87 辛苦
Side 従者
「改めて言うまでもないと思うけど、あなたの名前を継いだんだ」
少しだけ気まずそうに、それでもはっきりと言い切ったレグルスにあの人は「そうか」と言って笑った。レグルスが名前を継いだことで、自分が国に帰り辛くなったと怒るでもなく、ただただ肯定的な返事をするあの人に苦しくなった。
五年前土砂崩れに巻き込まれ行方不明になったあの人が生きていた。
それは嬉しいはずなのに。五年間、ただの一度も連絡を寄越さなかった兄の様に慕う人に言いようのない焦燥感を覚えた。
「とにかく、お前たちが元気そうでよかったよ」
「兄さんは、ずっとここに?」
「ずっとってわけではないが、流れ着いてそのままだな」
「帰ってくる気はなかったんだ?」
目の前で繰り広げられる兄弟の会話はあの頃に戻った様にも思えるが、何かが決定的に違って。
レグルスの問いに申し訳なさそうに笑う姿に、ああこの人はレグルスの言葉通り、国に帰るつもりがないのだと思い知らされた。
「レグルス様」
「今はリオサールだよ。それに、お前のレグルスはもうヴィルの方だ」
息が詰まる。この五年で、何もかも変わってしまったのだ。
幼い頃。レグルス様……、いやリオサール様にはレグルスと共に色んなことを教えて貰い同じ夢を見た。いつか王になり愛する国を守るのだと語ったリオサール様の夢に、レグルスと二人で憧れた。いつか二人でその夢を支えようと語り合った。
幼い頃から俺はレグルスに付き従うためにいるのだと両親に言われていたし、自分がレグルスを支え、レグルスがリオサール様を支える未来が一番いいと信じていた。
年を重ねるうちに、段々リオサール様は忙しくなって会う回数は減ったものの、気持ちは変わらなかった。しかし、五年前突然リオサール様はいなくなった。
「……リオサール様はどうしてお帰りにならなかったのですか」
やっと出た声は酷く掠れている。
先代が病に伏し誰もがリオサールが家督を継ぐのだと思っていた。あの日わずかな手荷物だけが帰って来た。連日の雨で地盤が緩んでいたらしい。崖を転がり落ちる様に消えて行った馬車は、数カ月掛かって見るも無残な姿発見された。
それからの俺たちはリオサール様の夢に縋って生きて来た。先代が亡くなり、空いた王位に皇后を据えようかという話も出たが、あの方は首を縦には振らなかった。
よくある政略結婚なこともあってか、皇后自身は権威に執着がなかったのかもしれない。先代死後一年間喪に伏すと、皇后は早々に自身の実家へと帰ってしまった。どうやら先代への愛情も希薄だったらしい。
「母上を、実家に帰すためだよ」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
目の前には眉尻を下げながらも意志の強い目であの人が俺を見ている。
じゃあ、レグルスが苦しんだあの時間は何だったんだよ。
妾の子だからと、継承権を繰り上げることに散々反対された。結果として王家の血を引く者がレグルスしかいないため、貴族連中も一度は黙ったが、今度はレグルスを傀儡にして実権を握りたい奴らに囲まれた。
煽てて陰で笑う奴もいた、自分の娘を嫁にと押し付けてくる奴らもいた。シュルマやブラキウムの様に純粋に手を差し伸べてくれる奴もいたが、クソみたいな連中が殆どだった。
「望まぬ結婚だった。生家へ帰りたがっていたが、俺がいる限り縁は続く」
母を開放したかった。だから事故を装って行方をくらませた。
そう笑ったレグルス様は、愛する国を守るのだと語ったあの頃の笑顔と何も変わらなくて。
「アヴィオールを愛していたんじゃないのかよ」
「愛しているよ、今でも。でも、あの人は俺にとってはたった一人の母だったんだ」
力足元が崩れるような思いがした。
リオサール様と同じ夢を見ていた。レグルスと協力してこの方の夢を叶えるつもりだった。しかしリオサール様はその夢をとっくに捨ててしまっていた。
愕然とする俺から視線を逸らしレグルスの方を見る。
「押し付けて悪いな」
「そういう事情なら。はい。」
肩を落としながらもレグルスは穏やかに笑う。
レグルスは何も後ろ盾のないまま正式な王位継承者の座に座らせられ、その立場とは裏腹に軽んじられてきた。
にも拘わらず、こいつはどうしてこんなに穏やかに笑えるんだよ。じゃあ、俺のこれは何なんだよ。
「正直これでも罪悪感があったんです。名前も、居場所も、奪う形になってしまったから」
「そんなの気にしねぇよ。どこにいても俺は俺だ」
「ええ、そういう人でしたね」
リオサール様に、生きていてほしかった。いつかまた、あの頃と変わらず同じ夢を追っていけると思っていた。まだ何でも出来ると信じていた頃の夢を、諦めたくなかった。
自分でもガキみたいなことはわかっている。それでも捨てたくなかった。藻掻いていたかった。あの日見た夢を、同じ形で守り続けたかった。
レグルスが、意を決したように息を吸う。
「これからは私がアヴィオールの人々を愛します。あなたの代わりじゃない、私自身のために。私のやり方で守りぬいて見せます」
はっきりと、今度は胸を張るように言い切ったレグルスに一瞬驚いた顔をするもすぐにリオサール様は嬉しそうに笑った。
ああ、そうか。こいつはとっくに腹を決めてたんだな。
いつまでも拘っていたのは自分だけで。




