10/24〜 JOテックpresents ジャパンチャンピオンシップ④
2026年の日本プロ野球において最も優れたチームを決める一幕、それが終わりに近づくたび、球場全体から声がうねりながらグラウンドに向けて集まっていく。
罵声、歓声、その他諸々。
8回を乗り越えて、攻撃の出番もバントを決めて終わらせ、俺たちクロウズが2点勝ち越した上で9回の表を迎える。
ここ2年で心はそれなりに安定するようになったとは思っているが、手も、地に着いた足も震え、体の中心は早鐘のように拍動し、両腕の肌はアンダーシャツの下で粟立つ。手のひらには汗すら滲んでいた。
どこか遠くからものを見るような心地で投球練習を終え、池田のセカンドスローを見送ったところでイニング開始のコールが東京の夜空にこだまする。
「9回の表、大蝦夷シルバーフォックスの攻撃は…」
7回は3番から始まって、ランナーを1人出した。8回は7、8、9を退けた。だからこの回は1番からの好打順。
わかっちゃいたがタフな展開だ。ここで3つアウトを取れれば終わりなのだが、それをとるのが難しい。
どちらにせよ先頭打者を切るのは至上命題だろう。左打席に構えるバッターを横目に見つつ、池田のサイン通り真っ直ぐを放る。
「ボォッ」
外に構えた池田のミットが、打者の体近くに動いてボールを受け止める。抜けて逆球になってしまったから、フレーミングも難しかっただろう。そりゃボールと言われる。
気を取り直し、さっさとサインに頷いて握りを作る。要求はカッターだった。
いつもどおりテイクバックをする。骨盤を回す。力感は悪くなかった。だがしかし、握ったボールはリリースの間際、するりと俺の思い描いた軌道を拒絶する。
「ヒットバイピッチッ」
アンパイアが両手を上げた後、一塁を指し示す。
抜けたカッターはユニフォームの緩んだ部分を掠め、死球の判定となった。この手の"もらい方"としては古典的な手法ではあるのだが、俺のコントロールミスもまた事実であり、特に何か言うこともない。
そんなことよりも、抜けた要因だ。おそらくは、手汗の拭き取りが不十分だったことと、体の使い方。自分の見立てとしては、腰の回し方が悪かったように思う。こう、横振りというか。
ランナーが一塁に行く間、しっかりと汗を拭き取りロジンを塗す。その所作が余裕なさげに見えたのかもしれない。後ろの方から、大きな声が飛んで来た。
「ヒサ!大丈夫だから投げ急ぐなよ!」
サードに入っていた野口さんが、口の横に手を当ててそう言い、にこりと笑う。
帽子のつばを摘み謝意を示して、軽く肩を回す。
ホームの方を見ると、池田がホームベースの前あたりに足を踏み出していて、それをすぐキャッチャーボックスの中に戻してしゃがみ込んだのが目に入った。こっちに来ようとしてたのか。
定位置に戻った池田は、腕を振るジェスチャーに加え、腕を工事現場でよく見る腕振りロボットのように上げ下げした。
これは、腕の振り方気をつけろということだろうか。
なんにせよこの指摘は正しい。俺自身、腰の回し方が良くないと思っていたから、腕の振りと腰の回し方が横軸すぎたという答え合わせになる。
ランナーは出してしまったが、この辺りを修正し後続を断つ。
そう考えつつ、セットポジションから2番打者に対してボールを放った。
「オッケーナイスボール!」
2番から三振を取り、ボールを内野に回した後池田が俺に向かって叫ぶ。
こちらがリードを取っている以上、スチールはリスクが高く仕掛けづらいと読んで、俺と池田は変化球を躊躇いなく使った。
クリーンナップを前に一つアウトカウントを増やせたのは間違いなくプラスのはずだ。
「3番、センター大浦。背番号、3」
さて、問題はここからだ。前の打席ヒットを打った大浦がまず出てきて、三振を取ったもののホームランを打てる戸沢がその後に控えている。
あり得そうで嫌なのは、大浦出塁から戸沢に被弾すること。裏の攻撃があるとはいえ、お釣りなしでリードを奪われてしまう。
屈指のヒッターズパークとして名高い我が本拠地、そしてフライボールピッチャーである俺と、膳立て自体はこちらの準備で済んでいるのがなんともいえない。
まぁそれも、大浦を打ち取れば済む話。
先ほどは外目の球を上手く運ばれたから、次はインコースのボールで詰まらせる。そう考えて、池田が出すツーシームのサインに納得を込めて頷く。
リリースしたボールは、狙い通り大浦の懐へと食い込んだ。反応を抑えきれない大浦は、ボールの上っ面を打面の下半分で思い切り擦り上げる。
「(…バウンドが高い!)」
強引に当て擦ったボールは高く跳ね、俺とアダメスの間に進路を取る。
ランナーがいた分、アダメスのスタートが遅れる。そして、アダメスが捕球を試みた以上一塁は空いているが、彼が捕っても間に合わない。
となると、俺が取るしかない。
合図を出し、アダメスを伏せさせ、ショートバウンドでボールを取って一塁を向く。
田島はベースカバーになんとか間に合っていたが、大浦の足は早かった。
一死、一・二塁。ホームランで同点。
ファーストを向いた瞬間、頭を抱えるクロウズファンたちが目に入ってしまい、自分の中で処理しきれない動揺が走る。
「(…そらそうだよな。完全に打ち取ったあたりだし、お客さんからしてもアウトが欲しかったよなぁ。…不安に思わせてんのかなぁ)」
思わず、頬を膨らませて息を吐く。そんな行動一つだが、自覚すると尚のこと己が揺らぐ。
武田さんから言われていた、感情を表に出さないというクローザーの心得。それを忘れるほどに俺は追い詰められているらしい。リードしているのにだ。
大舞台に立った時の不安の種というのは、こうも成長が早いのかと思わず手の甲で汗を拭き取ったその時だった。
「タイム」
その掛け声と共に、吉永監督がベンチから出てくる。
なるほど交代か。全く正しい。ここに来て、不運込みとはいえ不安定さを見せているピッチャーを投げさせ続ける事ほどリスクの高いものはない。俺1人で始末できればそれが1番良かったが、多分次出てくるだろう武田さんにそれはお願いしよう。
そう考えていたが、吉永監督は主審がボールを寄越そうとするのを手で制し、マウンドに向かってくる。交代じゃないのか?
「交代と思ったかな?」
インフィールドのプレイヤー全員が深刻な顔をして集まっているというのに、俺の心を見透かして、吉永監督が笑う。あまりにも普段通りの笑い方だった。
「えぇ、まぁ」
「ははは。まぁそうだよな。あー、時間制限もあるから手短に。…ヒサ、次は用意してないよ」
そう言うと、吉永監督はさっさとマウンドから降りてベンチへ戻っていく。
いつだったか、燃えに燃えた登板の時に言われた言葉と一言一句違わずそう耳に入ってきた。
ただ、響きはあの時に比べて幾分柔らかい。
次を用意していないなんて嘘だろう。
武田さんをはじめ、うちには優秀なリリーバーが比較的元気な状態で控えている。
そもそも、吉永監督がそういった備えを全く用意しないわけがない。
となると、リードしている状況で、依然と同じ脅し文句として読み解くのは無理がある。
字面は厳しく見えるが、実際には、この試合お前にやるからしっかり畳めという叱咤激励だ。
「プレイッ」
アンパイアが試合再開をコールし、戸沢が打席に入ってくる。
試合をクローズするというのが俺の役割。さっきの檄は、それを思い出させてくれた。
俺の気が前向きになったのを察したのか、池田はこんな状況でも初球ストレートを選択する。
「(イカれてる)」
ホームランを打たれたら逆転。だのに、それを選ぶあれも頷く俺もどうかしている。
「トライィック」
内目を厳しく突いた141km/hのストレートに、戸沢が正気を疑うような目を向けてくる。
まぁそりゃそうだよな。強気すぎる配球だもんな。
そんな戸沢の眼をじっと見返してみると、向こうが少したじろいだような素振りを見せる。
打ち気が逸れたのならそれは好都合だ。
「(次はなんですか。…同じとこにカッターね)」
まるっきりゲッツー狙い。しかも同じところだから、残像が残っているだろうし手出ししやすい。
多分、一つ前のボールがヘロヘロだったらまた違ったのだろう。カッターという選択肢を取るのは、まだ球に力と変化量が残っているという証左でもある。
腕さえ振れれば、押し切れる。監督と池田の見立てを肯定し、あるいは肯定するため、足をあげボールを手放す。
木の砕ける音がする。土を叩き、速く低く走るボールは、佐多の正面を突いた。
佐多はボールを掬い上げると、スナップスローでピボットマンの田島へ送り、田島はそのボールをファーストのアダメスへと転送する。
綺麗なまでの、6-4-3のダブルプレー。
一塁塁審が拳を強く振り下ろし、それを見たアダメスが両手を上げマウンドへ向かってくる。
その光景とほぼ同時に、誰かの腕が俺の肩にかかり、どんどんとグラウンドの真ん中に人が集まってくる。
文字通りの歓喜の輪。
2026年、日本一の栄冠は我々京央ネイビークロウズの頭上に戴かれた。




