96 いつの間にか慣れた味
夜。すっかり日も落ちて虫の声が静かに響く頃。
定期的に、窓辺にビールの小瓶を持ってやって来る人がいる。ブラキウムさんだ。
器用に木の幹に腰かけて、少量のアルコールを傾けるブラキウムさんを見るのも、もうすっかり慣れた光景になってしまった。
思えば初めて会った時からかなり気にかけてくれているんだよなぁ。お城の裏手にある神殿に行った時から始まり、その後もずっと。
いや、確かに子供が寝た後の大人の特権だ、などと言ってビールの入った小瓶を片手に窓の外に現れた時は、ここ二階なんだけど? と、驚いたが。
「グラフィアスって、どれくらいかかるんですか?」
「あー。陸路と船を乗り継いで一週間、ってとこか」
港町に出て船に乗るのは聞いていたけど、それくらいかかるのか。アヴィオールとグラフィアスの間に聳える山さえなければもうちょっと早く着くのだろうけど、こればっかりは仕方ないか。
グラフィアスへ行くのはいつもの馴染みのメンツで、今回もブラキウムさんとエルナトも来てくれるみたいだし、特に不安はない。
何よりイクリール君は長らく離れて暮らしていたお兄さんたちに会えるのを心待ちにしている。普段はしっかり者のイクリール君が、浮かれているのは珍しく、よほど楽しみなようだ。
「神子殿もだが、船に乗った経験は?」
「遊覧船なら何度か」
船旅かぁ。観光で少し乗ったくらいだな。せいらちゃんはどうだろう?
ちらりと振り返った先ではベッドの上でせいらちゃんが夢の中だ。今日も元気にいっぱい遊んだもんね。ゆっくり休んでくれたまえ。
ビールを少しずつ飲みながらぼんやりと考える。
グラフィアスには神殿が四つある。内乱は収まっているとはいえ、まだ復興だとか、問題はあるだろうに押しかけて大丈夫なんだろうか。
いや、むしろ復興のためにも大がかりな魔法を使える様にするために、魔法石の活性化をする必要があるのか?
最初はせいらちゃんに「手伝ってほしい」と頼まれたからだった。
何が出来るわけでもなかったけど、まだ五歳の女の子に全部押し付けるも憚られて。結局、この部屋で幼女の生活の手伝いをすると、レグルス王子とブラキウムさんに話したんだったか。
「なんだか、この部屋でピザ食べたのがずっと昔みたい」
色々あったなぁ。なんて、呟けば神妙な顔をしたブラキウムさんがふむと頷いた。
「まぁなんだ。若いなりによく頑張ってるよ」
おっと、言わせたみたいになって申し訳ない。
別に感傷に浸っているとかそういうのではなくて、この数ヶ月で色々なことが起きて、私自身考え方を改める機会もあった。
それは、まぁ。押し殺していた問題を浮き彫りにするものでもあったし、頭の中でぐちゃぐちゃになって考えがまとまらなかったけど、悪いことだけではなかった。と、思う。
「すみません、気を遣わせちゃって。そろそろ今後のことも考えなきゃなって思いまして」
「なるほどな。神殿は後六つ、か」
そう、残りの神殿は後六つなのだ。内四つはグラフィアスにあり、そこさえ回ってしまえばもう殆ど旅は終わり。他国へ行くのだしまだまだやることはあるのだろうが、終わりが見えてきた。
だからこそ、今の内から考えておかないといけない。すべての魔法石を活性化させ終わった後、私はどうするのか、だ。元の世界にも帰れないのなら、この世界で私はどうやって暮らしていくべきなのだろう。
レグルス王子はせいらちゃん含め、生活の面倒を今後も見てくれるとは言っているが、さすがに頼り切りは申し訳ない。とはいえ、特にこの世界で役立ちそうな技能も……刺繍か? 針子さんにでもなるべきなのか?
一応ね、最初はせいらちゃんのフォローをしつつ、それとなくフェードアウトすることを考えていたのよ。
でも最近は、本当にそれだけでいいのかとも思うわけで。
不本意とはいえ銀の針を手に入れてしまった。しかもそれは真っ当に、誰かを救うことの出来る力だ。まだ自分から力を振りまく勇気はまだないけれど、もしこの力を自分の意志で誰かのために使えたなら。
「なりたいものでも?」
「うーん、特にないです。……当面はせいらちゃんが笑って暮らせるようにお手伝いすることですかねぇ」
へらりと笑えば、仕方ないものを見るような目で、ブラキウムさんが「お人好し」とだけ呟いた。
別にそんなんじゃないんだけどな。単純に、私自身がせいらちゃんの存在に救われているところもあるし。元々、五歳の女の子をひとりぼっちにしてまで何もかもから逃げ出したいわけでもなかったし。
何より今は、支えると言ってくれた人や、多分何も言わなくても助けてくれそうな人が傍にいるって知ってしまった。それを知ってしまったのだから。後は、私にできる範囲で、誰かに寄り添えればいいなぁ、なんて。
温くても美味しいビールは、少量サイズなこともあってすぐに飲み切ってしまう。私が小瓶を空にしたのを見て、ブラキウムさんが手を差し出した。手のひらの熱が映った瓶を渡せば、窓を挟んだ今宵の飲み会も終わりを迎える。
本当はもっと、この人みたいに皆を見守ってあげられる大人になりたかったんだけどなぁ。
ビールの肴に振り返り




