第12話 ミステリ作家の苦悩 4/5
物語の視点は少し遡り、同日午後十時少し過ぎ。
翔虎は自室でパソコンのディスプレイを睨んでいた。
表示されているのは、矢川から送られてきた原稿だった。
昨日送られてきてその夜のうちに読破し、改めて目を通しているのだが、先ほどから画面はほとんどスクロールされていない。
翔虎は携帯電話を耳に当て話し込んでおり、そちらのほうに意識を集中させているためらしかった。
「……つまらないなんて言ってないじゃんか。……駄目だよ、これは矢川先輩が僕を見込んで読ませてくれたものなんだよ、いくら直の頼みでも、先輩の許可なく読ませられないよ。……え? だから……あ、大体、直、まだ『セパレートゼロ』も読んでないでしょ。先にそっちを読まなきゃ。……自分で買いなよ。本を買って、少しでも矢川先輩の生活を楽にしてあげようという――」
「あーあ」
と、スピーカーから聞こえ漏れる直の声は、
「翔虎、矢川先輩のことになると人が変わるんだから。そんなに矢川先輩のことが好き?」
「な、何だよ! その言い方! おかしなふうに聞こえるだろ!」
「好きなの?」
「好きじゃないよ!」
「あーあ、言ってやろ。矢川先輩、翔虎は先輩のこと全然好きじゃないし、尊敬もしていませんよー、って」
「尊敬はしてるよ! 話を変な方向に持って行くなよ!」
「じゃあ、翔虎が好きな人って誰?」
「え……?」
翔虎は黙った。
携帯電話を耳に当てたまま、反対側の手の指はキーボードの矢印キーに置かれ、画面内の原稿は無意味に前後に行ったり来たりを繰り返す。
「わっ!」
「きゃっ!」
翔虎と直が同時に悲鳴を上げた、二人の携帯電話のアラームが鳴ったのだ。目覚ましなどではなく、ストレイヤーの出現を知らせるものだった。
翔虎は携帯電話を耳から離し、画面上に立ち上がった地図を確認する。赤いマーカーが点滅しているのは、現在地、翔虎の自宅から十キロ程離れた場所だった。
「翔虎」
と、携帯電話から声がした、アラームに割り込まれたが、まだ通話は生きている。翔虎は元のように携帯電話を耳に当て、
「直、僕、行くよ」
「私も」
「駄目。マップを見ただろ。結構遠くだ。それにこんな夜だし。高校生が歩き回る時間じゃない」
「翔虎だって高校生でしょ」
「僕は、ディールナイトだから。亮次さんに連れて行ってもらおうとしても駄目だよ。亮次さんはそんなことさせないだろうし」
「わかったわよ」
「わかればよろしい」
「ねえ」
「何?」
「心配してくれてるの? 私のこと」
「……当たり前だろ。危ない戦闘に直を巻き込めない」
「……ありがと。気を付けてね。無理したら駄目だからね」
「う、うん、ありがと。じゃ、じゃあ、行くから……」
通話を切ると同時に亮次から着信があった。
「翔虎くん」
「はい、今出ます」
「送っていく」
「いえ、バイクで行きます。亮次さんの家からだと、ちょっとだけ遠回りになるし」
「そうか、じゃあ先行してくれ、私も追っていく」
「了解。あ、亮次さん、直が電話掛けてきても――」
「わかっているよ」
「よろしくお願いします」
翔虎は電話を切って、机の引き出しを開けた。
「こんなこともあろうかと用意しておいてよかった」
引き出しの中には、一足の靴が入っていた。翔虎はそれを履き、窓枠に足を掛けて部屋を出た。一階の庇に足を付いて、そこからは雨樋を伝って地上に降りる。
「庭まで行けば道場を挟んでいるから、変身しても気付かれないはずだ」
翔虎は広い庭で変身。ヘルメットを展開させると、ディスプレイのドラムを〈クラブ〉と〈ジャック〉に合わせて地面を叩いた。
翔虎は錬換したバイクのサドルに跨りグリップを握る。
庭から道路へ出るには居間の近くを通って玄関を抜けるか塀を乗り越えねばならない。
翔虎は後者を選んだ。アクセルを吹かし手頃な庭石のひとつをジャンプ台にして塀を跳び越えた。
タクシーの後部座席に神崎と矢川は並んで座っていた。
「矢川くん」
おもむろに声を掛けてきた神崎に矢川は、
「はい?」
「君はディールナイトの戦いを見たことがあると言ったね。学校に現れた時かね」
「あ、はい、それもあります」
「他にも?」
「はい。理事長、ご存じですか? うちの生徒が怪物に誘拐されたことがあって」
「ああ、もちろん知っている。無事ディールナイトに助けられたそうだな」
「その生徒っていうのが、俺の部活の後輩だったんです」
「ほう……」
「で、生徒をさらっていったバイク型の怪物を偶然見かけた人がいて、その人の協力で俺と部活のみんなとで怪物の後を追って、そこで」
「そうか、その戦いは映像がないから、目撃したのは君たちだけなんだな。どんな戦いだった?」
「驚きました。怪物が、さらっていった生徒を人質に取って――」
「人質に取った?」
神崎は、ことさら驚いたような口調で言うと、窓の外に投げていた視線を矢川に向けて、
「どういうことだ? 詳しく聞かせてくれ」
「あ、はい……」
矢川は呆気にとられたように、
「そ、その時はバイク型と、もう一体、右手が拳銃になった怪物がいたんですけれど、そいつが、こころちゃん――あ、さらわれた後輩です、の首に腕を巻き付け、拳銃を頭に当てて。まるで人質を取るようなことをして、それでディールナイトは身動き取れなくなって……」
「しかし、ディールナイトは見事怪物を倒して生徒を救ったんだな」
「はい、色々あって……」
「そうか」
と、神崎はしばらく黙った後、もとのように車窓に視線を戻し、
「ディールナイトの正体が本校の生徒だという噂があるが、君はどう思うかね」
「そ、それは、わかりません」
「そうか」
「……理事長」
「何かな」
「理事長が、ディールナイトや怪物のことを世間に漏れないように情報を封鎖したり、関係各所に圧力を掛けているっていうのは、本当なんですか?」
神崎は、その質問をされると矢川に顔を向け、
「本当だよ」
「え? どうして……」
「君たちが学業に専念できるようにだよ。マスコミに追い回されたり、警察に聴取を受けるのは嫌だろう」
「それだけ、ですか?」
「それだけ、とは?」
「いえ……理事長、あなた、何者なんですか?」
「私か、私は東都学園高等学校の、君たちの理事長だよ」
錬換バイク〈クラブジャック〉を駆って、翔虎は道路を疾走していた。時折左腕の携帯電話ディスプレイを見て方向を確認している。
なるべく大通りを避けて走っており、夜中ということもあるが、それでも道行く人たちに気付かれることも二回や三回ではなかった。指をさして何か喋っていたり、携帯電話を向けたり、拳を突き上げて叫んでいるのは激励しているのだろうか。
信号待ちで停車することを避けて細い道を選んで走っていることもあり、地図上のポイントと現在地の間隔はなかなか縮まらず、地図での見た目以上に時間が掛かっている。
携帯電話に着信があり、翔虎は応答ボタンを押した。ヘルメット内のマイクとスピーカーで通話を行う。
「翔虎くん、どうだ?」
発信者は亮次だった。
「思ったよりも時間が掛かっています」
「やむを得ないな。緊急車両扱いで大通りを信号無視して突っ切れば少しは早くなるんだがな」
「それはさすがにまずいでしょう。まあ、僕、免許ないのにバイクに乗って公道走ってる時点であれですけど」
「ヒーローの特権としてもらうしかない」
「変身しないでバイクで駆けつけたほうがいいかもしれません。道中人目を気にしないで済む――あ、でも乗ってるバイクがこれじゃ、やっぱりまずいか」
翔虎の駆る〈クラブジャック〉は、市販のものとは全く異なる近未来的なデザインで人目を引くことこの上ない。ナンバープレートなども当然付いてはいない。
ガソリンではなく、電磁モーターを動力としており、そのエンジン音も独特だった。
「あー、ここは止まらなきゃ」
翔虎の目前の信号が赤に変わった。脇道のない道路で、引き返すと大幅なタイムロスになってしまう。
交差する道路は大通りで、車の往来が激しいため信号無視して突っ切ることも難しい。翔虎は道路に歩道橋が架かっているのを見て、
「……走ります」
バイクを降りて左腕のタッチパネルを操作する。画面をフリックしてバイクのアイコンをゴミ箱にドラッグして消去した。瞬間、〈クラブジャック〉は灰燼と帰して吹き抜ける風に運ばれていった。
翔虎は歩道橋に向かって駆け出した。
神崎と矢川を乗せたタクシーは、次第にそのスピードを緩めざるを得なくなっていた。神崎が運転士に指定した場所まであと数百メートルというところで渋滞に巻き込まれたのだ。
「野次馬のせいだな……ここでいい、降ろしてくれ」
神崎がそう言うと、運転士は車を路肩に寄せて停車した。
後部ドアが開き、矢川が先にタクシーを降りた。神崎は札入れから一万円札を一枚取り出して運転席と助手席の間のトレイに置き、そのまま降車した。
「ここからは歩こう」
神崎は矢川の先を早足で歩き出した。
泰然自若としていた今までの振る舞いからは一変し、まるで遊園地で目当てのアトラクションに向かう子供のような、はやるような足取りだった。
神崎と矢川は人垣の最後尾まで辿り着いたが、その人垣に遮られ、その向こうの様子は全く窺い知ることはできなかった。
だが長身の神崎は背伸びをして、かろうじて人垣の向こうを覗き見ることができた。
「……いるぞ」
「ディールナイトですか?」
矢川は質した。矢川も背は低くないほうだったが、神崎には及ばない。
「いや、怪物だけだ。物騒なやつだな。右手が拳銃になっている」
「拳銃……」
人垣に囲まれるようにして立つストレイヤーは、まるで見せ物だった。
四方から携帯電話やカメラのフラッシュを浴び、自分を囲む人間を観察するように頭部を回している。その度に頭部から生えた三本の円筒形のカメラレンズが回転、伸縮する。
その横には、車体を半分以上抉り取られた形の黒塗りの高級車が無残に置かれていた。車のすぐ横に迫っているビルの壁と、直下の路面も一部抉られており、その断面を繋ぐと巨大な球形状になる。
ストレイヤーは、あらかた観察を終えたとばかりに頭部とカメラの動きを止めると、ゆっくりとその右手を水平に上げた。
銃口の高さが人の頭程度となり、その射線上にいた野次馬たちから悲鳴が飛び、その一角のみ、蜘蛛の子を散らすように人垣が裂けていった。
「撃つのか?」
神崎が額に汗を浮かべながら言った。
様子を見て取ることができない矢川は、その状況を想像しているかのように、同じく額に汗を流す。
甲高い音が響いた。
「今のは?」
矢川の問いに神崎は、
「銃声だ。あの怪物の」
そこから先は、矢川も自身の目で状況を確認することができた。
鳴り響いた銃声は、射線上のものだけでなく、四方を取り囲んだ人垣も崩したためだ。
右往左往しながら逃げ惑う人たちの間から、矢川も怪物を目視した。右手首がリボルバー銃となっている怪物の姿を。
「怪我人は?」
矢川は怪物の銃が向けられた方向を見た。
「いや、外れたようだ。誰にも当たってはいないな」
一部始終を見ていた神崎が答えた。
ストレイヤーは獲物を探すかのように頭部とカメラを動かし、ゆっくりと歩き出した。銃は水平に構えられたままのため、その歩みの方向にいた人は泡を食ったように逃げ出す。
ストレイヤーの体が旋回して、一瞬銃口が二人の前を通過した。
矢川は体を震わせてたじろいだが、神崎は微動だにしなかった。
「ディールナイトが来たぞ!」
誰かの叫び声が聞こえた。
逃げ惑う人波を掻き分けるように、白と青の鎧に身を包んだ人影が走り込んでくる。
「来たか! ディールナイト!」
神崎は声を漏らした。
同時に、その拳に力がこもるのを矢川は見た。




