第2話
右、前、右、前……
さっきからずっとこれの繰り返しだった。城は見えている。少しずつ近づいてもいる。それなのに斜めへ進めないせいで、まっすぐならすぐ着きそうな距離を階段みたいに歩かされていた。
「……地味に腹立つな」
右へ進む。城の方へ進む。また右へ進む。念のため斜めへ一歩踏み出してみた。
ゴッ
「はい。知ってた」
何かの拍子に通れるようになっていないかと期待した俺が馬鹿だった。
鼻をさすりながら元の進路へ戻る。しばらく進むと今度は道の真ん中に灰色の岩が現れた。高さは膝くらい。横幅も大したことはない。見た目だけなら軽く跨げる。
「これはさすがに行けるだろ」
岩の前まで行って片足を持ち上げる。足は上がった。岩の上にも乗せられる。そのまま身体を前へ運ぼうとした瞬間。
ゴッ
「いってぇ!」
胸の辺りを見えない何かに押し返された。意味が分からずもう一度試す。足だけなら岩の向こうまで伸ばせる。手も届く。岩そのものにも触れられた。ざらついた普通の石だ。なのに俺の身体だけが先へ進まない。
「……嘘だろ」
横を見ると少し離れた場所に岩の切れ目がある。そちらへ回ってみると何事もなく通れた。俺は無言で岩を振り返った。知っている、こういうのはよく知っている。
昔のRPGにあるやつだ。見た目では越えられそうでも、障害物として置かれたマスには絶対に入れない。画面の向こうなら「まあゲームだし」で済む。でも実際に歩かされる側になると話が違う。
「この高さの岩くらい越えさせろよ!」
草原に声だけが虚しく響いた。仕方なく遠回りする。城へ着く前から体力より先に精神が削られていく。
そのまま何分か歩いた頃だった。一歩踏み出した瞬間に視界が白く弾けた。
「うわっ!?」
反射的に目を閉じる。
次に開いた時には景色が変わっていた。城がない。町も川もない。遠くに見えていた黒い城も消えている。代わりに目の前へ広がっていたのは、横に長い草原みたいな背景だった。その中央に青い塊が一つだけ置かれている。
「……どこだよ、ここ」
青い塊を見る。丸い。正確には丸く見えるように並べられたドットの集合体だ。下側が少し広がっていて、顔らしい場所には黒い点が二つある。見覚えがありすぎた。
「スライム……だよな?」
青い塊がぷるんと揺れた。可愛いと言えなくもない。ゲーム画面の中なら。だが目の前にいるこいつは俺の膝くらいまである。飛びつかれたら普通に嫌な大きさだった。
とりあえず距離を取ろうと一歩下がる。
動けない。
「……あれ?」
後ろも駄目。左右も駄目だった。今度は斜めだけではない。四方向すべてに身体を止められている。そこで気づいた。
風の音が消えている。鳥の声も聞こえない。代わりに妙に軽快な音楽が流れていた。
タン、タタタン、タン。
短い旋律が延々と繰り返されている。
「戦闘BGMまであるのかよ……」
辺りを見ても当然スピーカーなんてない。そして目の前にはスライム……なのだが。攻撃してこない。
ぷるん
俺は少し待った。
ぷるん
さらに待つ。やはり何もしてこない。
「……待ってる?」
試しにしゃがんでみた。スライムは動かない。立ち上がる。まだ動かない。十秒ほど考えるふりをしてみる。
ぷるん
「こいつ律儀かよ」
ここまで来れば思い当たるものは一つしかない。ターン制だ。
俺が行動を決めるまで敵も動かない。昔のコマンドRPGなら当たり前の仕組みだが、実際に目の前でやられると妙な気分になる。命のやり取りをしているはずなのに、俺が行動しない間だけ全部が保留されている。
「で、どうしろってんだ」
武器はない。
当たり前だ。ついさっきまで大学生だった人間が剣なんて持っているわけがない。足元を見る。石ころすら落ちていない。
「こういう時だけ綺麗に片付いてんなよ」
仕方なく拳を握った。殴る、そう決めた瞬間だった。身体が勝手に前へ出た。
「えっ」
自分で踏み込んだ感覚はある。だが動きが妙に決まりすぎている。俺はまっすぐスライムの前まで進み、その柔らかそうな身体を殴った。
ぶにっ
嫌な感触が拳へ返ってくる。
「うわキモっ!」
手を引いた次の瞬間、身体は元いた場所まで戻っていた。
「そこも戻るんだ……」
感心している暇はなかった。スライムが跳ねる。さっきまでの呑気な上下運動とは違う。青い塊が一気にこちらへ飛んできた。
「ちょっ——」
避けようとしても足が動かない。体当たりが腹に入った。
「ぐっ……!」
鈍い衝撃に身体が折れる。
痛い。
見た目はドット絵でも、痛みまでゲームにはなってくれないらしい。スライムは何事もなかったように元の位置へ戻った。またぷるんと揺れる。
「……本当に一回ずつなんだな」
腹を押さえながら考える。敵は待つ。なら焦る必要はない。問題は素手で何回殴れば倒せるかだ。
「最初の敵なら数発だろ、多分」
自分で言っておいて最後の二文字が少し不安だった。もう一度殴る。
ぶにっ
体当たり、殴る、体当たり。三度目の拳を叩き込んだところでスライムの身体が大きく潰れた。青い粒になって散り、そのまま跡形もなく消える。
「……やったか?」
直後、
チャラララッ
やけに景気のいい音が鳴った。
「うるさっ」
同時に手のひらへ何かが落ちてくる。小さな金色の硬貨が数枚。俺は黙って硬貨を見る。次にスライムがいた場所を見る。何もない。もう一度硬貨を見る。
「お前のどこに金入ってたんだよ」
財布どころかポケットすらなかっただろ。
視界がまた白く瞬き、次の瞬間には元の草原へ戻っていた。
城がある。町もある。風の音も鳥の声も戻ってきた。腹だけはまだ痛い。手の中には硬貨も残っている。
「……夢じゃないな」
残念ながら現実らしい。
硬貨を一枚つまんでみる。表面には知らない紋章が刻まれていた。ただしドットが粗すぎて細かい図柄までは分からない。
「使えるかどうかは町で聞くか……」
とりあえずポケットへ入れる。そして改めて城を見る。
「城に着くまでに何個仕様を踏ませる気だよ……」
まだ誰とも話していないのに、すでに結構疲れていた。それでも進むしかない。岩や低い柵を何度か迂回しながら歩き続ける。
やがて城の横に見えていた町が目の前まで近づいてきた。外から見た町は小さい。家が数軒ある程度で、町というより村に近く見える。城へ行くにはその中を抜けるらしい。
入口らしき場所へ一歩踏み込んだ。ふっと視界が揺れた。
「……ん?」
目の前に大通りが伸びていた。左右には店らしき建物。その奥にも細い道が続いている。人影もかなり多い。遠くには噴水まで見えた。
俺は足を止める。
「いや待て」
振り返る。入口の向こうにはさっきまで歩いていた草原がある。
一歩だけ外へ出てみた。視界が切り替わる。
町はまた数軒の小さな塊に戻っていた。もう一度入る。大通り。
「いや縮尺!」
それ以上の検証はやめた。何度も出入りすると頭がおかしくなりそうだ。フィールドでは町全体を小さくまとめ、中へ入ると本来の広さになる。ゲームでは見慣れた表現だ。
だけど現実の空間でやるな。変な酔い方するから。
「色々と信用できねえ……」
ぼやきながら大通りへ進む。
そこで初めて周囲から向けられている視線に気づいた。町の人たちが俺を見ている。正確には顔らしき部分をこちらへ向けていた。
間近で見るドット絵の人間は、遠くから見るよりさらに妙だった。目は黒い点が二つ。鼻はあるのか分からない。口も一本の線にしか見えない。それでも男か女か。大人か子供か。そのくらいは不思議と分かる。
歩き方も独特だった。右足らしきものが前に出た姿。次に左足らしきものが前に出た姿。ほぼ二枚の絵を交互に切り替えながら歩いている。
「本当にそれで歩けるんだ……」
思わず呟く。近くにいた子供らしき人物が足を止めた。カクッと身体ごと九十度こちらを向く。
「お母さん。あの人、顔が細かい」
「見るんじゃありません」
母親らしき人物が子供の身体を反対へ向けた。
「俺が変なのかよ」
思わず自分の顔を触る。鼻も眉毛もある。頬には凹凸もある。地球ならどこにでもいる普通の顔だ。この世界では俺の方が奇妙らしい。
急に居心地が悪くなった。
「見世物じゃないんだけど……」
小声でぼやきながら城へ向かう。町の奥まで進むと大きな城門が見えてきた。門の前には兵士が二人立っている。
……同じ顔で。
鎧も兜も同じ。髭らしき黒い点の位置まで同じだった。
「双子?」
俺が近づくと二人が同時にこちらを向く。カクッ。動きまで同じだ。たぶん双子ではない。門を通ろうとすると右側の兵士が一歩前へ出た。
「止まれ。身分を証明せよ」
「身分?」
あるわけがない。学生証が残っていたとしても、この世界で通用するとは思えない。
「俺も自分が何でここにいるのか聞きに来たんだけど。王様とか偉い人に会えない?」
兵士は少し間を置いた。
「止まれ。身分を証明せよ」
「……聞こえてた?」
「止まれ。身分を証明せよ」
「俺、たぶん異世界人なんだけど」
「止まれ。身分を証明せよ」
「会話する気ないだろ!」
もう一人にも視線を向ける。
「止まれ。身分を証明せよ」
「お前もかよ」
完全に同じだった。さっきの親子は普通に会話していた。住人全員がこういうわけではないらしい。となると、この門番だけ何か条件を満たすまで同じことしか言えない可能性がある。
嫌なほどゲームっぽい。
「身分を証明しろって言われてもな……」
ポケットにあるのはスライムから出てきた硬貨だけだ。試しに一枚見せてみる。
「止まれ。身分を証明せよ」
「金じゃ駄目か」
まあ駄目だろう。
門の横には低い柵が続いている。さっきの岩で学んだ。たぶん越えられない。一応手を掛けてみる。やはり身体は向こう側へ進まなかった。
「抜け道まで潰してある……」
完全に手詰まりだ。町の人に聞くか。別の入口を探すか。そう考えた時、城門の向こうが急に騒がしくなった。
数人の兵士がこちらへ走ってくる。その中央には長いローブを着た人物がいた。老人だと思う。顎から白い髭らしきものが数ドット伸びている。手には先端の曲がった杖。
その老人は俺を見た瞬間に足を止めた。黒い点のような目がこちらを見つめる。
「……その姿」
小さく呟いた。
次の瞬間には明らかに慌てた様子で門まで駆けてくる。
「もしや、あなたは——」
俺の全身を上から下まで確かめる。
「異界より召喚された御方ではありませんか?」
「……召喚?」
ようやく出てきた。俺がここにいる理由へつながりそうな言葉だった。




