第23話 もうひとりじゃない
広場から村に戻ったころ、空はすっかり茜色に染まっていた。
子どもたちは名残惜しそうに振り返りながらも、元気な声で「ありがとー!」と叫びつつ、それぞれの家に帰っていく。
小さな足音と笑い声が遠ざかるにつれて、辺りは驚くほど静けさを取り戻していく。
残ったのはリュミとリンコとパッロだけ。
「ふぅ……」
思わず、ひとつ息を吐いた。
肩の力がゆっくりと抜けていくのを感じる。
夕焼けの風が頬を撫で、少し汗ばんだ額をやさしく冷やしてくれた。
あの蝶が助けてくれなかったら、正直どうなっていたかわからない。
考えれば考えるほど、ぞっとする。
無事だったことが、不思議に思えるくらいだ。
「ったく。あんたって子は」
リンコがツンとくちばしを上に向け、鋭い目つきでじろりとリュミを睨んでくる。
その目には怒りと、隠しきれない心配の色がにじんでいた。
「また勝手に危ないことに突っ込んで……何回目だと思ってんのよ」
「ご、ごめん……」
リュミが小さくうなだれると、すかさずパッロが横から口を挟む。
「結果オーライってやつだろ。蝶も助けに来てくれたしさ」
ため息のような鼻息を漏らすパッロ。彼の目にも、疲れと安堵が混じっている。
たしかに、今回は助かった。
リュミもリンコもパッロも、そして子どもたちも、誰ひとり欠けることなく無事だった。
でも――それでも、心の奥にずっと引っかかっているなにかがある。
リンコに心配をかけてしまったこと。自分の判断が正しくなかったのかという疑念。
ごめんなさいという思いが、胸いっぱいに広がっていく。
(なんとかなったけど……やっぱりモヤモヤする……)
そのときだった。
「リュミ!」
低く、鋭い声が背後から響いた。
空気が一気に張り詰める。びくっと肩が震え、思わず足が竦む。
振り返ると、そこに立っていたのは――エルドだった。
「エ、エルドさん……」
エルドは眉間に深くしわを寄せ、ふだんとはまるで違う、切迫した表情を浮かべていた。そのまま、足早でリュミに近づいてくる。
そして、なんの前触れもなく、両肩をぐっと掴んできた。
「無事か⁉︎ ケガはしていないか!」
「う、うん。だいじょ――」
「なに考えてるんだ!」
怒鳴られて、リュミの声が途切れる。
エルドの瞳は鋭く、まるで怒りの奥に、怒りだけではなく、焦燥と不安が渦巻いているようだった。
「子どもたちと一緒に、魔物の群れに近づいたって聞いたぞ。危険すぎる!」
「魔物って言っても、小さい虫で…………パッロもリンコもいっしょだったし……それに、子どもたちが困ってて……」
「だからって! あんな状況に飛び込むのは無謀だ!」
ぐいと腕を掴まれたまま、リュミは言葉を失った。
叱られているのに、怒鳴られているのに――胸の奥がざわめいている。
(エルドさん……)
エルドはやさしいけれどそっけなくて。
だから、リュミなんてただの観察対象くらいにしか思っていないと、ずっと思っていた。
でも今、こうして本気で叱ってくれている。心から、怒ってくれている。
それは、リュミという存在が彼にとって《大切なもの》になっている証拠なのだろうか。
驚きと戸惑いが入り交じって、胸がいっぱいになる。
怒られて怖いはずなのに、不思議と心があたたかい。
「もしおまえが傷でも負ったら、どうするつもりだった」
「……」
「おまえは自分ひとりだけじゃないんだ。リンコもパッロもいる。……ワシもいる」
胸がドキンと跳ねた。
その言葉は、まるで深く刺さる矢のように、まっすぐ心の真ん中に届く。
リュミの無茶で、みんなが心配している。
エルドは、それを伝えたかったのだ。どうしても。
「ごめんなさい……」
ぽつりと漏れた謝罪の声は、わずかに震えていた。
エルドはしばらく黙ってリュミを見つめ、それから深く、ゆっくりと息を吐く。
「……わかればいい」
そう言って、掴んでいた手を放すと、ほんの少しだけ顔を背ける。
でも、その横顔にはまだ険しさが残っていた。
「リュミ」
「な、なに……?」
「おまえが誰かを助けたいと思う気持ちは、ワシも否定しない。……けどな」
「……」
「助けるためには、生きてなきゃならないんだ。無茶をして倒れたら、元も子もない」
その言葉が、ずしんと胸に響く。
助けたい気持ちばかりが先走って、自分のことを後回しにしていたことに、今さら気づかされる。
俯いたリュミの頭に、大きな手がそっと置かれる。
その手のひらは驚くほどやさしくて、じんわりとあたたかい。
はっとして顔を上げると、エルドがやわらかく笑っていた。
こんな顔、初めて見る。
その笑みはまるで「大丈夫」と言ってくれているようで、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「……もう無茶はするな。ワシがそばにいる。だから、ひとりで抱え込むな」
その言葉に、込み上げてくるものを押さえきれなかった。
目頭がじんと熱くなる。
「……うん」
リュミは掠れた声で、でもしっかりと頷いた。
***
その夜。
リュミはひとりベッドの上に腰掛けながら、胸にそっと両手を当てていた。
叱られたときのエルドの声。
肩を掴まれたときの強さ。
頭に置かれた手のぬくもり。
そして、「ワシがそばにいる」という言葉――。
(……なんだろう、この感じ)
妙に落ち着かない。
怖かったはずなのに、不思議と安心している。
胸の奥が、じんわりと満たされていく。
(叱られるの、イヤじゃなかった……)
それどころか、うれしかった。
だって――叱るほど近い存在だなんて、思ってもみなかったから。
どうでもいい存在に、本気で怒る人なんて、いない。
思わず、枕に顔をうずめて、ジタバタと転がる。
リンコとパッロがいなくてよかった。こんな姿、見られたらなにを言われるかわからない。
でも。
エルドの言葉が、繰り返し頭の中で響く。
「……ひとりじゃない、か」
ぽつりとつぶやいた声は、夜の静けさに溶けて、そっと消えていった。
お読みいただきありがとうございました!
おかげさまで、少しずつ読んでくださる方が増えていて嬉しいです。
本作は全42話、すでに最後まで書き上がっております。
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