第3話
「……召喚?」
聞き返すと、目の前の老人は何度も頷いた。正確には頭らしき部分が数ドット上下しただけだが、さすがにもうその程度では迷わない。たぶん頷いている。
「はい。間違いありません。そのお姿……異界よりお呼びした勇者様でございます」
「勇者」
今度はそっちの単語が引っかかった。
老人はオルドと名乗った。王城に仕える宮廷魔術師らしい。長いローブに曲がった杖、白い髭。俺の知っている宮廷魔術師像をそのまま荒いドット絵にしたような見た目だった。
「本日、我々は王城の召喚陣にて異界の勇者を招く儀式を行いました。しかし儀式が成功したにもかかわらず、召喚陣には誰も現れず……城の周辺を捜索していたのです」
「それで俺を見つけたと」
「はい」
話だけ聞けば筋は通る。少なくとも、何の説明もなく平原に放り出されていた状態よりはずっとましだ。
ただし疑問は増えた。
「いやちょっと待って。召喚って、あんたらが俺をこっちに引っ張ってきたってこと?」
「その認識で相違ありません」
「じゃあ俺が車にはねられたのも?」
オルドの頭がぴたりと止まった。
「……くるま?」
「いや……そりゃそうか」
当然だった。この世界に軽自動車が走っているとは思えない。俺は事故に遭ったことだけ簡単に説明した。オルドは途中から完全に理解を諦めた顔——たぶん——になっていたが、最後まで黙って聞いていた。
「少なくとも、我らの儀式に対象の命を奪う効果はございません。異界における事故については……申し訳ありませんが、私にも分かりかねます」
「じゃあ逆走してきた軽自動車は普通に別件かよ……」
人生の最期が急にただの理不尽な交通事故へ戻った。
まあいい。いや、よくはないけど、今ここで考えても答えは出ない。
「とりあえず中へ参りましょう。陛下がお待ちです」
オルドが門番へ向き直る。
「この御方こそ、我らが召喚した異界の勇者様だ。門を開けよ」
門番がカクッとこちらを向いた。
「勇者様。お待ちしておりました。どうぞお通りください」
「セリフ切り替わるんだ」
さっきまで何を言っても「身分を証明せよ」しか返さなかったくせに、条件を満たした途端これである。
俺は門番の横を通り抜けた。何となく悔しかったので一度だけ振り返ってみる。
「止まれ。身分を証明せよ」
後ろから入ろうとしていた町人に言っていた。
「俺専用じゃなかったんだな、その台詞」
城門を抜けると、目の前に王城がそびえていた。
平原から見た時よりずっと大きい。町と同じで、外から見た縮尺はまるで当てにならないらしい。石造りの壁も塔も全部ドット絵なのに、近くで見ると妙な圧迫感がある。触れば冷たい石の感触までした。
オルドの後について城内へ入る。
廊下には鎧を着た兵士が一定間隔で立っていた。俺が横を通るたび、全員ほぼ同じタイミングでカクッと顔だけこちらへ向ける。
「……そんなに俺が珍しいのか?」
「無理もございません。勇者様は我々とは随分と異なるお姿をしておりますので」
「やっぱり、そっちから見ても俺がおかしいのか」
「おかしい、と申しますか……非常に細かいですな」
「人の姿に対する評価じゃないだろ」
どうやらさっき町で会った親子だけの感想ではなかったらしい。
階段を上がり、長い廊下をいくつか曲がる。ここでも斜めには歩けないので、角を曲がるたびに直角だった。城の中まで4方向移動から逃げられない。
やがて大きな両開きの扉の前へ着いた。左右に立つ兵士が同時に扉を開く。その向こうに赤い絨毯が伸びていた。
とても広い部屋だった。
赤い絨毯。石造りらしき柱。左右に並ぶ兵士たち。その一番奥には豪華そうな玉座があり、王冠らしきものを頭に載せた人物が座っている。
見覚えがある。というより、ここから先はすでに一度話した。俺が玉座の前まで進むと、王様らしき人物が立ち上がった。頭っぽい部分が数ドット下へ動く。
そして、
「どうか魔王トレロスを倒し、世界を救ってほしい」
◇ ◇ ◇
ようやく話が冒頭まで戻ってきた。同時に、どこからともなく低い音が鳴った。
ズォォン……
さっきまで静かだった部屋に、いかにも「今から重要な話をします」と言わんばかりの不穏な旋律が流れ始める。
「……今の何?」
誰も反応しない。王もオルドも兵士も真顔——たぶん真顔——のままだ。
「いや絶対なんか鳴っただろ」
「勇者殿?」
「何でもないです」
この世界、BGMまで住人には聞こえていない可能性が出てきた。怖いから今は考えないことにする。
その前に、もう一つ聞いておきたいことがあった。
「俺を召喚したって話は分かりました。じゃあ何で俺、城じゃなくて平原にいたんですか?」
オルドが固まった。今度はドット絵でも分かるくらい露骨だった。
「それは……術式の座標指定に、わずかな誤差が生じまして」
「わずかな誤差?」
「はい」
オルドは申し訳なさそうに頭を下げた。
「一マスです」
「…………」
一マス。
少し前に町へ入った瞬間、縮尺が変わった光景を思い出す。外から見れば数軒だった町が、中へ入れば普通に何本も道がある広さだった。あの世界で言う一マスが、俺の知っている一メートル四方だと思ってはいけない。
そして実際、俺は城が見えている平原からここまで結構な距離を歩かされた。斜めに歩けないせいで余計に。
「一マスがデケェよ!」
謁見の間に俺の声が響いた。
「申し訳ございません。ただ世界地図上では本当にそうなっておりまして……」
「歩く側の事情も考えてくれよ!」
呼ぶならせめて城壁の内側にしてほしかった。というか本来はそうする予定だったらしい。
王は気まずそうに黙っていた。オルドはさらに小さくなっている。ドット数は変わっていないはずなのに、そう見えた。
王は改めて玉座へ腰を下ろした。
「突然このような願いを申し上げる非礼は承知している。されど我らには、もはや異界の勇者に頼るほかない」
「いや、そこなんですけど」
俺は片手を上げた。
「なんで俺なんですか。俺、剣なんて握ったことないですよ。さっきスライム一匹に素手で殴り合いさせられた大学生なんですけど」
王とオルドが一瞬黙った。
「……スライムを、素手で?」
「そこ食いつくところ?」
どうやら普通は素手で戦うものではないらしい。先に言ってほしかった。
王が咳払いらしき動きをした。
「勇者殿の武勇を見込んだわけではない。必要なのは、異界の者であるということなのだ」
「異世界人なら誰でもいいってこと?」
「言い方を選ぶなら……そうなる」
「選んでそれかよ」
王の説明によれば、魔王トレロスの城は強力な結界に覆われているらしい。王国の騎士や魔術師が何度挑んでも結界を越えられず、攻撃を届かせることすらできない。
その結界を解く鍵になるのが、世界各地に存在する三つの「聖印」だという。
「古い記録には、三つの聖印は異界より来たりし勇者によってのみ力を解放されると記されている」
「ずいぶんピンポイントな説明書が残ってるんだな……」
「せつめいしょ?」
「こっちの話です」
つまり、この世界の人間だけでは魔王のところまで辿り着けない。だから外から人間を呼んだ。理屈は分かった。納得はできんが。
「で、その三つを集めて結界を消せば、魔王のところに行ける?」
「その通りだ」
「倒せる保証は?」
「ない」
「そこは正直なんだな」
むしろ、「勇者なら必ず勝てる」とか言われて持ち上げられるよりは信用できる気はした。
それでも一番聞きたいことが残っている。
「俺、元の世界に帰れるんですか?」
今度の沈黙は少し長かった。答えたのはオルドだった。
「……現時点では、確実な帰還方法は確認されておりません」
予想はしていた。
でも実際に言われると重い。
「召喚はできるのに?」
「異界へ道を伸ばし、こちらへ引き寄せる儀式は古文書に残されておりました。しかし逆方向の儀式は……」
「片道切符かよ」
しかも俺の場合、元の世界ではたぶん死んでいる。戻れたとして何が起きるのかも分からない。病院のベッドで目覚めるのか。事故の直前に戻るのか。それとも死体へ戻るのか。
最後だけは絶対に嫌だ。
王が深く頭を下げた。今度はさすがに分かった。これは間違いなく頭を下げている。
「我らの都合でそなたをこの世界へ招いたことは事実だ。帰還の方法についても引き続き調べさせる。無理に今すぐ答えを出せとは言わぬ」
思っていたより話の通じる王様だった。もっと「勇者よ、行け!」で全責任を押しつけられるものだと思っていた。ゲームの王様に対する偏見かもしれない。
「……分かりました。とりあえず話は分かりました」
引き受けるとはまだ言わない。
ただ、帰る方法が分からない以上、この世界について知る必要はある。魔王とやらが本当に世界を滅ぼそうとしているなら無関係でもいられない。
王が頷いた。
「まずは身体を休めるがよい。その前に、旅立ちの支度品を渡しておこう」
王が側近へ合図する。すぐに差し出されたのは、小さな革袋と一本の木の棒だった。
「…………」
革袋を受け取る。軽い。振ると、ちゃり、と頼りない音がした。次に木の棒を見る。長さは俺の腕より少し長い程度。刃はない。先端に宝石もない。どう見ても、よく削った棒だ。
「……これ、何です?」
「支度金として百二十ゴールド。それと旅人用の杖だ」
「世界救ってくれって頼んだ相手に、はした金と棒切れ渡す王様って本当にいるんだ……」
「いや、それだけで魔王へ向かえという意味ではないぞ」
王が妙に早く付け足した。
「装備は後ほど改めて用意させる」
「そこはちゃんとしてるんだ」
危うく偏見が確信に変わるところだった。
王は何事もなかったように話を戻す。
「それと、そなた一人を危険な旅へ出すつもりもない」
「というと?」
「この世界の案内役を兼ね、旅に同行する者を一人つける」
嫌な予感ではない。ただゲームをやってきた人間として、次に何が起きるかは何となく分かった。
王が側近へ合図する。
玉座の横にある扉がゆっくり開いた。
「いや待って。俺まだ勇者やるって言ってないんだけど」
誰も気にとめなかった。




