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第四話 いざ試合

 波乱の昼食を済ませた後、信正は兵介を連れて正門へ向かった。苛立つ気持ちが収まらないまま着いていくと、そこには今朝会った桔梗屋の店主が荷物を抱えて立っていた。


「ちょうどだな。ご苦労」

「へい、ご用の物はこちらに」


 店主は抱えていた風呂敷を差し出す。

 信正は受け取れと言わんばかりに兵介に目線をやる。


「……わざわざここまで、ありがとうな」


 へい、と短くお辞儀をすると、店主は足早に去って行った。


「貴様、腹が立っていても礼を言えるんだな」


 二人は去って行く店主の背中を見ながら話す。


「……うるせぇ。てかお前、さっき俺のこと呼び捨てにしたろ? ずっと兵介様~って言ってくせに」

「もう貴様に遠慮するのはやめだ。馬鹿騒ぎばかりしやがって」

「あ、お前さっきも俺に馬鹿って言ったよな? いいのか、そんな生意気なこと言って。将来俺が殿様になったら、真っ先にお前の首をはねるぞ?」

「ふん、そのときには命乞いしてやるさ。貴様のようなやつが、藩主になどなれるはずがないがな」


 信正はやっと兵介の方に顔を向ける。その目は心底面倒くさそうに、疲れと怒りをにじませていた。


「お前だけならまだしも、このままでは私まで卒業が危うい。頼むから大人しくしててくれ」

「やだね」


 それから二人はまた目を合わさないまま、午後の授業の教室となる武講所へ向かって歩き出した。


* * *


 信正の話によると、経綸館の午前は座学、そして午後は武術を学ぶらしい。

 午前と午後でそれぞれ必修科目と選択科目が用意されていると言われたが、兵介には基礎の知識がないため科目を選択しようがなく、しばらく三人がそれぞれ選択している授業を受けることになった。


 今日の午後の必修科目は剣術。

 荷物の中にあったピカピカの道着に着替え、兵介は木刀を持って立っていた。


「あら若様、道着も似合ってますねぇ」

「そろそろお前のことも分かってきたぞ。それ、本気じゃねぇな?」


 にやけ顔でからかう壱斉に、兵介は睨みを返す。


 実際、兵介は自分の姿をうっすら恥ずかしいと思っていたのだ。

 周りの道着は上質ながらも使い古され、木刀にはいくつもの打ち込みの跡が付いていた。

 からかってくる壱斉のそれも例外ではなく、信正もまた同様であった。


 また武講所の板床にも、歴代の生徒たちが付けたであろう無数の擦り傷が残っていた。

 片や、兵介が握る木刀は新品そのものの輝きを放っている。それらが彼らと自分の差を物語っているように思えてならないのだ。


 兵介が木刀を握り直していると、武講所に一人の大人が入ってきた。

 これまで見てきた大人たちより幾分か若く見える。その人が歩みを進めると生徒たちが一斉に礼をしたので、なんとなく兵介も礼をしてみる。

 すると、入ってきた大人は兵介の方に歩いてきた。


「貴様が兵介か。俺は剣術を担当している、剛太郎だ。貴様がいる梅ノ級の副担任でもある。以後、よろしく」


 要点だけをまとめた短い挨拶を済ませると、先生は兵介に握手を求めた。

 兵介も挨拶を返して握手すると、先生は何度か兵介の手を握り直し、「剣を握ったことがないのか」と呟く。


「え? あぁ、寺子屋で何度か教えてもらったことはあるけど、規則が多くて、あんま楽しくなかったな」


 先生は納得したように頷いた。


「そうか。ならば今日は見学しているといい」


 さっさと向けられた背に、早く差を縮めるために今日からでも参加したいと申し出ようとしたそのとき、横から知らない声が割って入ってきた。


「お待ちください、榊原先生」


 声のした方を見ると、そこにいたのは中でも一番豪華な刺繍を袴に付けた生徒だった。いかにも利発そうな目に、気の強そうな薄い唇が血の気で赤く染まっていた。


「何用だ、松平」


 先生が呼びかけたその名前。いくら兵介が武士の社会を知らないとはいえ、現藩主の松平定正と同じ名字であることにすぐに気がついた。


――どうりで豪華な袴なこった。金持ちのお坊ちゃんじゃねぇか。


「そこの兵介様は、私の班の文吾と揉め事を起こしました。一度は喧嘩両成敗で裁かれましたが、やはり武士たるもの、試合でけじめをつけたく思います」

「うむ、その件は担任の林田先生からも聞いている」


 兵介は、もっともらしい理由を並べている彼のその後ろに目がいった。そこには、配膳係の生徒が複雑そうな顔をして立っていた。

 兵介の心に、再び怒りの炎がふつふつと燃え上がっていく。


「いえ、お待ちください。兵介様はまだ剣を握った経験がほとんど無い初心者です。はじめから試合など、あまりに酷ではありませんか」


 そう先生に進言する信正は、一見して兵介をかばっているように見える。

 しかし兵介には分かっていた。こいつは自分をかばっているのではなく、連帯責任で更なる失態を犯すことを避けようとしているのだ。最初から兵介が負けるに違いないと、決めつけているに違いない。それも気にくわない。


 そこで兵介は考えた。ただここで相手に喧嘩を売っても、先生や信正に止められるだけだ。だけど、どうにかしてこの怒りを発散したい。そのためにはなんとしても試合を承諾させたい。しかしあの様子だと、信正は意地でも断るつもりだろう。自分が意見を出したところで、良いように受け流されるだけだ。であれば、場の空気を掌握できるようなやつに手を上げさせなければいけない。

 あの二人と同じくらいの身分があって、この試合を望むようなやつ。この場合だと――


 松平を名乗る生徒と信正が議論している隙に、兵介はこそっと声をかけた。


「なぁ……なぁって。壱斉。お前、このまま授業をしてもつまらないと思わないか?」


 意外な人物からの声かけに、壱斉は軽く驚く。


「え? まぁ、そうだね。毎回やることはほぼ変わらないし」

「それならさ、あいつの言うとおり試合しようぜ」

「えー、面倒くさいよ。俺動きたくないし、目立ちたくないもん」


 壱斉は大きな体をくねらせて、全身で拒絶した。


「だから、お前は動かなくていいんだ。適当に負ければいい。班員は偶数なんだから、どちらかが先に三勝しない限り途中で勝負は終わらない。どうせ信正はなんか勝つだろうし、壱斉が負けてくれれば弥作の勝敗は関係ない」


 兵介の提案に、これまた意外そうに目を細める壱斉。


「……ふーん、なるほどね。で、何が目的なの?」


 兵介はニヤリと笑い返す。


「憂さ晴らしだよ」


 その言葉に、壱斉の表情がぱっと明るくなった。


「面白そう! 利害も一致してるしね。いいよいいよ、俺に任せて」


 片頬を上げて兵介と頷き合うと、壱斉は長い腕をまっすぐ上に挙げた。


「先生、僕も試合に賛成です。同じ班員の兵介様が無下にされて、僕、許せないんです。ね、弥作殿も兵介様が可哀想だと思うでしょ」


 いきなり名指しされた弥作は肩をびくっと震わせ、言葉を詰まらせながら話す。


「た、確かに、ご飯を減らすのはやり過ぎというか、可哀想というか。あ、でも、試合とかそういうのは――うわぁ!」


 聞き出したい言葉が出た瞬間、壱斉は弥作の肩をぶんぶん揺さぶって無理矢理発言を止めた。それから信正の方に視線を移す。


「――ねぇ、信正。これはもう武士の面子の問題だ。つまり、もしここで下がってしまったら、戌井の名に泥が付くんじゃないの?」


 “戌井”という言葉に、信正の眉がぴくりと動く。もちろん壱斉はその様子を見逃さない。


「兵介様も、試合に賛成だよね?」

「当然だ」


 兵介と壱斉は真面目な顔をしたまま目を合わせる。


「松平の班も全員賛成か?」


 先生が最終確認すると、松平の坊っちゃんは真っ先に返事をし、それに続いて班員たちも頷いた。


「よろしい。では、剣術の試合と同じ形式での試合を許可する」


 最早反対する者は誰もいなかった。二班はそれぞれ左右に分かれ、他の生徒たちは先生の脇で試合を見守る。


 最初は、弥作と文吾の試合だった。兵介は直接の相手である文吾と戦いたいと申し出たが、より公平を期すために身分の順で行うと先生に言われ、叶わなかった。

 弥作は懸命に剣を振るったが、その真新しい木刀は文吾をかすめることすらできず、文吾の剣を脇腹に受けて終わった。


 第二試合は壱斉の出番。しかし全く相手に敵わず、すぐに足を払われて負けた。

 あまりの不甲斐なさに怒った信正は壱斉を叱咤するが、たいして気にする様子も無く、早々に座って休憩の体勢に入った。


 続く第三試合は信正の出番。

 この順で出てくるということは相手もそれなりの家の出のはずだが、相手が木刀を構えるやいなや、信正は居合いの太刀筋で相手の胴を打つ。

 これには先生も「お見事」と声をかけるが、信正は当然とばかりに表情を変えず位置に戻った。


 そしていよいよ最後は、松平の坊っちゃんと兵介の試合。

 文吾を直接やれないのは残念だが、とにかく兵介は暴れて、この行き場のない怒りを発散したかった。腕っ節には自信がある。寺子屋で剣術を真面目にやったことはないが、我流で周りに勝ってきた。


 目の前に立つ坊っちゃんは、日の光を浴びて外を歩いたことがないのかと思うほど白い肌をしており、肩幅も兵介の三分の二ほどしかない。


「やってやるぜ……!」


 兵介は集中して、木刀を握る手に力を込める。


「平民が。叩き潰してくれる」


 床を蹴り、腕を大きく振り上げる兵介。


 ――勝った!


 その瞬間、微動だにしない坊っちゃんを見て勝利を確認した兵介の右手に、火箸を押し当てたような鈍痛が走った。



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