最終話 誰にも譲らない、私だけの
結界が戻ってから三日後。
クラーク家の応接室で、結界崩壊についての調査結果が言い渡された。
父と母、ロザリーは、長椅子に並んで座っている。
対するセドリック様の前には、私が父へ提出してきた結界維持の報告書と、辺境伯家から送られたラヴェリアの保全命令が積まれていた。
「国王陛下より東部防衛に関する裁断権を預かる者として、王命に基づく処分を申し渡します。クラーク伯、あなたはアデルから繰り返し危険性を報告され、私からも畑の保全を命じられていました」
セドリック様が、一通の書状を持ち上げる。
「この受領証には、あなた自身の署名があります」
「それは……まさか、本当に結界が失われるとは思わず……」
「これは領地を預かる伯爵が、知らなかったで済む話ではないですよ」
父は苦しげに顔を伏せた。
「そのうえ、あなたはラヴェリアを抜く許可を出し、保管庫の合鍵をロザリー嬢へ渡した。あまりにも無責任です」
「わ、私は、種まで勝手に使うとは知らなかった!」
父が慌ててロザリーを見る。
「悪いのはロザリーだ。私は庭を使ってよいとは言ったが、結界を壊せとは命じていない!」
「なあに、それ!? お父様、私を悪者にするつもり?」
ロザリーは信じられないものを見るように父を見た。
「あの日、一瓶分の種を与えたら、白薔薇の蕾が一気に膨らんだの。だから残りの種も使えば、白薔薇でラヴェリアの代わりの結界を作れると思ったのよ」
ロザリーは、いまでも自分が正しいと信じている顔で続けた。
「そうすればセドリック様も、私の方が辺境伯夫人にふさわしいとわかってくださるでしょう?」
「そのために、種を持ち出したの?」
「だって、お姉さまが選ばれるのはずるいもの」
ロザリーは不満そうに唇を尖らせた。
「魔物だってセドリック様が倒してくださったし、結界も元に戻ったのでしょう? 結局、誰も死ななかったのだから、問題はないじゃない」
「死者が出なかったのは、あなたの行為が軽かったからではありません。アデルや騎士たちが、命を懸けて止めたからです」
セドリック様の冷たい声に、ロザリーはむくれた顔で下を向く。
「あなたのしたことによって村が焼かれ、多くの者が傷つき、アデルは命を失いかけた。その責任を負っていただきます」
「そんな、ひどいわ!」
ロザリーがわめくのを無視して、セドリック様は処分を読み上げた。
父は領地の管理権を失い、クラーク領は当面、辺境伯家の直轄管理となる。
白薔薇の香油事業は、辺境伯家から派遣される代官と商会の共同管理へ移される。
その利益と、ロザリーのために用意されていた持参金は、村の復旧と結界の維持へ充てられる。
三人は辺境を離れ、王都近郊にある小さな屋敷で監督を受けながら暮らすことになった。
「私の持参金まで取り上げるの!?」
「取り上げるのではありません。あなたが生じさせた損害の賠償へ使います」
「そんなの嫌よ!」
セドリック様の言葉にロザリーが泣き始めると、母がいつものようにその肩を抱いた。
「アデル。ロザリーも反省しているわ」
母は助けを求めるように、私を見つめた。
「あなたからセドリック様へ、処分を軽くしてほしいと頼んでちょうだい。姉なら可愛い妹を守るのは当然でしょう?」
「……お母様は、私に姉であることばかり求めましたね」
「どういう意味?」
母が目を瞬かせる。
「でもロザリーに、妹として私を思いやるよう言ったことは、一度もありませんでした」
「それは、ロザリーの身体が弱かったから……」
「いまも、そうやってロザリーのしたことを、私に背負わせるのですね」
「背負わせるだなんて! ただ、あなたが少しお願いを聞いてくれれば、家族みんなが穏やかに暮らせるのよ?」
何度も聞かされてきた言葉だった。
けれど、もう胸が苦しくなることはない。
「嫌です」
晩餐で口にしたときよりも、はっきりと言えた。
「私はもう、ロザリーの願いを叶えるために、自分の人生を差し出しません」
「お姉さまには、セドリック様もラヴェリアの庭もあるじゃない!」
ロザリーが立ち上がり、涙を浮かべて私を睨んだ。
「自分は何もかも手に入れて、私からは全部を奪うのね!」
「私は、あなたから何も奪っていないわ」
ロザリーの目を見て告げる。
「セドリック様も、ラヴェリアの庭も、最初からあなたのものではなかった」
「でも、私が欲しいと言ったのに!」
「あなたは、欲しいと言えばすべて自分のものになると思っていただけよ」
「お姉さまなら譲ってくれるはずでしょう?」
「いいえ」
もう、迷いはなかった。
「私はもう、あなたに自分の人生を譲りません。あなたのために、自分の幸せを諦めることもしません」
ロザリーがどれほど泣いても、処分が覆ることはなかった。
両親も、今度ばかりはその願いを叶えることはできなかった。
応接室を出るとき、母は泣きじゃくるロザリーの肩を抱いたまま、一度も私を振り返らなかった。
胸がじくりと痛み、一瞬、母を呼び止めそうになる。
それでも私は、その背中を追わなかった。
◇
それから数週間後。
再生したラヴェリアの花畑に、私はセドリック様と並んで立っていた。
紫色の花は、以前よりも広い範囲に根を伸ばしている。
「領内を調べたところ、花守の適性を持つ者が何人か見つかりました」
セドリック様から渡された名簿を受け取り、目を通す。
「ありがとうございます。希望する方には、私からラヴェリアの育て方を教えます」
「種の保管庫も、各地で準備を始めています」
「これからは種を一か所へ集めず、村ごとの保管庫へ分けたいのです。それから、花守へ魔力を渡せる補佐役も育てたいと思います」
あのとき、私がセドリック様の魔力を受け取れたように、一人で足りないのなら、誰かに助けてもらえばいい。
「一人の花守が、すべての魔力と責任を背負う仕組みを終わらせたいのです」
「実現させましょう」
セドリック様は迷わず頷いた。
「あなたから花守の役目を奪うつもりはありません。ただし、もう二度と一人では背負わせません」
「はい」
そのとき、屋敷の方から執事がやってきた。
私たちの前で足を止めると、セドリック様へ一礼する。
「セドリック様。王都から書状が届いております」
差し出された書状を開き、目を通したセドリック様が、困ったように笑った。
「これは、私宛というよりアデルへの依頼だな」
「私に、ですか?」
渡された書状には、北方領で結界を支える花が、原因不明のまま枯れ始めていると記されていた。
花守である私に、一度現地を見てほしいという。
私は咲き揃ったラヴェリアへ目を向けた。
「どうやら、君の仕事には終わりがないらしい」
「ええ。私は花守ですから」
風に揺れる紫の花へ、そっと指先を触れる。
「……それなら、なおさら今のうちに、ひとつだけ聞いておきたいことがあります」
「え?」
振り返ると、セドリック様が私の手を取った。
「今度は、クラーク家の娘としてでも、花守としてでもなく、アデル自身として答えてください」
そして、私の前へ跪く。
「どうか、私と結婚してください」
「……はい」
差し出された手を、今度は迷わず取ることができた。
「私が望むのは、あなたと生きていく未来です」
立ち上がったセドリック様に抱き寄せられる。
顔を上げると、その唇がそっと重なった。
紫色の花が風に揺れ、私たちの周りを淡い光が舞っている。
花守として歩く道は、これからも続いていく。
けれど、もう一人ではない。
もう、誰にも譲らない。
私が望み、私自身で選んだ、この人との未来を。
【了】




