三十八話
鬼人それは人類にとって不倶戴天の敵であり、忌み嫌われている存在である。
教会が鬼人を人類の敵としているのは、教会の権勢を強める思惑もあるが、歴史的にも敵とされているのには理由があった。
魔物である小鬼を始めとした鬼種の存在である。
鬼人の歴史は迫害とは切っても切れない関係にある。この世界で一般的に信仰されているオリエンタル教の定義では、魔族を筆頭にその僕である魔物は不浄の存在であり、神敵である。
科学技術の発達していない世界において進化論など提議されている訳もなく、鬼人達は魔物と同等の扱いをされてきた。
人種至上主義の国家にとっては鬼人は頑丈で使い道の多い優秀な奴隷であり、オリエンタル教の信者にとって亜人と言うだけで卑しい存在なのに神敵である鬼人に慈悲を与える必要はなく、見つけ次第、異端審問の名を借りた虐殺を行ってきた。
「こんな所で呆けている場合じゃない。俺達も隊長の元に戻るぞ」
ゴウキは階下に降りてから最初にしたことは叫ぶ事である。敵の注意をひいてしまうことになるが、武技【ウォークライ】は戦意を高め、攻撃力をあげる効果がある。敵の注意をひくことで住民に被害を出させないという考えがゴウキの頭の中にあった。
「敵ではない。鬼人ゴウキ自警団の要請により、助太刀する」
声をかけることも鬼人にとっては重要なことだ。街の中でも魔物と間違われ、冒険者に攻撃されることもあるため極力は角を隠しているのも鬼人の特徴のひとつだ。
ゴウキは寝起きであったが為に、角を隠す余裕はなかった。
それにランスカ王国では鬼人も市民権を得ており、他の国民と同じ様に税金さえ払えば永住する事は可能だったが、完全に差別が無くなった訳ではない。
ランスカ王国内では公的な場において種族を理由とした差別を行った場合に最も重い罰として国外追放があるが、私的な立場の場合には問題視されないことが多い。
鬼人だからと言ってギルドが素材の買取り価格を不当に低くすることは駄目だが、商人が鬼人に商品の売買を拒否することは可能なのだ。
あからさまにやれば商人も処罰の対象となるが、他国では僻地に籠って外部との連絡を完全に絶って生活することは珍しい事ではないために他の種族と共に生活できるだけでもまだましだと考えているのが鬼人の共通認識と言えた。
「助力、感謝する。彼を先頭に縦陣形を作れ」
ゴウキが斧を振るう度にアント達は命を散らして行く。武器の捜索に出した自警団員は本来の任務を完遂する事はできなかったがそれ以上の成果を出した。
既にソラは戦線へと復帰し、ゴウキが討ち漏らしたアントを狩る事に集中していた。
ソラとしては早くアント達を片付けて街の防衛に参加したいのだ。
ラビット系とは言え、ソラがログアウトする前に一度、王級の姿が確認されている。
所々、黒く変色した皮膚は魔物の中でも強い障気を帯びている証拠であり、ラビット系は総じて白色の体毛をしている個体が多い為に誤認した可能性は低い。
一旦、波が引いたとは言え、魔物達がポートロイヤルを攻略しようとしているのは変わらないだろう。
そうでなければこんなにも多くのアント達が街の中に侵入することは有り得ないのだ。
「盾を持たない者は一度、下がれ」
ゴウキは味方誤爆を避ける為に、防御力の低い者には近寄らない様に警告をする。
今からしようとしているのは理性と引き換えに一時的に攻撃力を強化する【狂化】である。戦士の上級職である狂戦士は防御力のステータス補正が低くなる代わりに攻撃に特化した存在になれるのだ。
レベルが上がると攻撃力も上がる代わりに理性を犠牲にする。通常の狂化では、使用した本人にもダメージを与える代物だが、強靭な肉体を持つゴウキは副作用をあまり気にせずに使用できる利点はある。
仲間を巻き込む可能性は否定できない。種族の掟によって鬼人達はある程度、狂化をコントロール出来る者でなければ人前での使用を許可される事はない。
狂化は普通であれば狂戦士の職を持つ者でなければ使用不可だが、鬼人は種族特性でジョブが何であっても使用する事が可能である為に恐れられている。
ステータスカードを確認しなければゴウキのジョブは確認は出来ないが、斧を愛用している事から斧士だろう。
最初からジョブを持っている者であれば別だが、大抵の場合、冒険者を選択した者が初期で設定できるのは戦士である。
そこから剣士であれば剣術のスキルを習得した上で戦士ジョブレベルを上げ条件を満たす事で剣士になる事が出来るのである。
だが、中には剣を使っていても剣士や騎士のジョブでないものもいる。簡単に言えば職神の神殿に寄付が出来ない貧困層や鬼人の様に神官にジョブチェンジを断られる様な者達の事である。
ジョブは武器やステータスに補正がかかる為に積極的に変更すべきだが、ジョブチェンジには金がかかると言う優しくない仕様である。
貴族の中に騎士のジョブ持ちが多いのも神殿に支払う額はそれだけ平民にとって負担になるということであり、ジョブ補正は言うまでも無く下位職よりも上位職の方が高い。初期職で戦闘が出来る鬼人の頑丈さが異常であるとも言える。
防御陣形を作ったうえでトーマス隊長は部下の治癒師に異常状態を解呪する効果のある【鎮静】を唱えさせる準備をさせる。
本人の意思に反して此方に攻撃を仕掛けるそぶりを見せた時点で強制的に暴走を止めるためである。
因みに大暴走中の魔物に掛けても効果はなく調教師の支配下にある従魔に掛ければ【鎮静】は有効である。
【鎮静】は元々、精神異常状態に効果のある治癒魔法だが、使用方法としては暴徒の鎮圧に使われる事もあり、自警団や領主軍の魔法師の適性のあるものなら必修となっている魔法でもある。
治安を維持する者からしてみれば、暴徒を武力によって鎮圧するのは後に禍恨を残す可能性が高い以上は代替え手段があるのであればそれに頼るのは当然の事であった。
暴徒は犯罪者であると同時に彼等から見れば守るべき存在でもあるからだ。
首謀者には相応の処罰が下されるのは当然のことだが扇動された者に対してまで厳罰を下す必要はないと多くの人が考えており、犯罪者を収容する施設に物理的な限界があるが故の措置である。
これがランスカ王国以外の国であったのなら問題ではなかった。
鬼人というだけで殆んどの権利を制限されている為にその必要がないからである。平民と貴族の間には越え難い壁があるが平民同士は基本的に同権であるのが、ランスカ王国の基本的なスタンスだからである。
帝国の様に市民にも階級をつける国であったのならば国民扱いすらされないのが鬼人の立場であるからだ。
ゴウキは狂化することで殲滅スピードが上がるが、それ以上の打開策はなく兵隊を産み出すクイーンアントをどうにかしない限りは対症療法は出来ても根本的な解決にはならないことはこの場にいるもので理解していない者はいない。
逃げ込めるのであれば、冒険者ギルドほど安全な場所は無かったが、護衛任務としては難易度が高すぎる。
冒険者だけなら強引に突破することも不可能ではないのかも知れないが、足手纏いの存在が複数いる現状では難しい。
当初の予定では大暴走が確定となった時点で住民の殆んどを西部へと疎開させる予定であったが、代官側はこれを現実的ではないとして拒否した経緯がある。
代官はそもそもクライン辺境伯に代わってポートロイヤルを統治しているだけの存在であり、明らかに自身の権限を越える決断をすることができなかったのだ。
代々、一族が任されてきた地位を失策によって奪われる事を恐れた自己保身の行動ではあるが、住民の中で広まっていた噂が疎開を容易にさせなかった。
この街に住む住民はクライン伯領の領民であり、ポートロイヤルに財産を持つ者達である。街を捨てて疎開するとなれば一時的にとはいえ領民の財産は領主軍に接収される事になる。
建物であれば魔物に破壊されない限りはそのまま返還されるだろうが食料や金銭価値のある物はそのまま領主軍の物となり、補償が一切されないという噂だった。
領主としてのジョセフの考えは、領民一人に対して最低限の生活が出来る様に物品や金銭の補償を行うつもりである。
領主として領民の生活を守るのは義務であると考えるジョセフにとっては当たり前のことだが、それでは一時的でも他の街に対する課税を重くせざるおえないとしてシャルルを筆頭とした文官は形式上は反対しなければならない立場だ。
ポートロイヤルの住民はその日暮らしに近い生活をしている者も多いが、裕福な者も当然いる。
富裕層の多くは魔境から出る魔物の素材を取引する事によって財を成した者が多く、財産の全てを持って疎開する事が不可能な事から自分の財産を守る為にこの様な噂を流したのだ。
金を持っているという事は少なからず影響力を有しているという事であり、他の街に伝のない住民や移動するだけの体力や財力を持たない者達が街に残る事になったのだ。
古くからポートロイヤルに住む者達は大人しく持てるだけの財産を持ってクライン辺境伯領の西にある他の街へと移動した。
正式発表した後に他の街に移動する一団にエバンスが少ない戦力から護衛を出したのも行動を後押ししていた。
定期的に冒険者や領主軍によって魔境の浅瀬にいる魔物を討伐されてきたが、起こるときには問答無用で発生してしまうのが大暴走である。
敢えて街に残る事を選択したのは後方支援の出来る者達であり、元冒険者も追従した。防衛する側からしてみれば守るべき対象は少ない方がよい。
防衛手段を持たない周囲の村人を収容する事は有事に求められる事の一つではあるが戦う対象が魔物であった場合には勝手が異なる。
大きな違いは相手が降伏を認めるかどうかにある。
軍同士の衝突であれば捕虜や奴隷という形でも生き延びれる可能性はあるが相手が魔物だった場合にはただ殺されるだけである。
交渉の余地のない戦いは一方が一方を滅ぼすまで止まることはないのだから当たり前だ。トーマス隊長はまたしても決断を強いられる事になる。
均衡が崩れていない今だからしか出来ない決断である。それは全滅を覚悟して戦う事を選択するか。
或いは住民を可能な限り移動させて後は運に任せるという博打である。自分達が全滅する分にはそれは運命だと諦める事が出来るが、それにソラを巻き込む事だけは出来ない。
命令は絶対であり、槍聖の弟子とも呼ばれる様になり始めた者を死なす訳にはいかないと考えていたのだ。
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エバンス達、指揮本部にいるギルド職員は避難してきた住民を落ち着かせると同時に新たな手を打っていた。エバンスは大暴走の発生を予知した際に大陸に広まって活動しているかつての仲間に連絡をとっていた。
その中には王級職の者もいたが今回、呼び寄せようとしたのは冒険者ギルドの中でも特別の地位にいる者達だ。
【特務管理官】と呼ばれる彼等は現役冒険者として活躍しており各々がSランクに分類され、その実力は大陸中へと広まっている。
その内の一人は鬼人であり弟子を送ると言ったきり連絡が取れなくなっていたが、迷宮を攻略中であり余計な事に気を取られたくなかったらしい。
報酬として提示されたのが、名酒でありその希望通りに品を揃えるだけで莫大なコルが必要になるが、惜しみなく使ったのにも関わらず全てを揃える事ができなかった為だ。
特務管理官の存在自体が支部長以上の役職に就く者だけに開示される情報であり、ギルド統帥の直轄部隊なのだから、弟子でもかなり有用な戦力である事は間違い無かったのだが纏まりがないのが欠点である。
冒険者ギルド本部に直通の魔道具を取りエバンスは溜め息をつく。
長距離通信には莫大な魔力を有する魔石が必要となる為に、この魔道具の使用も支部長の許可が必要なものだ。
それらしき報告が上がった時点で竜便による報告書を本部に出したが、返事は返って来ていない。その為に使いたくないと思いつつも必要に駆られて使用する事になったのだ。
距離が離れている為に幾つもの交信所を経由して通信するため繋がるには若干のタイムラグがある。そもそも使用できるのが限られた者だけなので盗聴の心配がないだけまだましだろう。
「俺だ。エバンスか」
「はい。大暴走が発生して現在ポートロイヤルは防衛戦を行っています」
「そうか。今しがたランスカ王国のクライン辺境伯より正式な依頼が来て受理した。ランスカ王国の冒険者は好きに使え。近隣のAランクパーティを派遣するからそれまで堪えろ」
簡潔な言葉だけでこの会話は終わる。流石の王国も自国の戦力だけで対応できないと悟って冒険者ギルドに依頼したのだろうが、対応は遅すぎる。
傭兵団が移動し始めているという情報を掴んでいてこの対応ならば言いたくはないが、国主は平凡な能力しか持たないのだろう。暫くすると通信道具が振動して通達を行う。
「統帥の権限において発する。ポートロイヤル支部長のエバンスの命令に従いランスカ王国にある冒険者ギルド支部は全力で大暴走に対応せよ」
明確な決まりはないが支部ごとに格というものがある。本来であれば各国の首都に置かれたギルドマスターが先頭に立ち大規模災害である大暴走に対応するのが暗黙のルールとなっている。
だが全てのギルドマスターが戦いの指揮が出来る訳ではない。現場上がりのギルドマスターが武官であるのであれば、職員上がりのギルドマスターは文官である。
首都のギルドマスターには、職員上がりの者が就任する傾向があるがそれは冒険者ギルドの全権を握る統帥の政治的な配慮でもある。
現在の冒険者ギルドは武官派が優勢ではあるが殆んどの場合は文官派が優勢であるのは周知の事実である。
ダンデフが統帥となったのも誰もが攻略できないとされていた大迷宮を攻略したのが当時、彼が率いていたクラン【暁】だったからだ。
エバンスもクランメンバーの幹部として勇名を知られているが、ランスカ王国でギルドマスターをしているのはそれ以上に聖人を崇拝しているランスカ王国の特殊性からだった。通信室を離れ注目しているギルド職員に通達する。
「統帥権の一部譲渡が承認された。現時点を持ってランスカ王国内にいる全てのBランク以上の冒険者に徴集権を行使する事をここに宣言する」
独立性の高い支部間の柵はこの宣言によって取り除かれた事になる。
帝国が不穏な動きをしているとの情報もあるがあくまでも冒険者は対魔戦における戦力であって依頼として国が冒険者を戦力として扱う事は出来ない。
護衛として商人や有力者が冒険者を雇う事は黙認されているが、戦争は国の軍隊と傭兵によって行われるのがこの世界の常識である。
「ポートロイヤルの防衛は引き続きエレメンタルブレイブを筆頭にして領主軍・自警団と協力して行う。また深緑の森を召集して防衛にあたる事を宣言する」
ポートロイヤルは城塞都市アンデスを除けば人が住む領域で最も魔境に近い都市だ。
現状、アントによって街に侵入を許している状態だが、確実に増援が来ると分かっているのとそうでないとでは士気が異なる。
「東門の戦力は現状を維持する。他の門の戦力はここを含めて最低限を残してアントの掃討作戦を発動する」
エバンスの宣言によってギルド職員も制服から動き易い服装へと着替える。
職員達も現役の冒険者達と同等とは口が裂けても言えないがそれなりに戦える様に訓練義務を負った元冒険者である。
ポートロイヤル支部だけで対応にあたっていたランスカ王国で起きた大暴走は佳境を迎えようとしていた。




