、気にかけてくれた。
衣類が小さくなればシャレルドの身体に合うものを揃え、傷んだ服は綺麗に新調した。
食事の好き嫌いがあれば料理長にそっと伝え、図書室に付き添っては、本選びや彼の問いに一つ一つ丁寧に答えてくれた。
ダニエルだけが、シャレルドの幼い心に、寄り添ってくれていた。
「ねえ、ダニエル。僕は、どうしたらいいのかな?
なんで、あっちに入れてもらえないの?
……僕が良い子になったら、あっちに仲間入りさせて貰える?」
日当たりの良い庭で、母親と男の子達がピクニックし、楽しそうに犬と戯れる様子を見ながら、シャレルドが聞いた。
「それは――シャレルド様、あなたが悪いわけではありません。
すべては、大人の事情なのです」
「僕は、使用人じゃないんでしょ?図書室で読んだ本に『貴族と平民』があると書いてあって。……僕はどっちなの?」
「……貴族であられますよ」
「そっか! じゃあ、僕は恵まれているんだね!」
「……そう、ですね」
そう言って、ダニエルは目を伏せた。
十歳になる頃、シャレルドは下級貴族や平民の魔力持ちが集まる、全寮制の男子寄宿学校へと入れられた。
「同じ年頃の子供と過ごすのは楽しいですよ。たくさん学んで来てください」
ダニエルに見送られてシャレルドは屋敷を出発した。
そこから、あの屋敷への帰宅は一切許されなかった。
学校で成長するうちに、シャレルドは自分が父親の『婚外子』という、望まれぬ存在なのだと、なんとなく理解していった。
学校でも、同級生や先生達はシャレルドによそよそしかった。誰も深く親しくなろうとしない。
シャレルドは、自分が神から認められない後ろめたい出生のためだと思っていた。
それでもシャレルドは、希望を抱いていた。
生まれの不遇を覆すほどの実力を得れば、いつか周りの目も変わる。あの父親もいつか『息子』として認めてくれるかもしれない、と。
過酷な実戦魔術、寝る間も惜しむ過酷な勉学。
平民や下級貴族の子供たちが次々と音を上げるような環境の中で、シャレルドは血の滲むような努力を重ねた。
そうして、素晴らしい魔術の才能を開花させていった。
(もっと強くなれば。もっと圧倒的な成果を上げれば!)
必死の努力の末、シャレルドは全ての科目を最優秀の成績を収め、首席で学校を卒業した。
しかし、そんなシャレルドの期待は、卒業のその日に届いた一通の手紙によって、無残に、粉々に打ち砕かれた。
ーー
「ダニエル!来てくれたんだ!」
卒業式の後、人混みの中に懐かしいダニエルの顔を見つけ、誇らしそうに、嬉しそうに駆け寄ったシャレルド。
「卒業、おめでとうございます。シャレルド様。⋯⋯ご当主様からの、お手紙でございます」
ダニエルは震える手で、残酷な手紙を渡したのだった。
『当家の義務を果たすように。貴族徴兵だ。魔物の出現する辺境へ行き、我が家の貴族の義務を全うせよ。以上だ』
父親からの手紙だった。いや、命令書だ。
卒業の祝いも、最優秀生徒としての褒め言葉もない。
シャレルドも「貴族徴兵」の制度は知っていた。
魔力の高い貴族家の若者が戦地へ送られる義務。
だが、今このタイミングで行く場所など、一つしか考えられない。
領主が結界維持に失敗し、魔獣が溢れかえっている、生存率数パーセントの『死地』だ。
普段の貴族徴兵は、安全な国境へ行くのが一般的だ。
このような本当の死地には、庶子や分家の者が、その貴族家の義務として強制的に送られる。
それに選ばれたのが、他ならぬシャレルドだった。
「なんで……っ、なんで俺が、死にに行かなくちゃならないんだよ!!」
手紙を握りしめ、シャレルドは慟哭した。
絶望が、身体中を激しく駆け巡る。
「家族だって、認めてもらうために、俺がどれほど努力したか知っているだろう!? ダニエル!
なのに、あいつらにとって俺は、使い捨ての道具にすぎないのか!
嫌だ、俺は戦地なんて絶対に行かない。
このまま国を出る!俺は魔術師として生きていく!」
「待ってください、シャレルド様! 逃げないでください!」
ダニエルがシャレルドの肩を強く掴み、必死の形相で叫んだ。
「関係ない! あんな奴らのために、なぜ俺が命を捨てなきゃいけないんだ!」
「……あなたが逃亡すれば、あなたを産んだ母親と、その幼い子供が、貴族の逆鱗に触れて一瞬にして殺される!」
「母親……? なぜだ? 会ったこともない、顔も知らない女だぞ。
その女は、俺を捨てたんだろうが!俺には関係ないだろう!」
シャレルドが怒鳴ると、ダニエルは膝から崩れ落ちるようにして、シャレルドの出生の残酷な真実を告げた。
シャレルドは、あの屋敷で働いていたメイド、アンヌが現当主に弄ばれて産まされた子供だった。
当主は手切れ金を渡して彼女を追い出したが、アンヌはショックのあまり精神を病んでしまった。
アンヌは子供を産んだ記憶すら無かった。
さらに、生まれたばかりの赤ん坊だったシャレルドには、赤児でありながら異常なほどの高い魔力が宿っていた。
アンヌの家族は魔力持ちの赤ん坊を育てきれず、当主に引き取らせたのだ。
「アンヌは今、心を回復させて、街で新しい家族と静かに暮らしています。
彼女は、あなたがいるということすら知らない。
……しかし、もしあなたが逃げれば、当主様はあなたを産んだアンヌに、すべての怒りを向けます。
『10数年屋敷に置いて育て、金のかかる寄宿学校にまで入れてやったのだから戦地へ行って恩を返すのは当然だ』と、思っておられるのです。
……シャレルド様。あなたは最初から、戦地へ行かされる前提で、あの屋敷に引き取られたのです。
貴族籍を持たせ、あの家の者として戦地へ行かせるために。
魔物と戦うための高度な戦闘魔術を学ばせるための寄宿学校への入学でした――」
「そんなの……知らない!
俺には関係ない!」
「……お願いです、シャレルド様。
アンヌのために、アンヌと子供のために……戦地へ行ってください!」
「おまえも、それを知ってて……一体、おまえは誰なんだよ!
なんでそこまであいつらに肩入れして、俺に死ねって言うんだよ!
おまえまで⋯⋯、おまえまで⋯⋯」
顔を歪めて絶望したシャレルドが、胸ぐらをつかんで激しく問い詰めると、ダニエルは顔を歪め、目に涙を溜めながら言った。
「――私は、アンヌの夫だ」
「……っ」
頭を激しく殴られたような、凄まじい衝撃だった。
なぜ、俺に欠片の愛情も与えなかった者たちのためにーー。
俺を捨てて別の男と幸せになっている女のためにーー。
俺が地戦場で死ななければならないのか。
その死は、普通の死ではない。凄惨な苦しみを伴う死だ。
それを、皆に当然のように望まれているーー。
悔しさと、理不尽な運命への激しい怒りで、シャレルドの心は狂いそうだった。
「……母さんの、姿を見てみたい」
激しい葛藤の末、シャレルドは絞り出すような声で言った。
自分を産んだという、その「母親」の姿を、死ぬ前に一度だけでいいから、この目で見てみたかった。
お読み頂きありがとうございます。
後編あります。




