第6章 虹 ③
「やった! やったぞ! 竜の台座が目覚めた!」
まばゆい虹色の光を前に、デゼルターが狂ったように雄叫びを上げた。
部屋中を満たしていた光はゆっくりと収縮していき、球体の中に閉じ込められた。
「感謝するぞ。君と君の竜のおかげで竜の台座を甦らせることが出来た。私の石では認証させることが出来なかったのでね」
デゼルターは軍服の胸ポケットから小さな透明のケースを取り出した。中には竜の爪のような形をした石が入っていた。
「その石は……」
ティテが竜の台座の封印を解かされたときに見た三つ目の虹の石だ。
「コアを再起動するには鍵として認証された虹の石が必要だった。そして認証されるのは竜の台座の封印を解くときにメインとなった虹の石のみ。つまり、竜と竜守と虹の石の三つが揃って初めて可能となる。そのことを知ったときには、私と対になる竜は既にいなくなっていた」
私と対に──。ティテがその言葉の意味を理解するのにはしばらくの時間を要した。デゼルターの言葉が現していたのは、あまりにも残酷で冷淡な事実だったからだ。
「あんた、まさか……」
「そう。私も竜守だよ」
ティテの目が見開かれた。
「さて、完全に目覚めた竜の台座の力を、さっそく見せてあげよう」
デゼルターがティテの虹の石をコアの球体にかざすと、バイオリンを持った人影が降り立った。
「お前が竜の台座の管理者か」
「はい、マスター。イラピタヤです」
「ではイラピタヤ。早速、仕事をしてもらおうか」
「はい」
イラピタヤは恭しく礼をし、バイオリンを構えた。デゼルターが虹の石をコアにかざすと同時に弾き始めた。
「君は不思議に思ったことがないか。年も取らず、食事も排泄もせず、君の両親や祖母の時代どころか、ずっと前の世代から生き続けている竜の存在を」
威圧的で暴力的な演奏だった。コアから放たれる光が強くなっていった。光に音が従っているのか、音が光に操られているのか、いずれにしても、イラピタヤの演奏とコアの光は共鳴していた。
「そもそも竜は生きてなどいない。竜とは空のエネルギーの集合体のことだ。そのエネルギーを固着し、竜の姿を形成するための媒体──それが虹の石であり、竜の台座のコアだ」
部屋の中が凶暴な光と音に支配された。それらは室内を駆け巡り、飛び跳ね、蹂躙した。狭い空間に収まりきらなくなったそれらは部屋を飛び出し、中枢塔を飛び出し、竜の台座を飛び出し、周囲の空と溶け合っていった。雲が膨らんだ。竜の台座の周囲の雲が次々と膨れ上がっていった。まさか、あの雲がすべて……。ティテは自分の予想に戦慄した。そして、恐れていたとおりになった。
「このような小さな石では一匹の竜を維持するのが精一杯だが」
デゼルターは竜守の証である自分の虹の石を取るに足らないものを扱う手つきで持ち上げた。
「竜の台座のコアを使えば際限なく召喚することが出来る」
演奏が終わった。そのときには、竜の台座はおびただしい数の竜に囲まれていた。空の青よりも竜の姿のほうが多かった。
「どうだ! これがかつて世界を支配した力だ!」
◇ ◆ ◇ ◆
サンカリは走っていた。墓地の中を、草地を踏みつぶしながら。
戦いが始まっていた。
竜たちは手近な飛行艇に一切の躊躇いなく突撃した。飛行艇は大砲で迎撃するが、次の砲弾を装填する間に竜の接近を許していた。シーヴェンが言っていたとおり、戦争などという生易しいものではなかった。飛行艇が一匹の竜を撃ち落とすそばから、それ以上の数の竜が雲から生まれた。軍用飛行艇と竜とでは、その大きさに蟻と象ほどの差があった。しかし、何万匹も群がる蟻は象をたやすく殺すことが出来る。サンカリの頭上の空で繰り広げられている光景は、まさしくそれだった。
軍の飛行艇が一隻、また一隻と墜ちていく。
飛行艇が数を減らしていく一方で、竜の増殖はとどまることを知らない。シーヴェンは、竜の台座の竜は無尽蔵だと言っていた。竜の台座の周囲に「空」という空間がある限り、竜が尽きることはないのだ。
サンカリは走った。目指すべき場所は分かっていた。中枢塔だ。デゼルターはそこにいる。しかし、行く方法が分からなかった。どう進めばそこに辿り着けるのか分からなかった。どうやったらあの男を止められるのか。どうすれば竜による暴挙を止めることが出来るのか。サンカリはずっと考えていた。しかし、サンカリには分からなかった。サンカリは無力だった。
大きな影がサンカリを覆った。
「竜だ!」
白銀の竜が墓地の上空を飛んでいた。砲弾の直撃を受けたらしく、竜は腹部から黒い煙を吹き出していた。口をだらしなく開き、長い舌を伸びたままにしており、翼は変な格好で固まっている。もはや翼を動かすほどの力を失ってしまっているようだった。そして、サンカリのほうへ墜落していた。
「うわあ!」
竜はサンカリの頭上すれすれをかすめていき、草地を抉り、いくつかの墓石を吹き飛ばした。土煙に塗れ、美しい白銀の表皮をずたぼろに半壊させて、竜は奇妙な格好に折れ曲がったまま動かなくなった。
サンカリは恐る恐る竜に近づいた。煌々とした焔のような眼は限界まで見開かれ、眉間に皺が寄り、鼻の穴も膨らんでいた。狂猛な獣という表現が的確な顔。そんな表情のまま竜はぴくりとも動かなかった。
鋸の刃のような細かい竜の歯に何かが絡みついていた。金属で出来た板でビスのようなものも何本かついている──飛行艇の装甲だった。
炎と黒煙の中を竜が駆け巡り、爆発と破壊の音に混じって竜の咆哮が轟いた。その隙間から、逃げ場を失い艦橋から振り落とされる者たちの叫びが聞こえる気がした。爆発に巻き込まれ熱波に焼かれる者たちの悲鳴が耳に届く気がした。血の匂いが立ち込めるような気がした。鼻を塞いでも息を止めても匂いは消えず、サンカリの中を満たしていった。
竜は白銀の粒子となって消えた。飛行艇の装甲板だけが、がらりと音を立てて地面に転がり、竜がいた痕跡は何もかもが消えてしまった。
これが。こんなものが竜なのか。支配するための手段。戦争の道具。それこそが、竜の本当の姿だというのか。……違う。絶対に。竜とはそんな存在ではない。こんなことをさせるためのものであって良いはずがない。止めなければ。何としてでも。あの男を。竜の台座の支配を。竜による破壊と殺戮を。
そのとき、金色の風が吹いた。
──サンカリ
「……シー、ヴェン?」
声が聞こえた。いや、声と呼ぶにはあまりにも頼りないものだった。他の人ならば空耳で済ませてしまう程度のものだった。だがサンカリは、はっきりとその声を聞き取ることが出来た。十年間、毎日のように耳にしてきた友の声だったのだから。
──竜の台座を止めて
砲撃と爆発と咆哮の隙間を縫うようにして、シーヴェンの声がサンカリの耳に届いた。サンカリは必死に耳をそばだてて友の声に集中した。
サンカリの中に何かが飛び込んできた。それは映像だった。音だった。そして感触だった。それらよりもずっと臨場感のあるものだった。視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚──五感のすべてに訴えかけてくるものだった。そこにいないのに、そこにいるような感覚だった。見えていないのに、聞こえていないのに、触れていないのに、知覚していた。
ティテがいた。彼女は手足を縛られていた。そばにはデゼルターがいた。イラピタヤがいた。彼女たちは中枢塔の内部、竜の台座のコアが置かれている部屋にいた。サンカリはもちろんその部屋に入ったことはなく、その部屋の存在を知らないはずなのに、その部屋のことを分かっていた。そして、理解した。シーヴェンはサンカリに教えてくれているのだ。竜の台座を止める方法を。
「分かったよ、シーヴェン」
サンカリとシーヴェンの「竜とともに生きよ」はどうしようもないほど決定的に食い違っていたのかもしれない。
たとえそうだとしても。
サンカリは拳を握りしめた。
先祖がどんなつもりで「竜とともに生きよ」の言葉を残したのかなんて知らない。本当の意味などどうでも良い。友が命を懸けて叶えようとした願いだ。
「僕が継がなくてどうする。それが僕の竜とともに生きよだ」
黄金色の粒子が一粒、舞った。それはサンカリの前をふわふわと漂ったあと、その輝きを増していき、竜の背中のようにやさしく、竜の翼のように雄々しい光の渦となった。
サンカリは光の渦の中へと飛び込んだ。




