第四話 共闘
東の村へ近づくにつれ、空を覆う瘴気が濃くなっていった。
土の下から伝わってくる震えも、次第に大きくなる。意識を土の下に集中させ、魔物の位置関係を把握する。想像していたより数が多く、背中に怖気が走った。
それでも、ここから逃げ出す気は毛頭ない。
「次の分かれ道を右へ進んでください」
「古い水路ですね?」
「はい。街道より道は悪いですが、村の北側へ直接出られます」
セドリック様が手綱を引き、細い道へ馬を走らせる。
地面を蹴る蹄の音に混じって、遠くから人々の悲鳴と魔物の咆哮が聞こえてくる。
身体が震えそうになるたび、私を支えるセドリック様の腕に力が込められた。
「怖ければ、目を閉じていてください」
「いいえ。私が道を見つけなければ」
先ほどよりも強く意識を向けると、ラヴェリアに残っている魔力をかすかに感じた。東の村へ伸びていたラヴェリアの根は、ところどころで途切れていた。それでも、まだ生きている根からは、魔物が地面を踏みつける振動が伝わってくる。
「この先です。水路を抜けたところに、二頭います」
「わかりました。私から離れないでください」
水路を抜けると、村の北側へ出た。
数軒の家から炎が上がり、夜空へ黒い煙が立ち昇っている。
街道では、先に到着した騎士たちが魔物と戦っていた。
「辺境伯様!」
「状況を報告してくれ」
「村人の多くは礼拝堂へ避難しました。しかし、北側の家々には、まだ取り残されている者がいる可能性があります!」
騎士の言葉を聞きながら、周囲へ目を凝らす。
倒れた荷車の陰から、子どもの泣き声がした。
「あそこに誰かいます!」
馬が止まるより先に下りようとすると、セドリック様が私の身体を抱き留めた。
「待ってください。私が先に行きます」
セドリック様が馬から飛び降り、剣を抜く。
次の瞬間、燃えかけた家の裏から猪型の魔物が飛び出した。
「右からも来ます!」
私の声に反応し、セドリック様が身体をひるがえす。
剣が弧を描き、背後から迫っていた魔物を斬り払った。そのまま最初の一頭との間合いを詰め、喉元へ剣を突き立てる。
「いまです!」
セドリック様に促され、私は荷車へ駆け寄った。
陰には、十歳にもならない少年が、小さな女の子を抱いてうずくまっていた。
「もう大丈夫よ。助けに来たわ」
「お姉ちゃん、誰……?」
「ラヴェリアの花守よ」
少年が涙で濡れた顔を上げる。
「おばあちゃんが、まだ家の中にいるの。僕たちだけ逃げろって……」
少年が指さした家からは、煙が上がっている。
「セドリック様! 私があの家へ助けに行きます」
「駄目だ、私が行く!」
セドリック様が燃えかけた家へ駆け込む。
私は女の子を抱き上げ、少年の手を取った。
「走れる?」
「う、うん」
「絶対に手を離さないでね」
街道では、騎士たちが魔物を食い止めている。
その隙に礼拝堂へ向かおうとしたとき、土の下を大きな振動が走った。
「止まって!」
少年を抱き寄せた直後、目の前の塀が吹き飛んだ。
黒い魔物が姿を現す。
先ほどのものよりさらに大きく、額から曲がった角が生えていた。
私は子どもたちを背にかばった。
魔物が低く身構え、こちらへ飛びかかろうとする。
「アデル!」
家から老婦人を抱えて出てきたセドリック様が、叫んだ。
逃げる時間はない。
とっさに地面へ手をつき、わずかに残っているラヴェリアの根へ魔力を注いだ。
「お願い……力を貸して!」
土の中を紫色の光が走る。
萎れて地面に伏していたラヴェリアの茎から、新しい芽が伸び、私たちを囲むように一斉に花を咲かせた。
紫色の光が壁となり、飛びかかってきた魔物を弾き返す。
「今のうちに礼拝堂へ!」
駆けつけた騎士へ子どもたちを預ける。
「アデル、結界を張るための魔力は残っていますか!?」
セドリック様が老婦人を騎士へ託し、私のもとへ走ってきた。
「わかりません。でも、ここで領民を守れないなら私が花守でいる意味がない……」
光の壁へ、魔物が何度も身体をぶつける。
そのたびに全身から魔力が奪われ、視界が揺れた。
「うあぁっ」
身体に振動が響き、土に膝をつく。
「アデル! もういいから、魔力を止めてください!」
「……いいえ……」
ここで解除するわけにはいかない。
礼拝堂の扉まで、子どもたちはたどり着いていなかった。
「あと少しだけ……!」
歯を食いしばり、根へ魔力を送り続ける。
怒り狂った魔物が角を突き立てた。
光の壁に亀裂が走る。
「もう十分です。あとは私に任せてください」
セドリック様が、私の前へ立った。
光の壁が砕けると同時に、魔物が突進してくる。
セドリック様が正面から剣を振り下ろした。
刃は魔物の角を斬り落としたが、巨体の勢いを止めることはできない。
「セドリック様!」
魔物の爪が、セドリック様の肩をかすめる。
夜会服が裂け、血が飛び散った。
それでもセドリック様は倒れず、もう一度剣を構えた。
私は残った根の震えに意識を集中させた。
魔物が地面を踏みしめるたび、左前脚からひときわ強い瘴気が根へ流れ込んでくる。
その源を目で追うと、左胸のあたりに黒い光が脈打っていた。
「セドリック様! おそらく魔物の弱点は左胸です!」
「わかった!」
セドリック様は迷わず魔物へ向かっていった。
振り下ろされた爪を紙一重でかわし、懐へ入り込む。
銀色の刃が魔物の左胸を貫いた。
傷口から黒い瘴気が噴き出し、その巨体が地面へ崩れ落ちる。
ほどなくして、村の各所へ散っていた騎士たちから、次々と報告が届いた。
「こちらの魔物は討伐しました!」
「礼拝堂への避難、完了しています!」
騎士たちの報告を聞いた途端、張りつめていた息が漏れ、膝から力が抜けた。
「アデル!」
セドリック様に腕を取られ、どうにかその場へ踏みとどまる。
「大丈夫ですか?」
「はい……少し、魔力を使いすぎただけです。それより、セドリック様の肩の傷を……」
「この程度はかすり傷です」
「大丈夫な方は、そのような痛そうな顔をしません」
さっき言われた言葉をそのまま返すと、セドリック様が目を見開いた。
それから困ったように笑う。
「参ったな」
傷口へ手を当て、治癒の魔力を注ごうとしたが、指先に光が集まらない。
「魔力が……」
「アデル。今日はこれ以上、魔力を使っては駄目だ」
セドリック様が私の手を包み込む。
「あなたは、十分すぎるほど皆を守りました」
礼拝堂の扉が開き、避難していた村人たちが出てきた。
先ほど助けた少年と女の子が、老婦人のもとへ駆け寄っていく。
「おばあちゃん!」
「ああ、よかった……二人とも無事だったのね」
三人が抱き合う姿を見て、胸をなで下ろした。
老婦人が私たちの前へ来て、深く頭を下げる。
「花守様。孫たちを助けてくださり、本当にありがとうございました」
「頭を上げてください。皆さんが無事で、本当によかった」
「花守様が、ずっとラヴェリアを守ってくださっていたから、私たちは安心して暮らせたのですね」
その言葉に、これまでのすべてが報われた気がして、涙が出そうになる。
家族からは長年、必要のない仕事だと言われ続けてきた。
それでも、祖父の教えを信じて花を守ってきたことは、間違いではなかったのだ。
「辺境伯様! 大変です!」
東の丘へ種を運んだ騎士が、馬で駆け込んできた。
「母株につながる根まで枯れ始めています! 残った枝も、先端から黒く変色し始めました!」
「あとどれくらい持ちそうですか」
「夜明けまで持つかどうか……」
東の空が、わずかに白み始めている。
「すぐに向かいます」
立ち上がろうとした私を、セドリック様が支えた。
「その状態で、魔力を注げるのですか?」
「わかりません。それでも、やらなければ」
もし母株が枯れれば、集めた種を植えても新しい根を結界へつなぐことができない。
セドリック様は何か言いたそうにしていたが、最後には小さく頷いた。
「わかりました。一緒に行きましょう」
近くにいた騎士が、セドリック様の肩へ手早く包帯を巻いた。応急処置を終えると、私たちはすぐに東の丘へ向かった。
◇
東の丘へ着いた頃には、夜が明けかけていた。
丘の頂に立つラヴェリアの母株は、セドリック様の背丈よりも大きい。
いつもなら銀紫色の葉を茂らせているはずの枝が、半分以上黒く染まっていた。
騎士たちが母株の周りへ溝を掘り、生き残った根を並べている。
私は根の切断面へ、回収した種をひとつずつ置いた。
「水をお願いします」
魔力を通す水が注がれると、乾いていた根にわずかな色が戻った。
あとは私の魔力で種を目覚めさせ、新しい根を伸ばせばいい。
両手を母株へ当て、残っている魔力を注ぎ込む。
「お願い……芽を出して」
種が淡い紫色に輝く。
小さな芽が、ひとつだけ顔を出した。
けれど、切れた根をつなぐには至らず、光を失って力なくしおれてしまった。
「もう一度……」
再び魔力を注ごうとしたが、何も起こらない。
目の前が暗くなり、その場へ膝をついた。
「アデル!」
「魔力が……」
村で使いすぎたのだ。
けれど、あのとき力を使わなければ、子どもたちは魔物に襲われていた。
後悔はないが、役に立たない自分が悔しくて情けなかった。
「もう一度──」
ありったけの力を込めて、魔力を手のひらに集中させようとしたとき、その手をセドリック様が包んだ。
「いけません。このまま続ければ、命に関わる」
「結界を元に戻さなければ、この地が朽ちるんですよ!? 私一人の犠牲で済むならそうすべきです!」
黒い変色は、いまも少しずつ枝を侵食している。
空が明るくなるまで、もう時間がない。
セドリック様の手を振り払い、魔力を注ごうとしたとき、背後から彼に抱きしめられた。
「セドリック様、なにを……」
「私の魔力を使ってください」
「え……?」
「私には、まだ十分な魔力が残っています」
「無理です。ラヴェリアが受け入れるのは、花守の魔力だけです」
「それなら、あなたを通して渡すことはできませんか?」
「わかりません。そんなことをした例はなくて……それに、もし失敗すれば、セドリック様まで危険な目に遭うかもしれません」
「それでも、一度だけ試させてください。少しでも苦しければ、すぐに止めます」
「でも……」
「あなたが私と、この土地を守ろうとしてくれたように」
紫がかった青い瞳が、まっすぐに私を見つめる。
「今度は、私にあなたを守らせてください」




