花火大会
久々の、お昼からのデートだった。今日はこれから映画を見ようと、落ち合ったところだ。
「わぁ、龍一さん。随分さっぱりしたね〜」
「んー、髪切りに行きたかったんだけど、時間なくて。今朝、やっと行けた」
「まぁ、男前に変わりはないか……」
ボソボソ言っている璃帆を見て、藤崎は笑う。
「それは、どうも。璃帆は、随分伸びたな。このまま、伸ばすの? 暑くない?」
璃帆の髪の先を、指でクルッとさせて、藤崎が聞く。
「とりあえず、8月までは伸ばそうかな。アップにしたいから」
「アップ?」
「浴衣、着ようと思って。花火!」
えぇー、マジか……。
「もしかして、江戸川……?」
「無理? すごーく楽しみにしてるんだけど! 一緒に、行こう〜!」
うわぁ、予想してなかった……。あの人混みに、行くのかー!
藤崎の仕事は、相変わらず忙しい。しかし、8月から、やっとまともに土日休める予定だった。それを、先日璃帆に伝えたばかりだ。たしかに「隅田川は、TVで見よ……」と呟いていた……。今からじゃ、席の予約も、ホテルの予約も屋形船も、無理だ……。はぁ〜。
「ちょっと、キツイと思うけど……。楽しみ、なんだよね……」
一応、聞いてみるが、このうるうる攻撃には、やっぱり勝てそうにない。先に、降参した。
「分かった。何とか、考えてみる……」
「やったー! だーい好き!」
と、腕にしがみついてくるが、その一言で片付けるなー!
「梶原さん、花火見に行ったことあります?」
職場の自販機の前だ。ちょっと、休憩タイムである。
「あるよ。ありゃ、修行みたいなもんだな」
「修行……ですか」
「そうそう。難行、苦行。……まさか、行くの?」
「江戸川に……」
「初めてか?」
「はい。河原敷きまでいくのは、初めてで……」
「まぁ、一度は経験しておいても、いいかもな。やっぱり迫力が違うしな……」
「1番の問題は、何ですかねぇ」
「場所取りと、帰りの混雑だな……」
「なんか、場所はあるらしいんです」
「お前、そりゃラッキーだ。まぁ、帰りは、早めに帰るか、混雑覚悟で、ゆーっくり帰ってくるかだな」
「なるほど……」
「お前、仕事では絶対後手に回らないのに、彼女のこととなるとゴテゴテだな」
「……」
いや、俺が後手というより、璃帆がいつも予想外のことをすると言ったほうが、正しい気がする。
「ほんとですね。振り回されてるってことですか……」
「でも、楽しんでるように見えるがな、お前」
隣に座っている梶原に横目で見られ、頭をポリポリして、仕事に戻った。
「確かにな……」
藤崎は、一人笑って呟いた。
一番の懸念材料である場所取りは、璃帆が「大丈夫」という。なんのツテがあるのか、見当もつかないが、残りは交通手段の心配だけだが、これは市川市側まで歩いてから乗ったほうがよさそうだと、リサーチをした。当日の流れを見てからでも、間に合うだろう。結構歩くことに、違いはない。
「えっとね、虫除け剤に、簡易クッションぐらいだよ、必要なものは。後は、会場に行くだけ!」
とのことだったが、いやいや、それでは足りんだろうと、藤崎はあれこれ用意した。
当日、午前中に少し雨が降ったが、その後はスッキリと晴れた。璃帆からのLINE曰く、「龍ちゃん、ちゃんと止ませてくれた〜」とのことだが、100万人以上が集まる催しで、そう思える璃帆が、ある意味神々しい……。
午後3時に待ち合わせる。璃帆は浴衣と聞いていたが、藤崎は動きやすいように、洋服と決めていた。何があるか分からない……。
「お待たせ〜」
「……」
想像と、違った……。璃帆のことだから、割とフェミニンな柄の浴衣かと思っていたのだが、紺地に、白でテッセンが染め抜かれている。スッキリとした大人浴衣である。それに、白地に刺繍が施された(多分、紬じゃないかな)の帯が締めてある。半襟が覗いているから、まるで一重の着物を着ているようだ。帯締めまでしている。こういう浴衣の着方は、初めて見た……。しかも、髪が……。
「おかしい?」
と、不安顔で聞いてくる。その度に、フェイスラインに少し残した髪が揺れる。
「いや……。ちょっと、面食らった……。綺麗です……」
と、ごまかすが、女性は髪を上げるだけで、こんなに色っぽくなるものだったか……? まいった……。これじゃあ、避けなきゃいけないものだらけだ……。自信が、なくなってきた……。
「えっと、とりあえず、ブレスレット貸して」
と、璃帆の左手首にある水晶のブレスレットを、手首ごと手の中に収める。ここで、パワーを充填し直した。石に入れられる、最大といっていい。
「ピリッとしたり、しない?」
「大丈夫だよ。ふふん」
「……!」
とにかく楽しそうな璃帆だが、今日の璃帆は、何をしても、……エロい。まいった!
会場に、無事到着する。ザ・花火大会の人手である。芋洗い状態とは、このことだ。璃帆が誰かとスマホで連絡を取り合い、大きなブルーシートのある場所まで向かった。
「璃帆ちゃん! よく来たね〜。あらっ、こちらが例の……?」
「はい。藤崎さんです」
60代と思われる、いわゆる下町のおばさん風情の女性だ。
「龍一さん、こちら、私のアパートの近くにある、商店街の総菜屋のお母さん。律子さん。お世話になってるの」
「はじめまして。今日はお世話になります」
「よろしくね。写真より、イケメンじゃない〜。大きいわねぇ、身長いくつ?」
と、そのシートに座っている皆との挨拶が始まった。10人以上はいる。
つまり、璃帆がいつも行っている商店街の集まりに、ちゃっかり参加させてもらうということらしい。こんな付き合い、璃帆がしてるとは思わなかった。意外だ……。
「しかし璃帆ちゃん、また今日は一段と別嬪さんだな〜」
「やだ、おじさん。いつもと一緒だよ」
「こりゃ彼氏、気が気じゃないなー」
全く、その通りです。さすが、よくお分かりで。藤崎は、笑っておいた。
「璃帆ちゃん、待ってたんだよ! うわぁ、璃帆ちゃんの彼氏、すっごいイケメン!」
といったかと思うと、急に商売口調になる。
「いつも璃帆ちゃんには、ご贔屓にして頂いてます。しっかし、お兄さん、璃帆ちゃんを捕まえるなんて、女を見る目があるね〜」
「もぉ、またこの子は、マセた口を! すみませんね、藤崎さん」
と、律子が叱る。小学校5、6年生の、女の子だ。どうも、律子の孫らしい。さすがに、商売人の子だ。物怖じしたりしないし、すぐに人の懐に入ることができるタイプだ。
しかもこの子、すごいオーラを持っている。この明るさは、天性のものらしい。きっと、ちょっとやそっとの悪いものなどは、彼女に近寄れないと思う。
「お兄さん、璃帆ちゃんちょっと借りていい?」
「な〜に? 加奈ちゃん」
「あそこの屋台に、可愛いヘアピンがあるの。選ぶの手伝って〜」
璃帆が、困ったように藤崎を見る。藤崎も少し迷ったが、ここから近いし、この子がそばに居る限りは大丈夫だろうと、判断した。きっと、俺がいても邪魔だろう。
「行っといで。ここで、待ってるよ」
「大丈夫よ、お兄さん。璃帆ちゃんに悪い虫が付かないよう、私がしっかり見張ってるから!」
と、こちらもよくお分かりで。本当に、頼みます! 藤崎は、心の中で、真剣に手を合わせた。
「じゃ、行ってくるね」
小さく、ごめんねと言われたが、いいよと答えておいた。気をつけて。
「すみませんねぇ。せっかくのデートなのに」
「いえ。こんな良い場所で見られるなんて、俺も初めてなので、こちらこそありがたいです」
「毎年、ここで皆んなで見るのよ。璃帆ちゃんは、今年で3回目かな。去年は、来なかったっけ……」
そうか、去年の今頃は、2人が別れていた頃だ。思い出すだけでも、胸から痛みが走る。あれは、本当にキツかった……。
「いつ頃から、お世話になってるんですか? 璃帆は」
「あれ、いつだったかなぁ。夜ね、店を閉めて奥に引っ込もうとしたら、どっかから猫の鳴き声がするから、行ってみたら、璃帆ちゃんがいたのよ」
「猫の鳴き声……?」
「そう、捨て猫がいたの。土砂降りの日でね。璃帆ちゃん、ダンボールの前に座って、ずっと傘さして見てたんだけど、最後は傘をダンボールに差しかけて、自分は雨の中を傘も差さずに行っちゃって……。その様子が、あまりにも悲しそうでねぇ。もう、どっちが捨て猫なのか、分からないくらいだったのよ……。声掛けられなかった……。4年くらい前かしら」
律子は指を折って答えてくれた。安田課長と別れた後だと、藤崎は確信する。そうか……。頭で理解はしていても、実際に聞かされると、結構堪える……。
「でね、次、店の前を通った時、傘を返してあげたの。それまで、話したこともなかったから、璃帆ちゃん、びっくりしてねぇ。猫はちゃんとしたところに、保護してもらったから大丈夫よっていったら、はじめて笑ってね。あら、綺麗な子なんだわって、やっと気づいたくらい。それからよ、私達の付き合いは」
それから、律子は、藤崎の知らない璃帆のことを色々教えてくれた。
「お惣菜のお店なので、お馴染みさんになってくれたし、味付けなんかを教えてあげたり、旅行のお土産なんかも、もらうようになったりして。お母さんが、いらっしゃらないのね、彼女。だから、東京のお母さんだなんて言ってくれて。あんな綺麗な子供、私のお腹からは生まれてこないけどねぇ。今日の浴衣も、実は私のお古。丈が合わないから、仕立て直すっていってたけど、似合ってて良かったわ」
とのことだ。東京の、お母さんか……。
途中、親父さんたちが缶ビールをくれる。遠慮なく、頂いた。夜になっても、まだまだ暑い。
「あの子、全然男っ気がないから、心配してたんだけど、ある日珍しく璃帆ちゃんから話してくれたことがあってね」
律子は、藤崎をニコニコ見つめた。
「『昨日、名前と連絡先、聞かれちゃった』って。どんな人って聞いたら、『優しい人』って。優しそうな人じゃなくて、優しい人っていうから、あれって思ったわよ……。藤崎さんでしょ?」
藤崎は、軽く驚く。自分のことを、そんな風に見ていてくれたのかと、少し照れた。
「1年ちょっと前、くらいですか?」
「そう」
「じゃ、俺ですね」
「それから、璃帆ちゃんどんどん綺麗になって! 良かったなーって旦那とも話してたんだけど、こないだ、突然髪を短くしたでしょ。失恋したかと、びっくりしたわよ。あれ、藤崎さんの趣味?」
「あっ、いえ、あれは、俺も驚いて……」
「まぁ、美人はどんな髪型にしたって、美人だって証明したようなもんだけどね〜」
「……」
なんと答えればいいんだ?
「で、やっと今日、本人に会わせてくれたわけよ。私の目に狂いはなかったわね。いい男だわ。どんどん女を綺麗にできるなんてね、大抵間違いないからね……。璃帆ちゃんのこと、泣かせたら承知しないわよ」
律子は、藤崎の背中をバンと叩き、やっと終わる。ふぅ〜。
璃帆の戻りが、少し遅い。藤崎は先程から気になっていた。
さっきから、屋台の隙間から、璃帆をずっと見ている子供がいる。浴衣を着ているから、この花火大会に誰かと来たのだろう。5歳位の男の子なのだが、親御さんの姿が見えない。でも、本人も泣いているわけではないし、きっと近くにいるのだろうと、気にすることは止めた。
「璃帆ちゃん、これにする」
加奈が、色々悩んだ末、1つのヘアピンに絞ったようだ。少しガラスが入れてあって、大人が付けても大丈夫そうなデザインだ。璃帆にも覚えがある。これぐらいの年には、ちょっと大人びたものに憧れるのだ。璃帆もニッコリ笑って同意した。
「うん。それが可愛い。加奈ちゃんは顔が綺麗だから、ちょっとクールなデザインも似合うもんね。でも、学校には付けていけないと思うけど、大丈夫?」
「いいの。今度デートで付けるから!」
璃帆は面食らう。今の子って、こうなのか……。
「彼氏は、同じクラスの子?」
「そう。璃帆ちゃんの彼氏みたいにイケメンじゃないけど、足が速くてカッコいいんだよ」
それは、それは……。
「じゃ、ライバルが多いわね」
「あ〜、私にゾッコンだから、大丈夫なんじゃない」
そうシラッと返されて、璃帆は参りましたと、心の中で頭を下げた。この自信が、私も欲しい……。
「あと、たこ焼き買いたい」
こういうところは子供だと、安心しながら、一緒に並んだ。
さっきの子供が、付いてきている。やはり、たこ焼き屋と隣の屋台の隙間から、こちらをじっと見ていた。何だろう、聞いてみようか……。
「加奈ちゃん、ちょっと、あの子迷子かもしれないから、聞いてくるわね。1人で、並んでいられる?」
「えっ、どの子」
加奈には、分からない。
「隠れちゃった……。すぐ戻るから……。先に戻ってて。あと、これ、ちょっと痛いの。私の彼氏に渡してくれる」
といって、ブレスレットを外して加奈に渡した。
「うん……」
加奈は、ちょっと不思議な感じがしたけれど、璃帆に言われるまま、並び続けた。
璃帆は、ずっと歩いていた。あの男の子が、前を歩いていく。捕まえられそうになると、するりどこかに消えてしまう。と、またすぐ、少し前の方に姿を現す。時々、璃帆の方を見て進んでいくから、私をどこかに連れて行きたいのだろうか……。
今、誰かとぶつかった。「痛ってー」と言われて、我に返った。「すみません」と謝って、周りを見渡す。
「えっ、ここ、どこ……」
璃帆は、方向音痴ではない。仕事で3D−CADを使っているくらいだから、空間認識能力は高い。地図を見れば、知らない場所にも難なく行けるタイプだ。
「どうしてこんなとこに、来ちゃったんだろう……。皆んなのところに、戻らなきゃ」
と、パニックになる。とにかく、来た方向に戻ろうと、体を動した……。
「……っ! 足が……」
足が動かない。何かに掴まれているかのように、ビクともしない。何……!
「龍一さん……」
璃帆は、思わず心の中で名前を呼んだ。
「龍一さん……」
璃帆の声が、心に届く。まずい! と屋台のほうを見る。ホディバックを、サッと身に着けた。
突然、藤崎が立ったので、律子は驚いた。そこに、加奈が1人で帰ってきた。
「あれ〜、璃帆ちゃんまだ戻ってない?」
やっぱりか。何かあった……。藤崎は、慌てて靴を履く。
「どれくらい前に、別れたかな?」
加奈の目線までかがみ、肩に手を置いて聞いた。
「あのね、ヘアピン買い終わったら、何か、迷子の子がいるから、聞いてくるって言って、あっちのほうに行っちゃったの……。すぐ戻るって言ってたんだけど……。あと、これお兄さんに渡してって。痛いからって。私、その後、たこ焼きに並んだから、てっきり先に戻ってると思った」
「……!」
加奈から受け取ったのは、水晶のブレスレットだ。これを、外すって、どうした!?
「ちょっと、探してきます」
「あら、大変。こんなところではぐれたら、絶対会えないわよ。スマホある?」
律子が心配する。
「大丈夫です。行って来ます。花火、始まるまでには、戻れると思いますので……」
「璃帆!」
藤崎は、高い波動で呼びかける。かすかに、璃帆の応える声がした。あっちか……。
璃帆は、その場から動けない。来ていたのは、橋の上だった。欄干の手すりに両手を付いて、焦っていた。
「この嫌な感じ……何だろう。頭痛くなってきちゃったし。……、あれっ、ブレスレットがない! やだ、せっかく龍一さんが買ってくれたのに、どうしよう〜」
と、花火会場に目をやる。大勢の人の波。気温の高さにも増して、溢れそうな熱気の中、誰かの声がする。
「お前は、ひとりだ」
さっきの子供が、知らない間に近くにいた。声は、この子からする……。なのに、まるで大人の男性の様な声がしている。低く、響く声だ。その声が、もう一度繰り返した。
「お前は、ひとりだ」
言われて、もう一度橋の上から、花火会場に目を向けた。目の前の、この膨大な景色の中に、自分は今「ひとりっきり」なのだと、呆然とする。何故なんだろう。今まで、忘れていた……。私は、ひとりだ……。
藤崎は、璃帆の姿を捉えていた。全速力で走りながら、橋の中央に立っているのが見えていた。璃帆の隣に、大きな黒い塊がある。「闇」だ……。そして、その闇が璃帆を取り巻こうとし始めている。足元にも、何かがある……。
「あれは、何だ……」
それは、何人もの腕だと気づいた。川から璃帆に向かって、ずっと伸びている。思わず全身に鳥肌が立つ。しかも、その一番上にある腕が、璃帆の両足首を掴んでいた。
「まずい……」
璃帆は、ちゃんと自分を保っているのか? このままでは、ひきずられる……。
「璃帆!」
藤崎は、もう一度、全身全霊で呼んだ。
東京に出てきた頃、感傷的によく「ひとり」は感じていた。でも、それは仕事が忙しくなり、東京の生活にも慣れた頃に無くなった。ホームシックに似ていて、その程度のものだった。
本当の「ひとり」を知ったのは、安田と別れて、安田がアメリカで結婚したことを知り、全てに絶望したあの時だ。いつ抜け出せるか分からない、闇だった……。今、どうしてそれを思い出したのか……。ひとりでに涙が頬を伝っていた。
「璃帆!」
藤崎の声がした。全身に、藤崎の光を感じる。いつもいつも、璃帆の手から送り込んでくれる、あの感覚。今、初めてそれが光であると気が付いた。璃帆の全身に満ちていく……。
それ自体が力となって、璃帆は後ろから抱きかかえられているかのような感覚を覚えた。
その瞬間、今度は足を誰かが引っ張った。璃帆は思わず欄干に置いた両手で、踏ん張る。璃帆の体を、足と腰で引っ張り合っている。足の方の力が、わずかに強い。ズズッと引っ張っていかれる。
その時、足元に何かがザッと撒かれた。足首を掴んでいた力が、一瞬緩む……。
「璃帆!」
藤崎が、璃帆の体を抱え込み、欄干から引き剥がした。あまりの勢いに、周りにいた人達がザワついた。
「大丈夫か!」
藤崎に後ろから腰を抱え込まれた形のまま、璃帆はゆっくり足を動かした。何事もなかったかのように動いた。
「……」
子供が、いなくなっていた……。腰にあるその腕に、しがみつく。離すことができない。
藤崎自信も、あがった息を整える。
背中に藤崎の熱を感じながら、整っていく息に合わせるように、璃帆の気持ちも落ち着いていった。あぁ、ここに龍一さんがいる……。
「ちょっと、待ってて」
落ち着いた璃帆を自分の後ろにおいて、ボディバックからペットボトルを出す。その水を橋の上から川へと注いだ。まだ、登ってこようとする幾多の腕が、あっという間に水面に戻っていった。
「これ、璃帆も飲んで」
と、そのペットボトルを渡される。2口ほど飲めば、先程までの頭痛が若干和らいだ。
「これ、何?」
「清めた水」
そのまま、璃帆の足元にかがんで、何かを振り掛ける。肩からも掛けられた。さっき、撒かれたものと同じものだと気づく。よく見れば、塩だと分かった。
「璃帆、ブレスレット、何で外した?」
「……あぁ、良かった! どこにあったの? 落としたかと思った……」
と、慌てて手首に付け直す。大きく安堵のため息をついた。
「えっ、今、外したって言った? 私が自分で外したの……? 覚えてない……」
と、青ざめる。藤崎は、顔を歪めた。まさか、ブレスレットを外す様に仕向ける輩まで存在するとは、思ってもみなかった。
「やっぱり、1人で行かせたのがいけなかった。悪かった……。ここは、川のそばだし、日暮れだ。何よりも、人が多すぎる。璃帆には、キツイ」
そう、人も多いが、人じゃないものも多いのだ。あちらの方々は、こういうイベントが大好きだ。大抵は、一緒に花火を楽しんでいたりするのだが、こうやって、隙を狙って近寄ってくるものも、多い。生きてる奴の方が、よっぽど分かりやすくて、容易い。
そう言われて、璃帆はもう一度花火会場に目をやった。
同じ景色なのに、なぜこんなに違うのだろう……。
――お前は、ひとりだ
声が甦る。と同時に、全身に満ちていった藤崎の光の感触が、その声をかき消していく。
「私はもう、ひとりでは、ない」
「ねぇ、龍一さん……。どうしてここが分かったの?」
「璃帆が、呼んだだろ」
「あっ……」
「こんな近くだから、すぐ分かるよ」
当たり前のように、藤崎は答える。近くないよ、全然。
璃帆の目から、途端に涙が溢れ出す。
「何、どうした? どこか、ケガした? ……してないか」
と、自分の質問に、自分で答えている。オーラで分かるのだろう。
「怖かったか?」
「ううん……。大丈夫。龍一さん、魔法使いみたいだなって。嬉しくて……」
「何言ってんだか。何百年前から、探し当ててると思ってるの」
と、璃帆の頬をそっと掌で包みながら、冗談めかして言う。そうなんだ。もう、何回も、何回も、私たちは一緒にいるのだ。体の中心から湧き上がってくる熱い何かが、璃帆をゆっくり取り巻いていった。
「龍一さん、私、龍一さんに話したいことがあるの……」
手を繋いで、律子達の元に戻り始めて、璃帆は話し出した。それは、義母の再婚の話だった。璃帆が戸籍上、天涯孤独になった話だ。藤崎は、黙って最後まで聞いた。
「もしさ、璃帆が世界中でたった1人になったとしても、俺がいるっていったら、安心する?」
璃帆は、立ち止まった。それに伴って、藤崎も止まる。目をそらさず、見つめた。
「何度、違う2人になっても、俺が探し当てるっていったら、信じる?」
それはもう理屈ではなく、「きっと、探し当ててくれる」と、何の疑いもなかった。
「……うん。信じる」
「じゃ、璃帆はもう、ひとりじゃないよ」
璃帆は、心が「ぎゅう」となる。これ以上、どういっていいか分からない。藤崎が大切だと思う。胸が一杯になった。
藤崎は、璃帆の手を引っ張って、また歩き出した。
「来年は、ホテルでも予約して、そっから見ような。可哀想だけど、もう、こういうの、多分璃帆には無理だ……。俺と会う前には、もう戻れない……。大勢の人の中では、イヤでも苦しい思いをすることになる。悔しいけど、守り切れそうにない。ゴメンな……」
「ううん……。龍一さんがいてくれれば、それでいい」
あの「信頼の花びら」が、藤崎をゆっくり取り巻いていく。そのぬくもりに、藤崎は身を委ねた。
「やっぱり、今日、璃帆んちに泊まる」
「いいけど、急にどうしたの?」
「もう、我慢できない……」
藤崎は、浴衣の身八つ口からするりと手を入れ、璃帆の腕の内側に触れ、そっと指でなぞった。
「ぅんっ……」
思わず、声が漏れる。だめだよ、そんな声、今出したら……。
「浴衣って、いいな」
「いいなじゃ、ないでしょ。もぅ……」
璃帆が藤崎を小さく叩く。2人で笑いながら律子の元に到着した途端、花火大会が始まった。




