第1話
「どうか魔王トレロスを倒し、世界を救ってほしい」
そう言って王冠らしきものを頭に載せた、人間っぽい何かが身体を動かした。たぶん頭を下げたのだと思う。
そう言い切れないのは俺が無礼だからでも、礼儀作法に疎いからでもない。頭っぽい部分が数ドット分だけ下へ動いたので、そう判断しただけだ。
こんな回りくどい言い方になるのを許してほしい。目の前の王様らしき人物も、左右に並ぶ兵士たちも、赤い絨毯も、石造りらしき柱も、豪華そうな玉座も——何もかもが、カクカクした2Dのドット絵なのだから。
◇ ◇ ◇
ここに至るまでの経緯を少し話させてほしい。俺、轟蓮とどろき れんは大学生だった。二十二歳、今年でめでたく三回目の大学二年生。原因は分かっている。ゲームだ。
FPSに格闘ゲーム、アクション、RPG、シミュレーション、果てにはギャルゲーまで、面白そうならジャンルを問わず何でも手を出した。日が昇る頃に眠る。大学の講義は平気で寝坊するくせに、ゲームの発売日だけは目覚ましが鳴る五分前に自然と目が覚める——そんなゲーム漬けの毎日を送っていた。
おかげで有名どころはあらかた遊び尽くしてしまった。最近では新作を追うだけでは物足りなくなって、古いゲームハードにまで手を出すようになっていた。
昔のゲームには昔のゲームなりの面白さがある。不親切で説明不足。妙に難易度が高い。今なら絶対に通らないような仕様が平気でまかり通っている。それなのに遊んでいると妙に面白い。「なんでこうなるんだよ」と文句を言いながら遊ぶ過程ごと好きだった。
その日も行きつけの中古ショップで古いゲームカセットの棚を漁っていた。新品コーナーとは違い、その一角だけ妙に色がくすんでいる。日焼けして文字の薄れた箱、何度貼り替えたか分からない値札、誰が買うんだと言いたくなる周辺機器。棚の奥には裸のカセットが雑に並んでいる。俺にとってはちょっとした宝探しの場所だった。
有名作はだいたい把握している。だから最近はむしろ見たことのないタイトルを探す方が楽しい。そんな中、一本のカセットが目に留まった。
『グランド・アドベンチャー』
ラベルには古めかしい剣を構えた男らしき人物と、その正面に立つ魔王めいた黒い影。背後には城。ものすごく王道——というか、どこかで見たような構図だ。
「……ドラ〇エ1みたいだな」
思わず小声で呟いた。タイトルもタイトルで、今なら企画会議の段階で「もう少し考えろ」と言われそうな名前だ。聞いたことのないタイトルだった。そこそこレトロゲームを漁るようになってからは名前くらい知っている作品も増えていたが、これは完全に初見だ。こういう時は検索が早い。スマホを取り出し、『グランド・アドベンチャー ゲーム』と打ち込む。
出てこない。
出てくるのは旅行会社やアウトドア用品ばかりでまるで関係ない。カタカナを変えてみる。発売機種らしきハード名も足してみる。それでも見つからない。
「なんだこれ」
今どき、発売されたゲームがネット上に一切情報を残していないなんてことがあるのだろうか。自主制作ならまだ分かる。だが見た限り、ラベルはちゃんとしたメーカー製品の作りをしている。コピー品にも見えない。裏返してみても、特に変わったところはない。
ますます気になる。こういう正体不明のものを見ると欲しくなってしまうのが、俺の悪い癖だった。
だいぶダサいタイトルだとは思う。だが逆に、こういう無名のゲームこそ掘り出し物かもしれない。誰にも知られていない名作を見つけられたら、ちょっとした自慢になる。そんな期待を抱きながらレジへ持っていった。表示された金額は2,999円。
「……」
一瞬戻そうかと思った。無名の古いカセットにしては微妙に高い。しかも3,000円でも2,980円でもない。2,999円。なんだその1円は。ちょっとアメリカンな値付けをするんじゃない。店員に理由を聞こうかとも思ったが、やめた。聞いたところでどうにもならない。
「お願いします」
結局買った。興味には勝てなかった。
レジ袋にカセットを入れてもらって店を出た。外はまだ明るかった。
家に帰ったらとりあえず起動確認だ。説明書がないから手探りで進めることになるだろう。もし本当にネットに情報がないなら、自力で最後まで攻略するのも面白そうだ。なんだかんだ結構楽しみにしていた。
その時だった。ガサッ、と嫌な音がした。
「ん?」
手にしていた袋が急に軽くなる。見ると、底が抜けていた。買ったばかりのカセットが地面で一度跳ねて、そのまま車道へ転がっていく。
「あっ!」
考えるより先に身体が動いていた。カセット一個のために車道へ飛び出す。今思えばどう考えても判断がおかしい。たかが三千円弱だ。命を張る額じゃない。せめて左右くらい確認すべきだった。だがその時の俺は完全にカセットしか見えていなかった。道路へ一歩出る。しゃがむ。カセットへ手を伸ばす。
その瞬間、視界の端に何かが飛び込んできた。
軽自動車だった。しかも逆走。
「は?」
それが最期に発した言葉だったと思う。避ける余裕なんてなかった。とんでもない速度で俺めがけて突っ込んでくる。俺がオービスだったら太陽くらい光っていたと思う。衝撃とともに身体が浮く。空と地面が何度か入れ替わって何かにぶつかる。路肩まで吹っ飛ばされた俺の横をその軽自動車はそのまま走り去っていった。
おい止まれよ。そう言いたかったが、声が出なかった。人が駆け寄ってくる。誰かが何かを叫んでいる。救急車だとか、聞こえますかだとか、そんな言葉だった気がする。でも音がどんどん遠くなる。視界も狭くなっていく。
死ぬ、たぶん死ぬ。
そう理解しているはずなのに不思議と現実感が薄かった。代わりに頭をよぎったのはこれまで遊んできたゲームのことばかりだった。
初めて買ってもらったゲーム、徹夜でクリアしたRPG、友達と何時間も遊んだ対戦ゲーム、何万円も課金して後悔したゲーム、何十回告白しても振られたギャルゲーのヒロイン……人生の走馬灯としてはいくらなんでも偏りすぎている。もっと家族とか友達とかあるだろう、と自分でも思った。
そして最後にあのカセットのことを思い出した。まだ一回も起動していない。タイトル画面すら見ていない。せっかく三千円近く払ったのに。
「(……せめて、あのゲームだけは遊びたかったなぁ……)」
かなり呑気だった。死の実感がようやく追いついてくる頃には、もう視界にはほとんど何も映っていなかった。音も消えた。意識も途切れた。
……
…………
………………
なんか明るいぞ……?
最初にそう思った。瞼越しに光を感じる。死んだはずなのに。少なくとも車に正面から突っ込まれたことは覚えている。あれで生きているはずがない。
じゃあここは何だ。病院か。いや、病院にしては聞こえる音がおかしい。鳥のさえずりが聞こえる。川のせせらぎも聞こえる。風が草を揺らす音もする。
それから遠くの方から妙に低い音が響いていた。
ズズズズズ……
目を閉じたまま、その心地よい環境音を聞いていた俺は、そこでふと止まった。……いや最後のはなんだ。気になる。というかここどこだ。
恐る恐る目を開けた。そして
「……は?」
素っ頓狂な声が出た。しばらく何も考えられなかった。空は青い。それ自体はいい。だがその空に浮かぶ雲がカクカクしていた。滑らかな輪郭がない。白い四角をいくつも並べて作ったような雲が、素知らぬ顔で空を流れている。太陽もおかしい。真四角に近い。直視しているのに目が痛くない。それなのに周囲は異様なくらい明るかった。
地面には草が生えている。一本一本に黒い縁取りがあり緑も数色で塗り分けられている。風が吹くたびに揺れるが滑らかには動かない。右、中央、左、中央、また右——同じ動きの繰り返しだ。
「なんだこれ……」
立ち上がる。少し離れた場所には城があった。豪華そうだ。たぶん。細かい装飾が全部潰れているので、本当に豪華なのかは分からない。その横には町らしきものも見える。家がいくつかと、塔みたいな建物と、道。さらにずっと遠く、地平線の向こうに真っ黒な城が立っていた。いや、立っているというより、地面から生えているように見えた。さっきから聞こえていた地響きのような音は、どうもあの方向からのようだ。
全体的に見ればファンタジー世界、と言えなくもない。問題は、全部荒いドット絵だということだった。
「……俺の目がおかしくなったのか?」
一度目を閉じる。強くこすって、もう一度開く。ドット。遠くを見ても近くを見ても、やっぱりドット。何も変わらない。まさかと思い自分の手を見る。
「……普通だ」
指が五本。爪は丸く、手のひらの線まで見える。腕も確認する。服も身体も普通だ。少なくとも俺自身は普通だった。逆にこの景色の中にいると、俺だけ妙に浮いて見える。
「あっちがおかしいのか、俺がおかしいのか……」
それ以前に事故の傷がない。あれだけ派手にはね飛ばされたのに、身体のどこにも痛みがなかった。頭を触る。血もない。骨も折れていない。服すら破れていない。どう考えてもおかしい。状況を整理したかったが、疑問が多すぎる。なぜ生きている、ここはどこだ、景色はなぜドット絵なんだ、あの黒い城は何だ、そもそも俺は本当に生きているのか——考え始めるときりがない。
そんな中でなぜか一番気になったのは足元だった。風に揺れているドット絵の草。しゃがみ込んで指で一本つまんでみる。
「……触れる」
感触は普通だった。柔らかく少し湿っている。引っ張ると抵抗がある。少し力を込めると根元からちぎれた。見た目だけなら完全にドット絵なのに、触った感じは本物の草だ。鼻へ近づけると青臭い匂いまでした。ますます意味が分からない。手の中で向きを変えてみる。正面から見れば、普通の草に見える。少し回す。さらに回す。真横——
「…………薄っ」
紙みたいだった。いや、触った感触は確かに草だ。だが横から見た厚みがほとんどない。角度を戻すとまた普通の幅に見える。再び横に向けると消えそうなくらい薄くなる。
「何これ怖っ」
背筋に寒気が走る。自然物として明らかにおかしい。
立体に見えるのに厚みがない。正面から見られることを前提に作られたような形——その瞬間、頭の中で一つの考えが浮かんだ。
「……ここ、ゲームの中なのか?」
荒唐無稽だ。普通なら真っ先に否定する。でも今の景色を説明する方法としては、むしろ一番まともに思えた。2Dのドット絵。正面から見れば形になる薄いオブジェクト。遠くにある城と町。さらに遠くの黒い城。そして俺はゲームを買った直後に死んだ。
「まさか……」
『グランド・アドベンチャー』
一瞬あのカセットが頭をよぎる。いや待て。俺はあのゲームを一回も起動していない。仮にゲームの中へ入るなんて馬鹿げたことが起きるにしても——いや、起きるわけがない。そもそもこの世界があのゲームだという証拠もない。
今は決めつけるべきじゃない。ただ、ゲームみたいな世界。それだけはかなり可能性が高そうだった。
「……とりあえず、人だな」
誰かに会いたい。話が通じる相手ならもう何でもいい。ここがどこなのか。俺がなぜここにいるのか。あのおどろおどろしい城は何なのか。聞きたいことはいくらでもある。幸い近くに城と町がある。
「あそこ行けば誰かいるだろ」
俺は城の方向を向いた。真正面ではなく右斜め前くらいの方向へ歩き出す。その瞬間、
ゴッ
「痛っ!」
顔に何かがぶつかった。思わず後ずさる。すると
ゴッ
「今度は背中!?」
慌てて前へ戻る。鼻を押さえながら周囲を見るが、壁もなければ木もない。目の前には何もない。ただ空間が広がっているだけだ。振り返っても同じ。
「……なんだ?」
恐る恐る手を伸ばす。何もない。腕は普通に斜め前へ伸びるし横へ振ることもできる。足だけなのか?試しに右斜め前へ一歩踏み出す。
ゴッ
進めない。左斜め後ろも試す。
ゴッ
「…………」
嫌な予感がした。ゲームの世界かもしれないという仮説。今の不可解な挙動。昔の2Dゲームのそれと、あまりに似ている。
「いや、まさかな」
念のため試す。まず草の正面が見える方向へ歩いてみる。進めた。一歩、二歩、普通に歩ける。元の場所へ引き返す。これも進める。左右も進める。最後に右斜め前。
ゴッ
「…………」
左斜め前、ゴッ
右斜め後ろ、ゴッ
左斜め後ろ、ゴッ
全部駄目だった。
俺はしばらく無言で立ち尽くして城を見た。位置は右斜め前。つまり右へ進んで前へ進む。また右へ進んで前へ進む——そうやって行かなければならない。目の前に目的地が見えているというのに。
「4方向にしか歩けねぇんだけど!!」
思わず叫んだ。鳥が一斉に飛び立つ。あいつらも真上に飛んだ後、文字通り四方に散っていった。誰に言っているのか自分でも分からない。
だがこれで疑惑は確信に変わった。2Dドット絵。4方向移動。どう見ても昔のRPGだ。少なくともそういうゲームの法則がこの世界には働いている。
「なんなんだよ、ほんとに……」
頭を抱える。だがここに突っ立っていても何も分からない。とにかくあの城へ行こう。人がいるなら話を聞けばいい。話が通じなかったら、その時考えよう。
俺は改めて城へ向かった。
右、前、右、前……
目の前に見えている城へ向けて、ものすごく効率の悪いジグザグ移動で。
「歩きたいように歩かせろよ……」
そんなことをぶつくさ言いながら。




