七十六話
マルタは相棒であるクードと道なき道を歩いていた。兵士としてサバイバル訓練を受けている二人にとっても容易く踏破できないほど険しい道だった。
食料はスモールラビットを何体か解体して出来るだけ保存が効く様に薫製にしたがどこまで持つかは未知数だ。
帝国とは植生が異なる為に毒性のない木を燃やして燻しただけのものだからだ。
本当なら火は焚きたくなかったがこの季節は徐々に気温が下がり、油断していると寝入ってそのまま朝に冷たくなっていたという事もありえるのだ。
本格的に冬になれば行軍は不可能に近く、帝国でも冬の間は戦争を一時中断し、春以降に進軍を再開するのが習わしである。
二人は決断せざるおえなかった。いつまでも王国内に潜伏できる訳ではない。
この時期に食料や薪木を貯え冬に備えなければ春を待つ前に死んでしまう。
ギルドカードは発行国が分かる様になっており、帝国の支配下でない土地で利用するのは危険だった。帝国民というだけで敵視され要らぬ火種を周囲に燻らせるのだ。
帝国軍は兵士に副業を禁止していたが、従軍前に冒険者をしていた者がギルドカードを持っていても罰則規定はない。
成人してから生活の糧を得る為にギルドに所属する事は当たり前のことであり、ギルドカードを持っていないのは裕福な家庭の子弟しかいない。
軍高官の殆んどは認識票以外の身分証は家紋だけというのはよくあることなのだ。
当然、二人は祖国では騎士であり家紋も持っていたが属国の家紋は帝国では通用せず、生きる為に誰でもなれる冒険者として魔物を狩り生活していたのだ。
騎士は脳筋に思われがちだが、きちんとした教育を受けた良家の子弟であり当然、平民よりも知識を有している。
簡単な計算から始まり、儀礼などを学ばなくては騎士学校に入学する許可はおりない。
稀に武術の成績は学年トップクラスだが学力が低く、騎士になる事を諦め冒険者になって活躍する者もいる。
貴族であれば王に忠誠を近い平民であれば貴族に忠誠を誓う。騎士にとって忠誠を誓う主人は一生涯のものであり、何人もの主人の間を渡り歩く騎士は軽蔑の対象となる。
そして二人は主人を理不尽な形で失った。王族の殆んどが処刑され大貴族であるとはいえ帝国に尻尾を振った者を主人として受け入れられない者は死を選び、復讐心を秘め生き恥じを晒しながらも生を選んだ者もいた。
マルタにとって祖国が滅んだ日の事は昨日の様に思い出せるが時間というものは残酷であり、決して時計の針を逆戻りすることなく過ぎていった。
「何者だ」
二人は森を抜けようとしたところで王国騎士の誰何を受けた。
騎乗している事が王国で正式に騎士として叙勲を受けた証拠であり二人にとっては予想外の事だった。
戦闘する意思がない事を示す様に手を上げながらゆっくりとうつ伏せになる。魔法師もいるために手を相手に向ける事は敵対行動と取られかねないからだ。
「第十師団ライアス将軍麾下狙撃小隊所属のマルタ軍曹とクード一等兵だ。貴国と敵対する意思はない。亡命者としての待遇を望む」
軍装からして二人が帝国軍人である事は間違いないが、発見した騎士は戦死したザッハ子爵に仕える騎士であり、彼に二人の処遇を決定する権限はない。
戦場で出会えば殺すしかないがここはクラウド侯爵領であり、正確には王国騎士ではなく領主軍の騎士でしかないためにとりあえず捕虜とし、処遇は貴族のお偉方に委ねるというどっちつかずの判断をするしかなかった。
彼が仕える主君の領地であれば問答無用で殺されていたであろうし王国騎士であった場合も同じだ。
マルタとクードはその点においては運が良かったと言える。二人は亡命者としての処遇を得るために森に銃を隠した事を伝えた。
ここからは移動した為に距離はあるが目印をつけてきたために隠し場所を知らない者でも発見することは可能だろう。
そして部下とおもわしき兵が操る馬車に拘束されたままランスカ王国のダリル平原の本陣まで移送された。
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「閣下。報告がございます」
「話せ」
「クラウド侯爵領で敵兵を捜索していたザッハ領主軍の騎士が帝国軍人の戦時亡命者を帯同し、ここに向かっております」
帝国は後退したものの撤退をした訳ではなく、日が昇れば戦闘になる状態でここより王国内部にあるクラウド侯爵領で捕まったというのは問題だった。
今のところは敵対行動をとってはいないということだが魔封じと気封じは行っている。
もし少数であっても本陣の後ろを取られれば指揮官クラスが暗殺される可能性があり、報告では二人は狙撃手と観測手であるとの事だ。
「到着次第ここに通せ。どの様な思惑があるかは知らないが、こちらも帝国軍の情報を知る絶好の機会だ。ここに到着するまで敵対行動をとらない様に伝令を出せ」
ゴドラム公ドームは王から全権を与えられて防衛行動をとっている。
それが王国騎士団だろうが他の領主軍であろうが変わらない。ドームに意見できるとしたら王国軍の責任者であるオムネ将軍くらいであるが、否とは答えないだろう。
王国の存亡の危機にあり、無能を指揮官として送り出すほど王は甘くはない。
作戦に穴があれば意見具申はするだろうが、王国の為になるのであればそれを受け入れる器量くらいはドームにもあった。
この時点で王都は帝国軍の攻撃に晒され応戦し、戦後処理をしていたが、ドームは知り得なかった。
竜を伝令として使う事は有意義ではあったが、一騎でも多くの竜を戦場に投入した方が勝率が上がるからである。
空戦が一段落した今、戦況を王都に伝える為に使用するのがこの場にいる指揮官達の限界であったからだ。
オムネ将軍が許可を求める前から破壊工作を成功させ帰還した兵に対して適切な治療と戦線を離脱する許可をドームは与えようとしたが、獣人の兵は戦線の離脱を頑なに拒んだ。
ここが抜かれればどのみち王国が生き残る可能性は低い。西部と南部の増援も王都に帝国軍が迫る前に到着できるかはここの戦況次第なのだ。
東部は大暴走対策で手一杯でありクライン伯がこの場でその武を存分に振るっているだけで十分であった。
起床するまでにはまだ時間はあったが、睡眠を取るのには少し短い。
部下を戦場に送ったオムネ将軍とドームは結果を知る為に不眠であり、疲労の色を隠せなかったが睡眠不足が判断ミスを誘発し、王国軍が崩壊することだけは避けなくてはならない為に指揮権を一時的にジョセフに預け睡眠を取ることにした。
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ブロードは負傷者の回収を済ませ死体の処理の陣頭指揮を執っていた。
アンデス攻防戦で死亡した騎士や兵を弔わなくてはアンデット化し、東部の憂いとなって治安を悪化させる事は目に見えていたからだ。
死体を回収した際にはステータスを確認させる事を忘れない。稀人の死体は焼いてもその遺灰から肉体を再生することは可能らしいが魔力の消費量は桁違いになると聞く。
王国に稀人が出現した事は神託があり、大陸に稀人が出現したことは教会も事実として認めた。
魂石を破壊した場合は再生も不可能となるらしいが、稀人の魂石は強い強度を持つらしく破壊する方法は見つかっていない。
初代国王アレキサンダーが稀人であったとする伝承が残っているために多くの善良な国民はその様な行動をとらないと思いたいが、盗賊などの後のない者達の行動までは責任は取れないと考えていた。
自己申告ではあるがC・Bランクの冒険者の稀人がここアンデスで防衛に参加し生き残った者は僅かであったと部下からの報告を受けていた。
戦力としては新兵より役には立つが歴戦の兵より役に立ったかと言えば微妙なところであった。
不死性を過信しているのか防御が疎かになりがちであり、こちらの命令も素直に聞くどころか反発してきた。
厳格な身分制度があるこの世界で中級者から上級者になりかけているとはいえ平民であれば貴族に楯突く事はないだろう。
権力は容易く人の命を奪う。Sランクになるほんの一摘まみの強者であれば納得はいくが冒険者全体から見れば彼らはまだ二流も良いところの実力しかないのだ。
ブロードは部下の工兵に門の簡易修繕を急がせている。結界を張るための魔法陣が破壊されたが、ここにいる魔工師だけでは修理は不完全にしかできない。
魔法陣に魔力を流し効果を発揮させる。魔導具と変わらない構造ではあるが、広範囲に結界を張るためには建物の構造に取り込まなくてはならず陣を描く為の染料も魔力も膨大なものになるからだ。
ブロードが何より心配しているのは民の事である。アンデスが抜かれれば防衛力に劣るクルト村とポートロイヤルが魔物に襲われる事になるからだ。
急使は出したが王都に大暴走発生の報から行動しては王国東部が被る損害は甚大なものとなるだろう。
アンデスに余力があれば魔境から出る魔物を討伐していただろう。だが、初戦で領主軍が受けた被害は大きくトルウェイの立案した作戦によって多くの王国騎士が傷付き命を失ったのだ。
この規模の大暴走は魔人の関与がないと説明がつかない。人類の敵であり有史以来、災厄を振り撒いてきた魔王の配下であり魔物から進化した存在であると考えられている。
そして人は困難に立ち向かう時に英雄を欲するのだ。言い方は悪いかも知れないが王国騎士の頂点に立つ王国近衛騎士団長ランフォードでも民衆を奮い立たせる事は不可能だろう。
しかし、幸いにも東部にはその英雄が四人もいるのだ。
龍人であり元王国筆頭魔法師であったトルウェイ。彼は龍人でありながら強力な魔法を操り、龍に跨がる姿は帝国兵すらも恐怖のどん底に突き落とした。
双厳流の師範であり歴代の中でも最高峰の腕を持ち平民という出自でありながら近衛騎士団への入団を許可され貴族となったカイト。
伝説のクラン【暁】に所属し、様々な功績が認められた豪槍のエバンス。
別の戦場に居る為に現在は不在だが、ランスカ王国の武門に生まれ王の信の厚いクライン伯ジョセフ。
この四人が居ればもし自分が死んでも遺志を継ぎ家族を。隣人を。国を護ってくれると信じられるからこそアンデスに居た領主軍・王国軍の兵士達は敵に立ち向かい死力を尽くして戦えたのだ。
実際にトルウェイとカイトは強大な敵に立ち向かい傷を負いながらも討ち破った。
ジョセフは貴族の務めとして北部に出兵したが、トルウェイとカイトが居れば東部を護りきってくれるという信頼であり、弟シャルルと自身が鍛えた兵が弱い訳がないと考えたのだ。
ブロードは王国の上層部に責任を追及されるだろう。
東部の辺境にわざわざ王国が砦を建て駐留しているのは、大暴走に備えてであり、東部を強いては王国の護り手となることを最高責任者である守将は課せられるのだ。
中央軍に属する騎士にとっては左遷であっても王国にとってアンデスの重要性が薄れる事はない。
二千五百人長でありながらブロードがアンデスの守将になったのは将来を望まれていたからである。
平民騎士が貴族騎士の雑用とされる事が多い中で東方将軍マハメドはその下で働く騎士達に身分による差別を極力排してきた。
実力のない貴族騎士よりも経験豊富な平民騎士が東部では求められるのだ。
東部にクライン辺境伯家が有る限りは王家は東部を見捨てる事はない。たがらこそ王は東部貴族に対しての徴兵を断念し、大暴走対策に当たらせる事を許可したのだ。
東部は拡大中であり、大貴族が少ないという事情もあったが、どちらも対応を見誤れば国が滅ぶのだ。
神託が最上級魔人の出現を示しているなど想定外の事ではあったが、龍によって鬼は退治されたのだ。
そのこと自体は喜ばしいことなのかも知れないが被害が大き過ぎた。
騎士や兵士を育てるのには金も時間もかかる。そして上級だろうが王級だろうが死ぬ時には人は簡単に命を奪われるのだ。
王国が戦争によって受けた損害を補填できたかというタイミングでの出来事でありただでさえ辺境に進んで来たがる騎士はいないのだ。
平民の騎士も増えてはきたが、資質においては軍閥系貴族の子弟には劣ってしまうのだ。
幼少の頃より良き師がついて剣を学んできた貴族と家業を手伝う合間に鍛練し自己流の剣技を身に付けた平民では差が出て当然である。
平民騎士は給料こそ良いが、それならば冒険者として稼いだ方が柵は少なく、農民の子に生まれた者にとってサクセスストーリーの一つではある。
だが、現実は厳しいものであった。貴族の権力闘争の果てに謀殺された平民の騎士は数えることすら出来ず、不敬を問われて処刑された者すらいる。
本来であれば平民の騎士に求められるのは純粋に武力であって騎士の礼ではないのだ。
王城を護る近衛騎士に平民がなることは殆んどないので礼儀は貴族騎士に任せておけば良いのだ。
東部に平民騎士が集中するのも功績をあげても中央での出世には影響を与えず寧ろ左遷と考えられているからであり、東部を纏めているのがクライン辺境伯家である事が少なくない影響を与えている。
ジョセフは民を護る力があるのであれば出自は問わない。
貴族の直臣である家は王国の身分制度上では陪臣になるが主が治める領地においては貴族に準じた扱いを受け主家によっても扱いは様々である。
公爵家の代々の家臣が騎士爵より裕福な生活をしていることもあるが王国法が優先されるために貴族でない陪臣が貴族に逆らえば不敬罪が適用される。
有能だからと言って必ず地位が約束されるという訳ではなく、魔法師の育成よりも騎士の育成が遅れているという認識は間違ってはいない。
努力である程度までは補える騎士とは違い魔法師は生まれに殆んどか左右される。
才能を埋もれさせない為に王国は魔法師を優遇しているが、宮廷魔法師になれるほどの才を持つ平民は少ない。
貴族であれば魔法師というだけで宮廷内で出世する機会となり、家をあげてその才を伸ばそうとするだろうが、平民にとっては邪魔にしかならない場合もある。
宮廷筆頭魔法師は王国内での魔法師の頂点であるのと同時に政治に常に利用されるのだ。
魔法師は研究者としての側面も持っているが、武官としてのイメージも強い。
最低でも中級以上の実力がなければ平民がなることは出来ず、家柄だけあっても功績がなければ容赦なく追い出されるのだ。
そのために宮廷魔法師でありながら地方をたらい回しにされる魔法師が多く、騎士としての地位もあるために増長しやすいのだ。
だから歴代の王は信頼のおける者を宮廷筆魔法師に据え、貴族の横暴を抑えようとしてきたのだ。いくら貴族に権力があろうと国を代表する近衛騎士団長と宮廷筆頭魔法師は王に専任権があるのだ。
ブロードは死んで行った部下の功績に報いる為になら王にすら直訴する心構えでいた。
騎士の給料は高い為に平民にとっては一家の大事な収入源であった筈だ。一家の大黒柱を失って残された家族が離散してしまっては意味がないのだ。
ブロードが部下に慕われる理由の一つでもあったが実力も正当に評価していた。
これからを担っていく従士達を最終作戦で参加させなかったのも貴族の誇りというよりは従士達もまたブロードにとって護るべく存在であったからだ。
流石に王都に東部の状況が伝わっていないとは考えていない。王であれば魔人が出現した意味を理解できない筈がないからだ。
これはランスカ王国だけの問題ではなく、この世界に生きる者の危機である。作業を監督しながらもブロードは今後の王国の行く末を案じていた。
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ランスカ王国の王城では重苦しい雰囲気がこの場を支配していた。近衛騎士を処刑すれば良い問題では既になくなっていた。
家も無事では済まないだろう。ランフォードとしては部下を処刑させる事を許す訳にはいかない。
ゴドラム公爵家の分家に生まれ才を見込まれて本家へと養子に出された。
貴族の養子は国王が許可しない限りは認められない。養子が平民であれば特殊な事情が無い限りは却下されるだろう。
ランフォードの生まれた家が分家とはいえ王国貴族であった為に許可されたのだ。
ゴドラム公爵家は家としては複数の爵位を所持しており、元を辿れば公爵家も王家が所持している爵位の一つに過ぎない。
クライン伯爵家はクライン家が所有している爵位の一つでしかなくアーノルド地方を支配している伯爵という意味であり、名が三つ以上ある場合は名前、家名、地方名となる。
名が2つの場合は名前と家名となる。
貴族の中ではアーノルド家でも通じるが本家の当主だけが貴族ではないので周囲に分かりやすくするために爵位を家名として呼ぶ事が習わしとなっている。
王が近衛が傍にいたのにも関わらず負傷するのは不名誉なことである。
王家の体調を管理する宮廷治療師の中でも宮廷筆頭治療師しか王の脈を取ることを許可されていない。
宮廷筆頭治療師は王国貴族の中から選ばれ治療に精通した者がなる仕来たりとなっている。
在野にも優秀な治療師はいるが、ほとんどが教会に属しており、王家はセズ派とは近年は距離をおいているために最高峰の治療は受けられるが教皇や魔法国より表向きはランスカ王国の医療水準は低くなっている。
ランスカ王国での最高の薬師は王都の薬師ギルドマスターと目されているが実際はクルト村に住んでいる植人メディスンが聖級薬師であり、非公認の薬聖である。
迫害の歴史から特に植人の人種に対する警戒は強い。確かに脱皮した皮膚は回復薬の素材の代替えになる。しかし、植人は亜人とはいえ人なのだ。
権力者が病に倒れそれを治療するために虐殺された植人の恨みは深いのだ。
ただ、迫害された時にランスカ王国は積極的に植人を保護した経緯があるために共存できているだけで王国貴族にもメディスンの存在は隠されている。
家臣としては不本意であってもメディスンの力を借りなくてはならないだろう。
公爵家であり秘薬などの製造で王国に貢献してきたアブム家であってもメディスンを超える秘薬を作る事は難しいのだ。
クルト村から移住したという話は聞いておらず、盟友であるカイトを守るために助力は惜しまないだろうが、タイミングが悪いとしか言えない。
ただでさえ素材を集めるのに冒険者の手を借りなくてはならない。
騎士は医療に従事していなければグリーンリーフとクリーンリーフの見分けがつかない者が多くいるのが現状であり、症状が深刻なほど要求される素材のランクは高くなるのだから。




