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第三話 波乱の昼食

 二人が経綸館の正門に到着すると、ちょうど正午を知らせる鐘が鳴った。

 正門を踏み越えた瞬間、信正が振り返る。


「ここからは一人の生徒として兵介様と過ごさせてもらう。少々の無礼は許して欲しい」


 信正は大真面目な顔で訴える。


「ははっ、なんだそれ。だから敬語の方ががキモいって言っただろ。無礼講だ、無礼講」


 意味の無い宣言をする信正を見て、兵介は声を上げて笑った。

 一方信正は、兵介のそんな反応を見てポカンとしている。武士の世界で、そのように大声で笑うやつはいないのだ。


「かたじけない。では、ちょうど昼の鐘も鳴ったことだし、賄い所で昼食にしよう」

「お? 先生に挨拶しなくていいのか?」


 寺子屋に初めて行った日は、母親と二人で授業が始まる少し前に先生に挨拶をした。母親は張り切って生徒分以上の握り飯をこさえてくれ、兵介はそれをきっかけに他の生徒たちと仲良くなることができたのだ。


「構わない。ここを管理しているのは私の父だ。昨日会ったのだから、問題ない。次期藩主である兵介様が経綸館を訪れることは、既に教師や生徒に知れている」


 そう言うと、信正は慣れた様子で校内を歩いていく。


 大きな正門を抜けた先は広く抜けており、正面には大きな屋根が着いた建物が、その左右から門までそれぞれ囲うようにまた別の建物が伸びていた。城ほどではないが、質素ながらも威厳を漂わせる立派な造りだ。

 信正はその左側の建物に入ると、さらに奥に進んでいった。


 ――あ、味噌汁の匂いだ。


 兵介はやっと嗅げたその懐かしい匂いに、自然と頬がほころぶ。寺子屋の時と同じように、またご飯をきっかけに新しい友達ができるのだと思うと、少し楽しみになってきた。


 信正が襖を開け、中に入る。兵介もそれに続いて入ると、畳の上に置かれた長机にそれぞれ向かっていた生徒たちが、一斉にこちらを見てきた。


——大丈夫、ここまでは寺子屋の時と同じだ。初めて会う人間がいきなり入ってきたら、そりゃ驚くだろう。


 兵介は、努めて明るく挨拶をした。


「えー、はじめまして。今日から入った兵介です。よろしく!」


 すると、生徒たちは黙って一斉に頭を下げた。思いも寄らない反応に兵介が固まっていると、信正は「こっちだ」と言って空いている席を指す。


「はは……どうも……」


 自身の挨拶の失敗を感じながら、兵介は席に向かった。賄い所には横に長い机が九つ置かれており、最後列を除いたそれぞれの机に四人ずつ座っていた。兵介の席はその一番後ろの端の席だ。


「よろしく……」


 小さな声で呟きながらそっと席に座ると、正面に信正、自分の隣は眼鏡をかけた弱そうなやつ、斜め前はニヤニヤとこちらを見ているやつと、なんとも不安な面子が揃っていた。


「今この賄い所にいるのは、講釈所に先月入学したばかりの梅ノ級の生徒たちだ。そして兵介様の隣にいるのが弥作、私の隣にいるのが加藤殿だ。ここでは四人一組、連帯責任で生活する。そして私たちは第九班として、これから寝食共に生活することになる。弥作、加藤殿、ご挨拶を」


 信正に促され、弥作が背筋を伸ばして話し出す。


「えっと、弥作といいます。迷惑をかけないよう頑張りますので、ふつつか者ですが何卒よろしくお願いいたします」


 深々とお辞儀をする弥作に兵介は笑いかける。


「お前まで敬語かよ。 なぁ、そういうのやめようぜ」


 屈託なく笑う兵介に、弥作は肩を丸めて萎縮する。


「い、いえ。兵介様と僕とでは身分が違いすぎますので……」


 兵介は不満そうに、弥作の肩を前後に揺らしながら抗議を続けた。


「そういじめてやるな。ほら、加藤殿もご挨拶を」


 信正は兵介を窘めながら、隣に座る壱斉に目線をやる。壱斉は緩く結わいた髪を揺らしながら足を正座に組み直し、優雅に頭を下げた。


「はじめまして、若様。私は加藤壱斉(いっさい)と申します。父から若様の暴れっぷりは聞いておりますよ」

「父? お前の父ちゃん、俺と会ったことがあるのか?」


 壱斉はうっとりと何かを思い出すように、目を細めて笑った。


「はい。昨日書院の間にて、若年寄の父も同席しておりましたので……大変勇猛果敢な方がいらっしゃると聞いておりました」


 目は口ほどに物を言うとはよく言ったもので、口調こそ信正に引けをとらない丁寧さだが、垂れた目には珍獣を見たときと同じ好奇の色が映っていた。


「……本当にそう言ってたのか?」

「えぇ、確かそのようなことを申しておりました――ところで、私も敬語でなくてよろしいでしょうか?」


 思いも寄らない提案に、兵介は前のめりになる。


「もちろんだよ! 絶対そっちの方が気楽でいいって!」


 その返事を聞いた壱斉はすぐに足を胡座にもどし、背筋と表情からゆるっと力を抜く。


「だよねー。あー、良かった。これから何年もこの調子じゃ疲れちゃうもんね。よろしく、若様。いやぁ、若様が来るって聞いたときはどうなることかと思ったよ。あー、お腹すいた」


 あまりの変貌ぶりに面食らう。先ほどまでの武士のお手本のような雰囲気はすっかり消え去り、昼寝後の先生のような適当さが滲み出ていた。


「ま、まぁ、皆仲良くやろうぜ。卒業まで一緒なんだろう? 俺たち友達ってことで、改めてよろしくな! 弥作に壱斉、信正も!」


 兵介の声が響き渡り、教室に静寂が訪れる。

 その言葉を聞いた弥作は何かに怯えるように更に背を丸め、壱斉は面白い物を見つけたかのように笑い、信正はこれからの生活を憂いてため息をつくのであった。


* * *


 第九班の挨拶が済んだところで、ちょうど昼食の配膳が開始された。


「今昼飯を配ってるのも生徒か?」

「あぁ。経綸館では運営に必要な係を生徒が担当している。あの配膳係もその一つだ」


 見たところ、今日の昼食はおにぎり、塩鮭、漬け物、味噌汁のようだ。自分にも馴染みのある献立に、兵介は更に期待を膨らませた。


 兵介たちの机に来た配膳係の生徒は、信正の器、壱斉の器、弥作の器に順に昼食を盛っていく。何の変哲もない給食だ。

 そして、その生徒はちらりと自身の背後の方を確認すると、頷いて兵介の器へ――


「は? なんだよこれ……」


 器に置かれた給食は、薄く紫のモヤがかかっていた。

 兵介は母親を思い出し、背中に冷や汗が流れるのを感じる。


——私も君も、いない方がいいと考える人間はたくさんいるからね。


 続いて定春の言葉を思い出す。

 兵介は、初めて自分の命が狙われていることを実感した。


 しかもそれだけではない。モヤの向こう側に置かれた給食をよく見ると、漬け物は一枚だけだった。周りを見ると、他の生徒たちの前には四枚置かれている。おにぎりも味噌汁も塩鮭も、どう見ても他より少なく盛られていた。


 兵介の顔が引きつっているのを見て、壱斉は手を叩いて笑った。


「ははは! 若様、歓迎されてないんだねぇ!」


 兵介が目線だけ動かして周りを見渡すと、全員がこちらを見ていた。誰も何も発さず、動こうとせず。兵介がどうするかを観察するかのようにまとわりつく、目。



 兵介は城内での光景を思い出した。城の中にいた人は誰も兵介の声を聞こうとせず、誰も理解しようとせず、混乱する自分をただ冷たく見下す、目、目、目。


 あぁ、楽しみにしてたのにな。


「――よ」

「え?」


 ここもあそこも、結局は同じだ。ムカつく。何もかも。俺は、こいつらにとって何だ?

 こいつらも俺がいなくなればいいと思ってんだ。


 ふと、昼食にそぐわぬ香木の香りが鼻をくすぐった。

 そのとき、兵介の中の何かが切れた。


「ふざけんなよ!!!」


 一瞬の出来事だった。驚く信正の目の前で、器が舞う。


「何なんだよ、お前らは! どんだけ偉いんだ? おい!」


 兵介は配膳係の襟首を掴むと、殴りかからんばかりの勢いで怒鳴り散らす。


「昼飯の楽しみまで奪うのかよ! そんなに俺が憎いか。生きてちゃ悪いかよ!」

「落ち着け、兵介!」


 慌てて信正が兵介を押さえる。解放された配膳係の生徒は床に倒れ込み、そのままじっと何かを我慢するように地面を睨みつけていた。


「いいや、落ち着かないね! 我慢ばっかさせやがって! どいつもこいつもすました顔して、ムカつくんだよ!」

「若様、もうそれ八つ当たりじゃん」

「そうだよ、八つ当たりだよ! クソが!」


 信正が兵介を羽交い締めにするが、一向に静まる様子がない。暴れ続ける兵介を押さえて数分後、廊下まで響いていたであろう大きな声を聞きつけた初老の大人が、賄い所に入ってきた。


「何の騒ぎだ!」

「うるせー! 誰だお前!」

「先生だ、この馬鹿者! いい加減にしろ!」


 先生にまで喧嘩を売り始める兵介。それを必死に止める信正。ヤジを飛ばす壱斉と、兵介が飛ばした器と食事を静かに片付ける弥作。


 ――先生が兵介の班と配膳係の班に喧嘩両成敗を言い渡し、なんとか事態が収拾したのはそれから二十分後のことだった。


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