漆
俺と……。
俺と同じ顔だ。
何がどうなっている?
こいつの顔を見れば解る? いいや解らないね、まったく解らない。
呼吸を整えた律は、俺の顔を見て静かに、ゆるやかに口を開いた。
「一年二ヶ月前の、交差点での交通事故。その時に一人の少年が亡くなり、死体が消えた」
「死体……消失事件?」
「そうだ、なあ? 祈莉」
祈莉は泣きながら、目を伏せて会話には参加しようとはしなかった。
それでも構わず律は話を続ける。
「その少年を好きだった少女は、少年を作ろうと考えたの」
「作ろうって……どういう……」
「少女は自分の想像を現実に変換できる力を持った特異者だったのさ」
その少女……。
……まさか。
「それで少年を作ろうとしたが、人間を作り出すのは非常に難しい」
祈莉は空気が抜けたかのように、俺から手を離した。
俺は、祈莉を見て、様子を窺う。
どうして……。
どうして俺を見てくれない?
……祈莉。
「完璧に彼と同じ身体にすべく毎日修正を繰り返し、記憶や性格の欠落、それらを私の力で補い、一年二ヶ月を経て彼が完成した」
「一年……二ヶ月だって?」
「ええ、一年二ヶ月よ。一人の人間を作るには、早いほうだと私は思う」
一つ一つ、何かが繋がり始めている。
それを俺は感じていた。
「周囲には私の力で、彼は一年二ヶ月間普通に過ごしていたとし、交差点の事故も出来る限り有耶無耶にさせたわ」
俺は、祈莉を見続ける。
彼女が俺に目を合わせてくれると信じて。
「一年二ヶ月間、彼の記憶は開いてしまうがどうしよう。そんな課題には、私の力で“彼が目覚めて困惑した時、タイムスリップへと思考が誘導されて、特異者という存在を見せびらかす事で信じ込ませよう”と。その後彼と接触して逐一疑問を私の力と言葉で調整すればいい、何かあっても大丈夫だと確信していた」
律は言下に小さな溜め息をついた後に再び口を開いた。
「そして彼は目覚めた、でも……一つ誤算があった」
その誤算……とは?
「半年前から起き始めた猟奇事件、その事件を起こしている人物が“亡くなったはずの少年”だったの」
それが、目の前にいる彼?
レインコートの男、顔は俺と同じ。
「祈莉……なら、俺は……」
幼い頃の記憶、思い出、生きてきてこれまで過ごしていた事はみんな憶えてる。
いつも朝は素っ気無い言葉の交わし合いで始まるけど、俺は家族と仲がいいほうだと思ってる。
母さんの作る朝食は好きだ。
妹の瑞希とはそんなに話はしないが見る映画や番組がよく合うので特に衝突もせず家では一緒に映画を見る時もあったりする。
父さんは基本的に無言、でも何かあるとためになる話や楽しい話をしてくれて、あれが欲しいとおねだりなんかすると忘れかけた頃に買ってきてくれる。
俺の家族とはそういうものだ。
祈莉とも幼い頃からの付き合いで、お互い知らないものなどないくらいに深く知り合っている。
何も話をしなくたって、何故か楽しいし居心地がいい、祈莉の頭を撫でてやると幸せな気分に浸れる。
引っ込み思案の性格は治して欲しいが、今のままでもそれはそれで可愛いから、これはこれでいいかもとか、思ってたりする。
――これら、の記憶は……?
――俺というこの人格、性格は……?
俺という、存在は……?
「俺は……何なんだ?」
祈莉は顔を上げた。
涙で顔がぐちゃぐちゃで、打ちのめされたかのような光の無い瞳をして、じっと俺を見つめる。
「あ、貴方は……」
言葉は止まる。
溢れ出る涙を止められず、彼女はただただ俺を見つめるだけだった。
「ははっ……」
わけが解らなくなって、乾いた笑いを出した。
「……俺は、代用品?」
「ち、違う!」
自分でも、何を言ってるんだろうって思った。
本心ではないけど、頭がうまく回らなくて、何を言いたいのかも解らない。
「私は……ただ……貴方と……」
解ってる、解ってるけど、どうしようもなく心が締め付けられて、辛かった。
律はレインコートの男……に歩み寄り、そっと手で肩に触れた。
「もしも理性がまだ残っていれば、できる限り引き出してみよう。ここにいられる時間も僅かだ」
周囲は火に囲まれている、まだ燃え上がりが弱い場所が所々あるのでなんとか逃げ切れるが、逃げられるうちに早く動かなければならない。
レインコートの男……は、しばらくしてゆっくりと目を開けた。
瞳を動かして俺達三人を見て、祈莉でその瞳が止まる。
右目は色が良く、左目の黒目はやや白くなりかけていた。
全身いたるところにがたがきているようだ、それでもあの怪力を引き出せるのは、彼が特異者で、その力によるものなのかもしれない。
「い、の、り」
彼は手を差し伸べた。
祈莉へ、震えるその手は今にも崩れてしまいそうだった。
祈莉は歩み寄り、その手をぎゅっと握る。
これは……。
再会なのである。
祈莉と、本当の……俺との。
言葉を交わす事は無かった、必要が無かったのだ、二人の間には。
お互い、目を合わせるだけで通じ合う何かが感じられた。
次に彼は、視線を俺へと移した。
何か求めているのか、俺は彼の傍に歩み寄った。
彼は俺の肩に触れる。
あの手招きは何だったのか、俺に何をさせたかったのか。
それを知れると思ったが、彼は何も言わず、手を離した。
祈莉とも手を離し彼は、
「行っ、て」
最後にそう言った。
彼は、ここに残るつもりだ。
この燃え上がる工場に。
「だ、駄目……駄目……」
祈莉は彼を連れて行こうとするが、祈莉の手を彼は振り払う。
「……祈莉、彼には時間が無いの。身体も崩れていく、それならば選ばせましょう」
選ばせる……とは。
彼の、死に場所って事……か。
「でも……!」
彼は、最後に右手を伸ばして、祈莉の頭を優しく撫でた。
俺がよく祈莉の頭を撫でるように。
泣きじゃくる祈莉に、彼は笑顔を見せて手を下ろし、目を閉じた。
律は祈莉の手を引き、先にその場を離れる。
彼女をここに少しでも留まらせるのはまずいと判断したからだ。
どれくらい彼の理性が留まっているかは解らない、確かなのは、この工場が完全に燃えて彼が焼けるまで律の力は今の弱った彼になら理性を留まらせてくれるだろうとの事だ。
俺は楽田を抱えて、最後に、彼に別れを告げる。
「さよなら、本当の……俺」




