番外編 1 付きまとう過去
よろしくお願いします。
結婚し、魔法伯爵となったシャレルド。
社交シーズンを迎えると同時に、ルシアを連れて、とりあえず王都の一流ホテルに滞在することにした。
魔法伯爵として、これから王都にタウンハウスが必要になる。それも、ホテルに滞在しながら探すことにしていた。
狭い世界しか知らないルシアに、外の広い世界を、色々な素晴らしいものをたくさん見せてあげたいーーシャレルドはそう思っていた。
シャレルドとルシアは、王都にある様々な場所を巡る日々を過ごした。
シャレルドの思惑通り、ルシアは初めての華やかな都会を楽しんでいた。
ーーー
「おや、君は……」
王都の高級品を扱うデパートの中。
着飾った人々が行き交う通路で、一人の見知らぬ中年の紳士が、ルシアの前で足を止めてニヤニヤと近寄ってきた。
「久しぶりだね。いやあ、見違えたよ」
「……どちら様でしょうか?」
ルシアが眉をひそめると、男はさらに声を潜め、下卑た笑みを浮かべて囁いた。
「くくっ。覚えていないだろうが、私は君をよく覚えているよ。
妖精かと思ったら、脱げば美の女神。
ベッドの上では、妖艶で淫らな娼婦になるんだものな。
くくっ。君は素晴らしい、最高の娼婦だよ」
「なっ⋯⋯!」
「……今は王都の店に移ったのか?
またぜひ君を買いたい。
今はどこの娼館にいるんだ?」
その言葉に、ルシアの頭の中が真っ白になった。
忌まわしい過去が、昔の記憶が、一瞬にして脳裏に蘇る。
ルシアは震えそうになる拳をグッと握りしめ、完璧な淑女の仮面を被って、冷静に言った。
「お人違いですわ。無礼で下品な御方。どうぞお引き取りあそばせ」
「人違いなはずがないだろう。
その声、その顔。覚えているよ。
……お前、ここで娼婦だとバラされたいのか?
ここから叩き出されていいのか? 恥をかきたくないなら大人しく……」
男がルシアの細い腕を掴もうとした、その時だった。
「俺の妻に触れるな」
凍りつくような低い声と共に、男の背後に銀髪、青い目のとびきりの美男子が立っていた。シャレルドだ。
周囲には冷たい殺気が漂った。
「ひゃっ!? こ、これは……ま、魔法伯爵様……?!」
「……誰だお前は。私の妻に許可無く話しかけるな」
「ひいっ!? お、お許しを! 奥様に失礼を申してしまいました!
人違いでした!大変申し訳ございません!」
シャレルドの放つ圧倒的な威圧、殺意に、男は真っ青になって何度も頭を下げ、逃げるように走り去っていった。
「全く、人違いにも程がある。さて、注文は終わった。帰ろうか、ルシア」
シャレルドは何事もなかったかのように優雅に微笑むと、ルシアの肩を引き寄せた。
トントン、と細い肩を優しく叩き、「大丈夫だ」と、ルシアにだけ聞こえる低い声で囁く。
ルシアもまた、深く息を吐いて傷ついた心を隠すと、魔法伯爵夫人として完璧に上品な所作のまま、夫の優しいエスコートを受け入れた。
周囲で「何事か」と遠巻きに様子を伺っていた人々も、二人の堂々とした気品に気圧され、ただの人違いだったのかと、何事もなかったかのように再び歩き出した。
パタン、と馬車の扉が閉まり、二人きりの空間になった瞬間。
ルシアは悲しそうに俯いて声を絞り出した。
「……ごめんなさい、シャレルド様。私のせいで、また……貴方に恥を……」
「ルシアは何も悪くない。……二度と俺に謝るな」
シャレルドはルシアの言葉を優しく遮ると、彼女の小さな手を自分の大きな手で包み込んだ。
真っ直ぐに、ルシアの若葉色の瞳を射抜くように見つめる。
「なぁ、ルシア。俺にとって今何よりも大切なのは、ルシアとこうして一緒にいるこの瞬間だ。
そして、これからルシアと共に過ごす未来だ」
「でも、シャレルド様……」
「お前が過去に囚われて自分を卑下するということは、お前を望み、妻にした俺の選択を、俺のお前への愛を冒涜することになると思え。……いいな?」
シャレルドの言葉に、ルシアは息を呑んだ。
シャレルドは静かに、けれど強く、ルシアの手を握り直す。
「俺がこの世で一番恐れているのは、……ルシア、お前がいない未来だ。……忘れるな」
「は、……っはい……!」
「強くなれ。俺を信じろ。俺は一生、ルシアの側にいる」
「はい、わかりました」
シャレルドの言葉によって、過去に引きずり込まれそうになっていたルシアの瞳から、怯えや恐怖の色が消え失せていた。
「わかればいい」
シャレルドはルシアの細い肩にそっと手を回して引き寄せた。
◇◇
「……綺麗だ」
観劇へ行くために美しく着飾ったルシアを見て、シャレルド言葉を失い、見とれた。
ルシアの細い首元で輝くのは、シャレルドの青い瞳の色を模した、極上のサファイアのネックレス。
そして彼女が纏うクリーム色の美しいドレスの裾には、シャレルドの銀髪を模した、繊細な銀の刺繍が施されている。
ルシアは嬉しそうに、けれど少しはにかみながら、夫のエスコートを受けて馬車へと乗り込んだ。
「王都って、本当に素晴らしい場所ですね。
毎日色々な所へ連れ出して貰って、嬉しいです。
先日の美術館も、外国の珍しい展示会も。
……今夜の劇も、原作の物語を読んでいたので、とても楽しみです」
「俺も、お姫様みたいなルシアと観劇に行けるのが嬉しいよ」
馬車の中で、少女のように目を輝かせて楽しげに語っていたルシア。そんなルシアを見て幸せだった、シャレルド。
しかし――その幸せな時間は、劇場に入る直前、最悪な形で踏みにじられ、台無しにされた。
劇場前で。
シャレルドがほんの少し、偶然会った魔術師仲間に呼び止められた。人並みに押され、ルシアが少しシャレルドから離れた。
その一時の間に。
「おい、お前。 何故こんな華やかな場所にいる?」
見た目は立派な紳士がズカズカとルシアに近付いた。
声を潜めてルシアに顔を近付ける。
「……娼館でひいきにしていたワシじゃよ。くくくっ。
当時は身分を隠して通っておったが、実は隠居した元侯爵でな」
高級な衣装に身を包んだ老境の紳士――かつてルシアが高級娼婦時代の常連だった、変態拘束エロジジイだった。
ルシアは恐怖で身体が硬直した。
気がついたシャレルドが前に立ち、「人違いだ」と毅然と突っぱねたが、元侯爵は鋭い瞳を光らせて笑いながら、一歩も引き下がらなかった。
「白々しい嘘をつくな!
この、婚外子の若造が!
この女はな、ワシが娼館でさんざん可愛がって、隅々まで知り尽くした女だ。
ワシが見間違うわけがないだろう!
その女!その怯えた顔も、瞳の色も、声も、髪も、ワシが何度も抱いた娼婦だ!
全く、ちょっと体調を崩して通えなかった間にいなくなりおって。お前、ワシの極上品を横取りしたな!!」
元侯爵。それは、現在のシャレルドの伯爵位よりも高い地位。
元侯爵は、シャレルドが実家から放逐された『婚外子』であるという事も知っていた。
「私の妻にいかがわしい話をするな!
妻は王妃様の姪だ。人違いにも程がある!」
シャレルドの怒号にも老侯爵は怯まなかった。
「今は王妃、その実家は今侯爵家となったが、元は貧乏伯爵家の側妃様だったな。
はっ!その姪などと!嘘に決まっておろう!
上手く経歴を作ったつもりだろうが、どうせ只の噂じゃろうが!
ワシの目は誤魔化せん。
その女は元娼婦だ!ワシに譲れ!
お前が買った値段に上乗せして買い取ってやろう」
シャレルドの怒りが怒髪天を貫いた。
「この、……下衆が!人違いだと言っている!話にならん!
現侯爵に厳重に抗議する!」
「ああ、するがいいさ。若造が!領地もない1代限りの魔法伯爵。それも、婚外子のな!
こちらこそ、大それた嘘の噂を振り撒いて、平民の娼婦を貴族と偽ったと皆に真実を告げてやる!」
ルシアは、元侯爵と夫との言い争いの間、シャレルドの後ろで青くなり、震えていた。
ーー娼婦時代に、あの老人にされた様々な記憶がルシアを襲っていた。
結局――ルシアがあれほど楽しみにしていた観劇は、劇場の扉を開く前に、この騒ぎのため、終いになった。そのまま自宅へと引き返すことになった。
「気にするな。あいつが下衆なだけだ。考えるな。忘れろ」
シャレルドがそう言ったがーー。
老侯爵に記憶をこじ開けられ、おぞましい過去の体験が次々と浮かんできてルシアは震えた。
自分の身体に刻まれた恐怖が消えない。
それに、真実は、あの元侯爵の言う通りなのだ。
ーー元娼婦。
嘘の身分証で貴族の仲間入りをしている、平民。
数えきれないほどの客達と寝た娼婦。
そんな自分が、シャレルド様の妻となり、シャレルド様に恥をかかせている。
その事実に、ルシアは心が潰れそうに、苦しい。
一方、シャレルドは言葉に出来ないほど悔しかった。
ーールシアを楽しませたかった。喜ばせたかった。だから、王都に連れ出したのに。
結果は、⋯⋯最愛のルシアをただ傷つけ、悲しませるばかりの結末になっている。
ーー足りないーー
王妃の姪。侯爵家の養女。魔法伯爵の妻。
これだけ用意したのに、下衆どもの口を塞ぐことが出来ない。
ルシアがもう二度と、生涯、誰からも侮辱されないために、一体何が必要なのかーー。
シャレルドは静かに思考を巡らせ始めた。
お読み頂きありがとうございます!
次はシャレルドと皇太子イシュトルとの、友情エピソードになります。




