第2話 玉座は、座り心地がよろしくない
「陛下、お着替えを」
「お髪を整えさせていただきます」
「本日のご予定をご確認ください」
「陛下、ご朝食はいかがなさいますか」
「陛下──」
「陛下──」
「陛下──」
陛下陛下陛下陛下。
ニコは、宮殿の控えの間で、十人がかりで身ぐるみを剥がされながら、頭の中で完全に発狂していた。
(多い!人が多い!なんで着替えるのに十人もいるんだ!俺一人で着替えられるよ!ていうかこの服なに!?刺繍が金!ボタンが宝石!俺の月収より高い!いやたぶん年収より高い!)
鏡の前に立たされる。
そこに映っていたのは、見知らぬ青年だった。
深い藍色の宮廷衣装に、白い肩布。胸元には金の徽章。後ろに撫でつけられた髪。
少し目を伏せれば、確かに、若き王に見えなくもない。
顔の系統が、たまたま似ていた。
似ていなければ、こんな悲劇は起きなかった。
「陛下、本日も凛々しくあらせられます」
「あ、ありがとう……ござ……」
「?」
女官の一人が、ふと首をかしげた。
若い、十七、八くらいの娘だ。
栗色の髪を結い上げていて、妙に勘がよさそうな大きな目をしている。
名札のようなものに「フィア」と書いてあった。
「陛下、本日はいつにも増して……お声が、お優しゅうございますね」
「えっ。あ、そう?ははは、はは……」
「ふふ。それでは、参りましょうか」
フィアと名乗った女官は、にっこりと微笑んだ。
その笑みが、なんというか、
(こいつ、絶対気づいてる。気づいてて、面白がってる)
ニコは確信した。
しかし、指摘される様子もない。とりあえず今は、それが救いだった。
「陛下、朝議の間へ」
胃痛の男クラウスは、王の侍従長らしい。
クラウスに促され、ニコは長い長い廊下を歩く羽目になった。
歩き方も指導された。背筋を伸ばせ、視線は前、靴音は静かに、急ぐな、しかし遅すぎてもいけない。
(なんで歩き方まで決まってるんだよ!市場じゃ「速いやつ」「うまいやつ」「安いやつ」しか正義じゃないんだぞ!)
朝議の間。
巨大な扉が、両側から音もなく開く。
その奥に広がっていたのは、長い長い卓を囲んで居並ぶ、十数人の重臣たちの姿だった。
みんな、とんでもなく豪華な服を着ている。
みんな、とんでもなく真面目な顔をしている。
みんな、とんでもなくこちらを見ている。
「陛下のご臨席であらせられる!」
ニコは反射的に逃げそうになり、クラウスに肘で押されて踏みとどまった。
奥のほう、一段高くなった場所に、玉座があった。
赤いビロード、金の装飾、背もたれに精緻な彫刻。
あれに、座るのか。
俺が。
市場で魚運んでた俺が。
足が震えた。膝が笑った。
でも、ここで震えていたら、たぶん全員に「いつもと違う」と気づかれる。
気づかれたら、たぶん俺は不敬罪で首が飛ぶ。
首が飛んだら妹の薬が買えない。
妹の薬が買えなかったら、俺は母さんに殺される。
よし。
腹を、くくれ。
ニコは、まるで生まれたときから玉座に座る家系だったかのような顔をして、悠々と段を上った。
心の中では、子犬みたいに震えていた。こちとら、生粋の平民だから。
座面は、思ったより硬かった。
ふかふかなのは表面のクッションだけで、その下は石でできていた。
(玉座って、くつろげる場所じゃないんだな。背もたれにまで、なんか重たいのがぎゅうぎゅうに詰まってる気がしてくる)
「では、本日の議題に移ります」
宰相と紹介された老人──ガルシア卿が、重々しく口を開いた。
白い髭、鋭い目、いかにも保守派の権化、という顔つきだ。
「第一の議題は、王都中央市場通りの石畳補修案でございます」
市場通り。
ニコの、ホームグラウンドである。
心臓が、どくんと跳ねた。
「景観統一の観点より、当該通りの石畳を全面改修いたしたく存じます。総工費は金貨七百枚。工期は三月。期間中、市場は南半分を閉鎖といたします」
ニコの内心が、爆発した。
(は!?南半分閉鎖!?南半分って魚屋とパン屋と八百屋と、つまり市場のメインじゃねえか!三月閉鎖したら商人みんな干上がるぞ!しかも金貨七百枚!?それ全部税金だろ!?てか石畳ってそんなにボロボロだったか!?穴ぼこは確かに二、三箇所ひどいけど、全面張り替える必要あるか!?)
臣下たちが、みな、こちらを見ている。
王の判断を、待っている。
この、無言の、静かな圧。
全員が「お言葉を待っています」みたいな顔で、こっちを見ている。
怖い、怖すぎる。なんでこんなに静かなんだ。
市場ならもう、「高ぇよ!」「やめろよ!」って怒号が飛んでる頃合いだぞ。
ニコは、深く、息を吸った。
「……あの」
「はい、陛下」
「全面改修は、いりません」
ガルシア卿の眉が、ぴくりと上がった。
「と、申されますと」
「市場通りで穴がひどいのは、たぶん、三箇所くらいです」
「……陛下は、現地をご視察されたので?」
(しょっちゅう走ってるよ!)と叫びそうになるのを、ニコは全力で飲み込んだ。
「ええと、近頃、報告で。なので、まず、穴のひどい場所だけ、部分補修してください。それなら工期も短く、市場も全面閉鎖しないで済みます」
「しかし景観の統一性が……」
「景観って、お金になりますか」
「は」
「いや、その、観光客が来る、とかなら、わかります。でも、市場の景観って、たぶん、客は気にしてないです。それより、雨の日に荷車が転ばない、ぬかるまないほうが大事です。あと、雨よけの防水布を、屋根の壊れてる店だけでも先に張ってあげてください。一枚銅貨数十枚で済みます。商人たちが助かります」
「……陛下」
「あと」
言葉が、止まらなくなってきた。
「工事中、商売を止めた商人の損は、誰が払うんですか。それ決めずに工事の話だけしても、商人は協力しません。協力しなかったら工期はもっと延びます。だから、補償の話を先に決めてください」
しん、と議場が静まり返った。
ガルシア卿は、口をあんぐり開けていた。
胃痛の侍従長クラウスは、こちらを凝視していた。眉間に深いしわが寄っていた。
何かを必死に考えているような、それでいて、ものすごく動揺しているような顔だった。
やってしまった、とニコは思った。
市場目線で喋りすぎた。完全に庶民丸出しだった。
いま、誰かが「陛下、ご乱心!」と叫んだら、人生が終わる。
しかし。
「……恐れながら」
末席の、地味な格好の役人が、おずおずと手を挙げた。
「陛下のご提案は、確かに、現実的でございます。商工会からも、全面閉鎖は避けてほしい旨の陳情が、実は再三参っておりました。ただ、宰相閣下のお考えと違ったため、議題に上げきれず……」
「……ふむ」
ガルシア卿が、しぶしぶというふうに唸った。
「では、本件、部分補修案にて再検討、ということに……」
「ありがとうございます」
ニコは、玉座の上でこっそりほっと息を吐いた。
第一議題、なんとか、突破。
しかし。
その後ろには、書類の山が、まだまだ控えていた。
(うそだろ。あれ全部、今日中に決めるのお?陛下って、毎日これやってるの?陛下の胃、鉄でできてるの?!)
胃痛のクラウスが、こっそりこちらを見て、何か言いたげな顔をしていた。




