第22話 子どもたちのお願い
村と畑をつなぐ道をふさいでいた蜘蛛の巣の件が解決してから、幾日かが過ぎた。
森の奥にいるという魔物に新たな動きはない。ぴたりと静まりかえったその気配は、逆に不気味なほどだ。
エルドの話では、むやみに刺激を与えるのは得策ではない──とのことだった。
だから、リュミはこれまで通り、穏やかに過ごしている。
そんな中、変化が起きた。
「リュミおねえちゃーん!」
パタパタと軽やかな足音とともに、数人の子どもたちがリュミのもとへ駆け寄ってくる。
リュミより少し年下の、まだ幼さの残る子どもたちだ。
おそらく、あの蜘蛛の巣の一件を聞いたのだろう。村の大人たちが、うわさ話のように話していたのかもしれない。
あれ以来、リュミのことを《すごいおねえちゃん》として慕ってくれるようになり、こうして遊びに来るようになったのだった。
本来なら、今のような状況で子どもを森で遊ばせるのは避けるべきだ。
森に潜む異常のことを考えれば、すぐにでも家に帰すべきなのはわかっている。だけど──。
(この目で見つめられると……)
キラキラとした瞳が、まっすぐに自分を見上げている。
「帰りなさい」と口にするのは、どうしても難しい。
「どうしたの?」
リュミがやわらかく問いかけると、子どもたちは我先にと言わんばかりに口を開いた。
「遊び場にね、変な虫がいるんだ!」
「ぶんぶん飛んでて、近づけないの!」
「大人に言ったけど、そのうちいなくなるよって……」
「でも、ほんとにこわいんだもん……」
不安げな声。
リュミの服の裾を、小さな手がぎゅっと握る。その手はかすかに震えていて、恐怖がそのまま伝わってくるよう。
(こんなにこわがっているのに、なにもしないなんてできない……)
リュミはそっとしゃがみ込み、小さな手をやさしく包み込むように握る。
「……わかった。じゃあ、いっしょに行ってみようか」
「ほんと⁉︎」
「やったー!」
子どもたちの表情が、ぱっと明るくなる。
少し離れたところで羽繕いをしていたリンコが、呆れたようにため息を吐く。
「……面倒ごとに首を突っ込むの、ほんっと好きね」
「リュミはそういう子だからな」
パッロは苦笑しつつも、どこか誇らしげだ。
リュミは照れくさそうに肩を竦める。
「だって、困ってるのに放っておけないもん」
案内されるまま、村はずれにある広場へ向かう。
そこは、木々に囲まれた、小さな子どもたちの遊び場。
いつもなら笑い声が響いている場所だが……。
「わ……」
低いうなり声みたいな羽音が響いている。
十匹、二十匹……いや、もっといるかもしれない。無数の羽虫がブンブンと飛び回り、木の枝から枝へと移動している。
悲鳴は上げなかったけれど、思わず一歩引いた。
子どもたちも広場の手前で立ち止まり、顔を青ざめさせている。
「ね、ね? こわいでしょ?」
子どもたちも立ち止まり、不安そうにリュミを見上げてくる。
視界の端に黒くうごめくなにかが映るたび、背筋がゾワゾワする。
(あんなのが、体中にまとわりついてきたら……)
嫌な想像が脳裏をかすめる。
それでも、リュミはその恐怖を顔に出さず、ぐっと奥歯を噛み締める。
「……やってみるね」
そう言って、リュミは胸の前で拳を握りしめ、深く息を吸い込んだ。
そして、静かに目を閉じる。
「《ふわふわ》になぁれ」
たしかにスキルを使ったのに、羽虫たちは羽音を強めただけで、収まる気配がない。
「え……」
数が多すぎるのか、心の声が届かないのか。
それとも、他に原因が?
「リュミ!」
リンコの声が飛んでくる。
「下がりなさい!」
けれど、リュミは動けなかった。
すぐうしろに、子どもたちがいるのだ。自分が下がれば、代わりに子どもたちが危険にさらされる。
(なんとか……しなくちゃ)
再びスキルを使おうとした、そのとき──。
ふわり、ふわり。
やわらかい光が視界を横切る。
ひらひらと舞う白い羽。
そこに現れたのは、一匹の蝶のような魔物だった。
記憶の中にある姿と重なる。
「あっ……」
そうだ。前にリュミが《ふわふわ》にした魔物──。
蝶はひらひらと群れの中に入っていくと、羽ばたきながら鱗粉を散らした。
すると、あれほど荒れていた羽虫たちが、次第に静かになっていく。
羽音がすうっと収まり、騒がしかった空気が一気に落ち着く。
羽虫たちは整列するようにして飛び立ち、次々と森の奥へと戻っていく。
「……すごい」
子どもたちが、ぽかんと口を開けてその光景を見つめていた。見上げている。
最後に蝶がリュミのほうを振り返る。
ふわっと羽ばたいて、空中に小さな光の輪を描く。
もう大丈夫。
そう言っているように感じられて、リュミは笑顔で叫ぶ。
「ありがとう!」
蝶は応えるようにもう一度羽ばたき、森の中へと消えていった。
「リュミおねえちゃん、すごい!」
「ほんとに魔物とおともだちなんだね!」
「ねぇ、また来てくれるかな?」
子どもたちが一斉に駆け寄ってきて、リュミの手を握ったり、腕に抱きついたりする。
「ち、ちがうよ。すごいのはあの蝶さんで……」
「でも、リュミおねえちゃんがおともだちにしたんでしょ?」
「うん! おねえちゃんのおかげだよ!」
顔が真っ赤になって、俯いてしまう。
胸の奥があたたかくて、くすぐったい。
「……よかった」
***
一方そのころ、エルドは険しい顔で村の中を駆けていた。
ひとりの村人からの報告が、頭の中で何度も反芻される。
「子どもたちと……? リュミが……⁉」
その瞬間、心臓がひやりと冷たくなるのを感じた。
森に異変が起きているこのときに、リュミがまたしても危険な場所へ脚を踏み入れてしまったのだ。
なぜ、どうして、こんなときに。
焦りが足を速める。胸の中に、不安と苛立ちが入り混じった焦燥が渦巻いていた。
リュミが子どもたちと一緒に村はずれの広場へ向かった――そう聞かされたとき、ただ遊びに誘われたわけではないと直感した。
きっと、またなにかに巻き込まれたのだ。いや、自ら飛び込んでいったのだろう。いつものように、誰かのために。
リュミはいつもそうだ。
放っておけばいいのに。少しぐらい我慢して、自分を優先してもいいのに。
それでもリュミは、迷わずに動いてしまう。
怖さも危険も呑み込んで、目の前の困っている誰かに手を伸ばしてしまう。
「……そんなところが、リュミの強さでもあるんだが」
理解している。
わかっている。
けれど――。
「なぜ、もう少し慎重になれないんだ……!」
吐き捨てるように、言葉を投げる。
その声には、怒りだけでなく、強い焦燥がにじんでいた。
リュミになにかあったら。
想像しうる最悪の事態が、頭の中をぐるぐると渦を巻く。
「ワシが……もっと、ちゃんと見ていれば」
こんなことにはならなかったかもしれない。
後悔にも似た感情が喉元まで迫り上がり、エルドは唇を強く噛み締める。
ただ、今は立ち止まっている暇などない。
「……どうか、無事でいてくれ」
つぶやきながら、村の方角へと走り続ける。
胸の中では、不安と苛立ちが、もはや渦ではなく嵐のように荒れ狂っていた。
お読みいただきありがとうございました!
おかげさまで、少しずつ読んでくださる方が増えていて嬉しいです。
本作は全42話、すでに最後まで書き上がっております。
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