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第九話 雪かきと再び

 次の日の朝、いじめっ子二名を殴った罪のために、授業をさぼった壱斉と共に早朝雪かきの罰を受けた。


「さ、寒い……」

「こんな雪の中に放り出して、俺たち死ぬのか……?」


 二人は震えながら校舎の屋根を見つめる。

 一晩で屋根に積もった雪はその重さで校舎をつぶしてしまうため、屋根から雪を下ろすという作業が必要だ。


「何これ、どうやんの」

「はぁ、これだからお坊ちゃんは。どうせやったことないんだろ。腐るほどある雪を有効活用するんだよ」


 そう言って兵介は積もっている雪をかき、校舎の方に寄せていく。

 壱斉も見よう見まねで雪を運ぶ。

 水分を多く含んだ雪は重く背中にくるが、ふたりがかりでなんとか屋根まで届く高さになった。


「で、あとは坂を作ってそれを登るってわけ。梯子より安定してるし、余計な道具もいらないだろ?」

「……初めて若様のこと尊敬したかも」


 兵介は壱斉に雪玉を投げつけた。


「じゃあ登るぞ。上は危ないから、この縄をどっかに結んでおけよ。落ちたら死ぬからな」


 壱斉は兵介の足跡を踏みながら、慎重に屋根に登っていく。


「わぁ……!」


 兵介の横にやっと並んだ壱斉は、顔を上げると短く感嘆の声を漏らした。

 屋根の上は視界を遮るものがなく、昇りかけの朝日が経綸館を一様に朱に染めていくのが一望できた。

 空気は澄み切っていて、冷たい風が余計な思考を止めていく。


「綺麗……」

「なんだ? 朝日も見たことないのか?」

「見たことはあるんだけど、いや、本当はなかったのかも……」


 兵介は壱斉の表情を見て、それ以上は言わず黙々と雪を下ろしていく。


 どれだけ経っただろうか。兵介に肩を叩かれた壱斉が周りを見ると、すっかり屋根の肌が見えていた。


「おい、終わったぞ」

「あ、ごめん。早かったね?」

「早いわけあるか! 必死で下ろしたわ!」

「ごめんごめん。今日の朝ご飯、ちょっと分けてあげるからさ」

「当たり前だ。ちょっとじゃ無くて大盛りで――あ、じゃあ一つ質問がある」

「え、何?」

「前に自分たちのこと訳ありだって言ってただろ。あれ、どういう意味だよ?」


 壱斉はにやけ顔に戻り、朝日を見る。


「あー、よく覚えてたね。ほら、みんなちょっとずつ変なやつなんだよ。眼鏡くんは若様と同じ平民出身だし。いくら試験に合格したら誰でも講釈所に入れるっていっても、平民が受かることはそうそうない。しかも彼は平均よりも幼い十四歳で合格した。“平民なのに優秀すぎる”っていうのは、好かれにくいのかも」

「じゃあお前らはなんだよ。信正も壱斉も、周りの反応的に偉いとこの子どもなんだろ。武士同士仲良くできるんじゃねぇのか」

「んー、そうだね。なんでだろうね……」


 静かに呟く壱斉の声が聞こえず、兵介は縄を取って距離を詰めた。


「そういえば、俺、若様より年上だよ」

「え、そうなの――うわぁ!」


 驚いた兵介は足を滑らせ、屋根から落ちそうになる。

 壱斉は急いで自分の縄を掴み、もう片方の手で兵介の首根っこを掴むとそのまま引き上げた。


「去年の昇級試験に落ちて、もう一度梅ノ級やってんの。だから今年で十六歳。若様より背も高いし、敬ってくれてもいいよ?」


 壱斉は兵介の首根っこを掴んだまま、目線を合わせて笑う。

 兵介は慌てて壱斉から離れ、固めた雪玉を投げつけた。


「調子乗るなよ! 雪かきもできないくせに!」

「はっ、雪かき以外は何でもできるけどね! ほーら、まだたくさん雪あるよ。やっと活躍できて良かったね!」


 二人が雪を投げ合っていると、二階の窓を開けて信正が怒鳴った。


「朝からうるさいぞ! 黙ってやれ!」


 ぴしゃりと窓が閉まり、兵介と壱斉の間に沈黙が流れる。


「あいつが嫌われてるのは、絶対ああいうところだと思う」

「異議なーし」


* * *


 それから二人は朝食に間に合わせるために急いで雪かきを終わらせた。

 あとは使った道具を片付ければ終わりというところで、壱斉は悪い顔でにやりと笑う。


「若様、俺いいこと思いついちゃった」

「お前の言ういいことは、たいてい悪いことなんだよな」

「またまたぁ。ほら、道具の片づけを賭けて、一つ勝負でもいかがでしょう」


 そう言うと、壱斉は近くにあった小石を右手のひらの上に置き、何も置いていない左の手のひらも上に向けて兵介に見せる。


「遊び方は簡単。この石がどこにあるか当てるだけ。当たったら俺が二人分の道具をまとめて片付けてあげる」

「で、外したら俺が片付けってことね。まぁ悪くねぇな。よし、のった!」

「そうこなくっちゃ!」


 楽しそうに壱斉は左右の手に石を行ったり来たりさせる。


「はい、どーっちだ!」

「くそ、途中で見失っちまった。こうなったら運にお任せよ! 右だ‼」


 兵介の言葉にくすりと笑みをこぼすと、壱斉はゆっくりと左右の手を広げて見せた。


「……って、はぁああ⁉ 何でどっちの手にも石が入ってないんだよ!!」

「俺は“石がどこにあるか当てるだけ”って言ったからねぇ。左右どちらかなんて言ってないんだよ。正解は、俺の足の下、でした~」

「ふざけんな! そんな勝負、認められるか!」

「往生際が悪うございますぅ」


 怒りで地団太を踏む兵介を避け、壱斉はそそくさと賄い所の方に駆けていってしまった。

 雪かきの道具と共に残された兵介は「ちっ」と舌打ちをすると、腹をくくったのか一気に二人分の道具を担ぎ上げる。


「あの野郎、覚えとけよ……」


 なんとか道具小屋まで運んで戸を閉めたとき、背後から誰かの悪口が聞こえてきた。

 梅ノ級では聞いたことのない声だ。上級生だろうか。

「――方がよっぽど優秀だったのにな。なんであいつの方が生き残ったんだ」

「まったくだ。あんな出来損ないがのうのうと居座るなど、加藤家、いや、藩の面汚しもいいところだな。早く死んだ方が良いと壱斎に教えてやろうか? はは」


 道具小屋の陰から聞こえてきたのは、冷え切った空気よりも刺々しい声だった。声の主は二人。

 兵介は小屋の戸を閉め切ると、一つ息を吐いた。


 ――落ち着け。今朝、雪かきの罰を受ける羽目になったのは、同じように腹が立つ相手を殴ったからだ。


 話せばわかるかもしれない。

 弥作の時の反省を胸に、兵介は努めて穏やかな顔を作って、建物の陰から姿を現した。


「あの、お疲れ様です……さっきの話、聞き捨てならねぇなと思って」


 上級生たちは、突然現れた年下の少年に眉をひそめた。


「なんだ、お前は……ああ、例の“お預かり”の平民か。育ちの悪いやつが首を突っ込むな」

「……まぁ、何でもいいですけど。あんまり人の生き死にの話で笑わない方がいいと思いますよ。聞いてて腹が立つんで」


 兵介が言葉を重ねるが、二人は鼻で笑った。


「あいつは家を継ぐ資格もない“余り物”だ。弟の方がよっぽど優秀だったのに、あんなのが講釈所にいるだけで、我々の格が落ちるんだよ。……それとも何か? あの眼鏡みたいに、平民の分際で壱斎に媚びでも売られているのか?」


 言葉の矛先が、今度は弥作に向いた。


「あの眼鏡? 弥作は関係ないだろ。あいつは実力でここに入ったんだ。あんたらにとやかく言われる筋合いはねぇ」

「実力だと? 卑しい血の者が小賢しく書物を読み漁る姿など、滑稽でしかない」

「あぁ、それならあの堅物で鼻持ちならない信正はどうだ? あいつは家を継ぐ資格もないくせに、必死にしっぽを振って可愛いやつよ……あの一族も、所詮は落ち目の名家だろうが」


 壱斉への侮辱。弥作への嘲笑。そして、口うるさいが筋の通った信正への的外れな中傷。  兵介の中で、理性の糸がぷつりと音を立てて切れた。


「……もういい。お前らみたいな奴に、言葉なんて必要なかったわ」


 次の瞬間、兵介の体が弾かれたように動いた。


「なっ――」


 驚く間も与えず、最短距離で踏み込んだ拳が一人目の顎を跳ね上げる。もう一人が腰の木刀に手をかけようとしたが、それよりも早く兵介の裏拳がその鼻柱を叩き折った。


 ドサリ、と雪の上に倒れ込む上級生二人。

「……ったく。雪かきより疲れるぜ」


 拳についた雪を払っていると、背後から足音が聞こえてきた。


「若様~? もう味噌汁冷めちゃうよ~?」


 壱斉だ。その後ろには、険しい表情の信正も続いている。


「おう、壱斉、信正! ちょうどいいところに。こいつらがな、お前たちのこと――」


 手柄を報告するように振り返った兵介だったが、二人の顔を見て言葉を失った。

 いつもの飄々とした壱斉も、厳格な信正も、見たこともないほどに青ざめていたのだ。


「……兵介、お前……何をしたかわかっているのか?」


 信正の声が震えている。

 壱斉は倒れている二人の顔を確認すると、絶望的な面持ちで天を仰いだ。


「若様……今度は雪かきくらいじゃ、済まないかもよ……」


 朝日の朱に染まった校舎の下で、兵介だけが状況を飲み込めず、握りしめた拳をゆっくりと下ろすほかなかった。


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