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第6話 逆襲のかまって旦那

第6話 逆襲のかまって旦那


 土曜日の朝だった。


 夏の陽射しが眩しい。


 青空には雲ひとつなく、蝉が全力で鳴いている。


 健太は朝早くから車を走らせていた。


 目的地は遥の実家だった。


 ハンドルを握る手にじっとり汗が滲む。


「何て言えばいいんだろう……」


 信号待ちで呟く。


 謝る。


 もちろん謝る。


 でも。


 それだけで許される気がしなかった。


 誕生日を忘れた。


 寂しい思いもさせた。


 そのくせ今になって自分が寂しくなったから迎えに行く。


 ずいぶん勝手な話だ。


 車は住宅街へ入った。


 遥の実家は白い二階建ての家だった。


 玄関前に車を停める。


 深呼吸。


 チャイムを押した。


 ピンポーン。


 出てきたのは遥の母だった。


「あら健太くん」


「こんにちは」


「遥なら二階よ」


 母は苦笑していた。


「ずいぶん落ち込んでるみたい」


 健太の胸が痛む。


 二階へ上がる。


 ドアをノックした。


「遥」


 返事がない。


「遥」


「……なに」


 小さな声。


「入るぞ」


 部屋には遥がいた。


 大きなTシャツにハーフパンツ。


 ベッドの上でぬいぐるみを抱えている。


 少し痩せたように見えた。


 健太は胸が締めつけられた。


「元気?」


「元気」


「嘘だろ」


「嘘じゃない」


 遥は目を合わせない。


 健太は頭を下げた。


「ごめん」


 沈黙。


「本当にごめん」


 さらに頭を下げる。


「誕生日も」


「うん」


「今までのことも」


「うん」


「全部」


 遥はしばらく黙っていた。


 窓の外では蝉が鳴いている。


 遠くで風鈴も鳴っていた。


 やがて。


「遅い」


 遥がぽつりと言った。


「うん」


「すごく遅い」


「うん」


「馬鹿」


「うん」


「大馬鹿」


「うん」


 健太は何度も頷いた。


 遥の目から涙がこぼれた。


「ほんとに馬鹿」


 そして。


 久しぶりに笑った。


 その日の夕方。


 二人は家へ帰った。


 リビングへ入った瞬間。


 遥は立ち止まる。


「え?」


 テーブルの上には苺のショートケーキ。


 花束。


 それから小さな箱。


「誕生日……やり直し」


 健太が照れくさそうに言う。


 遥は思わず吹き出した。


「今さら?」


「今さら」


「一か月近く経ってる」


「知ってる」


「馬鹿じゃないの」


「知ってる」


 二人は笑った。


 久しぶりだった。


 こんな風に笑うのは。


 それから。


 健太は決意した。


 もう遥を寂しくさせない。


 絶対に。


 その結果。


 三日後。


「遥!」


「なに?」


「見て!」


「なに?」


「猫の動画!」


 スマホを差し出す。


 遥はキーボードを打ちながら顔を上げた。


 現在、在宅でイラストの仕事をしている最中だった。


「あとで」


「今見て」


「締切」


「三十秒だけ」


「健太」


「可愛いから」


 遥は動画を見る。


 猫が箱から落ちた。


「可愛いね」


「だろ!」


 健太は満足そうだった。


 翌日。


「遥」


「なに?」


「昼ご飯どうする?」


「まだ十時」


「でも考えよう」


「早い」


「ラーメン?」


「仕事中」


「冷やし中華?」


「仕事中」


「そうめん?」


「仕事中!」


 遥は思わず笑った。


 なんだこれ。


 以前の自分みたいだ。


 さらに翌日。


 午後三時。


 遥は集中してイラストを描いていた。


 夏祭りのポスター。


 締切は明日。


 そこへ健太が現れる。


「遥」


「なに」


「コーヒー淹れた」


「ありがとう」


「飲む?」


「飲む」


「美味しいよ」


「ありがとう」


「感想は?」


「まだ飲んでない」


「そうだった」


 遥は吹き出した。


 コーヒーの香りが部屋に広がる。


 深煎りの苦味。


 少し甘いミルク。


 確かに美味しかった。


 しかし。


 一週間後。


 異変が起きる。


 昼。


 遥はオンライン会議中だった。


「では修正案ですが――」


 その時。


 ドアが開く。


 健太が顔を出した。


「遥」


 遥は慌てる。


「今会議!」


「終わったら声かけて」


「うん」


「絶対だぞ」


「わかった」


 ドアが閉まる。


 しかし五分後。


 また開く。


「遥」


「なに!」


「終わった?」


「終わってない!」


「そっか」


 閉まる。


 さらに十分後。


「遥」


「今度は何!」


「アイス食べる?」


「会議中!」


 会議相手が笑いをこらえている。


 遥は顔を覆った。


 夕方。


 仕事が終わった。


 ソファへ倒れ込む。


 健太が嬉しそうに近寄る。


「終わった?」


「終わった」


「お疲れ」


「ありがとう」


「ねえ」


「なに?」


「散歩行く?」


「今から?」


「うん」


「なんで?」


「一緒にいたいから」


 遥はぽかんとした。


 健太は真顔だった。


 その顔を見ているうちに。


 突然。


 全部わかった。


 寂しかったのだ。


 健太も。


 あの静かな部屋で。


 一人で。


 自分が感じていたものを。


 今度は健太が感じている。


 遥は思わず笑った。


「なに?」


 健太が不思議そうに聞く。


「いや」


「なんだよ」


「健太」


「うん」


「私、こんなに面倒だった?」


 健太は一瞬考えた。


 そして。


「うん」


 即答した。


「ひどい!」


「でも可愛い」


「それもひどい!」


 二人は笑った。


 窓の外では夕焼けが街をオレンジ色に染めている。


 蝉の声。


 風の匂い。


 遠くの子どもたちの笑い声。


 そして。


 遥はようやく気づいた。


 立場が逆になると。


 自分がどれだけ面倒だったか。


 よくわかった。


 でも同時に。


 寂しいという気持ちは。


 決して自分だけのものではなかったのだ。



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