第4話
扉の向こうから、一人の人影が現れた。
最初に目へ入ったのは銀色の鎧だった。胸当てに肩当て、腰には剣。背中には青い短めのマント。兜はかぶっておらず、茶色っぽい髪が肩の辺りまで伸びている。
声を聞く前から、たぶん女だろうとは思った。ドットだから確証はないが。
その人物は玉座の前まで進むと片膝をついた。
「王国騎士団所属、アリアと申します」
やっぱり女だった。
アリアは立ち上がると、今度は俺の方へ身体ごと向き直った。カクッと九十度。もう見慣れた動きのはずなのに、鎧姿でやられると玩具みたいだった。
「勇者様の案内と護衛を仰せつかりました。以後、よろしくお願いいたします」
「いや、ちょっと待って」
俺は王を見る。
「さっきも言いましたけど、俺まだ魔王を倒しに行くって決めてませんよ」
「承知している」
王はあっさり頷いた。
「返答を急かすつもりはない。アリアには、そなたがこの世界で過ごす間の案内役を任せる。旅に出るか否かは、その後で決めればよい」
「あ、そういうこと」
そこはちゃんとしていた。さっき、おそらく端金の百二十ゴールドと棒切れを渡されたせいで少し揺らいだが、やっぱり話は通じる王様らしい。
「では改めまして」
アリアが小さく頭を下げる。
「よろしくお願いいたします、勇者様」
「その勇者様ってのやめてもらっていい?」
「では、なんとお呼びすれば?」
「轟蓮。轟が名字で、蓮が名前」
「トドロキ・レン……」
アリアが一度繰り返した。
「では、レン殿と」
「それでお願いします」
勇者様よりは百倍ましだ。
「ところでレン殿」
「はい」
「道中でスライムを素手で討伐されたと伺いました」
「情報回るの早くない?」
「オルド様から伺いました。武器も持たずに魔物へ立ち向かったと」
「立ち向かったというか、そうするしかなかっただけなんだけど」
ターン制に捕まって、殴る以外の選択肢がなかっただけだ。武勇伝みたいに広めないでほしい。
アリアの黒い点みたいな目が、俺の手にある旅人用の杖へ向いた。
「今は武器もございますね」
「これを武器に数えるならな」
俺は杖を持ち上げる。言ってしまえば棒切れだ。アリアは少し考えるように動きを止めた。
「旅人の杖は、扱いやすく壊れにくい武器です。スライム程度であれば十分に戦えます」
「棒切れの擁護が上手いな」
「棒切れではありません。旅人の杖です」
「名前変えただけだろ」
真顔で言っているのか冗談なのか、顔の情報量が足りなくて判別できない。
王が咳払いをした。
「詳しい話は明日改めてするとしよう。今日は召喚されたばかりだ。まずは休むがよい」
「そうします」
さすがに俺も疲れていた。身体より頭が。
今日一日で、死ぬわ、異世界に来るわ、景色はドット絵だわ、斜めに歩けないわ、スライムと殴り合うわ、魔王討伐を頼まれるわで、処理する情報が多すぎる。
アリアが俺へ一礼した。
「客室までご案内します」
「お願いします」
俺たちは玉座へ背を向けた。その瞬間だった。
チャララララッ
やけに明るい音が謁見の間に鳴り響いた。
「うわっ!」
反射的に振り返る。王は普通に座っている。オルドも兵士たちも何事もなかったように立っていた。アリアだけが俺の声に反応して剣の柄へ手を掛ける。
「どうされました?」
「今、音鳴らなかった?」
「音?」
「なんかこう、チャララララッて」
「……聞こえませんでしたが」
「また俺だけかよ」
戦闘BGMの時と同じだ。となると、今の妙に明るい音にも心当たりがある。
俺はアリアを見る。
「たぶん今、あなたが仲間になった」
「はい?」
「いや、こっちの話」
説明しても余計にややこしくなる気がした。
俺たちは謁見の間を出た。アリアが先に廊下へ出て、こちらを振り返る。
「客室はこちらです。私についてきてください」
「了解」
アリアが歩き出す。俺もその後ろへ続こうと一歩踏み出した。
フッ
「……ん?」
目の前にいたはずのアリアが消えた。いや、消えてはいない。振り返る。一歩後ろにいた。
「…………」
アリアも黙っていた。
「今、前にいたよね?」
「……はい」
「なんで後ろにいるの?」
「私にも分かりません」
お互いにしばらく止まる。俺はアリアとの位置関係を見直した。俺は試しに右へ一歩動いた。アリアが俺のいた場所へ一歩動く。さらに前へ一歩。アリアも一歩。左へ二歩。アリアも、俺がさっき通った場所を正確になぞって二歩。
「…………」
完全に見覚えがあった。仲間が主人公の後ろをついてくる、あの移動だ。
「……隊列固定かよ」
俺は一歩後ろに収まったアリアを振り返った。
「アリアさん、ちょっと俺の前に出てみて」
「分かりました」
アリアが横へ回り込もうとする。一歩、二歩。俺の横までは来られた。そこから前へ出ようとした瞬間。
ゴッ
「痛っ」
アリアの身体が見えない何かにぶつかった。
「お前もそれ食らうんだ!」
「な、何ですかこれは!?」
鼻の辺りを押さえながらアリアが後ずさる。この世界の住人が見えない壁に驚いている。初めて仲間ができたというのに、妙なところで安心した。おかしいものはこいつらにとってもおかしいらしい。
「もう一回やってみて」
「嫌です」
「即答」
当然か。
俺は今度はアリアの横へ移動しようとした。一歩右。アリアも一歩右。もう一歩右。アリアも同じようについてくる。
距離が縮まらない。
「俺から近づくのも駄目か」
「どういうことなのです?」
「たぶんさっきの音が鳴った時点で、俺とアリアさんが同じ一行として扱われたんだと思う」
「同じ一行?」
「一緒に旅する仲間として登録された、みたいな」
「登録……?」
「うん。俺も言ってて意味分かんない」
説明すればするほど怪しくなる。ただ、現象そのものは分かりやすい。俺が先頭。アリアがその一歩後ろ。
広い廊下だろうが何だろうが、移動を始めると勝手に一列になる。
「案内役が後ろ固定ってどうすんだよ」
「……次の角を右です」
「口頭案内になった」
仕方なく俺が先頭で歩く。右、前、前、左。アリアが一歩遅れて、俺の通った道を寸分違わずついてくる。
途中でわざと一マス分だけ横へ寄ってみる。アリアも同じところへ寄る。
「やっぱりついてくる……」
「遊ばないでください」
「確認だよ」
「三回目ですよ」
思ったより冷静に突っ込んでくる。門番みたいに同じ台詞しか言わない相手ではなさそうで、気が少し楽になった。
しばらく歩くと、アリアが後ろから声をかけてきた。
「レン殿は、元の世界でもこのような現象をご存じなのですか?」
「現象としては知らない。ゲームなら知ってる」
「げーむ?」
そういえばオルドにも通じなかった。
「遊び……というか、画面の中の人を動かして冒険するもの」
「画面の中?」
「説明難しいな」
俺は歩きながら頭を掻いた。
「とにかく、俺の世界には、ここと似た仕組みの遊びがあるんだよ。四方向にしか動けなかったり、敵と一回ずつ攻撃し合ったり、仲間が一列で後ろをついてきたり」
後ろから足音が止まった。俺も止まる。振り返ると、アリアが一歩後ろでこちらを見ていた。
「……私たちの世界が、レン殿の世界では遊びになっているのですか?」
「いや、そういう意味じゃない」
思ったより怖い受け取られ方をした。
「俺が知ってるゲームってのと、ここの仕組みが似てるってだけ。この世界自体は全く知らない」
「そうですか」
アリアは少し間を置いてから歩き出した。顔は相変わらずよく分からない。でも声は少しだけ安心したように聞こえた。
「ちなみに、俺が来る前に『グランド・アドベンチャー』って言葉を聞いたことある?」
「ぐらんど……?」
「ないならいい」
やっぱりそれだけで答えが出るほど簡単ではないらしい。
やがて客室の前へ着いた。城の一室だけあって、扉は大きい。
アリアが後ろから言う。
「こちらです」
「最後まで後ろから案内するんだな」
「前へ出られませんので」
「そうでした」
扉を開ける。中にはベッドと机、椅子、それに小さな窓があった。全部ドット絵だが、町で見た家よりはかなり立派だ。
机の上には水差しとパン、それから湯気の立つスープが置かれている。
「食事まである」
「必要なものがあればお申し付けください」
「いやいや、大変十分です」
百二十ゴールドと棒を渡して放り出されなくて安心した。
アリアは扉の外で一礼した。
「私は隣室におります。何かあればお呼びください。明日の朝、装備の受け取りと王都の案内をいたします」
「分かりました」
「それから」
アリアが少しだけ言葉を止めた。
「陛下も申しておりましたが、魔王討伐について今日中に答えを出す必要はありません」
「……うん」
「召喚されたその日に世界を救えと言われて、すぐ決められる者の方が珍しいと思います」
「この世界にもそういう感覚あるんだ」
「ございます」
少しだけ笑ったような声だった。表情は分からない。本当に不便な顔だ。
「では、お休みなさい。レン殿」
「おやすみ」
アリアが扉を閉める。
部屋に一人になった。静かだった。
さっきまでツッコむことが多すぎて考える暇がなかったが、ようやく全部が一度に戻ってくる。
俺は死んだ、多分。元の世界へ帰る方法は分からない。この世界には魔王がいて、この世界の人間だけではどうにもならないらしい。
ベッドの端へ腰を下ろす。柔らかい。見た目は数色の四角い塊なのに、ちゃんと布と羽毛の感触がした。
「……本当に何なんだよ、ここ」
答える声はない。窓の外を見る。空が夕焼けに変わっていた。赤と橙の四角い色が何段かに分かれて、地平線まで広がっている。
綺麗かどうかと聞かれると、よく分からない。少なくとも解像度は低い。俺は机の上へ百二十ゴールドの入った革袋と旅人の杖を置いた。
ちゃり
ごとっ
「……勇者の初期装備としては不安しかないな」
それでも、さっきまでとは一つだけ違う。明日からは、後ろに一人いる。正確には一マス後ろか?
「ほんと不安だ……」




