伍
楽田は両手のビー玉を宙へ放り投げた、同時にポケットに両手を突っ込み、次のビー玉も補充。
この場にいては非常にまずい。
俺は祈莉の手を引いてその場を離れた。
中に投げたのは四つ、次もまた四つ時間差で投げるつもりだ。
合計八つのビー玉、それも小さいものではなく大きいもの。レインコートの男が逃げられないように広範囲に投げたはず。
一つでも当たれば大怪我は免れまい。
重々しい落下音が四回聞こえた、続いてまた四回。
骨が折れる音や鈍い音はしない、レインコートの男は全てのビー玉をかわしたようだ。
物陰へと俺は祈莉を連れて身を潜めた。
レインコートの男と楽田の戦闘に巻き込まれたらひとたまりも無い、ここでしばらく様子を見るのが良さそうだ。
「祈莉、奴とお前はどういう関係かを教えてくれ」
「わ、私と……彼は……」
祈莉は口篭り、俯いた。
「あいつは俺に何をさせたいんだ? 俺の家の前に立っていたり、手招きして誘っていたりしててさ、お前はあいつの目的を知ってるんじゃないか?」
祈莉は何も言おうとはしなかった。
どうしてここまで隠そうとするんだ……?
まさかレインコートの男は俺の知っている人物だったりするのか?
「あいつの正体、俺の知ってる奴?」
「し、知らない奴!」
咄嗟に祈莉は否定する、益々怪しい。
俺の知っている人物で間違いないようだ。
でも誰が?
……ここにいない人物で、俺が知っている人物。
……律? いやまさかな。
体格的にあいつは男、だと思う。レインコートは大きめのサイズでシワも寄っていて判断は難しいが、多分、男……だよな。
でも律はどこに行ったんだ?
公園に向かっていたのならば刑事さんが乗っていた車両も目撃し、そこに落ちていた地図も見たはず。
レインコートの男に攫われたという可能性も考えたがここにはいない、彼女が車両付近に倒れてもいなかったので襲われてもいない。
公園にもその周辺にもいなかった、なら律はどこに行った?
俺が思考を巡らせていると、それを遮断したのは何かが折れる音だった。
続いて激しい物音と重々しい落下音がいくつも聞こえてきたが、それからは火に焼かれて鳴く木々の音だけが工場内に漂う。
物陰から覗いてみると、楽田は立ったまま動かずにいた。
もしかしてレインコートの男を倒したのか?
思わず物陰から上体を乗り出して駆け寄ろうとしたが、俺はすぐに足を止めた。
楽田に違和感を感じたからだ。
左右に上体を揺らしている。
しかもその右腕、ありえない方向に揺れていやしないか?
すると楽田は、糸が切れたかのように膝を折り、倒れた。
「ら、楽田……?」
返事は無い。
楽田の左手の指が開かれ、ビー玉が転がってきた。
彼は、レインコートの男に倒された、ほんの数分で、いとも簡単に……。
まだ生きているだろうか、さっきの折れる音は右腕の骨だ、五体は何も失っていない。
もし生きているのならばすぐに駆け寄って工場から逃げ出したいが、楽田の近くにはレインコートの男が立っていた。
ドラム缶が横になってしまっていて廃材に火が移り、火は辺りに広まっていた。
あまりにも火の移りは早く、激しくなってくる。
そこらにガソリンが染み付いていたのだろう、工場は天井も高いおかげで煙にやられる心配はまだ無いが逃げ道が火によって絶たれる前に楽田を連れてここから離れたい。
でも、その前にやる事がある。
レインコートの男とどうしても俺は向き合わなければならない。
奴が特異者で、一年二ヶ月前から俺を連れてきたのだとしたら、彼の目的を。
そして、奴の正体も知らなくてはならないのだ。
「だ、駄目!」
祈莉は俺の袖を掴んで止める。
俺を止めたいのならば腕を全身の力を込めて掴むとかしないとな、祈莉。
「絶対に、駄目!」
そう、そうだ。
腕を掴まなければね。
でも無駄だ、君は俺を何が何でも止めたくても、腕を全身の力を込めて掴んでも、止まる気は無い。
君の力じゃ止められない。
それにレインコートの男自らこちらへ向かってくる、奴と向き合うのはもう決定事項だ。誰にも止められない。
「祈莉、いい加減にしなよ」
そこへ、少女の――律の声が聞こえてくる。
聞こえてきた方には……レインコートの男が立っている。
まさか……。
まさか……?
いや……違う。
奴の後ろに律はいた。
「危なかったわ、今は私が抑えてるおかげで彼は死なずに済んだ」
レインコートの男に触れて、彼女はそう言う。
背中に軽く触れてるだけで、抑えてるとは言えないが、何故かレインコートの男は動きを止めていた。
「楽田が死にそうになったのは、こいつのせいじゃない。祈莉、貴方のせいよ。解ってる?」
「わ、私は……」
「律……これは?」
何がどうなっているのか、二人の会話に含まれている意味は何なのか、思考が追いつかずに俺は言い終えても口をぽっかりと開けていた。
「ごめんなさい、私ね、嘘付いてた」
「嘘?」
「それもいっぱい」
「なんだよ……どうして今ここで言うんだ?」
「関係があるからよ」
彼女は、レインコートの男に触れ続ける。
それが何か大切な意味を含んでいるのは容易に解った。
そしてその行為の説明もおそらく今話される、俺はそれを察して素直に聞く側へと身を置いた。
「過去を読み取るなんていうのはね、正しくはなかったの。正確には“人の精神と人の感情が込められた物に干渉して読み取りや植え付けを行える”のよ。他には“記憶を誰かに植え付ける”事も出来るわ」
聞いただけでは今一理解には到達できなかった。
「今私が彼に行っているのは、精神干渉をして抑制を植え付けてる。だから彼は動けないのよ」
……要するに強制的な命令みたいなのを出来るって事か。
「この様子じゃあ、もうまともに話をする事も出来ないわね。彼は今なら目の前に映る人間全員を襲うわ」
「……こいつを知ってるのか?」
奴をよく理解しているような言い方だった。
「ええ、知ってるわ。とってもね、教えてあげましょうか?」
「待って!」
祈莉が唐突に横槍を入れて、俺とレインコートの間に入った。
祈莉のその行動に、律は溜め息をついて言う。
「祈莉、もう遅いの。貴方がどれほど阻止しようとしても、もう手遅れ」
「手遅れじゃない!」
初めて見る、祈莉が激情に駆られるところを。
「まだ、まだ間に合うから! だから、お願い!」
「何が間に合うだ馬鹿!」
律も同じように激情に駆られていた。
俺は、話に入る事も出来ず、ただ三人を見るしかなかった。
レインコートの男の首がゆっくりと動く、俺を見ているようだ。
律の言う抑制とやらをやられているので動けはしないらしいが、それでも怖い。
「一年二ヶ月前からもう手遅れだったでしょう!」
「……一年、二ヶ月前?」
一体、二人は何の話をしているのだろう。
祈莉は俺に背を向けたままで、こちらを見ようともしなかった。
「教えてやる、聞け」
「駄目……」
「貴方は……本当は」
「駄目……!」
「タイムスリップなんかしていないのよ」




