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真夏のスタンド

 私のとって最初の高校野球の県予選大会が始まります。野球興味ないけど出席扱いの応援動員です。幼馴染の翔先輩の活躍で20年振りのベスト8入りが期待されてます。

 うんうん彼の回りは女の子だらけ、私なんか・・・

 チアガールの女の子達がベンチ上で踊る。ベンチ前では選手たちと制服の女子マネージャーが話してる。マネージャーかぁ、翔先輩に近づいてる。私みたいな引っ込み思案じゃ入学式の時、部室を訪れる勇気なかったしな。まして、ミニスカートで躍るチアガールなれないし。あっ、もともと野球興味ない私。

 炎天下のスタンド、立っているだけで目眩がしそうな熱気。私とクラスメイトは日焼けの心配してた。 ブラスバンドの演奏と、クラスメイトたちの必死な声援。でも、私はその輪に馴染めないまま、メガホンを軽く叩いてリズムを合わせるフリをしています。


 今日は、緑葉学園の県予選の二回戦。一応強豪校のわが校は春の県大会でデビューした翔先輩の活躍で、20年以上前の伝説のベスト8入りが期待されてます。私が生まれる前の伝説でしたが。

 マウンドで肩を上下させているのは、三年のピッチャーです。8回裏、3対2。一死満塁。一番緊張する場面のはずなのに、私の視線はグラウンドではなく、ずっとベンチの奥を彷徨っていました。

 横からじゃ良く見えないけど、翔ちゃんいいえ先輩の姿がありました。部長先生と話し込んだまま、グローブをはめる様子もありません。いつもなら、ピンチになれば颯爽とマウンドへ向かうはずの「スター」が、今日は一度もブルペンにすら入っていない。


「ねえ、なんで翔先輩出ないのかな?」

「温存じゃない? 次の試合のためにさ」


 隣で友達が呑気に話しているけれど、私はあの日、雨の駅前で見た「整形外科」の看板が頭から過った。(やっぱり、どこか痛めてるんだ……)


 勝ち負けなんて、本当にどうでもいい。学校が勝とうが負けようが、私の明日が変わるわけじゃない。野球に興味がない私にとって、この応援はただの「出席扱い」の行事でしかないはずでした。


 あっ、三年生が投じた一球が、快音とともに外野へ弾き返されました。悲鳴のような歓声。逆転のランナーがホームに滑り込み、スコアボードの数字が書き換えられます。

 逆転された。スタンドが絶望に包まれる中、ふとベンチの前まで出てきた翔くんと目が合ったような気がしました。彼は一瞬だけスタンドを見上げ、すぐに視線をグラウンドに戻しました。その横顔は、いつもの不遜なほど自信満々な「あいつ」ではなく、どこか悔しさを押し殺した、ただの高校生に見えました。

「あーあ、負けちゃうかもね」

 友達に話を合わせながら、私はメガホンを握る手にぐっと力を込めました。興味ない。全然興味ない。

それなのに、ベンチの奥で唇を噛み締めている彼の姿を思うと、視界が熱い陽炎で歪んでいくのです。


 雨の日の五年ぶりの会話「似合ってるじゃん」と言った、あのぶっきらぼうな優しさ。その声が、今は負け試合の喧騒にかき消されそうになっていました。

 日傘の縁から差し込む光が、少しだけ短くなったスカートの裾を照らしています。

・・・

「お前、最近スカート短くない?」

 出かけ際、玄関でママに言われた言葉を思い出して、私は坂道の途中で足を止めました。あの日、雨の中で「似合ってる」と言われてから、私のクローゼットには少しずつ、自分でも驚くくらい女の子らしい服が増えていきました。


 おさななじみの「あいつ」に見せるためじゃない。……そう自分に言い聞かせているけれど、鏡の前で過ごす時間は、確実に去年の夏より長くなっています。


 坂を下りながら、二回戦で敗退したあの日のことを考えます。結局、翔先輩は一度もマウンドに上がることなく、私たちの夏は終わりました。

「まだ二年生なんだし、来年があるじゃん」

クラスメイトや先生たちは、みんなそう言って彼を慰めていました。でも、私は知っています。アスリートにとって、そして何より負けず嫌いなあいつにとって、「来年」という言葉がどれほど空虚に響くものかを。


 小学校の夏休みの校庭、ラジコンカーで隣町のガキ大将に負けて泣いていたアイツ。私はそんなことで泣くって馬鹿かと思っていたあの頃。

「俺、将来はエンジニアになって、世界で一番すごいロボットを作る博士になるんだ」

 そういえばその頃が最後かな、あいつと最後に話したのは。今じゃ先輩で学校のスターだもんね。

 あの駅の反対側の整形外科へ、彼は今も通っているのでしょうか。コバルトブルーの傘の下で見せた、あの少しだけ寂しそうな横顔。


「……かわいそうに」

思わず口に出して、すぐに「先輩が、だよ」と心の中で言い直しました。呼び捨てになんて、もう恐れ多くてできないくらい、彼は遠い場所に行ってしまったけれど。


 変わっていく私と、止まったままの彼。日傘を回すと、銀色の雫ではなく、眩しい夏の光が火花のように散りました。友達との待ち合わせ場所へ向かう足取りは、心なしか重いままです。

 私はこうして、オシャレをして、友達と夏休みを楽しんでいる。でも、彼は?汗と泥にまみれて、痛む肩を抱えて、静かなベンチの奥で何を思っいるんだろう。

「野球なんて興味ない」

そう自分に言い聞かせる魔法は、もう解け始めていました。


 来年があるなんて、無責任なことは言えない。夏休みの雨の日。あの坂道、彼の傘を探す自分。今度は私の方が、少しだけ短くなったスカートをなびかせて、あのコバルトブルーの傘に追いつきたい。

「……バカあいつ。早く治せよ」

誰にも聞こえないくらいの小さな声で、私は坂道にエールを落としていきました。

・・・

 夏休み明けの授業は眠い、特に嫌いな数学の時間、校庭の誰もいない野球部の練習場に目を向ける。

先生は因数分解とくにはまず形を変えてからなんてほざいてる。

 難しいことはまず形を変えるか~今はまだ、誰もいないグラウンドを眺めながら「形を変えるってどういうことかな」と哲学しているくらいが、高1の夏休み明けにはちょうどいい。


 進路希望調査票の「理系コース」という文字を、私は何度もなぞりました。担任の教師は、私の提出した進路希望調査票を二度見し、それから眼鏡の奥で困惑したように目を泳がせた。

「……理系コース、で間違いないかな?」

 問いかけというよりは、書き間違いであってほしいという祈りに近い声。私が無言で頷くと、先生は引きつったような苦笑いを浮かべた。その表情は「無謀」という文字を丁寧にオブラートで包んだかのようだった。

 しかし、本当の地獄は家に帰ってからだった。夕食の席、父が箸を止めて私の話を耳にした瞬間、事件は起きた。

「理系……だと?」

 父の口から、飲み込もうとしたばかりの白米が文字通り噴き出した。茶碗に戻ることも許されなかった米粒がテーブルに散らばる。漫画のような、けれど笑えないほどリアルな光景。

「あんた、数学あんなに嫌いだったじゃない!」

 対照的に、母は椅子から転げ落ちんばかりに大笑いを始めた。涙を浮かべ、お腹を抱えながら「冗談でしょ? 昨日の模試の点数、知ってるのよ?」と、私のプライドを木っ端微塵に砕いていく。

 ふと視線を感じて横を向くと、弟がいた。彼は驚きを通り越し、まるで道端の馬が突然人間の言葉を喋り出したのを目撃したかのような、底知れない恐怖と戸惑いが混ざった顔で私を凝視している。

「……別に、やりたいことができただけだよ」


 秋になって文系か理系で補修コースが始まります。私は?

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