北海道
藤崎と、もう何日直接話をしていないだろう。
LINEは通じているのだが、レスポンスも極めて悪い。昼間送ったメッセージは、全て深夜まで既読すらつかない。返信も次の日になっていたりする。
「忙しいんだろうけど、ちゃんと休めてるかなぁ」
璃帆は、理解はしているつもりでも、やはり寂しい思いで過ごしていた。
「藤崎、今度の新人どうだ?」
やっと藤崎にも2人目のアシスタントが付いた。ただ、大学を出たばかりで即戦力とはいかない。入社してから3ヶ月が経っているので、ひと通りの流れの入り口は掴めただろうが、設計は一品一様で、似ているようで全て違うため、なかなか思うようにもいかない。
「真面目ですよ。井原君にまかせっきりで、まだちょっと手が出せてませんが」
「そうか。構造計算が重なってるからなぁ。藤崎、今、完全にオーバーワークだろう?」
「そうですね。空梅雨なんで、現場も順調で……。逆に追いつかない……」
「よし。1つ、構造計算、梶原に回すか。それで、何とかなるか?」
「助かります。これで、日曜日、休めます……」
「あれま。ブラックの烙印押されるなぁ。マズイ、マズイ。所長に伝えとくわ」
「よろしくお願いします」
はぁ〜、思わず溜息が出る。藤崎は、机に突っ伏した。同時に、井原も机に突っ伏した。
「璃帆、元気〜!」
何ヶ月ぶりだろう。北海道に嫁入りした、さゆりからLINEが来た。
「元気、元気! さゆちゃんは、酪農順調?」
牛スタンプと一緒に、送る。
「順調だよ。皆んなも、元気かなぁ。久し振りに、顔見たいなぁと思ってさ」
「私も連絡取ってない……。連絡ないから、元気なんじゃない。まだ3人共、子供小さいから、テンテコ舞いなんじゃない?」
「璃帆は? 彼氏と上手くいってる?」
「お陰様で〜。今忙しくてね、会えてないけど……」
「東京にいれば、毎晩付き合うのにねぇ」
「いや〜、もう毎晩は無理だ! こないだ意識なくして、彼氏失くすとこだった!!」
ここで、ふと璃帆は閃いた。
最近、藤崎からのLINEに、謝りの言葉が入るようになった。「会えなくて、ゴメン」は、ご法度なのに、それでも送ってくるのは、藤崎にも焦りがあるからだと分かる。なんとかしたいと考えていたのだ。負担にはなりたくない。
「ねぇ、北海道、遊びに行っちゃダメかな」
「来れるの!?」
「法律変わって、1年で年休5枚、絶対取らないといけなくなったの。今、私の仕事落ち着いてるから、土日合わせて2泊3日くらいなら、全然余裕」
「おいでよ。会いたい!!」
「よし。決めた! 行くよ〜!」
高校の友達5人組に早速連絡する。なんと、2人が参加できるという。子供は、大丈夫なのか……?
「大丈夫、大丈夫。小学校上がってるから、何とかなるのよ〜。両親いるし」
「うちも。旦那とこの間ケンカしたから、なんかチョ〜協力的。祝、初北海道!」
「皆んなばっかり、ズルイー! 璃帆の雨女ぶりを、発揮するのだー。呪われろーー」
「ははん、晴れ女2人組が出席だから、封じ込めてみせる」
「(涙)お土産、蟹で許す! 直送便で送れー! さゆちゃんに、よろしくねー」
グループLINEが騒がしい。夏休み前の航空便が、無事取れた。三十路女の行動力は、恐ろしい……。
「さゆちゃんに会いに、北海道に行ってきます」
藤崎は、突然のLINEにキョトンとした。ずっと、声も聞けてないし、会えてもいない。キスマークどころじゃない。でも、友達と会えるなら、寂しくないかなと安心した。
「良かったね。いつ?」
このLINEが来たのは、昨日だ。返事は、夜しか確認できないだろうなと思っていた。今日も予定は、ぎっしりだった。
夜9時を過ぎた頃、藤崎のスマホが鳴った。璃帆からだ。
「仕事中に、ゴメンね」
「いいよ。どうした?」
「10分だけ、時間とれない?」
「今週、日曜日休み取れそうなんだ」
「……。ゴメンね、わがまま言うね。今から会いたい」
本当に、こんなことは珍しい。近くにいるのだ。前に約束した。会いたい時は、会いに来ると。
「どこ?」
「スタバの前で、待ってる」
「すぐ行くよ」
井原と新人の田中に、休憩だと伝え、駆けつけた。
璃帆がワクワク顔で、待っている。近くまで行ったら、いきなり抱きつかれた。
「会いたかったー」
「ごめんな……」
腰にしがみついている璃帆の頭を、何度か撫でる。
璃帆は、体を離して、曇りのない笑顔で、藤崎を見つめた。
「会えたから、もういいよ。充分……」
「璃帆……」
「北海道、明日から行くの!」
「えっ、そうなの。超特急だな」
「だから、顔見せに来た。私、ケガするとか、事故にあうとか、なさそうだよね」
オーラのことを言っているのだろう。
「キラキラだよ。大丈夫」
「う〜ん、龍一さんは、指先が2重になってますよ」
と、腕を組み、しかめっ面で真面目腐って言う。
「えっ、分かるの?」
「ふふ。誰かさんの受け売り! でも、ホントに疲れてるね……」
そっと、藤崎の頬を触り、心配顔で言う。
「日曜日、ゆっくり休んで。私、夜帰ってくるから、そしたらLINEするね」
「うん……」
「10分、ありがと。行ってくるね」
と、ホントに10分で帰ろうとする。それはない……。
「俺にも、充電させて」
璃帆の腕をひっぱり、思い切り抱きしめた。通りなので、少し恥ずかしくはあるが、この際、大人の事情で許してもらおう。
「苦しい……。でも、うれしい……」
璃帆も、力いっぱい抱きしめて、応えてくれる。
「キスしたい」
「帰ってきたらね」
「ん……」
キスは諦めて、それでも「もう少し」と抱きしめ続けた。大人の事情も、許されるのはここまでらしい……。
手を振って、駅に向かっていく璃帆の背中を眺めつつ、「ありがと。気をつけて」と、呟いた。
もう、何年振りにこんなに話し続けてるんだろう。笑い過ぎて、頬の筋肉が痛い。
名古屋からの2人を出迎え、羽田から釧路空港に向かった。
さゆりは、牛さんの世話があるので、2日目の夜に食事をし、最終日に付き合ってくれることになっている。
途中、鹿にキツネに、アライグマ(!)にリスに、野生動物に出会うたび、キャーキャーと大騒ぎだ。タクシーのチャーター便なので、運転手さんも色々説明してくれる。
屈斜路湖と霧の摩周湖にも足を伸ばした。さすがに璃帆の雨女ぶりが発揮され、本当に霧で何も見えず、2人に責め続けられながら、それでもワイワイと話が尽きることはない。
ラーメンに豚丼にチーズケーキに、道東のグルメを満喫する。今日は温泉での宿泊で、露天風呂まである。何度もお風呂に入った。
あっという間に、1日目が過ぎた。
土曜日、今日も藤崎たちは休日出勤中である。先程、ランチを終え、食後の休憩中だった。
「明日、やっと休みですね……」
スタバのコーヒーを手に、井原がしみじみと呟いた。
「何日ぶりの朝寝が、できるんだろう」
新人、田中も例外ではない。猫の手も借りたいのだから、借りていた。あんまり最初からこんなに働かせては、すぐ辞めていってしまう。あと少しで、目星は付くのだが……。
そんなことを思いつつ、藤崎も明日の休みは、一日寝ていようと考えていた。
「藤崎さん、明日はデートですか?」
井原が、もの言いたそうな顔をしながら聞いてきた。
「いや、彼女今、友達と旅行中」
「えっ、藤崎さん置いてけぼりですか〜。やばいっすね」
「何で? 俺が忙しいから、行ったんだろ。俺が『会えなくて申し訳ない』って思わないように、俺にプレッシャー掛けないために、出掛けたと思う……。多分だけどさ。」
「うわぁ、なにそれ。もう、マリア様の域ですねぇ」
「確かに。お釈迦様クラスの対応です」
メガネのブリッジを上げながら、田中も同意した。
「そうかぁ? 彼女らしいけどな……。普通だぞ」
「普通は、『一緒に行けないなら、もういい! 友達と行ってくるから!』ですよ。はぁ〜、あり得ない……。あんな、素敵な人が、心まで綺麗だなんて……」
「本当に……」
2人で、うんうん頷きあっているのを見て、藤崎は不思議に思う。
「あんなって、見てきたみたいにいうなぁ……」
「へへっ。見ちゃったもんな〜、俺達」
「見ちゃいました。はい」
「いつ?」
「おととい、スタバの前で……」
「……」
ニヤニヤしている井原に、思わずイラッとする。見られてたか……。まったく!
「あんな風に、抱きつかれたら、たまんないよなぁ」
「ほんとですよね」
「綺麗な人だったよなぁ」
「そうですね」
遠い目をして、2人が話す。
「いいですよねぇ、わざわざ会いに来てくれるなんて。俺の彼女なんて……」
「21歳大学生の、かまってちゃんか?」
「はい。藤崎さんの彼女さんのことが羨ましくて、昨日、つい言っちゃったんですよ。10分でも会いに来てくれたら、うれしいなぁって」
「なんて答えたんですか?」
田中も前のめりに聞いている。
「10分しか会えないのに、何しに行くの?って」
「……でしょうね」
「なぁ、普通、そうだよなぁ」
2人は、がっくりと肩を落とす。
――会えたから、もういいよ。充分……
「……」
璃帆の声が甦って、そうか……と、1人感慨にふけってしまった。
何かを吹っ切ったように、井原の顔がパァッと明るくなった。
「よし。藤崎さんがあの彼女さんと別れたら、俺、即、彼氏に立候補しよ!」
田中もここで、小さく手を上げる。
「僕もです」
「年上だけど、全然OKだよな!」
「はい。井原さんには、負けません」
「お前、先輩を立てろよ」
「恋路に、先輩後輩は、ありません」
「藤崎さんと違って、若さで押しちゃおうかなぁ」
「いえ、きっと理性的なタイプの方が、好みだと思います。僕の方が、有利です」
藤崎が、井原の机の前まで来て、ゴソゴソと床辺りを探り始めた。
「? ……何やってんですか、藤崎さん」
「お前らのPCの電源、抜いてやろうと思ってな」
「わー! 止めてくださいよ。データ壊れるじゃないですかー!」
慌てて井原と田中は、データを保存する。
「あ゛ぁ? 誰が別れるって!?」
「冗談ですよ。冗談! もぉ、彼女さんのことになると、人格変わるから〜」
「お前達には10年早いんだよ。誰が手放すか!」
「だから、冗談ですってば〜。……田中、よく覚えとけよ。三十路男の、嫉妬の恐ろしさ」
「肝に銘じます……」
「うわー! ホントに電源抜いたー! 勘弁してくださいよ〜」
「ふんっ」
休憩は、終わりである。
2日目は、知床まで足を延ばす。毎日歩くのは無理とのことで、クルーズの予約をしておいた。イルカとクジラに会う。これだけでも、北海道に来た甲斐があったと、皆んなで手を取って喜んだ。ただし、船酔いはいかんともしがたく、クルーズ終了後は、早々ホテルで死んだように体を休めた。
夜になって、やっとさゆりと合流した。牛さんの食事や牛舎の清掃が終わるのが20時くらいなので、先に3人で晩餐会は始めていた。
ホテル近くの、さゆりお勧めの居酒屋である。ホタテにツブ焼きにザンギ。他にも、北海道の海の幸がここぞとばかりに並ぶ。久し振りに会ったさゆりは、昔と変わらず、元気を絵に描いたかのような仕切りっぷりで、4人で大宴会となった。
「璃帆の彼氏の写真、見せなさいよ〜」
「高いよ〜。ほい」
と、スマホを見せる。
「わっ、なに、イケメンじゃん。よく残ってたね〜」
「これも、見る?」
「やだ〜、寝顔って、うれしいのは璃帆だけだよ〜。ウザイ、ウザイ」
「あれ、ダメだった。この顔、たまんないんだけどなぁ。癒されない〜? 至極の1枚……」
「独身は、これだからねぇ。毎日見るようになってごらん。百年の恋も冷める……。まぁ、お互い様だけどねぇ」
ドハッと、璃帆以外の3人が笑う。「そうそう、お互い様〜!」だそうだ。
「北海道来るの、文句言われなかった?」
「う〜ん、今すごく忙しくて、それどころじゃないの。多分この時間も、仕事してる。ちょっと、心配……」
「じゃさ、皆んなのパワー、分けてあげよう。はい、集合!」
と、さゆりの号令の元、4人の写真を撮るという。だいぶ出来上がっているが、イケメンに送るとなると、何故だか皆んな、身だしなみを整えるから面白い。口紅まで直している。
「ちょっと〜、私の彼氏なんだから〜。皆んなが綺麗にして、どうすんの〜!」
と、大騒ぎのうちにパシャリと撮った。
早々、LINEで送る。酔っ払いに付き合わせて、申し訳ない。
「ゴメンね〜。皆んなが、パワーを送るとか言って、聞きません。
お仕事、頑張ってね!
龍一さんのこと、イケメンだって、騒いでるよ―」
藤崎は、1人で仕事をしていた。あの後、皆んなで黙々と仕事をこなし、やっと山場を超えたので、2人には19時頃には帰ってもらった。藤崎もあと少しで帰れそうだ。
送られてきたLINEを見て、「イケメン」のくだりで「そりゃ、どうも」と返事をしつつ、次の画像を眺めた。途端、表情が変わった。
「これ……」
璃帆のスマホが鳴った。藤崎からの電話である。
「ほ〜ら、早速効果あったじゃん。早く出て出て」
さゆりに促され、電話に出る。
「ゴメンね。仕事の邪魔しちゃって……」
「大丈夫。ちょっと、外に出られるかな。皆んながいないとこ」
「うん……」
なんだろう……。声が、いつもと違う。
「ゆっくり、話しといで〜」
と、ニヤニヤ顔の皆に送り出され、居酒屋の外に出た。少し空気がヒンヤリしている。やはり、東京とは違う……。満天の星空だった。
「さゆちゃん、元気だった?」
「うん、とっても! もうねぇ、北海道の女は強いよ! 見習わなくちゃ〜」
「璃帆の隣に写ってるのが、さゆちゃんだよね」
「そうだよ〜」
「璃帆、さゆちゃんのこと、大切だよね」
「もちろん……。何、さゆちゃんがどうかした?」
藤崎が、黙った。本当になんだろう……?
「今から言うこと、落ち着いて聞いて欲しい」
「うん……」
「さゆちゃんは、病気だ」
「……何?」
「さっき送ってくれた写真で、分かった」
藤崎は、先程の画像を思い出す。さゆりのオーラが、病人特有の灰色に変わっている。しかも、かなり濃い。胸の辺りだった。
「簡単な病気じゃない。……命に関わるかもしれない」
「嘘! だって、すごく元気だよ。前となんにも変わらない。今も、皆んなと一緒に大騒ぎしてるんだよ。何かの、間違いだよ」
「……」
「いやだ、龍一さん、黙らないで……。さゆちゃんだよ……。うそ……」
藤崎の力が、間違ったことはない。今までだって、全部当たっていた……。息が詰まる。声が震える。
「璃帆……」
「どこが……、どこが悪いの!?」
「俺は、医者じゃないから、これ以上いい加減なことは、言えない。でも、そのままにしておいて、いいような状態じゃない」
「さゆちゃんは……、さゆちゃんは、そのこと知ってるの?」
「……今回、どうして璃帆たちは、北海道に遊びに行くことになったんだ?」
「さゆちゅんから久し振りにLINEが来て、顔みたいなぁって……」
あぁ、そうだった。今までそんなLINE、来たことなかった。
「多分さゆちゃんは、自分の病気のことを、分かってる」
涙が、止めなれなくなった。
「どうして、璃帆たちに何も話さないのか、明るく振る舞ってるのか、それは俺には分からない。でもね、だからこそ、さゆちゃんに確認するのは、璃帆の判断に任せる。さゆちゃんのこと、璃帆の方が、よっぽど良く分かってるでしょ。……璃帆の後悔のないように、して欲しい。」
「……」
「もし、さゆちゃんが話してくれるなら、1つだけ約束して欲しいことがある」
「……」
「『さゆちゃんに会えなくなるのは悲しい』って伝えるのは構わない。それは、璃帆の想いだから……。だけど、それを理由に、さゆちゃんの決断を否定しちゃ、いけない」
藤崎の静かな声が、璃帆を冷静にしていく。
「今の医学は、切って終わりだ。再生しない。つまり、元の体には、戻れないってことだ。生活も大変になるし、なにより、一生痛みが伴うかもしれない。転移だってあるし、再発だってある。治療が楽とも思えない。そして、その人生を、実際に生きなきゃいけないのは、璃帆じゃない……。さゆちゃん自信だ」
「……っ!」
やはり、嗚咽が漏れてしまう。
「璃帆なら、分かるね。さゆちゃんが、どんな選択をしたにしても、どうしたらいいか」
「……うん」
やっとの思いで、答えることができた。声が震えて、また、涙が溢れてきた。
「泣いた顔のまま、戻っちゃいけないから、このまま落ち着くまで、待つよ」
何度か、深呼吸をする。涙も拭いて、姿勢を正していく。その間、藤崎は黙って電話口で待ってくれていた。
「龍一さん……。お仕事、あんまり頑張らないで……」
「ん?」
「病気に、なっちゃう……」
「大丈夫だよ」
「……大丈夫なんて、誰にも分からないでしょ! 龍一さんに何かあったら……」
「ほら、泣かないの。せっかく、落ち着いてきたのに」
「うん」
「璃帆を悲しませるようなことは、しないよ」
「うん」
「璃帆も、俺を悲しませるようなことは、しないだろ」
「うん」
「元気で、早く帰っておいで。待ってるから」
「うん」
「さぁ、皆んなのとこに、戻れるね」
「うん。ありがと……。行くね」
「璃帆……」
「ん?」
「愛してるよ」
「私も、愛してる」
宴席に戻り、皆んなに冷やかされる。なんとか笑ってごまかすが、さゆりの顔を見ると、顔が固まってしまう。どうしようもない……。
「なに〜? 声聞いたら、途端に里心ついちゃった? 寂しそうな顔して〜」
とさゆりに突っ込まれ、涙が出そうになり、俯いてしまう。
「早く帰っておいでって……」
「たった2日で、それか〜! いやー、まいったねー。彼氏、璃帆に甘々じゃん。……よかったね、璃帆。これで、璃帆も安心だ……」
最後の言葉はまるで独り言のように小さな声で、他の2人には聞こえない。だけど璃帆は、聞き逃さなかった。思わずさゆりを見返すが、
「よーし、じゃあ、こっちもお開きにしようか」
と、そこには元気なさゆりがいるだけだ。本当に、今回ばかりは、龍一さんの間違いであって欲しい……。
明日に備えて、早めにホテルに帰ることにした。さゆりは、ホテル前にいるタクシーを拾うとのことで、一緒にホテルまで行くことになった。
ホテルに着いて、名古屋組の2人は、それぞれ家族と連絡を取り始める。昼間撮った動画や写真の数々をネタに、LINEに掛かりきりになる。それを、ほのぼのした顔でさゆりは眺めていた。
「じゃ、明日迎えに来るね。明日はずっと付き合えるよ〜。皆んなを空港まで、お見送りするからね」
「2人は、早く部屋に戻って、家族と楽しんで。私がさゆちゃん、お見送りしまーす」
と、璃帆は2人を部屋へ引き上げさせた。
「よろしく〜。また、明日ねー」
「さゆちゃん、話がある……。付き合って」
璃帆は、もう笑うことはしない。むしろ、少し腹が立ってきた。ロビーの応接セットにさゆりを座らせた。
「さゆちゃん……。何か話したいこと、あるんじゃない!?」
「なっ、何、急に……」
「顔、見に来たんだよ。会えてるんだよ。明日には、もう皆んな、帰っちゃうんだよ!」
「ホントに、あっという間だね……」
「いいの!? このまま帰っても!」
「璃帆……、何怒ってるの……?」
「……」
必死に奥歯を噛みしめて我慢している璃帆の顔を、困惑顔でさゆりは見つめ続ける……。どれ位そうしていたか……。ついに、あきらめたように呟いた。
「璃帆には、嘘がつけないなぁ……。どうして? 私、いつもと同じにできてなかった?」
さゆりは俯いて、寂しく笑った。
「何があったの!?」
さゆりは、大きくため息をつく。顔を上げて、前を見ながら話し出した。
「胸に、しこりを見つけたの……。乳ガンだって……」
璃帆は、思わず両手を口に当てた。涙が、溢れてきてしまう。
「やだ、泣かないで。相変わらず、泣き虫だなぁ。もらい泣き、する……」
「先生は、何て?」
「乳房切除だって。温存は、無理なんだって。リンパ節にも転移があって……」
璃帆は、こらえきれずに、俯いてしまった。うなずくことしか、できない。
「子供も離乳は済んでるから、それはよかったんだけどね」
璃帆は黙って、うなずき続ける。
「手術、どうしようか、迷ってるの……」
「何で!」
叫んでしまった。
「璃帆は知らないと思うけど、私の叔母さんがね、乳ガンだったの……。30歳過ぎても独身で、あの時代には、まだまだ少なくてね。子供心にも、すごくカッコいいと思ってて、自慢の叔母さんだったの。叔母さんも、自分に子供がいないから、すごく私のこと可愛がってくれて、大好きだったんだ」
「知らなかった……」
「うん。……そんな叔母さんがね、乳ガンって分かって、すぐ手術した。その後、放射線治療も行って、抗がん剤治療もして……」
「うん……」
「壮絶だったのよ」
毅然とした声だった。そこには、誤魔化しも、思慕も、哀愁もなかった。
「……」
「副作用が、本当に酷くて……。独身だったから、うちのお母さんが看病して、私もいつも病院についてったわ。辛そうで、辛そうで、見ていられなかった」
――治療が楽とも思えない。
藤崎の言葉が甦る。
「一旦は良くなったんだけどね、結局、2年後に再発して、そのまま亡くなったの」
「そんな……」
「亡くなる前にね、叔母さんが言ったの。『無理して、生きちゃったなぁ……。選択、間違えちゃったわ……』って」
静かに笑って、さゆりだけの前で、独り言のように話したそうだ。
「ガンってね、手術=完治じゃないのよ。生活は病人中心になるし、治療費だってバカにならない。うちみたいに小さな酪農家は、家族の1人が欠けたら、本当に大変になるの。そこに、病人の世話が入り込むなんて、家族の疲弊は、容易に想像できるのよ……」
――その人生を、実際に生きなきゃいけないのは、さゆちゃん自信だ。
藤崎の言葉は、どこまでも正しかった。
「このまま普通に生活して、寿命を全うしても、いいんじゃないかって……」
「っ……!」
――それを理由に、さゆちゃんの決断を否定しちゃ、いけない
璃帆は、「ダメだよ!」と言いたかった。けれど、藤崎の言葉を思い出し、何とか踏み止まる。でも……。
「だから……、だから皆んなに内緒で、自分だけさよならして、ひとりで逝っちゃうつもりだったの……」
「璃帆……」
「自分ばっかり整理つけて、ひとりで納得して、さよならするつもりだったの!」
さゆりはびっくりした顔で、璃帆を見つめた。
「もう、会えないなんて、イヤだよ。遠く離れてたって、会おうと思えば会えるって思ってたから、安心して離れていられたんだよ。最後かもしれないって、分かってたら、もっともっと、皆んなとの時間を大切にもできたのに……。私達は、何も知らずに笑って飲んで、さゆちゃんの苦しみに、寄り添うこともさせてもらえない……。ひどいよ」
「……」
「私、知ってるよ。さゆちゃんが、どんなに怖がりか。何をやるにも慎重過ぎて、石橋だって叩いて壊しちゃうタイプで、昔から病気ばっかりして、目立つことが嫌いで……。でも、誰よりも頑張り屋さんで、努力家で、真面目で、曲がったことが大嫌いで、面倒見がよくて……」
璃帆は、言葉の限りを尽くして、さゆりに懇願する。
「私の、大事な大事な、親友なんだよ。死んだら、イヤだよ。死なないで……!」
「璃帆……」
さゆりの目から、とうとう涙が溢れてしまった。
「……死にたくないよ、璃帆……。死にたくないよ、怖いよー!」
「さゆちゃーん」
2人は、抱き合った。涙が、後から後から流れてくる。あぁ、死なないで、さゆちゃん!
璃帆はさゆりを、3人の部屋に連れていった。そこで、残りの2人にも、さゆりは告白した。4人で号泣した。最後には皆んな、さゆりの決断に委ねることに納得し、さゆりが自宅に戻るのを見送った。
次の日は、もうお葬式の様で、誰も口が利けず、観光どころではなかった。それでもさゆりは、約束通り迎えに来てくれて、じゃあ、牛さんに会っていってと、自分の牧場に連れて行ってくれた。
牛に食事をやり、掃除をする。搾乳を済ました後は、牧草の刈り取り作業だ。大型の機械で、どんどん牧草の塊が出来ていく……。まるで映画を見ているかのような、非現実の光景だった。
今日は本当は出掛ける予定だったから、臨時のヘルパーさんに入ってもらっているとのことで、さゆりは実際の作業には参加せず、私たちに仕事の説明を、沢山してくれた。そんなさゆりは、とても生き生きとしていて、ホントにこの仕事と、この場所が好きなんだなと分かった。
旦那様や子供達にも会い、あぁ、悲しいのは私達だけではないのだと、改めて新しい悲しみに胸を掴まれる。そんな中でも、さゆり自身は、ここにいられることが幸せなのだと、生きている輝きに溢れていた。
こんな人を、神様は連れて行ってしまうのかと、璃帆は見られない様に、そっと涙を流した。きっと、名古屋組の2人も同じだったと思う。
空港まで送ってくれて、本当にお別れとなる。とにかく、4人でハグし合い、さゆりは最後まで笑顔だった。
「璃帆、ありがとう。もう一度、ゆっくり考えてみるよ。皆んなに会えて、本当によかった」
と、さゆりに送り出され、私達は北海道を後にした。
1週間後、さゆりからLINEが届いた。
「璃帆、手術を受けることにしました。子供達のためにも、そして僕のためにも、どうか生きて欲しいと旦那に言われました。まだまだ、生き延びなくちゃいけないようです。本当に、ありがとう。璃帆のお陰で、考え直すことができました。親友より」
藤崎と共に、璃帆は喜んだ。そして、藤崎に心からお礼を言った。
「何もかも、龍一さんのお陰です。本当に、ありがとうございました」
「璃帆の大切な友達は、俺にとっても、大切な人達だよ」
と、教えてくれた。




