第6章 虹 ②
扉が音もなく両側にスライドして開いた。
「あうっ」
ティテはデゼルターに背中を強く押され、前につんのめりながら中へ入った。
「気をつけろ」
それが人の手を縛りつけて、しかも突き飛ばした人間の言うことか。ティテはデゼルターを睨みつけた。ティテは両腕を後ろ手に、足は走れない程度にきつく、歩ける程度にゆるく縛られていた。
「あんた、女を縛る趣味でもあるの? 最悪ね」
「もう少し大人しくしていてくれるなら、わざわざこんな真似しなくて良いんだがね」
デゼルターはさっさと部屋の奥へと入っていった。扉が音もなく閉まった。ティテが近づいても、もう扉は開かなかった。
今までとは違う雰囲気の部屋だった。中枢塔の頂上にある部屋──竜の台座の心臓部ともいうべき部屋だという。室内は夜の空か深海のように薄暗いが、不気味さや肌寒さは感じない。むしろ、どことなく暖かな雰囲気に包まれているような気がして、ティテは死別した母の腕の中を思い出した。
「見てみろ」
デゼルターは部屋の中心を指差す。そこにはこの部屋で唯一のオブジェクトがある。
球体。光すらも吸い込んでしまいそうな重々しい黒い塊が、デゼルターの胸元ぐらいの高さの台座の上に浮いていた。吊るされているのでもなく、支えられるのでもなく、それ自身が浮いていた。注意深く見てみると、球体は自転していた。まるで、小さな星のようだ。
「これは竜の台座のコアだ」
デゼルターが小さな星に近づきながら言った。
「もともと竜の台座とはこのコアの呼び名だった。それがいつしか島全体を指す名前となったのだ」
デゼルターはティテの虹の石を台座にかざした。塔の入口の扉にあったのと同じ印が球体の周囲に浮かび出た。
周囲が青でいっぱいになった。足元には白。そして、上には太陽があった。
「な、何? え? え?」
青は空だった。白は雲だった。壁と床が外の風景を映し出しているのだった。ティテの足元のずっと下のほうを雲がゆっくりと流れている。靴の裏に確かに床の感触があるのに、目で見るとつま先は何もない中空を踏んでいる。重力と浮遊感と錯覚でふわふわとしてしまい、ティテは立ったまま酔ってしまった。
空には何隻もの飛行艇が浮かんでいた。色や大きさは様々だったが、重厚な装甲を身に着け、武骨なプロペラとエンジン排気口を装備し、金の剣の紋章を船体に描いていることは共通していた。
飛行艇群の中にはアルデオ・アルブランカの機影もあった。
軍の飛行艇部隊だった。
飛行艇の艦隊は竜の台座とは一定の距離を保ったまま待機しているが、その砲門はすべてこちらに向けられており、あれが斉射されればいかに竜の台座といえども跡形もなく破壊し尽されてしまうのではないかと思えた。
「追手が到着したようだな」
「あんたもお仕舞いね」
「それはどうかな」
デゼルターに取り乱している様子は少しもなく、むしろ今までで最も落ち着き払っているように見えた。
「あれだけの数を相手にするつもり? いい加減あきらめなさいよ」
ティテの言葉をデゼルターは一笑に付した。あきらめていない、などというものではない。彼の笑みは明らかに自らの勝利を確信しているものだった。
デゼルターは虹の石を台座にかざした。球体の周りの印が一瞬だけ心臓の鼓動のように明滅したあと、球体に吸い込まれて消えた。
「いくつもの世代を超えて、竜の台座が甦るぞ」
デゼルターの言葉に導かれたように、球体の中から光が生まれた。虹の石のものとよく似た緑色の光だった。初めは弱々しく、やがて少しずつ力強くなっていった。まるで無から命が生まれ、活き活きと脈打ち始めているようだった。
光が球体から溢れんばかりになったころ、変化が現れた。光の色が虹色に移ろい始めたのだ。そして同時に、デゼルターの持つ虹の石も共鳴したようにその色を変え始めた。緑、青、藍、紫、赤、橙、黄……と、まさしく虹色に。
やがて光は弾け、ティテは目を開けていられなくなった。
◇ ◆ ◇ ◆
ブゥン、という腹の底に響いてくるような低い音がどこからともなく聞こえてきた。それと同時に大地が揺れだした。歩いていたら気がつかない程度の微細なものだったが、風もないのに墓地の背の低い草が一斉に震えだした。
「この揺れは!?」
「コアが再起動されました」
「コア?」
「竜の台座の心臓部です。あなたたちの先祖が島を去る際に封印していたものを、あの男が再び動かしたのです」
「それが再起動すると、どうなるの?」
「竜の台座が甦ります」
サンカリの背筋に戦慄が走った。
この振動だ。これは目覚めの振動なのだ。赤子が目を覚ますときに体を震わせるように、竜の台座が胎動したのだ。
「申し訳ありませんが、私は行かなければなりません」
まだ地面の揺れが収まらぬうちから、イラピタヤは取り出したときと同じ手際の良さと正確さをもってバイオリンを片づけ始めた。
「ちょっと待って、イラピタヤ! デゼルターのところへ案内してくれるんじゃないの?」
「私はそんなことは言っていませんよ。あなたは私に、黒い軍服を着た男を見なかったか? と尋ねました。私はたしかに彼の動向を見ていましたので、見ました、と答えました。私が彼の所へ案内する、という提案は一度もしていません」
「そんな!」
サンカリが思い出すまでもなく、きっとイラピタヤは間違いなく一言一句正確にサンカリとの会話を記憶しているのだろう。この男には言外の意というものは一切存在せず、言葉にして表現したものが意図のすべてなのだ。
「それでは、失礼します」
イラピタヤはバイオリンのケースを右手に提げると、腰を九十度に折り目正しく曲げてお辞儀をした。途端、彼の体にノイズが走った。彼の姿はまるで受信状態の悪い映像が乱れるように左右に激しくぶれた。
「待って、イラピタヤ!」
「申し訳ありませんが、待てません。マスターに呼ばれてしまいましたので」
サンカリがイラピタヤの腕をつかもうと駆け寄ったときには彼の体は消えていた。勢いをつけすぎたサンカリはイラピタヤの姿があった場所を通り抜けて、草地の上へと倒れ込んだ。サンカリが一人で立ち上がったときにも、やはりイラピタヤの姿はなく、黒く美しい墓石だけがどこまでも並んでいるだけだった。




