第五話 ラヴェリアが咲く朝
「今度は、私にあなたを守らせてください」
差し出されたセドリック様の手を見つめる。
成功する保証はない。けれど、私一人の魔力では、もう母株を救えない。
「……一度だけ、お願いします」
私が頷いたのを確かめてから、セドリック様は両手を取った。
白く発光する魔力が、つないだ手から私の中へ流れ込んでくる。
けれど、他者の魔力を受け入れたことなど一度もなく、受け取り方がよくわからない。次第に、セドリック様の魔力が、私の薄紫の魔力と反発するように体内で暴れ始めた。
「う……ぁあっ」
あまりの痛みに息ができず、私はセドリック様の手を振りほどこうとした。
「駄目です、止めて……!」
セドリック様はすぐに私から手を離し、流れ込んでいた魔力が止まった。
「申し訳ありません。私が急ぎすぎました」
「いいえ。私こそせっかくの魔力を役立てられなくて……でも、このままでは母株が……」
黒い変色は、いまも枝の先から根元へ向かって広がっている。
空は少しずつ白み始めていた。
もう時間がない。
「もう一度、自分だけの力でやってみます」
覚悟を決めて残った魔力を絞り出そうとすると、セドリック様が私の肩をつかんだ。
「駄目だ。それだけは許可できない」
「ですが、私がやらなければ、領民が──」
「結界が戻っても、あなたがいなくなれば、私が守りたい未来は残らない」
セドリック様の声が震えていた。
「私はあなたを失うために、ここまで来たのではありません」
「セドリック様……」
「花守ではなく、アデルとして答えてください。あなたは、どうしたいですか?」
……どうしたいのか。
そんなことを尋ねられた記憶が、ほとんどなかった。
お姉さまなんだから、妹を守るのは当然でしょう。
あなたは丈夫なのだから、そのくらい我慢しなさい。
花守を名乗るなら、せいぜいこの地に尽くせ。
誰かのために何かをするのは、嫌いではない。
けれど、役に立てなくなったら見捨てられる気がして、私はいつも自分の限界を越えてきた。
それが正しいことだと思い込もうとしていた。
「私は……」
言葉にしようとすると、喉の奥が痛んだ。
「……生きたいです」
口にした途端、涙がこぼれた。
「この土地も、ラヴェリアも守りたい。けれど……私も、あなたと生きたいです。これから先も、一緒に花が咲く朝を迎えたい」
涙越しに、まっすぐにセドリック様を見つめた。
「花守の役目から逃げたいわけではありません。あなたと一緒に、これからも責任を果たしたいのです」
「……そういうあなたが、私は好きですよ。アデル。だからもう一度だけ、私の魔力を受け取ってくれますか?」
「でも……また失敗するかもしれません」
「やり方を変えます。先ほどは一度に送りすぎました。あなたが弱った根にしていたように、今度は受け取れる分だけ渡します」
そう言ってセドリック様が差し出した手のひらを見つめる。
怖さは残っている。それでも、今度は自分からその手を取りたいと思った。
「はい。お願いします」
私は自分から、セドリック様の手を取った。
「ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
セドリック様が私の背後へ座り、支えるように身体を寄せた。
呼吸を合わせ、もう一度、魔力を受け入れる。
今度は、流れ込んでくる力が身体の中で暴れることはなかった。
私が息を吸うと、セドリック様の魔力が少しだけ入ってくる。
それを自分の魔力と混ぜ合わせ、息を吐きながらラヴェリアへ渡していく。
セドリック様は決して急かさない。
私が受け止められる分だけ、ゆっくりと魔力を注いでくれた。
「これなら……いけます」
二人の魔力が混ざり合い、淡い紫色の光となって母株へ流れ込んだ。
黒く染まっていた枝の侵食が止まる。
根の断面に置いた種が、ひとつずつ光を取り戻した。
「お願い。もう一度、この土地に根を張って」
種から白い根が伸び、生き残っていた根の切断面へ触れる。
一本。
また一本。
離れていた根が結ばれるたび、母株の枝から黒い色が消えていった。
銀紫色の新芽が顔を出す。
「どうですか?」
「まだです。東の村へ続く根が、つながっていません」
「私の魔力なら、まだ残っています」
「無理はしないでくださいね」
「それは、私からもアデルにお願いしたいところです」
思わず顔を見合わせた。
こんなときなのに、セドリック様がわずかに笑う。
「大丈夫だ。二人で力を合わせれば、きっと間に合う」
「はい」
重ねた手に、同時に力を込める。
紫色の光が母株から地面へ広がった。
新しい根が丘を下り、焼けた東の村を通り抜ける。
森と街道、畑と屋敷。
途切れていたラヴェリアの根が、辺境の地下で次々と結び直されていく。
セドリック様の胸元では、亀裂の入った境界石が淡い光を取り戻していた。
表面の亀裂が、一筋ずつ消えていく。
やがて母株の頂に、最初の花が咲いた。
風に揺れた紫色の花から、光の粒子が空へ舞い上がる。
それを合図にするように、丘の斜面から無数の芽が顔を出した。
つながり直した根を通して、領内の光景がひとつずつ心へ戻ってきた。
東の村では、礼拝堂の前に小さな芽が伸びていた。
助けた兄妹が寄り添い、その芽に紫色の花が開くのを見つめている。
屋敷の庭では、踏みにじられた花の間から新しい茎が伸びた。
ラヴェリアは領内を紫色に染めながら、一斉に花を咲かせていく。
完成した結界が光の壁となり、領地へ入り込んでいた瘴気を森の向こうへ押し戻した。
遠くから聞こえていた魔物の咆哮が、次第に小さくなっていく。
「結界が……戻りました」
安堵した途端、全身から力が抜けた。
「アデル!」
倒れかけた私を、セドリック様が抱き留める。
その腕の中で、私は咲き誇るラヴェリアを見渡した。
「守れたのですね」
「ええ」
セドリック様は、泥と涙で汚れた私を強く抱きしめた。
昇り始めた朝日が、紫色の花畑を照らしている。
私は初めて、誰かに支えられていることを申し訳ないと思わずに、その温かな腕へ身体を預けた。




