七十五話
詠唱派と無詠唱派の対立は魔法師ギルドでは有名な事だ。
詠唱による利点はどんな精神状態においても魔法の発動に失敗しにくいということだ。
魔物と実際に対峙する魔法師にも初めてというものは必ずあり、明確な殺意を向けてくる敵が近付いて来る中で普段通りに魔法を発動させるのは思っている以上に難しい。
魔法とは精神状態に強い影響を受けるからだ。
怒りなどの強い感情は魔法の威力を上げる事に繋がり、恐怖は威力を下げるどころか魔法の発動自体を不可能にしてしまうことすらある事なのだ。
魔法は無から有を創り出す為にある程度の集中力が必要でどんな精神状態でも魔法を発動できる様にと人種が工夫したのが詠唱である。
逆に無詠唱派は初心者を抜け出した中級者から上級者である事が多い。戦闘で悠長に詠唱している暇はないことの方が多いからだ。
敵に対して詠唱が終わるまで待って下さいと言える訳もなく、魔法師が詠唱を始めたら真っ先に狙うのが戦闘におけるセオリーである。
無詠唱派も時に詠唱する事もあるが、それは威力が必要となり熟練した魔法師にとっても集中が必要となる上級魔法を発動する時である。
詠唱にはこれからこの魔法を使いますと宣言するようなものであり、敵に対策を取らせてしまう行為に繋がるが、上級魔法ほどの大威力であればそれも難しいためだ。
そして熟練者が魔法の発動を敢えて敵に知らせ詠唱とは別の魔法を無詠唱で発動させるなど上級魔法師ほど詠唱を重視していない。
無詠唱にも欠点はある。一度は発動した事のある魔法でないと失敗する事が多く同じ魔法を同じ魔力を込めて放ったとしても詠唱した時よりも威力は低くなる。
そして詠唱は仲間にこれから魔法を放つ事を知らせる合図になるために余程の信頼した仲間とパーティを組み連携を鍛えなければ味方を巻き込む事になりかねないのだ。
詠唱派は魔法師としての実力が二流であり、多くの場合は前衛がいる事を前提とした戦闘しか知らない者で構成されている。
魔法師の才能は生まれついての素質が重要になるために努力で何とか出来る範囲は少なく属性神の加護を受けるのが詠唱であるというのが詠唱派の主張であった。
ソラに魔法を教えているリースはハーフエルフであり魔力保有量は人よりも多い。
詠唱を必要としているのはリースが詠唱派であるからではなく、精霊信仰をしているエルフを親に持つからである。
精霊を見る為には【精霊眼】が必要となり更に精霊に好かれる必要がある。精霊眼がなくとも気まぐれである精霊の力を借りる事は可能であり、それはハーフエルフでも同じである。
人種が創りだした精霊魔法の劣化版である系統魔法よりも効果は高いがちゃんとした契約精霊でないと魔力を渡しただけで終わる事も多い。
精霊は意思を持つ存在であり、魔力を渡して精霊の力を借りるのが精霊魔法である。
どんな魔法を発動させたいのかを精霊に伝えるのが詠唱であり、系統魔法を発動させる時の詠唱とは意味が異なる。
魔法を発動させるのにはイメージが必要であり、初心者は体内にある魔力を動かし感じる事によって魔法を修得するため先ずは生活魔法を修得し、その中で適性のある魔法を覚えて魔法師となるのだ。
師としてはいくら弟子に才能があっても先ずは繰り返し発動させる事で徐々に威力を上げて行く事を教える為に詠唱を徹底させるのだ。
詠唱は魔法の基礎ではあるが、必ず必要という事ではなく必要がなければ唱えない魔法師も多い。
ソラもソロでゴブリンを狩る時には詠唱しない事も多い。
最初の頃は魔闘術を行いながら魔法を発動させる為には詠唱が必要だったが、少しずつではあるが無詠唱で魔法を発動させることに成功する確率が高くなっていた。
そのために武器を振るいながら詠唱する機会は減っている。宮廷魔法師の現状を見ればトルウェイは幻滅するだろう。
王国を護る杖が派閥争いに終始しているのだ。
技術者である魔工師は結界の強化、魔道具の改良に腐心している為に権力闘争には興味が無かったが、宮廷魔法師に序列がある以上、巻き込まれるのは必然であった。
派閥争いを嫌い宮廷魔法師を辞した者も多く貴族に仕える事を選んだ者もいる。王国とて一枚岩ではないが、東部は大暴走という脅威に対応するために身分の差すらも超え協力しようとしていた。
魔石の有効活用は人種が他種族に対応するために編み出した知恵である。障気に侵された魔石内の魔力を浄化し還元する技術を身に付けていた。
ソラも将来、錬金術師を目指す者として学んでいたが、ただでさえ高価な本は学術書ともなると製本される数も少なくなり、ポートロイヤルでは入手することが不可能だった。
最下級のポーションを作る事は可能となったが、魔法師と薬師を両方を高水準で修めた者が初めてなれるのが錬金術師だった。
もう少しレベルが上がれば錬金術を習得できるところまで来ているのだ。商人は冒険者と同じ称号的な職なので交渉などで上がる事はあっても恩恵は少ない。
職神は人種の中で主神オリエンタルに次いで信仰を得ている。スキルを与えるのは別の神であるとされているが、職は確かな恩恵を人類に与えている。
人同士で戦う事に使用することに神は嘆き与える力を弱めたとされているが、神は魔物を操り大地世界に干渉する一柱フローディアに滅ぼされる訳には行かず。
神界の代理戦争に付き合わせる謝罪の意味を込めて極少数の高潔な魂を持つ人物に加護を与えるのだ。
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「危機は何とか脱したがこの後はどうなるかは分からん」
メディスンは聖級薬師として癒神の加護を受けていたが、あれほど強大な障気を放つ魔人と対峙したことはなかった。用意できる限りの秘薬を使用した。
素材を集める事は難しく手持ちがなくなれば製薬できる能力があっても意味がない。
一命をとりとめた事は奇跡であり、カイトの目に残留する障気は視力の低下を障害として残す可能性があった。
フーカが幾ら優れた治癒師であっても上級では出来る事は限られていた。
一部の者しか知らない息子アーサーの秘密を守るためにも村には過ぎた戦力が常駐していたのだ。
それが魔人達の気を引いてしまったのかもしれないが今までも単一種族による大暴走は起こっており、その際に魔人が確認された事実がないことから今回が特別なだけであって過去の神託が現実味を帯びてきただけの話だ。
魔王は堕神した女神フローディアの加護を最も受けた者であるとされ、例外なく魔物が高度な知性を身に付け人類と対立してきたのだ。
一定周期で出現し人類に対して甚大な被害を与えるが人類にも希望はあった。
主神オリエンタルの加護を受けた勇者と属性神の加護を受けた英雄の存在である。
共通の敵に対して人類は団結し、一時的にとはいえ人同士の戦争を止めるのだ。
戦乱にまみれた世界で一時的にとはいえ人種と亜人種が手を取り合い。亜人排斥派であるオリエンタル教の主流派ですら亜人の英雄に最低限の敬意を払うのだ。
神子と呼ばれる勇者や英雄は体の一部に聖痕を持つ。初めて見つかったのは十五年前であり、オリエンタル教の総本山である教国の騎士の娘である。
雷に対して高い適性を示した。雷は上級属性とされており、才能がなければ魔法師でも基本属性と違って生涯使える事はないとされている。
そしてアーサーをとりあげたクルト村に住むエルフのヘレン婆によってアーサーが光の加護を受けていることが分かってしまったのだ。
オリエンタルが司る属性は光であり、闇の属性を持つ魔王に対抗できる。
他の光魔法の使い手はアーサーほどの適性を持たない為に回復か浄化に特化する事が多いが加護を受けた勇者や英雄はその属性に対して強い耐性を持ちあらゆる魔法を習得できる様になるとされている。
古代魔法文明の水準での魔法は強力なものが多く、現代の魔法は当時の水準では魔法の得意でない者が使用する魔術に相当する。
精霊にも好かれる様になり、トルウェイが与えたニールの卵はアーサーの魔力によって変質して光竜ピナが誕生した。
クルト村はカイトが率いる双厳流の剣士達の奮戦もあって大きな被害を受けていなかった。
アンデスを抜けて来た魔物が最初に襲う村がクルトであり、村を作り始めた頃と違ってある程度の自給自足が出来る様になっておりフーカによって築かれた防壁が村を覆っていたからである。
それ以上に深刻なのは村人を統率する人間がフーカしかいなくなった事だった。
カイトをトップとした領地がアーウェン士爵領である。カイトが剣士をトルウェイが竜人をフーカが魔法師を束ねる立場にあったが、求心力はカイトにあった。
元王国近衛騎士で平民から成り上がった当代随一と呼ばれる剣士であり、剣は自衛の為に欠かす事の出来ない武器であった。
そんなカイトが負傷した事によって妻フーカだけではなく、クルト村の住人全員が動揺することになってしまったのだ。
魔法薬でも体力を直ぐに全快にさせる効果はない。最大回復量まで徐々に治っていくのであって戦闘不能まで陥ってしまえば休息を必要とする。
プレイヤーがクルト村の防衛に参加していても結果は変わらなかっただろう。
Aランク冒険者であるアルトが魔人ダールとの戦いに加わらなかったのも自分では足手まといになる可能性が高いと判断したからであり、仮にアルトが王級職となっていても王級と聖級には大きな壁があるのだ。
それならばアルトがクルト村の防衛に専念したのは適切な判断であり、そのおかげもあってクルト村に大きな被害が出なかったのだ。
問題はジョセフにアーサーの事を告げるかである。神級に至るとされる勇者を秘匿する事は王国に対する裏切りであるとも言えた。
当代の勇者を輩出したともなればランスカ王国の発言力は高まるだろう。
教国も自国に神子が誕生し、ランスカ王国に現れなかった事を理由に難癖をつけ聖戦を起こしたのだ。
神子が教国に現れた事は神が異端者を罰しよとの事であり、人に似て非なる者である亜人を擁護するランスカ王国は神敵であるというのが教国の主張だった。
聖騎士達らは配下である教会騎士を率いて戦った。数が少ない為に撃退には成功したもののランスカ王国が受けた被害もまた大きく、損失を取り戻す為に平民は厳しい生活を余儀なくされたのだ。
その話を知った時のソラは宗教は厄介だなと思ったのだ。
統一意思の下で行動するのには合理的かもしれなかったが、暴走した時に歯止めが効かなくなり、戦争の原因にもされるのだ。
日本人プレイヤーがランスカ王国がスタート位置になったのも運営の何かしらの意図を感じなくもないが、エルフや獣人に敵意を向ける日本人は少数だろう。
カイトが戦闘不能になっている間は妻であるフーカが戦いの指揮を取らなくてはならないが、深緑の森のメンバー以外は素直に従ってくれるかは謎である。
竜人にとって光竜は神聖なものであるためにクルト村の防衛には協力してくれるだろうが、個人の能力は高くとも連携がとれなければ各個撃破される可能性は否定できないのだ。
ピナの主人であるアーサーを護る意思があるだけまだましなのかも知れないがクルト村もまた大暴走の脅威に未だ晒されているのであった。
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脱走兵となったマルタとクードは帝国軍からも王国兵からも隠れて森の中で食料を集めていた。
ライアスの作戦の全てを知っている訳ではない。二人の安全を保証できるものはなく、王国が情報に興味を持たず捕虜となれば待っているのは死のみである。
仲間を裏切ってここまで来た以上は死ぬ訳にはいかない。
帝国の狗となってからは祖国の民にも蔑視されながらも生きて来たのは微かな希望を持っていたからである。
帝国にとって確かに属国民など搾取の対象でしかないのかも知れない。だが、強大な敵に立ち向かう者がいない訳がない。
帝国とて初めから強大だった訳ではなく、小国であった時代もあるのだ。そして不倶戴天の敵である帝国が弱体化することを共和国は望んでいた。
スパイを簡単に潜入させる事は出来ないが、属国となった国に対して秘密裏に支援する事を約束し、反乱を起こさせようとしたのだ。
結果的には反乱は直ぐに鎮圧され見せしめの為に虐殺が行われたが、希望を捨てる事は無かったのだ。
マルタも他国への遠征先がランスカ王国だと知った時に亡命計画を立てたのだ。
銃の性能を知れば対策をたてる事が可能となる。流石に大砲を持ち出す事は叶わないが、狙撃兵に与えられる銃は最新式の物であり、軍事機密となっているのだ。
ランスカ王国にも優秀な鍛冶師はいるだろう。模倣するのにも試行錯誤を必要とするだろうが零から作り上げるよりは実物がある分だけ容易となるだろう。
相方であるクードが賛同してくれたのも助かった。苦楽を共にした戦友を撃つのは心苦しかったからだ。
ランスカ王国の指揮官も戦場に立てば訓練された狙撃兵によって命を狙われる事になる。
階級が高い士官であれば使い捨てにされる事は殆んどなく、万全のバックアップ体制で以て作戦が実行されるが、二人の場合は成功したら儲け物くらいの感覚で援護も無しに命令一つで死地に赴く事になる。
ライアス指揮下にいた時は理不尽な命令をされることなく雑務も一部免除されたがそれはマルタが優秀な狙撃手であったからだ。
逆に能力がなければライアスは捨て駒にする事を躊躇わず、優秀な者も自分の為に死ぬ事を命じる事に疑問すら持たなかっただろう。
何故なら生まれで一生の殆んどが決まってしまうのがこの世界の理であるからだ。他国でも厳格な身分制度はあるが、平民から貴族になる道は狭き門ではあるが用意されていることが多い。
しかし、帝国では市民等級が上がる事は殆んどなく、属国民として生まれたのなら帝国の奴隷として生涯を閉じる事になる。
国家指導者や貴族と言った特権階級の者、全てが優秀な訳ではないのだ。欲にまみれ圧政を敷いていない方が珍しい。
それを覆す可能性がある教育も支配者階級に独占され、平民では子供といえ労働力である為にある程度の資産を持っていなければ教育を受けさせる事すら出来ないのだ。
ランスカ王国では優秀な魔法師を輩出するために平民にも適性検査を受けさせるが、財政に余裕のない男爵・騎士領の農村では教育次第では偉大な魔法師になれる可能性がある者も才能を開花させることなく平凡な一生を過ごす事になるのだ。
それだけ国の発展を妨げている国策が改善されないのは、被支配者階級に知恵をつけられると支配者階級が支配しにくくなるからである。
現状に不満を持っていてもそれを変える力がなければどうしようもないのだ。
生活魔法は回数に差こそあれど殆んどの者が使用できる力だ。エバンスの様に先天性の魔力欠損症の者もいるが確率は低く、獣人でも例外ではない。
初級攻性魔法を使えて初めて魔法師を名乗れるが、訓練する時間もなければ訓練方法も分からない方が例え武力蜂起があったとしても鎮圧側が被る損失も労力も少なくて済むのだ。
隠居した魔法師によって魔法が扱える村人もいるかも知れないが魔法を教わるには対価が必要になり、それは職人でも変わらない。
その敷居の高さが治安を守っている事も事実だが、自警団程度の戦力の保有しか認められない村人は常に魔物の脅威に晒される事になる。
税を納めていても領主の対応は後手に回り冒険者に依頼するほどの資産がない村は自力で解決することを余儀なくされるのだ。
為政者に対する不満は際限がないが、国として敵国や魔物から護っている事も事実である。
マルタが騎士をしていた頃は戦争をしていなかったが、それでも帝国の脅威はあった。帝国の侵攻が本格化すると騎士達は命を賭して戦い戦場で散っていったのだ。
若いからという理由で主戦場から遠くで後方任務についたが祖国が敗戦しそれでも生き残ってしまったマルタの心中は複雑だった。
先輩騎士の様に国の為に死ねていたのならどんなに楽であっただろうか。
王が国民の前で処刑され護るべき筈の尊き御方を死なせてしまったときに騎士としての自分は死んだのだと自覚させられた。
マルタはまだ若いと言ってももう三十前半である。危険度が高く飢饉や疫病のあるこの世界の寿命はそう永くはない。
エバンスが冒険者を引退してギルドマスターになったのも年による能力の低下には勝て無かったからである。
成人をした十五歳から二十代後半で能力は最大となり、平行線を辿った後に緩やかに衰退していく。スキルを覚えるのに適した十代にどれだけ成長出来るかがその後の生活に大きな影響を与えるのだ。
そしてどんなに厳しい訓練をしていても五十を過ぎれば全盛期の半分くらいの力が出せれば良い方だと言われている。
マルタにとって行動を起こす最後の機会だと言えた。生き残った祖国の人々も苦しい生活ではあるが順応してきていた。
他国からの助けの手を期待できる段階はとうに超えており、今より生活が悪くなる事を嫌う者もいる。
騎士として誇りを失ったと罵られるマルタだったが、占領当初に積極的に密告を行うことで地位を築いた人物がいた。
そして帝国は相互監視させる為に組を作り、密告を推奨したのだ。
同じ組の者が罰を受ければ連帯責任によって罰せられるが密告者には罰を免除し僅かばかりではあるが報奨が出た。
家族が生き残る為に密告合戦となった民を見てマルタは失望した。
王が生きていた頃は生活が苦しくとも手を取り合い助け合って生きていた人達が尊厳を捨て帝国に尻尾を振るしかなくなっていたのだ。
そんな民を見たくないと元騎士達は無謀にも帝国に逆らい死んでいったが残された者にとっては迷惑な話だった。
ただでさえ苦しい生活が反乱を起こしたということで明日を生きるのも厳しい状態になったのだ。
冬に暖を取る為の薪木さえも徴収され多くの凍死者を出した。飢饉による食料難でも税の免除などある訳もなく多くの人が亡くなった。
こんな状況を許している神々を呪って死んで行った者達は不死者となり国土を荒し回ったのだ。
そんな事は自分の代で終わりにしなくてはならないのだ。
民の未来の為に死ぬのは騎士の誇りであり、帝国の狗と罵られようが捨てる事のできなかった誇りだ。
ランスカ王国に行っても現状を変える事は出来ないのかも知れないだがマルタはもう行動してしまった。
せめて帝国に一矢報いるためにマルタは道なき道を移動し始めた。




