繋がる
璃帆が向こうから小走りでやって来る。最近、璃帆が少しずつ変わってきていることに、藤崎は気が付いていた。キラキラした粒子が、璃帆の周りにフワッと渦を巻いている。浄化の光とは少し違い、もう少し白く、粒子自体も大小様々だ。桜の花びらが散る風情に近い。
「遅くなっちゃって、待った?」
「時間通りだよ」
と、璃帆の光にしばし見とれる。この光の凄いところは、それ自体が、人のエネルギーと繋がることだ。
今も、ゆっくりと璃帆の体から一部の光が、それこそ散る花弁のごとく舞うように移動して、藤崎の体を包み込んでいく。そして、藤崎の持っている光と、融合するのである。
初めてこれを体感したときは、とにかく驚いた。璃帆の光が触れたかと思った瞬間、エネルギーが一瞬膨らみ、融合したそれが、ゆっくりと元の大きさに戻っていく。その時、まるで温泉にでも浸かっていくかのような、心地よさに満たされるのである。
璃帆を抱いた時とは、明らかに違うエネルギーの繋がりだ。これがどうして起き始めたのか、藤崎にはまだ分からないでいた。しかも、璃帆には全く自覚がないようなのだ。
「藤崎君、何? 私、何か付いてる?」
璃帆が、自分のあちこちを点検しながら聞いている。その声で、我に返る。
「璃帆が、あんまり綺麗だからさ……」
「またそれ? 最近、おかしいよ。藤崎君、疲れてるのかなぁ」
「全力で否定するよな、璃帆って」
「今日は藤崎君の、コンペ出品決定のお祝いなんだから、疲れてる暇ないよ」
「やっと、社内コンペが通っただけなんだから、これからが本番なんだよ」
「いいの、いいの。とにかくお祝いしよ! すっごいことだもん。私は嬉しい」
そう言った瞬間、璃帆が修道女だった時の姿が、藤崎の意識に飛び込んできた。
藤崎は、声が出そうになり、思わず片手で口を塞ぐ。この光を、修道女だった璃帆にも、俺は見ていたと思い出した。俺も、修道女だった……。
「私も、皆と繋がりたい」
嫉妬と、羨望の意識が藤崎の気持ちを撫でていく。
「俺のカルマか……」
「やっと、食事戻って来たね。よかったねー」
以前、藤崎のエネルギーの変化が始まったころ、肉や刺激物やアルコールが飲食できなくなっていたのだが、徐々に元に戻ってきていた。ありがたい……。
「助かったよ。でも、やっぱり前みたいには食べられないかな。匂いがダメなんだな……」
「じゃ、今日は食べたいものを、好きなだけどうぞー。私が、奢ります!」
「おっ、じゃ無理して、飛騨牛いただきます」
「そこで、無理するな〜」
と笑いながら、注文をしていく。炉端焼きのお店だ。藤崎は、初めてのお店だった。
「ここ、いいね。海鮮も全部目の前で焼いてくれるし、惣菜もいろいろ揃ってる」
「でしょー。私も久しぶりに来た。美味しいよー」
「前は、誰と来てたの? ……って、今のなし」
フイッと前を向いたかと思うと、目の前に広がる材料カウンターの鮮魚たちを眺めている。ほんとに、何も言わなかったみたいに。
あらっ、という顔をしてから、璃帆が一瞬ニヤリとしたのを、藤崎は見ていなかった。
璃帆が、意味深に遠い目をする。声が、心なしか小さくなる。
「高校の同級生がね、東京にいたの。偶然会ってね、ずっと一緒にいたんだけど、1人で北海道に行っちゃって……、置いていかれちゃった……」
「ずっと一緒……」
「うん。藤崎君と会ってからは、もう、会ってないけど……。今でも、たまに連絡が来て……」
「そうなんだ……」
「元気? とか、そんな事だけなんだけどね……」
「その話、もう、いいかな……」
ここで、璃帆のオーラに気付くべきだった。
「気になる?」
「ならない……」
「聞きたくない?」
「聞かせたいの……」
藤崎は、思いのほかムッとした声になっている自分に、我ながら驚いた。
ここで、スパークリング日本酒が運ばれてきた。乾杯用に璃帆が頼んだものだ。アルコール度数は低く、ジュースに近い感覚で飲める。
璃帆はスマホを取り出して、スライドし始めた。2人でいるときは、滅多に触らないのに。
突然、藤崎の目の前に、画像を見せる。そこには、乳牛と一緒に映った、明るく笑った健康そうな女性が写っていた。
「さゆちゃんでーす。結婚して酪農家さんの嫁になりましたー」
意地の悪い笑顔で、こちらを楽しんでいる。黄色いオーラが、キラキラ輝いていた。
「……、29歳の男を、もてあそんでるな」
「はーい! というわけで、乾杯の時間でーす!」
意外と真剣に落ち込んでる藤崎に、璃帆は乾杯を促す。一応応じるものの、まだどこかスネたままの藤崎に、璃帆は「う〜ん」と内心唸ってしまう。思ったより、イジリに免疫がない……。
「今、私の目の前にいるのは、誰かな?」
「……」
「揺るがないトップなんだけどな……」
「……」
いつまでも復活してこない藤崎に、璃帆が小さくため息をつく。
「……こんなに愛されてるって、思わなかった」
璃帆と繋がっている光が、フワッと光る。同時に、藤崎にそのエネルギーが伝わり、喜びの感情が流れてくる。さすがにもう、スネてはいなれない。
「そうだよ。ちゃんと、覚えといて」
璃帆の髪の先を少し指で触れながら、やっと笑顔に戻った。璃帆もホッとして、破顔する。
「じゃ、あらためて、コンペ一番おめでとう。乾杯!」
「うん。ありがとう。……これ、おいしいな」
と、スパークリング日本酒を飲み干す。炭酸の刺激が、ゆっくり胃まで落ちて行った。
その夜、藤崎はいつもより激しく璃帆を抱いた。この日初めて、璃帆の過去に、実体のある「嫉妬」を抱き、そのエネルギーに押し流されていた。璃帆は、翻弄されつつ応えていく……。
藤崎の胸に落ち着いて、腕枕されながら、璃帆はぼぉっと声を聞いていた。いつもと違った藤崎の余韻に、少し意識が遠くなっていた。
「……ごめん。俺、今日、璃帆に優しくできてなかった……」
天井を見ながら、小さくつぶやく。
「ん、……。大丈夫。ちょっと、驚いたけど……」
「ごめん……。よし! お詫びに、このお正月、どこかに行かない? 旅行」
璃帆の意識が覚める。慌てて藤崎の顔を見る。
「いいの? 忙しくないの? 私、行きたいとこある!」
「どこ?」
「広島、尾道!」
「?」
「竣工式終わったんだよね。見てみたい……」
長谷川邸のことを言っていた。
「仕事の延長みたいで、イヤ?」
「いいけど、写真ならあるよ」
「この目で、見たい。あのLINEで送ってくれた景色も、見たい」
「璃帆……」
「藤崎君と一緒に、見たい……」
じっと璃帆は見つめる。
「もう、今日は俺、制御利かない。璃帆が悪いんだからな」
そういうと、璃帆の胸に顔を埋める。そのまま、きつく肌に唇を当てる。藤崎が跡を残そうとしていることに気づき、愛しい……と思う。藤崎の頭をそっと抱え込んだ。
「俺のもの……」
「うん、うれし……」
もう一度キスから始まる。やっぱり、藤崎君のキスは、溶けそうだ。
「今度は、優しくする……」
夜が深くなっていった……。
年が明け、長谷川邸の前に到着したのは、14時頃になった。まだ三が日なので、車が混んでいた。初詣の人々だろうか。
それは、坂の途中に、突然現れる。周りとは一線を画す建物であるが、妙に景色に馴染んでいる。1階より、2階の床が片持ちで飛び出している構造。その2階は、坂に面した壁全体が大きく開口になっている。その外側には、目隠しと意匠を兼ね備えた縦格子が、陸屋根まで覆いつくしている。白木ではなく、琥珀色をしている。それが、周りに馴染んでいる要因の一つに思える。
格子の中の外壁はタイルで、石材だと思われる。その自然の凹凸と複雑な色合いが美しい。石材の横と、格子の縦がランダムに交わり、見るものを飽きさせない。
建物の構造は、いたってシンプルなのに、デザイン性が高く、きっとこの家を見た人は、しばらく忘れないのではないかと思う。
「すごい……」
璃帆は立ち止まって、言葉が出ない。これを、朝日の中で、夕陽の中で、雨の中で、雪の中で、全ての季節の中で見てみたいと思う。
横に立っている藤崎を、あらためて見れば、とても満足そうな顔で彼も眺めていた。
「本当は、あの2階からの眺めを、見せてあげたいんだけどね……」
吐く息が、白い。私は、なんて人を好きになったのだろう。思わず一歩、後ろに下がってしまった。
「私、藤崎君の仕事の邪魔、したくない……」
「何?」
「1年や2年、会えなくても、文句言わない」
「なんで、そうなるの? それは、俺が無理だから」
「何だか、藤崎君の頭の片隅に私がいることも、申し訳ない気がしてきた……」
「大絶賛?」
璃帆は、頭を縦に何度も振る。藤崎は、嬉しそうに微笑んだかと思うと、少し離れた璃帆の腰を引き寄せ、耳元で囁いた。
「ありがとう」
2人が歩き出したところで、後ろから1台の車がやってきた。2人の横で、速度を落とす。
「藤崎君じゃないか? どうしたんだね」
「明けまして、おめでとうございます。プライベートで、近くまできたので、建物を見に寄りました」
施主らしい。車の窓から声を掛けられた。奥様と、娘さんらしいご夫婦と、子供が1人乗っていた。
「また、定期点検で改めて伺います。今年も、よろしくお願いいたします」
藤崎は、目配せして璃帆とその場を離れようとした。後ろから、奥様が声を掛けて下さった。
「急いでらっしゃるの? そうでなければ、是非寄っていって。ちょうど、私たちも今帰ってきたところなのよ。ツグミちゃんが、喜ぶわ。そちらの美しいお嬢さんも、是非」
「家建てた、おじちゃ〜ん!」
子供が中から手を振る。藤崎も、手を挙げて応えていた。
「ほんとに、お邪魔ではないのでしょうか?」
「どうぞ、どうぞ」と、皆で誘ってくれた。
「では、ほんの少し、お邪魔させていただこう。璃帆に見せてあげられる」
小声で璃帆を促す。ありがたく、上げていただくことになった。
玄関を入ると、室内にも関わらず、スロープが設置してあった。段差そのものも、5cm程しかなく、奥に続く廊下は、全てメーターモジュールになっている。きっと、施主と奥様の将来を見据えての設計だろう。
この1階が、外から見たら2階部分になっていた場所。光が……。
「光が、雲の間から差し込んで……」
思わず、立ち止まる。20畳はあるだろうか。そこに、あの縦格子を通した光が、ゆったりと、たゆたっていた。いつか藤崎の部屋から見た、見渡す限りの光、そのまま。
誘われるように窓辺に近づく。奥様が、半開きだったレースのカーテンを電動で開けて下さった。
その景色は、まるで1枚の絵の様で、息が止まる。尾道水道の景色が、右から左にゆったりと流れ、坂の下りにある石畳が、別の世界に通じる道かの様に視界から消えていく。両脇の住宅や建物までも取り込んで、尾道の坂を、まるでスクリーンの中で見ているかのようだ。
「この格子ね、手動で開くんだよ」
といって、藤崎が実際に見せてくれる。外の縦格子が、ブラインドの様に稼働して、スクリーンを遮るものがなくなる。
「鷹の……、周防……、風の音が……」
呟いた璃帆の言葉に、藤崎が、驚く。あぁ、そうだった。鷹の目を体感したのは、この景色の中が初めてだったと思い出す。
「高いね〜。耳がビュービューしてる」
小さい子供の声が、璃帆の近くにやって来る。
「お姉ちゃん、今飛んだね〜」
と、その天使は言った。
璃帆の体から、あの白い光が、花弁が舞うかのように嗣海の体を包み込む。
「ふわ〜、きもちいい〜」
「ツグミちゃんも、一緒にお空、飛んだの?」
「うん、高かったね〜。おじいちゃんのお家、こんな小っちゃかったね〜」
と、小さな手で更に小さな輪っかを作る。
「家建てたおじちゃん、自由に飛べて、いいね〜」
と、藤崎をうらやましそうに見る。
「ほんとだね。きっと、ツグミちゃんも、また飛べるよ。今度、頼んでごらん」
この会話の真実が分かるのは自分だけなのかと、藤崎は思わず他の大人を見るが、皆それぞれに立ち働き、今この時、この2人に関心を寄せている者は、誰もいなかった。
「お邪魔致しました。見られることができて、本当に幸せでした。ありがとうございました」
璃帆はお礼を言って、藤崎と2人、長谷川邸を後にした。
「ありがとう。ほんとに見れてよかった。この家、何か賞でも取りそう」
「そう? 楽しみにしとくかな」
「私、これから藤崎先生って、呼んだ方がいい?」
「璃帆って、ほんとに時々、意地悪だよなぁ」
「心からそう思ってるのに……」
苦笑いの藤崎は、でも璃帆の黄色いオーラが、特段いつもと変わりないことを見て取り、案外本心であることを分かっていた。
「そういえば、ツグミちゃんのあの力ね、もうすぐ無くなってしまう……」
藤崎が、少し残念そうに話す。
「どうして?」
「あれは、3歳くらいまでに、たまに起こる現象だって。ツグミちゃんの守護霊さんが教えてくれた」
「そうなんだ……、あんなにシンクロしたのに……。見たものまで、忘れちゃうの?」
「そうらしい」
「藤崎君も、きっとあんな風だったのかな」
「ん?」
「可愛くて、不思議なことをいっぱいお話しする、賢い天使」
「どうかな」
「それが今じゃ、おじちゃ〜ん。ちなみに私は、お姉ちゃん」
「うるさ〜い」
2人で、大笑いした。
藤崎は、璃帆が嗣海と繋がった瞬間、軽い嫉妬を覚えたことは、「おじちゃ〜ん」らしく伏せておくことにした。
修道女の璃帆から、あの白い光が、そこに居る人々に、次々に繋がっていく。
ここは、修道院の中にある聖堂だ。彼女は祈りに来た人達に、パンを配る。その度に、彼女の体から光が舞い、人々に繋がっていく。繋がった人たちは、なんとも言えない幸福な顔をして、璃帆に祈りを捧げるのだ。
藤崎は、夢の中でその光景を見ていた。こんな前から、人と違った世界をみる力があったのだと、自覚する。そして、それゆえに、この時の藤崎は、璃帆に嫉妬していた。
璃帆は、14歳から修道院に入った。藤崎は、小さいときに両親をなくし、孤児となったことから、有無を言わせず修道院に入れられていた。外の世界を知ることもなく、毎日毎日神に全てを捧げる日々。外の世界が見たい。渦巻いているのは、自由への憧れだけだった。
璃帆がこの修道院に来てから、藤崎は少しずつ璃帆の言葉を通して、外の世界を知った。そして、世界には色んな人がいて、見たこともない景色があって、美しいものがたくさん有るのだと教えられる。そんな素敵な世界から、なぜ璃帆がこんな小さな世界にやってきたのか、藤崎には全く理解ができなかった。
璃帆は、繰り返し言った。神の世界は、この世のどの世界よりも広く、美しく、愛に満ち溢れていると。
藤崎には、分からなかった。同じように毎日勤めているのに、璃帆はどんどん皆から愛されていくのに、自分はそれを手に入れられない。その苛立ちが、余計に分からなくさせていた。
「あなたは、あなたにできるやり方で、人々を愛するべきでした」
あの声がした。この時の藤崎の人生について伝えようとしている。
「どんなに他の人のやり方が正しそうに見えても、それはあなたの方法ではない。どちらが正しいということではありません」
璃帆とは違うやり方で、愛を実行しろと言っている。
「嫉妬は、専有の副産物であり、信頼の欠落が生んだ幻想です」
これは、いつもの声と違った声で聞こえてきた。男性の声だ。何だ? 誰だ?
「あなたは、何度も「嫉妬」で人生をやり直しているのですよ。今度は、上手くやりなさい」
いつもの声が答える。あちらの人たちは、こっちの知りたいことには応えずに、結構自由でやりたい放題だと思うのは、俺だけだろうか。
「今度は上手く……か」




