嫉妬
「藤崎君、あのブレスレットの店長さんが、会いたいって言ってるんだけど、どうする?」
「何だろ。聞いてる?」
「どうしても会って欲しいお客さんが、いるらしいの」
「お袋ではダメかな」
「お客さんが、藤崎君を指名しているらしい……」
「俺の知ってる人なわけ?」
「携帯、店長さんに伝えていい? 何となくだけど、会った方がいいような気がするんだけど……」
「?」
「藤崎君の……、腕のアザのことを、知っているっていう女性らしいの……」
「……」
藤崎は店に1人で来ていた。今日は定休日で、店内にはひっそりとした空気が漂っていた。
「申し訳ありません。どうも、お2人が先日ご来店された際に、見かけられたそうで……」
璃帆のブレスレットは、1度璃帆を守るために弾けてしまった。その後、もう一回り大きい水晶のブレスレットを購入しに来た。もちろんその際、藤崎が結界を作り直している。璃帆の腕には、今もそのブレスレットがはめられている。その時のことを、言っているのだろう。
「いえ、こちらにご迷惑は、お掛けしておりませんか?」
「まぁ、藤崎様の連絡先を教えろと、すこし無理を言われましたが……」
「そうですか。申し訳ありませんでした……」
「いえ、藤崎様が謝られることではありません」
「それで、わざわざ店長が会いたいとおっしゃるのには、理由があるんですよね」
「はい。石原様は今、我々では直接お話ができないのです」
「会って欲しいと聞いてましたが……」
「先日、彼女は、自殺を図りました。幸い一命は取り止められましたが、意識がまだ戻っていないのです」
石原智美は、藤崎の元彼女だ。藤崎が大学卒業後、社会人になって1年後くらいに知り合った。智美の実家を、藤崎の設計事務所がリフォームしたことがきっかけだった。
その当時、まだ高校生だった智美は、一方的に藤崎に恋をしたらしい。らしい、というのは、藤崎は全く気が付かなかったからだ。
実際彼女と、街で偶然会うまでは、意識することはなかった。その証拠に、街で会った時も、施主の奥様が一緒にいたから気が付いただけで、彼女が1人だったなら、きっと分からなかったと思う。それほど、大学生になった智美は綺麗になっていた。
出会った頃の智美を思い出しながら、藤崎は病院に向かっていた。
あまりにオーラの色が良くなかったため、心配になった店長から智美に連絡を入れたらしい。その際、自殺のことを知ったという。病院を教えてもらい、とにかく行こうと決めた。
このことを璃帆に伝えるべきかどうか迷い、結局そのまま電車に乗った。
「もし俺が璃帆なら、どうして欲しいだろう……」
自問自答が続いていた。
病院に運ばれてから、3日経っていた。病室では、母親が付き添っていた。さすがに疲労が隠せず、藤崎を見ても、すぐには誰か分からない様子だった。
「お久し振りです。藤崎です。覚えておいでですか……」
「あぁ、藤崎さん。どうして、あなたが……?」
2人が別れていることは、母親だから知っている。というより、別れた理由が理由だっただけに、当然の疑問だと、藤崎は簡単な経緯を説明し、取り敢えず駆けつけたと話した。
睡眠薬の多量摂取によるもので、発見が遅かったため、まだ意識が戻らないらしい。
智美とは、1年程付き合った。藤崎には森川葉子とのことが心にあり、どうしても捨て身で智美を受け入れることはできないでいた。それでも、智美に引っ張られるように、藤崎の中では、どんどんその存在が大きくなっていった。
智美が藤崎の家に泊まるようになる頃には、藤崎もある程度の覚悟を持っていたといっていい。だが、智美には分かっていたらしい。藤崎の心が、まっすぐ自分達2人の幸せに向かっていないことが……。
智美から、他の男との間に子供ができたと言われたときは、衝撃だった。そして、どこかほっとしている自分に、愕然とした。
そんな自分が、知らず知らずのうちに、彼女を傷つけていたのだと自覚し、やはり自分には、幸せになる権利はないのだと、嫌と言うほど思い知ったのである。
母親の話によれば、結局子供の父親とは上手くいかず、彼女はシングルマザーになったとのことだった。もちろん、両親の協力を得て、頑張って子育てをしていたらしい。が、高校の同窓会で久し振りに旧友に会い、若さを謳歌している彼女たちを見て、様子が変わったのだそうだ。急速に、育児うつになっていったとのことだった。
ここ1ヶ月ほど調子が良く、割と元気だと思われたため、母親と子供と3人で、買い物に出たらしいのだ。母親は気づかなかったが、その時に、藤崎と璃帆を見かけたのだろうということだった。
「あの時、藤崎さんと結婚していれば、こんなことにならなかったでしょうに……」
と母親に泣かれ、藤崎は返す言葉がなかった。
藤崎には、部屋の上に智美が浮いているのが、最初から見えていた。そして、智美と一刻も早く話をするべきだと、分かっていた。だから、母親に、しばらく自分が付き添うから、少しでも休んでくださいと伝え、自宅に戻ってもらった。
「智美。俺が分かるか?」
藤崎は、何度か呼びかけた。
智美の魂は、霊界と現世との間にある場所に、留まっていた。意識不明の魂は、こうして一旦魂の休息をし、パワーを得たところで、まだこの世で学ぶべきことがあると判断すれば、元の体に戻る。しかし、もう必要がないと思えば、そのまま霊界に行くのである。全ては自分で決めることができるのだ。ただ、どうしたらいいか分からないまま、この場所に留まってしまう魂もいる。それは、魂の成長にとっては、いいことではない。
ようやく、藤崎に起こされる形で、魂の智美も目が覚めた。
「龍一さん……。あぁ、あぁ、会いたかった。話が、できるの」
無言で、藤崎はうなずいた。
「どうして、こんなことになったんだ……。話してくれるか?」
「私、龍一さんを裏切ったことを、後悔してた。ずっと、ずっと、ずっと……」
藤崎は、じっと聞いていた。
「子供が生まれても、どんどん大きくなって、父親に似るようになっても、ずっとその思いは変わらなかった」
「……」
「あなたを、今でも愛しているの……」
「……」
「なのに、あの日、あなたの隣には、綺麗な人がいた。楽しそうに手を繋いで……。あんなに楽しそうな龍一さん、私は見たことがなかった……」
藤崎は智美のエネルギーの変化を、じっと見ていた。
「私は、絶望した! もう、あなたは決して私の元には戻ってこない……」
さめざめと泣く。
「そうしたら、死ぬ勇気が沸いてきたの! もう、私は生きていてもしょうがないって!」
藤崎は不思議な気持ちで眺めていた。ここまで心情を吐露したなら、もっと魂のエネルギーに変化があってもいいはずなのだ。なのに一向に、智美の魂には、パワーが戻ってこない。
「あなたさえいてくれれば、こんなに苦しむこともなかった。そうよ、分かってる。私が裏切ったのよ。でも、でも……、そうさせたのは、あなたでしょ!」
「そうだな。本当にすまなかったと、思っている……」
藤崎は、正直に謝った。だが、智美の心には届かなかったようだ。どういうことだ……。他に、何か違う理由があると、藤崎は考えていた。探らなければならない。
「子供は、女の子? 男の子?」
ここで、智美がおののく。魂が、一瞬膨らんだ。
「あの子さえ、あの子さえいなければ、あなたは私の元に戻ってきてくれるでしょ!?」
藤崎は確信した。智美の魂がこちらにまだ留まっている理由は、子供だ。子供とのカルマが、彼女を繋ぎとめている。
「あの子さえいなければ、私はもっと綺麗で、皆と一緒に遊べて、どこにでも行けるるのよ。自由なのよ!」
「手伝ってあげなさい。もう、戻るべき時です。魂は、十分に休みました」
藤崎に、いつもの声が届く。と言われても、方法が分からない。
「呼んであげなさい。あとは彼女のヘルパーが、全て行います」
藤崎は実体の智美の手を取り、エネルギーを送る。
「智美、戻ってこい! 俺は、ここにいる」
徐々に、魂の智美の姿がなくなっていき、白いエネルギーとなって体に入っていくのを、見続けた。
「恨むべき相手は、ここにいる……」
「智美さんが、目を覚ましました」
ナースコールを押しながら、藤崎は意識の戻った智美を見下ろしていた。
母親が駆けつけ、付き添いを交代する。何かあれば、連絡をしてもらうように、携帯の番号を伝えた。
「何もかも、やっぱり藤崎さんが、よかったんですね……」
と母親に言われ、
「いえ、残念ですが、俺では今回のことは、解決できません。お孫さんを、しっかり守ってやって下さい。彼女の心が戻るまで。それがご両親のすべき、唯一のことと思います……」
ネグレストや虐待は、何度も繰り返されるカルマの1つといわれる。
次の体になっても、やはり虐待するもの、されるものの関係は変わらない。それは、親子関係に留まらず、夫婦間でも、兄弟間でも、どんな人間関係に生まれてきても、起こる。
そして、いつまでも繰り返すのだ。そこを抜け出すには、やはり魂のレベルで、手放すべきものがあるのだ。
一般的には、される側の方が、成長した魂のことが多い。
子供の場合、「自分がいい子であれば、こんなことはされない」と考える。
大人であれば、自分から離れればいいように思うのだが、「優しいときもあるのだから、いづれは、こんな酷いことはしなくなってくれるだろう。自分にしか、この人のそばにはいてあげられない」と、離れることができない。
どちらも、間違っている。する側はもちろん、される側にも、手放すべき課題がある。
される側は、自分を酷く扱った相手の魂を、未熟な魂であると理解することが、第1歩だ。決して「自分が悪いから、相手がこんな酷いことをする」わけではない。そして、自分を許し、自分を愛すべきなのだ。私は大いなる力に愛されている、と。
では、相手が何を学べば変わってくれるのか、その学ぶべき内容を把握することは、この時点ではできない。される側も、分かるのは自分の魂のことのみなのだ。
もっと魂が成長してこそ、初めて他人の課題は見えてくるのである。
する側は、自分が未熟な魂であること自覚し、多くのことを学ばなければならない。
暴力への依存、他の存在を自分の所有物だと考える癖、邪魔な存在を排除しようとする欲求など、様々なことをコントロールする術を身につけなければならない。そうすれば、おのずと、信頼、信仰、愛情に目覚めていくのである。
どちらにしても、藤崎にしてやれることは、ここまでだと考えていた。
璃帆と会ったのは、10日振りだった。それまでも、いつもどおり連絡は取り合っていた。智美の件は、LINEで「解決したよ」と送っただけだ。もし璃帆が知りたいと言えば説明するつもりだったが、その時は、会って話したいと思っていた。
今日、待ち合わせ場所に来た璃帆は、いつもと変わらず嬉しそうで、藤崎も内心ほっとしたのだが、でもそれは、やっぱり表面上に過ぎないのだと実感させられた。
あの、繋がる光が、藤崎に向けられることがなかったのだ。
これは、効いた……。藤崎を心底落胆させた。こんなに簡単に、信頼は失われるのか……。
逆に無くした事で、あの光の実態が分かった。あれは、璃帆が「絶対的信頼」あるいは「無条件の愛」を捧げている相手にのみ、向けられるエネルギーなのだ。あの心地のよい瞬間は、その証なのである。
食事をしていても、味がしない。このままでも、きっと璃帆はそばにいてくれるし、抱かせてくれるだろう。それが、璃帆の愛し方だと、分かっていた。だが、それは藤崎が嫌だった。だからこそ、嫌だった。
「ちゃんと、この間のこと、話をしたい。聞いてくれるかな?」
璃帆の顔が一瞬引きつる。でも、黙ってコクンとうなずいてくれた。
どう話しても、きっと璃帆を傷つける。これは藤崎の自己満足に過ぎないかもしれない。ずっと繰り返し自問自答して、答えの出なかった問題だ。それでもやはり、話さないわけにはいかないと、腹を括る。誠意を尽くそうと思った。
藤崎の家に、2人で向かった。途中、会話が少なくなっていく。璃帆がどんどん緊張していくのが、繋いだ手から伝わってくる。「やっぱり、もういい」と言い出さないか、藤崎は気が気ではなかった。
藤崎のマンションの前に、智美がいた。
「何で、まだこの女といるのよ!」
一瞬にして、璃帆の心が閉ざされる。強烈に藤崎に伝わる。手を離そうとしていた。
藤崎は、その手を強く握り、決して離さないと璃帆を引き寄せる。
「あなたが、戻ってこいって言ったから、私戻って来たのに! いつまでたっても、あなたは戻ってこないじゃないの!」
智美は叫び続ける。けれど、藤崎に近づくことはできない。きっと、怖いのだ。
藤崎は璃帆に向き合った。
「先に行っててくれるかな。これ」
といって、部屋の鍵を渡した。璃帆の目線まで腰をかがめ、笑顔を向ける。
「大丈夫。必ず、君のところへ戻るから」
璃帆が泣きそうな目で、見つめている。今は、これ以上、どうしてやることもできない。
「さあ」
といって、璃帆の背中を押した。璃帆は、意を決したように藤崎の部屋に向かった。
「退院したんだね。よかった。体は、大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないわ。早く、私のところへ来て。ずっと、そばにいて……」
「今日ここに来たことは、お母さんたちは知ってるの?」
「そんなこと、関係ない! あの人たちは、反対するばっかりだから!」
藤崎は、智美のそばまで近づいた。そして、きちんと目を見て、言葉にする。
「俺はもう、君の元へは、戻らない」
有無を言わせない態度で、対峙する。一番の勝負どころとなる。
「何でよ! あの女のせいね! あんな女なんかより、私の方がずっとあなたを愛しているのよ……」
そう言って、藤崎の胸に身を寄せる。腕をつかんで、彼女を自分から離した。
「俺が、彼女を愛している。君じゃない。それで、理由は十分だ」
智美の動きが止まる。見る間に、形相が変わっていく。このままでは、きっとまた、彼女の病気はひどくなるだろう。どうすれば、ここから抜け出させてやれるのか……。
「君を心から愛している人を、君は愛するべきだ。君の子は、世界の誰より、君を愛している」
「あの子がいるから……、私は自由になれないのよ……」
「いや、子供がいたから、君はこちらの世界に戻ってきた。自分でも、分かってるんだろ」
一旦体を離れたときの記憶は、大抵なくなるものだ。ただ今回は、藤崎の言った言葉を覚えているところから、魂だったときの俯瞰の意識がなくならずにいたと、確信していた。
「自由になりたかったら、あの子を愛することだ。子供は、魂が望まない限り、手元にはやってこない。生まれたとき、君は幸せだったはずだ。俺がそこにいなくても」
智美が、崩れるように座り込んだ。
「これだけは、覚えておいてくれ。いいか。子供は、母親を選んで生まれてくる。君を楽しませたい一身で。君を幸せにするために。そのためだけに、君の元にやってきたんだよ」
藤崎に、智美の子育てをしている姿が、画像として伝わってきた。
「ずっと智美は頑張ってきたよ。もう、自分を許していいよ。まず、自分を好きにならないと……。ネイルもしていいし、美容院だって行っていい。もっとお母さん達の手を借りて、たまには友達と遊べばいい。大丈夫だよ」
「……」
「そんなことで、君の子は、君を嫌いになったりしない。智美は完璧主義だから……。もう少し、手を抜いて、子供と接してごらん。何かが、変わるかもしれない……」
智美は、泣き崩れてしまった。藤崎は黙って、彼女が泣き止むのを待った。
オーラの一部が、ほんの少しだが、輝きを取り戻していた。後は、自分で心を動かしていくしかない。泣き止んだ頃、腕を取って立ち上がらせた。
「さあ、駅まで送っていくよ。後は、自分で帰れるね?」
智美は黙って、小さくうなずいた。
璃帆は、鍵を握り締めていた。これが、藤崎と繋がっている唯一の証のような気がしていた。
綺麗な人だった……。確かにやつれてはいたが、璃帆より随分年下であることは分かる。名前は何と言うのか。藤崎とどれほど付き合っていたのか。藤崎はきっと、彼女を愛していた。そうでなければ、あの痣を、彼女が知ることはない。
璃帆は、自分の痣のある場所を、服の上から握り締める。
この10日間、ずっと繰り返してきた、くだらない思い。くだらないけれど、今さら過去なんて、どうすることもできないけれど、でも、やっぱり心から消すことができない。さっき、彼女が言っていた言葉が、頭の中で木霊する。
――あなたが、戻ってこいって言ったから、私戻って来たのに!
「大丈夫。信じる。大丈夫。信じる。大丈夫。信じる」
涙が溢れてくる。それでも、言い聞かせる。
「大丈夫。信じる」
――必ず、君のところへ戻るから
「大丈夫。信じる」
藤崎は、駅から走ってきた。エレベーターが、こんなに遅かったのかと歯噛みする。ノブを回すのも、もどかしい。やっと、玄関のドアを開けた。
そこには、璃帆が座っていた。
靴も脱がずに、体操座りで、膝の上に頭を埋めて。手には、鍵が握り締められていた。
「璃帆……」
弾かれた様に、璃帆が顔を上げる。泣いた痕が残った顔で、ぼう然と藤崎を見つめる。
藤崎は、かがんで璃帆と目線を合わせて、微笑んだ。
「ただいま」
「おかえり……」
また、溢れ出した涙を拭きながら、藤崎に手を取ってもらって、部屋に入った。
藤崎は、璃帆の両手をそっと握りながら、ゆっくり話を始めた。
最初、鍵を握っていた指が、あまりに強く握っていたため固まってしまい、なかなか開くことができなくて、藤崎が手伝ってくれた。「こんなに強く……」と呟きながら。
どうしても、元彼女であった部分は、避けられない。それでも、ゆっくり、ゆっくり話を進める。途中、他の男性との間に子供ができたところで、藤崎は席を立った。コーヒーを淹れてくれた。
病室での出来事は、璃帆には想像しかできなかったが、信じることはできた。彼女が言った言葉の意味も、やっと分かる。
そして、今日のことも、きちんと説明してくれた。藤崎にとっても、智美が来ることは想定外だったらしい。「さらに、辛い思いをさせてしまって……」と、謝られた。
今日は泊まっていってほしいと、言われた。どうしても無理なら、家まで送るという。もしかしたら、どこかで智美と会ってしまうかもしれないことを、心配しているようだ。迷ったが、泊めてもらうことにした。
「先にお風呂、入って。俺、まだ仕事が残ってて、やらなきゃならないんだ」
と、藤崎は図面を広げ、パソコンに向かう。
お風呂から出ても、藤崎の仕事は終わらない。「先に寝ていいよ」といわれるが、仕事をしている人の前では、気が引ける。何となく、藤崎の部屋にあった建築雑誌を手に取り眺めていたが、知らないうちにウトウトしてしまったらしい。
「璃帆。風邪引くから、ベッドでちゃんと寝て」
と起こされ、そのままベッドに移動した。ベッドの中から、藤崎が仕事をしている姿を眺めているうちに、本当に眠りについた。
朝、目が覚めると、藤崎は隣で寝ていた。璃帆を包み込むように、横向きで寝ている。
璃帆は、泣きそうになる。
きっと藤崎は、璃帆を安心させるために、ここで仕事をし続けた。ひとりで、そのまま眠れるように……。璃帆の心が完全に受け入れられるようになるまで、待ってくれるつもりなのだ。それでも、帰さずに、手元に置きたいと思ってくれたに違いない。
カーテンの隙間から差し込んだ朝日に包まれた部屋で、璃帆は幸せを噛み締めていた。
藤崎の目覚ましが鳴った。目を覚ました藤崎は、視界に璃帆がいないことに気付く。
「璃帆!」
夜中に帰ってしまったのか……。名前を呼びながら、慌ててベッドで半身を起こした。
「起きた? おはよっ」
璃帆がひょいとキッチンから顔を出し、パタパタとこちらにやって来る。あの光が……。
璃帆から白い光の花びらが、フワッと藤崎を取り巻き、藤崎の光と1つになる。
「あのね。食パン見つけちゃった。2枚しかないの。私も食べていい?」
「いいよ……。一緒に、食べよ」
「ホッとしたら、お腹すいちゃった」
と笑って、キッチンに戻る。鼻歌まで聞こえてきた。
藤崎は両手で目を覆い、そのまま俯いてしまう。大きく息を吸ったかと思うと、震えるように、ゆっくり大きく息を吐いた。
その刹那、修道女の璃帆と藤崎の画像が、意識に飛び込んできた。
2人の右腕には、剣が貫かれていた。藤崎の前に璃帆が立ち、2人の右腕が重なったまま貫かれていた。藤崎が狙われたのだが、璃帆が庇ったため起きた悲劇だった。
藤崎がなぜ狙われ、なぜ修道院の中でこのような修羅場が繰り広げられたのかは、藤崎の魂にとっては、今ではどうでも良いことのようだ。情報が伝わってこなかった。
それよりも、璃帆の自己犠牲の姿の方が、魂のためには、覚えておくべきことのようだ。
藤崎は知る。この時璃帆は、大きな血管を傷つけたため、出血が酷く、そのまま亡くなっているのだ。藤崎は璃帆の後ろだったため、剣先がズレ、九死に一生を得ている。
「俺は、璃帆に命を救われていたのか……」
結局、璃帆の存在に憧れ、嫉妬し、ただひたすら後ろを追っていた藤崎は、何の答えも得られぬまま、悲嘆にくれて、後年その人生を終えていた。せっかく助けてもらった命を、魂の成長のチャンスを、無駄にした。
その時の学びは、ただ1つ。嫉妬などせず、ただ璃帆を、人々を愛せばよかったのだということ。自分の能力に溺れず、無条件で愛することを学ぶべきだった。こんなにいい見本を前にして、それに気付かなかったのだ。
璃帆がコーヒーとトーストを運んで来てくれた。
「どうしたの? 早くしないと、遅刻しちゃうよ」
藤崎はやっとベッドから出て、璃帆のそばまで行き、そっと抱き締めた。
「ありがとう……」
藤崎の心が、何の抵抗もなく、璃帆に流れ込んでくる。璃帆も、藤崎の背中に手を回した。
「……藤崎君が、教えてくれたんだよ。信じるやり方」
もう、言葉にならない。藤崎は、そのまま強く抱き締め直す。
2人の痣がなぜ同じところにあるのか、なぜ形まで似ているのか、伝えるのは、今度にしよう。今は、手の中に戻った璃帆を、ただこの手で確かめたいと思った。
「渡した鍵、璃帆が持ってて」
驚いた璃帆が、一旦体を離す。ニッコリ笑って、あの白い光がフワッと輝いた。
「うん。分かった」




