第4話 東都学園高校の面々 2/5
「こんにちは……」
「あら、いらっしゃい」
翔虎が部室に入ると、中いた女子生徒が声を掛けた。振り返った拍子にセミロングの髪が揺れる。
「あら……?」
その女子生徒は翔虎の顔を見たまま動きを止め、
「翔虎ちゃん?」
「え?」
突然名前を呼ばれた翔虎も固まった。
「翔虎ちゃんね!」
女子生徒は翔虎に飛びついてきた。身長にして数センチ翔虎のほうが低いため、女子生徒は翔虎の髪に顔を埋める格好となった。
「久しぶりね」
女子生徒は翔虎の肩に手を乗せて少し屈み込んで目を見た。
「ど、どちらさま――あ! み、南方先輩?」
「そうよ。二年ぶりね。また会えて嬉しいわ。もしかして、私を追いかけてここに入学してきてくれたの?」
「い、いえ、そういうわけじゃ……」
「えー、違うの?」
「あ、だからですね――」
翔虎の言葉は、廊下を疾走してくる足音、そして、翔虎のいる部室のドアの前で急停止したと思われる廊下と靴底が擦れ合うブレーキ音、さらに、勢いよく引き開けられたドアの音、最後に、入ってきた女子生徒の声によってかき消された。
「みなみな先輩っ! お待たせしました。只今到着致しましたっ……はっ! な、何と!」
闖入してきた女子生徒は、翔虎と、翔虎を抱く、翔虎が南方先輩と呼んだ女子生徒の姿を目に捉えると体を硬直させた。その拍子にツインテールに結った髪が、ふわりとなびいた。
「み、みなみな先輩が見知らぬ男子にハグを――いや! 見知らぬ男子をハグしているー!」
女子生徒は目を見開き汗を流し、左手を口元にやって右手で二人を指さす。その指先は、わなわなと震えている。
翔虎からは『南方先輩』、ツインテールの女子生徒からは『みなみな先輩』と呼ばれたセミロングヘアの女子生徒は、それを見て、
「こころちゃん。おはよう」
と、にっこり微笑みかけた。
「おはよう、じゃないです。みなみな先輩! だ、誰ですかその男子は! ……男子? ですよね? 制服が……」
と、翔虎の顔を見て、南方先輩、あるいは、みなみな先輩から『こころちゃん』と呼ばれた女子生徒は、炎が鎮火していくように語尾の勢いを衰えさせながら言った。
「この子が翔虎ちゃんよ。前に話したことあったでしょ」
「はっ! あの噂の? むむっ!」
『こころちゃん』はじりじりとにじり寄り、翔虎の顔を正面、右、左とあらゆる角度から眺め、
「こ、これは……聞きしに勝る、か、かわいさ……」
ごくり、と喉を鳴らした。
「あ、あの……誰?」
と、翔虎は自分を睨めつける女子生徒の顔を見る。そして少し視線を落とすと、
「……ですか?」
と取って付けたように繋げた。
「あ、あんた……」
髪をツインテールに結った女子生徒は、その視線と言葉の意味に気付いたように、
「私のことをタメだと思って『誰?』って訊いたけど、リボンの色で二年だって気付いて『ですか』って付けたわね?」
「は、はあ……」
「みなみな先輩! 新入生にナメられました!」
「はいはい、よしよし」
女子生徒は、翔虎を脇に突き飛ばして南方の胸に飛び込んだ。南方はその頭をやさしく撫でる。
東都学園高校の制服は、内履の靴紐の色と、男子はネクタイのライン、女子はリボンの色で学年を区別している。三年は青、二年は赤、そして新入生の翔虎たちは緑。こころのリボンと靴紐は赤、南方のそれは青だった。翔虎のネクタイには緑のラインが入っており、内履の靴紐は緑色をしている。
ちなみに三年生が卒業すると、青は新たな新入生の色となるため、学年が変わるごとにネクタイやリボンを交換する必要はない。入学生はその年に自分たちの学年に付けられた色を三年間使い続けるのだ。
「ふんだ!」
南方の胸から顔を上げて振り返った女子生徒は、
「何よ、あんただって私と同じくらいの身長じゃないですか! 私は女子だけど、あなたは男子でしょ! 男子でそんな小さいなんて、もう人生終わったわね。チビデブハゲは女性が嫌忌する三大要素よ。あんたはすでにそのうちのひとつを得ているの。将来的にさらに残りの二つも手に入れてしまうがいいわ! 夜十時以降にめちゃくちゃ飲食しろ! 直射日光が照りつける真夏に帽子なしで屋外で過ごせ!」
「あ、あの……」
呆気にとられて立ち尽くす翔虎が何か言おうとしたが、
「わかったらさっさと出て行くがいいです!」
女子生徒はツインテールの髪を振って出入り口のドアを、ビシッ、と指し、翔虎の口を制した。
「どうして出ていく必要が?」
「駄目よ、こころちゃん。翔虎ちゃんは新入部員なんだからね」
「はっ! 新入部員? まさか?」
「えっ? 僕、まだ入ると言ったわけでは」
女子生徒と翔虎は揃って南方を見た。
「大体、ここ何部なんです?」
「じゃ、改めて紹介するわ」
翔虎の質問に南方は、
「ようこそ、東都学園高校文芸部へ。私が部長の三年一組、南方美波です」
その場で両手を広げた。それに続き、ツインテールの髪をなびかせながら、もうひとりの女子生徒が、
「そして、私が文芸部期待のホープ。二年六組睡蓮こころよ!」
こころは腰に手を当てて堂々と名乗った。
「期待とホープは同じ意味だよ――ですよ」
冷静に指摘した翔虎に、こころは、
「な! うるさいです一年!」
「こころちゃん、初対面の人にくらいは、ちゃんと名乗りましょうね。ペンネームだけじゃなくて」
「こ、これが私の名前です!」
美波に指摘され、こころは狼狽えた。
「あら、まだ駄目なの? こころちゃんはもう変わったんじゃなかったの?」
「うう、そうなんですけど、やっぱり抵抗が……」
「ペンネーム?」
と、翔虎がこころを見て言った。
「そう、文芸部だから執筆活動もしてて、ペンネーム付けてる部員もいるの。こころちゃんもペンネーム組のひとりよ」
美波が翔虎の疑問に答えた。
「で、その本名って?」
「権田原――」「わー!」
美波の言葉にこころは大声を被せてかき消そうとしたらしかったが、完全にタイミングがずれてしまっていた。
「名前も『心』って書いて『しん』って読むのよ」
「権田原? 権田原心?」
翔虎が睡蓮こころの本名をフルネームで口にすると、
「ひどいですみなみな先輩! みなみな先輩なんてきらいです!」
こころはそう叫んでドアを開けると、廊下に駆け出て、来た時と同じく疾走する
足音を響かせて走り去っていった。
「……」
先ほどとは打って変わり、台風一過のように静まり返った部室で、翔虎は呆気にとられた顔をして佇んでいた。
「翔虎ちゃん」
美波はこころが開けたドアを閉めると、翔虎の後ろから肩口に手を回した。
「わ!」
「二人きりになっちゃったね。疲れたでしょ。座ろっか。私の膝の上に座る?」
「ちょ、ちょっと南方先輩……」
美波はそのまま翔虎を引き摺るように後退していき、椅子に腰を下ろした。その勢いで翔虎は美波の膝の上に座る形になってしまう。美波は翔虎の体を横に向けさせ、子供をあやすような抱き方にして、
「翔虎ちゃん、全然変わらないわね」
翔虎の目を見て微笑んだ。
「そ、そうですか……」
「私はどう? 二年前と変わった?」
美波は首を傾げる。セミロングの髪先が翔虎の首筋に触れ、翔虎は少し体を震わせた。
「き、綺麗になりました……先輩……いえ、前が綺麗じゃなかったってわけじゃなくて、もっと綺麗に……」
「本当? 嬉しい」
美波は顔を近づけ、
「さっき、私の髪が触れたら、ちょっと、ぴくってなったよね? 相変わらずここ
が弱いの?」
美波は自分の髪を摘み、先端で翔虎の首筋を撫でた。
「あ、ちょっと……」
「やっぱり。ちょっと待ってね。今ドアに鍵掛けるからね」
美波は翔虎を自分が腰を下ろしていた椅子に座らせ、ドアに向かう。
「い、いや、ちょっと……」
翔虎は立ち上がり、美波の後を追った。美波はすでにドアの前まで辿り着き、内鍵に手を触れようとしたが、
「あら?」
美波の目の前でドアが開かれた。
「……南方先輩?」
外からドアを開いた女子生徒が、目の前の美波を目にして言った。
「……直? 直ね! 直もこの学校に来たの? わー、久しぶり!」
ドアの敷居を挟んで向かい合った二人の女子生徒の、室内にいる美波が廊下側の女子生徒、直に抱きついた。
「な、直……」
美波の背中越しに直と目を合わせた翔虎は呟いた。
「ささ、直、お茶でも飲んでいって」
美波はドアに鍵を掛けることなく、直を部室に迎え入れた。
「翔虎、もしかしてここに入部するの? ここって――」
「文芸部よ。私が今年から部長になったの。直も適当に座って」
部室の隅の給湯場で二人分のお茶を煎れながら美波が答えた。
「文芸部ですか……」
部室の中を見渡しながら、直は翔虎の隣の椅子に腰を下ろした。部室の壁一面をほぼ占めている本棚には、様々なジャンルの書籍が立ち並んでいる。
「翔虎は意外と本読むもんね」
「意外と、とは何だよ」
「そうなの?」
お盆に乗せて持ってきたお茶を二人の前に置きながら美波は、
「どんなジャンルが好き?」
「小説ですね。ほとんど推理小説しか読みませんけど……」
「あら、そうなの? だったら絶対うちに入るべきよ」
「どうしてです――」
翔虎の言葉は、廊下を疾走してくる足音、そして、翔虎のいる部室のドアの前で急停止したと思われる廊下と靴底が擦れ合うブレーキ音、さらに、勢いよく引き開けられたドアの音、最後に、入ってきた女子生徒の声によってかき消された。
「みなみな先輩っ! きらいなんて嘘です! 私、みなみな先輩のことが大好きですっ!」
闖入してきた女子生徒は、部室に飛び込むや美波に向かってダイブし、彼女の腕と胸に受け止められた。
「はいはい」
美波はその女子生徒、こころの頭を撫でる。
「みなみな先輩ー、もっと撫でて下さい……何? まだいたの新入生。あ、ひとり増えてるし」
美波の胸の中で恍惚の表情をしていたこころは、その視界の隅に翔虎と直を捉えたのか、一転、仏頂面となってそう言い放った。
「誰?」
直の疑問にこころは、
「誰? 『ですか』は? いや、『どちらさまですか』でしょ!」
美波の胸から顔を起こしたこころは、自分の胸のリボンをこれ見よがしに見せつけた。
「あ、二年生の方だったんですか。失礼しました」
直は立ち上がって頭を下げた。
「いえいえ、いいんですよ……」
こころも同じように頭を下げたが、
「って、違う! みなみな先輩! どちらさまなんですか、このおもしろ新入生は!」
「この中で権田原先輩が一番面白いですよ」
「その名字は言うな!」
翔虎の突っ込みに、こころは即座に反応した。
「え? 権田原?」
直もこころの顔を見て言った。
「な、何でもないわよ、私の名前は睡蓮こころです。よく憶えておいてね、新入部員」
「まだ入ると決めたわけじゃありませんよ」
翔虎が答えると、こころは、
「何なんですか、この子!」
「あら? 文芸部に入ってくれるんじゃないの?」
残念そうに言った美波に直が、
「まだ色々見てから決めようと思ってるんです。とりあえず失礼しますね。さ、翔虎」
と答えて立ち上がった。翔虎もそれに促されて椅子から立ち、
「う、うん。それじゃ、南方先輩、それと、ごんだ――じゃなかった……何でしたっけ?」
「こころ! 睡蓮こころよ!」
「そ、そう、睡蓮先輩――」
「呼ぶときは、こころ先輩、でいいわよ」
「そ、それじゃ、こころ先輩。また」
翔虎と直は文芸部の部室を辞した。




