十九話
ソラが地面を警戒するのは当たり前である。蟻系の魔物は地面の奥深くにコロニーを形成する特徴があり、油断をしていると足下から回避困難な攻撃をされるのは良くあることである。
一体が強くないのにも関わらず忌避される理由でもある。力を入れて攻撃するためには地面を強く踏む必要がある。
足場が無く力の込もっていない攻撃はよほどのレベル差がない限りは有効打になることはない。それならば隙が出来る攻撃をするよりかはじり貧となるのが分かっていても防御を固める方が得策である。
ソラは少量の魔力を地面に流して不意打ちを防ぐ。ある程度は物理防御と共に魔法防御を持たせる事ができる為に地中を移動する魔物に対して有効な手段となるからだ。
アント達は個体の強さはそこまででないため戦闘に介入するかどうかを決めかねている様だ。
ここで逃げ出せば、アントとシャドウウルフに挟撃される可能性が高い。一握りの土に魔力を通して足りない分は魔力で補い短剣を創造する。
牽制なら短剣より長剣の方が適しているだろうが、対応するスキルを覚えていないためまだ短剣の方が使い勝手が良かったが故の選択だった。
ソラが見た目が派手な火魔法を習得していれば話は変わっていた可能性が高い。魔物も動物である以上は本能的に火を畏れるからだ。
威力は低くても逃げる事くらいは出来たであろう。ないものねだりをしていても仕方がないことだが、状況はそれだけ悪い。シャドウウルフには尊い犠牲になってもらうとしよう。
蟻は甘い物を好んで食べる。蜜はこの世界では高価であり、きちんと精糖された白い砂糖は珍しく更に高価であるため、甘味といえば蜂蜜となる。
テイマーならまだ安全に蜜を採取することは出来るが養蜂家の全てがテイマーとしての才能があるわけではないため、必然的に魔物からとれる蜜の量はそう多くはない。
カイトや妻のフーカであれば問題なくハニービーだろうがクイーンビーだろうが討伐できるだろうがそれでは継続的に蜂蜜を手に入れる事は出来ない。
交易品として女性に好まれるためわざわざ高い金を出して購入した訳だが、背に腹は変えられない。少量の蜜を先ほど作った短剣に塗り、シャドウウルフの小さい個体に投げつける。
不思議な事もあるものださっきまで介入するか迷っていたアント達はシャドウウルフに群れ始めた。リーダー級と思われるシャドウウルフは遠吠えで仲間を呼んだ様だが、ソラは既に戦線を離脱していた。
唯一の誤算と言えば服についた蜜の匂いで数体のソルジャーアントと戦闘になったことで、新しかった黒鉄の短剣に小さな傷が入ったことだろう。
土魔法で全てを討伐できれば良かったが、そこまで魔力に余裕がある訳ではない。魔力も使いすぎれば魔力欠乏症を引き起こし最悪の場合は死に至る。
武器は命を守る為の道具であるためメンテナンスさえすれば問題ない。
とりあえずは窮地を脱したソラであったがクルト村に近づくほど出現する魔物は厄介で個体の戦闘能力はあまり高くなくても集団戦において真価を発揮するタイプの魔物も多い。
毒耐性はある程度までは抵抗できるが能力低下を避ける事は難しい。その上で毒に対応する解毒薬を飲まなくてはならないのだから毒は厄介だ。
蟻酸は防具にかかると耐久値を下げ防御力も一時的に下げる事になるからだ。少しだけ浴びてしまっているため蟻酸を早く落としたいが水が無い。
水魔法を使えても魔力を温存する為に使わない場合もあり、そもそもソラは水魔法が使えない。
生活魔法で水を生み出す事も出来るが集中する必要があり、自分より格上の魔物が居ても不思議でない場所で警戒を疎かにするのは自殺行為である。
だからといって回復薬を蟻酸を落とす為に使うのは勿体無さすぎるので水辺が見付かるまでソラは我慢していた。
十五分ほど歩いた頃だろうか川を見付けて蟻酸を洗い流す。本来なら繊細な武器を水に浸ける事は避けたいが、川辺にも魔物はいる。
川から上がったらクルト村まではまだ距離があるため一度、休憩を挟もうかと考えていた時に何かの気配をソラは感じた。
敵性のものだろう肌を刺す様な感覚が危険を告げる。防具は洗う為に外しており、敵が接近する僅かな時間のうちに装備する。
水棲の生物は水の中で戦うのが一番強いが中には陸地にも適応している種がおり最悪な事に現れた亜竜人は陸地でも脅威だ。
皮膚は固く生半可な武器では刃が通らず器用に武器を扱って攻撃してくるためボブゴブリン以上オーガ未満の危険度として冒険者ギルドに認定されている。
黒鉄の武器では攻撃は通るだろうが、致命傷を与えるのには時間がかかる。
だがソラはついていた。ポートロイヤルに拠点を置き活動しているエレメンタルブレイブのサブリーダーであるアルトとその奴隷少女アイカがクルト村からポートロイヤルに帰還する最中であり、アルトの契約精霊であるフィーが不穏な気配を感じて契約者であるアルトに警告を与えていたからである。
「そこの人、早く此方に来て」
見知らぬ少女は普段であれば警戒対象であった筈だが、傍にいた男は何処となくエバンスと似た雰囲気を放っており、少女も外見に似合わずある程度は戦えるもの特有の雰囲気を放っていたため、声に従い警戒をしながらも近付いて行く。
「君はそこで武器を構えたまま見ていると良い。近付いてきても無理はしないで攻撃を凌ぐ事に専念してくれ」
男の言葉に従い、少女の傍で武器を構えたまま警戒を続けるソラ。少女はアルトならこの程度の魔物に負けるはずがないと知っているため、足手まといにならない様にだけ注意しているようだ。
男は腰に差してあった武器【刀】を抜き上段の構えをとった。ポートロイヤルでは武器の主流は長剣だったり槍だったりするが、近接戦の武器として刀を使う冒険者は殆んどいない。
剣は叩き斬る事に特化しており、純粋に斬る事に特化した刀は敵の攻撃を受けるという事を基本的には想定していないからだ。
切れ味を上げる事を意識した刀は剣よりも薄くそれ自体が武器ではなく、芸術品の様な黒い刃をしていたが、他者を圧倒する雰囲気を周囲に放っていた。
リザードマンは遠い過去に竜人と袂を分けた存在であるとされているが知能は魔物の中では高い方になる。
勝てないと分かっていても戦わないといけない場合もあるが、遭遇戦でたまたま出会った敵に有利であるならともかく現れた援軍は敵にしてはいけないと本能的に悟った。
間合いに入る愚をリザードマンは犯さず背後にあった川へと逃げ込む。アルトは水中戦でもリザードマンくらいなら問題なく仕留める実力はあるが、特に危険を犯す必要もないと考えて刀を鞘に納めた。
「悪いけど身分証を出して貰えるかな」
知らない人間を信用できるほどこの世界は甘くない。ソラもリザードマン以上に男の事を警戒している。ソラの身分証は冒険者ギルドプレートになる。
他者には詳細なデータは見れないがランクと名前くらいは元々刻印されているため冒険者という事を示すだけならそれだけで十分だった。
「Eランクのソラ君か。説教をしたい訳ではないけど君のランクだとこの辺りは早すぎる」
そういいながら首に掛けられていたプレートをソラに見せるアルト。
「僕はアルト。ポートロイヤルを拠点に置くAランク冒険者だ。この子はアイカ。訳あって一緒に暮らしているがこの子でもDランクだ」
確かにこの辺りは適正ランクはD~Cになる。最低でも出現する魔物を撃退できるランクは初心者を抜け出し一人前とされるDランクでなければきつい事は確かだ。
エバンスにもポートロイヤルを出る際には警告を受け、可能な限り危険には近づかない様にソラは気をつけていた。
「分かっています。私は魔法袋を持っているので身軽に行動でき、危険には近づかない様に気をつけて行動していました。リザードマンは確かに強敵ですが逃げるくらいは出来たと思います」
体に薄くではあるが気を纏い身体強化を行うソラ。アルトはそれを見る前からこの青年がエバンスから聞いていたソラであることに気付いていたが敢えて話をソラに振っていた。
「その位の気闘術はアイカでも出来るよ。君は少し自分を過信しているようだ」
アイカも気を纏う。気闘術より魔闘術の方が得意であるアイカの方がソラよりも強い気を纏っている。ソラはその事実に気付いたが、ソラが気闘術を使える様になってからまだ時間はそれほど経っておらず、稀人で気闘術を使える物は前線組やトッププレイヤーと呼ばれる者達でも数えるほどしかいない。
大地人と稀人の違いはSPを消費したかどうかでスキルさえ覚えてしまえば後は習熟度で威力に差が出るだけであり本質的には同じ物だ。
「それは自覚してます。ですが異変は待ってくれないですし、敵は突然やってくるものです。その備えのためにどうしてもカイトさんに会う必要があっただけです」
「カイトさんは僕も知っている。気さくな人ではあるけど知らない人間が気安く会える様な人ではないよ」
「アルトさん。知っているのにまだ誤魔化すつもりですか?マルコさんから貴方の話は聞いていますよ」
マルコは今でこそポートロイヤル冒険者支部の専属であるが、元はアルトがサブリーダーをしているパーティの一員であった。
冒険者はパーティを組み行動するがそのパーティも結成当時の人員ままという訳にはいかない。魔物に殺されたり、怪我を負ったことで引退したり、女性の場合は出産で現役を離れることもある。
マルコは安定を望みクランを脱退して専属冒険者になっていた。マルコもAランクになる素質は十分にあるが生きていてこその冒険者でもある。
専属冒険者も危険がないとは言えないが槍聖エバンスの下で働けるのは思われている以上の価値があるのだ。
依頼の傍らでエバンスと訓練できることも少なくはない。エバンス自身が有事の際には先頭をきって冒険者を指揮する立場である以上は体を鈍らせる訳にはいかない。
大暴走の兆候がある今は特に魔境に対する警戒を厳にして領主軍とも連携を密にして事に当たるべきである。
「マルコか。口が軽いのは相変わらずか」
苦笑と共に昔の事をアルトは思い出したのだろう。
「ソラ君。君はクライン辺境領に居る人間の中でも重要人物だという自覚はあるかな」
「俺が稀人だからですか。アルトさん貴方もクライン伯に庇護を与えられた人物の一人なのではないのですか」
アルトが腰に下げている魔法袋はソラが持っている物と同一の物だ。簡単に与えられる代物ではなく、Aランク冒険者というだけで貴族は重臣として囲う価値を持つ。
武力は他国の貴族だけではなく自国の貴族に対しての切り札となり得る。Aランクは実質的に人類の中でも屈指の実力を持つ者だけがなることができ、近衛騎士にも劣らない実力を持つ。
対人ではなく対魔であれば近衛騎士数人分の働きをするかも知れない。
それだけで領内の治安は良くなり有事の際には重要な戦力になる。傭兵は金で動くならず者という感覚は貴族や平民のなかで浸透しており、直接の脅威となる魔物を多く狩ってきた高ランク冒険者の方が信頼されるのは仕方がないことである。
「これはこの子を守る為に行動した結果、クライン伯から与えられた物だ。冒険者は自由だ。Aランクになれる実力があれば金に困らないし、最悪は山の中だろうが森だろうが生きていける。だが今の君はどうかな」
今のソラにとってクライン伯の庇護は枷である。実力があっても平民でしかないアルトは権力に対して基本的には無力である。
しかしアルト程の実力があれば活動拠点をランスカ王国だけに限定する必要がない。駄目なら他の国に移動すれば良いだけで冒険者は国家間の移動を優遇されているため、国に縛られない。
一山いくらでの価値しかないCランク以下の冒険者とBランク以上のベテラン、一流のAランク冒険者では根本的に扱いが異なる。
強制依頼は断るとギルド員資格の剥奪や罰金といった罰があるが、素行の悪い冒険者でもない限りはギルド員資格の剥奪は有り得ない。
冒険者ギルドが賞金を懸けても捕縛もしくは殺害できる人間が限られてしまう以上は穏便に済ましたいと考えるのが人間と言うものだ。
流石に民間人の殺害などをした冒険者はギルドの威信にかけて始末されるが、労力と成果は釣り合わない。強制依頼も断ると罰則があるというだけで基本的には報酬が高い。
冒険者の殆んどはそれ以外になれる職業がなかった者だが、武芸を極める為や親しい者を魔物に殺されたからなる者も一定数いるのだ。
アイカの様に生家が貧しく奴隷として親に売られたケースも無くはないが、生きる術を得る為に高位冒険者の指導の下で多くを学べるのは幸運なことである。
大概の冒険者は気闘術を指導できる人間に恵まれず本来の肉体強度のまま危険な狩りに出る事を強いられる。
気闘術を教える体術道場も街の中に存在するが、才能が必要という事もあるが、毎月の指導料すら支払う余裕がないものが多いからでもある。
高位冒険者の多くが強制依頼を断らない理由であり、金に不自由することが少ない冒険者が次に求めるのは栄誉だったり権力だったりする裏事情もある。
強制依頼は街に襲来する不測の事態に対する緊急召集という側面が強い。一般人では対応できず領主軍は基本的に対人戦を想定しているので役立たずとは言わないが対魔戦に不慣れな者も多い。
となれば対応するのは冒険者の仕事となり命の危険があるが、緊急依頼で命を落とした冒険者に対して冒険者ギルドは街にある共同墓地への埋葬から冒険者のパーティに対して少額ではあるが、報償金も出す。
大暴走で亡くなった冒険者に敬意を表して石碑を建てる街もある。報われる事の少ない冒険者稼業だが、一人の冒険者の活躍によって多くの命が救われたり、たかが薬草採取と思われるが薬を待っている患者がいる以上は無くなっては困る職業でもある。
ソラは今は無力である。個人で権力も金もあるクライン伯の意向に逆らう事は難しい。それが出来るのは高位冒険者か大商人くらいである。
その地盤固めの為に権力者の力を借りるのは得策ではないことをソラは知っている。現実世界でも仕事は出来ないのに上司に好かれているから楽や出世をしている者がいるのに対して逆に仕事は出来るのに疎まれて平社員でしかない要領の悪い人間もいる。
長い物に巻かれるのはある意味では社会で生きる為の処世術であり、それが嫌なら転職するか、自分で事業を興すしかない。
宙人は会社を辞めた上でRMTで何とか生活する術を確立したが、全てのゲーマーがRMTを主収入として生活できる訳ではない。
MMOはプレイ時間に比例して強くなる傾向はあるが、レアアイテムをゲット出来るかはリアルラックが試されているとも言われる。
物欲センサーと言ってゲーム内でドロップ率が低いアイテムを求めている時には中々手に入らずそうでない時にはレアアイテムがあっさりと手に入る事もある。
そんなソラだからこそアルトが言わんとしている事は分かる。地道に冒険者として歩んだ方が厄介事は少ないのは理解している。
だがゲームである以上は人生と違ってやり直しが可能であるのは事実だ。キャラリセットするのは痛いが、最終手段としてあるだけでも大分異なる。
人生はやり直したくても一度でも転落した人間をそう簡単には立ち直らせる様には出来ていないのを実感した今では尚更だ。
「アルトさん。リスクがあるのは理解してます。貴方がアイカさんを守ろうとした様に譲れないものを守る為に貴族と対立する事もあると思います。クライン伯がどう考えているかは分かりませんが、この機会を最大限に利用してみるつもりです」
アルトは苦笑する。弱点を見抜かれた様だった。アイカと生活は最初は感傷でしかなかったが、今では自分の生活の一部となっている先輩冒険者としてまた人生の先輩としての忠告だったが、杞憂に終わりそうだ。
稀人は独自の思想を持つとされているが貴族に対する警戒心があると分かったのも安心できる要素だった。
本当の意味での理不尽さは実体験しなければ分からないだろうが、クライン伯は権謀術を好む性格をしていないし、まだ直接は数回しか会った事はないが、領民の生活は厳しい土地であるにも関わらず悪くはない。
クライン伯が領主として善政を行っている証左であり次の世代のことまでは分からないが、まだクライン伯領が発展の余地を残しているということである。
となると今の問題は無謀にも単独でクルト村に向かおうとしているソラであり、時間は有るが何が起こるか分からない状況で時間の浪費が思わぬ結果を生む事もある。
どの様な提案をするか迷うアルトの姿がそこにはあった。




