第6章 虹 ⑤
サンカリは横たわっているティテに駆け寄った。
「ティテ! しっかりして!」
自分の服の袖をちぎり取り、真っ赤になったティテの右腿を押さえつけるが、ティテの足は縛りつけられたままなのでうまくいかない。
「イラピタヤ、ティテを縛ってる縄を切れる?」
「はい」
イラピタヤは弓を振るい、ひときわ高い擦弦音を鳴らした。すると、ティテの手足を縛っていた縄が鋭利な刃物で切られたようにばらばらに解けた。
「私は大丈夫、自分で止血できるから。それよりも外の竜たちを止めて」
「……分かった」そうは言われても、血塗れのティテの腿を見てしまっては、そばを離れがたい。
「早く!」とティテに睨まれて、サンカリはやっと立ち上がり、コアの前へと走った。
「竜を止めるにはどうしたら良いの、イラピタヤ?」
「起動キーをコアにかざしながら、実行したい動作を思い浮かべるだけで大丈夫です」
サンカリは竜の牙の形をした虹の石を、右手で紐を持ってぶら下げ、コアに向けて掲げた。
サンカリは、空を飛びまわる凶暴な竜たちが丸くなって眠る姿を想像した。シーヴェンがいつもそうしていたように、銀竜たちが敷き詰めた藁の上で穏やかに寝息を立てているところを頭に思い浮かべる。これでシーヴェンの願いを叶えられる。友が命を賭けて果たそうとした願いまであと少し。イメージが固まってきた。あと少し……。
サンカリの想像は突然の銃撃音と右手の痛みに中断させられた。
「あぐっ」
右手でぶら下げていた虹の石が吹き飛び、小指の付け根に激しい痛みを感じた。振り返る。
「デゼルター!」
脱走兵が這いつくばった姿勢のまま右手だけを持ち上げて銃を構えていた。目は見開き、口からは泡を吹いたまま表情は一切変わらない。力いっぱい握りしめている拳銃がわなわなと震える。引き金にかけた指に血が滲んでも、デゼルターは右手の力を緩めなかった。いや、緩めることが出来なかったのだ。くふぅ、と声とも息とも判別のつかない音を喉から漏らし、それきり動かなくなった。
「サンカリ! 大丈夫!?」
ティテが右足を引きずりながら駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫。それより虹の石は?」
二人は吹き飛ばされた虹の石を探した。幸いにもすぐに見つかったが、それは既に虹の石ではなくなっていた。
「割れてる……」
銃弾が当たったのか、飛ばされた衝撃でどこかにぶつかったのか、虹の石は砕け、虹色の輝きを失って、ただの小石の群れになっていた。二人で掻き集めてみたが、元は竜の牙の形だったことなど分からないほどに完全にバラバラになってしまった。
「ああ、これはまずい」
イラピタヤが言った。
「何がまずいの?」
「コアを動かすにはキーが不可欠です。それが壊れてしまったら、もうコアは命令を受けつけません」
「え!?」
外では今もなお銀竜たちによる無秩序な暴虐が続いている。デゼルターが石を手放す前にそう命令したのか、石が壊れたために暴走しているのか、それともサンカリの命令が中途半端になってしまったために混乱しているのか。分からないが、この世のものとは思えない惨たらしい光景が広がっていた。
「今はまだ竜の台座の周辺を飛んでいる船だけで済んでいますが、いずれ攻撃範囲はどんどん拡大していくでしょう」
「どうしたら良いの、イラピタヤ!」
「認証キーを作り直して、コアを再起動するのが通常の方法ですが、そのためには竜と竜守と虹の石を揃えなければなりません」
そんな時間があるわけがない。そんなことをしている間に、世界は竜に滅ぼされてしまう。それに、そもそも。
「どこかにまだ竜と竜守が生き残っていれば、の話ですが」
イラピタヤの言うとおりだ。もし、サンカリとティテとデゼルターが最後の竜守だったとしたら、それぞれの竜はもういない。デゼルターは死に、ティテの虹の石は砕けた。竜と竜守と虹の石を揃えるのは不可能だ。
「そんな……」
サンカリは目の前が真っ暗になっていく気がした。何も出来ないのか。このまま軍の飛行艇が次々と落とされて、その度にたくさんの人が死んで、いずれは世界が竜に滅ぼされて、世界中が竜に対する憎しみでいっぱいになるのを、ただここで見ているしか出来ないのか。
「方法はまだあります」
イラピタヤが今までよりも真面目な口調で言った。
「コアを破壊するのです」
彼は台座の上に浮かぶ虹色の球体をバイオリンの弓で差した。
「竜を竜たらしめているのはコアです。コアが壊れれば、竜たちはただのエネルギーの奔流に戻ります」
ただし、と前置きしてイラピタヤは言葉を継いだ。
「コアの破壊は竜の台座の崩壊を意味します。コアが置かれているこの部屋は竜の台座の中枢塔の頂上にあります。コアを破壊してから脱出するのは不可能でしょう。間違いなく助かりません。そして、私の管理システムとしての権限ではコアを物理的に破壊するのは不可能です」
イラピタヤの言わんとしていることは分かった。
サンカリはティテを見た。ティテもサンカリを見つめていた。
二人とも想いは同じだった。
「分かった。僕たちがコアを破壊する」
「二人揃ってということで良いのですか? 一人だけなら脱出できますが」
「うん、良いんだ」
竜がいなくなった今、竜守としてのサンカリとティテの役目は終わった。ここには友の願いを引き継ぐことを決意した者がいるだけだった。
「やはり、こんなものは残すべきではなかったのかもしれません。竜の台座も、私も、虹の石も、あなたたちとともに降りた竜も。あなたたちの祖先が地上に降りるときに、すべて破壊するべきだったのかもしれません」
「そんなことない」
サンカリは口調を強めた。
「だって、それじゃ僕はシーヴェンと会えなかった。だから、絶対にそんなことない」
毎日シーヴェンの背中をデッキブラシで擦り、一緒に空の散歩をしていたのは、竜の台座を止めさせるためでは決してない。父もそうだ。ティテだってもちろん。そして、自らを竜を守る者──竜守と名乗った祖先も、きっと。
ただ、竜とともに生きたい。それだけだったはずだ。
「分かりました。では、あとはお任せします」
イラピタヤは、すっかり見慣れた折り目正しい九十度のお辞儀をした。
「あなたが竜守で良かった」
言い終わらないうちに、イラピタヤの姿は掻き消えた。




