32 何よりも守りたいと
Side 第二王子
神子様が熱を出したらしい。
そうシュルマに教えられてすぐに見舞いに行こうと思ったが、今は寝ていると止められ執務を熟していたら結局昼過ぎになってしまった。前もってかなり熟しておいたつもりだったが、一か月近く城を開けると、さすがに滞った書類も多い。
すれ違ったメイドに聞けば神子様はまだ昼食をとっていないようだが、そんなに悪いんだろうか。
ノックをすれば少しひそめたナナさんの返事が返ってくる。
中に入ると抱えていたらしい神子様をベッドに寝かせている途中だった。
「すみませんこんな格好で」
「一緒に休んでいたんですね」
頬が赤く、いつも身なりを整えているナナさんにしては珍しく着崩している。先ほどの様子を見るに、神子様を抱えていたのもあってか体温が上がっているようだ。
付きっ切りで星の神子様の看病をしてくれていたとはわかっているのだが、その、なんというか普段とは違う様相につい目を逸らした。あまり女性のそういう姿は見るべきではないと思う。
「神子様の容態は?」
「熱はありますけど、機嫌よくしていましたよ」
寝たくないとは言っていましたけど、と言ってナナさんが笑う。そう、なのか。苦しい思いをしていないのならよかった。
そう思えばこそ、先ほどのアレは抱えていた、というより神子様が彼女に抱き着いていたのかもしれない。
神子様は、ナナさんによく懐いている。同じ部屋で過ごしているのもあるだろうが、同じように出会ったはずなの私には甘えてくれないのが少しだけ寂しい。
星の神子様にとって確かにナナさんは大切な人なんだろう。彼女がいるから安心できる、彼女がいるなら小さな体で頑張れる。そういう、特別な存在なのかもしれない。
確かにナナさんは良い人だ。全部わかった上で、巻き込んだ私に言いたいこともあるだろうに全部呑み込んで、こちらの事情まで気にかけてくれる。例えそれがこの世界で暮らしていくためだったとしても、今はその気遣いがありがたかった。
「よく寝ていますね」
「薬が効いているんでしょう。起きる頃にはきっと元気になっていますよ」
「もしよければですが、昼食をとって来ては?」
神子様の様子を見ながら、メイドが言っていたことを思い出す。
神子様がまだなら、きっと彼女も食事を取り損ねているはずだ。さすがに彼女も疲れただろうし、少し休んでもらいたい。
「じゃあ、その間……」
「ええ。構いませんよ」
「ありがとうございます」
構わないだろうかと私を見上げる年上の女性を見送ってベッドサイドに座る。シーツが一定のリズムで上下する。呼吸は、安定しているようだ。
時間をかけて、極力負担を減らした旅をしたつもりだった。
ブラキウムが選んだ騎士たちを護衛として伴い、野生動物や野盗に襲われる危険を減らした。直接的な危険はなかったし、休み休みの旅ではあった。それでも神子様の小さなお体に負担をかけたことが申し訳なくなる。
本来なら、ここにいるのは自分ではなく神子様のご両親だったんだろう。手を伸ばせばそこに絶対的な安心感があって、不安も恐怖もなく自由に笑って、泣くことの出来る環境があった。
私はこの幼い少女から多くの物を奪ってしまった。そんな人間が、神子様に好かれるわけがないのかもしれない。
自分がこの子ぐらいの時はどうだっただろうか。母は既にいなかった。父は忙しい人で余り話をした記憶がなかった。私の話し相手と言えばまだ行儀見習いをしていたアルヘナと、腹違いの兄だけだった。
手を伸ばせばそこに絶対的な安心感とは、私自身が欲しくてたまらなかったものだった。それを、奪ってしまった。
ぼんやりと幼い寝顔を眺める。幼い少女と巻き込まれただけの女性を守らなければいけない。そう誓ったはずだった。
むずがる様に目を擦ってゆっくりと神子様が目を開ける。顔色はまだ少し頬が赤みを帯びていた。
「目が覚めましたか?」
まだ眠いのかぼんやりと私を見上げている。
気分は悪くないだろうか。
「あの、神子様?」
「やだ」
寝起きの少し掠れた声で紡がれた言葉に、ドキリとする。
手を伸ばしかけて止まる。幼い目に涙が滲んでいた。取り返しのつかないことをしたのだと、突き付けられた様だった。
世界を救いたかった。誰も一人にならない様にしたかった。そんな自分のエゴで彼女らの当たり前を、幼い少女の大切な物を奪ってしまった。
きっと今の今まで耐え続けてきたものが溢れてしまったように、幼い少女の目からぼろぼろと涙がこぼれる。
「みこ、ちがう」
背負わせてしまったもの、奪ってしまったものがぐるぐると頭の中を駆け巡る。何か言わなければ。焦る思考が余計に言葉を奪っていく。縋りつくように伸ばした小さな手が、服を握りしめる。嗚咽が漏れ出て、何度もしゃくり上げていた。
まだ上手く言葉に出来ないだけで、きっと神子様は私を責めている。そう思っていた。でも続いたのは思ってもいなかった言葉だった。
「せいらだもん」
幼い少女の悲鳴にも似た訴えは、彼女自身の名前だった。
理解するのに少しばかりの時間を要する。神子様のお名前はもちろん知っている。それを今告げる意味とは。
彼女はまだ幼く言葉を上手く操れない。ならば今、私に向かって訴える意味とは。
「なまえ、よんで」
「よろしいのですか?」
涙を溜めた目で睨むように見上げて、幼い少女が頷く。
「では、その……せいら、と」
「うん」
彼女は、名前を呼ばれない理由を悩んでいたのだろうか。
いや、悪いとは言わない。ご両親からもらっただろう大切な御名だ。こちらに来てしまった以上、唯一の繋がりと言ってもいいのかもしれない。
きっとそれはこの方の小さなお体に詰め込める精一杯の悩みだったのだろう。
「なまえ、ちゃんとよんでくれないとやだ」
「すみません」
「ちゃんとよんでくれなきゃ、もうへんじしない」
「はい、わかりました」
安心してほしいと、守るなどと言っておきながら一番不安にさせていたのは自分ではないか。
ぼろぼろと零れ落ちる涙をぬぐってやりながらもう一度謝罪する。
「もうしませんから、許してくれませんか? せいら」
改めて名前を呼べば、こくりと小さく頷いて、せいらが、俯いていた顔を上げる。それは、涙に濡れた、少しだけ不格好な笑顔だった。けれど、何よりも守りたいと思えるものだった。
もうこの方の笑顔が曇ることないように、そう誓って、もう一度、せいらの名前を呼んだ。
星の神子という存在から、セイラという小さな少女になった日。




