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第十二話 山頂の異変

 紫のモヤがかかった札が貼られた戸、そしてその戸に閉じ込められて返事がなくなった貴章たち——


 目の前で起きている不可解な出来事に動けないでいると、背後から物音がした。

 兵介が振り返ると、ナニカが腕を大きく振りかぶって飛びかかろうとしているのが見える。

 兵介は、突然のことに目を大きく見開くことしかできなかった。


「何だ!?」

「ぐ、ぐわぁあああ」


 次の瞬間、ナニカは大きな呻き声を上げて消え、残ったのは破れた紙切れだった。

 少し視線を横にずらすと、そこには木刀を振り抜いた信正の姿があった。


「怪我はないか」


 信正は周囲に警戒の目を向けたまま、兵介の様子を伺う。


「よ、よく反応できたな」

「当然だ。武士たるもの、突然の襲撃にも常に備えているものだ」


 同じく武士であるはずの壱斉のほうを見ると、口を開けたまま首を横に振っていた。


「しかし、これは一体……」


 どさっ。

 四人は壱斉に物音のほうを見るが、そこには揺れる木しかなかった。


「なんだ、木から雪が落ちただけ――」

「弥作、危ない!」


 兵介が弥作をかばおうとするが間に合わず、今度は壱斉がナニカを斬り払った。しかしそれでも弥作は怯え続け、森のほうを指さす。


「ま、まだいます! あれは式神……?」


 弥作のつぶやきに気が付かないほど、状況は切迫していた。

 そこには何匹もの化け物がいたのだ。

 全身がただれたように崩れ、化け物としか形容しようがないナニカ。背丈は一番大きな壱斎を見下ろすほど大きく、のそりのそりと四人をじりじりと追い詰める。


「仕方ない。狼煙玉を上げ、先生方に危険を知らせよう」

「はい!」


 弥作は持っていた支給袋から狼煙玉を取り出し、火打ち石で火をつけると、素早く空に放った。


どんっ!!


 空に閃光と破裂音が響く。


 しかし、その光と音を聞いても、ナニカが歩みを止めることはなかった。


——先生たちの到着を待っていたら、こいつらに殺される……!


 ナニカに追い詰められながら、兵介は紫のモヤがかかった札のことを考えていた。

 兵介自身はそれが何を意味するかは分からなかったが、日常と違うこの状況で、ナニカ以外に異変があったのはそれだけだったからだ。


『決して他人に紫のそれが見えることは言ってはいけない。私のようにならないために』


 しかし、そのことをこの三人に伝えてしまって良いのか。まだ兵介は判断ができずにいた。


 近づいてくるナニカを信正と壱斎が撃退しているが、その額には汗が光っている。

 じきに限界が来るだろう。


 焦れば焦るほど、呼吸が荒くなっていく。

 浅い呼吸で吐かれる息が白い——


——母さん……


 口から血を流し、横たわる母親の姿を思い出す。


 兵介は、誰かが死ぬのをもう見たくなかった。


「みんな、聞いてくれ!」


 三人はナニカに体を向けたまま、顔だけで兵介を見る。


「なんだ、今は貴様の相手をしている場合では——」

「俺はこの札が紫色に見える!」


 兵介は祠の戸に貼られた札を指し、叫んだ。


「え、いやいやいや。何言ってるの、若様。ただ白い紙に模様が書かれた御札でしょ」

「いいや、俺にはこれが紫色のモヤがかかって見えるんだ。俺馬鹿だから分かんねぇけど、この紫のについて知ってるやついないか!?」


 信正と壱斎が呆れ返る中、弥作は顔を真っ青にして固まっていた。


「兵介様……それは……」

「弥作、お前何か知ってるのか!?」


 兵介は弥作の両肩を掴むと、食い入るように顔を覗いた。


「でも、それを言ったら……なんで……」

「俺はお前たちが死ぬのを見たくない! お前たちが死んで、家族が悲しむところを見たくない!」

「……」


 三人は、それぞれの表情で黙っている。


「頼むよ、弥作。何か知ってるなら教えてくれ。どのみちこのままじゃ、先生たちが来る前にやられちまう。俺が絶対守るから、だから知ってることがあるなら教えてくれ!」

「……兵介様は、殺されるのが怖くないんですか?」

「俺は殺されない。お前たちを信じているから」


 まったく回答になっていない言葉を聞き、弥作は目を閉じた。

 そして長い瞬きの末、口を開く。


「この札には、陰陽寮の模様と結界の術式が書かれています。恐らく呪詛の力が込められたものでしょう。そして正三角形を描くように、周囲に三枚の札が貼られているはずです。その三枚と戸の一枚、計四枚を同時に剥がせば、結界が破れ化け物も消える……はず」


 震えながら自信なさげに俯く弥作の肩を掴み直し、兵介はまっすぐ目を見た。


「ありがとう。もし他の三枚もここの札と同じものなら、もしかしたら俺にそれが見えるかもしれないな」


 弥作は頷く。


「お前たち、一体何を言っているんだ……」

「俺、今だったら何でも信じちゃうかも……」


 信正と壱斎は手を動かしながら、二人の動向を見守る。


「みんな、一旦屋根に上がろう! 逃げ場はそこしかない!」


 兵介の言葉を合図に一斉に屋根に上がると、そこからは無数の化け物が森から祠に向かって歩いているのが見えた。


「なに、これ……」


 四人を囲んでいた化け物たちはほんの前触れに過ぎなかったのだ。

 これではいくら斬ってもきりがない。

 段々と体力がなくなっていき、一人、また一人と最後には無数の化け物に食い殺される未来が見える。絶望にも似た空気が四人の間を流れた。


 そのとき、兵介の目にぼんやりと紫のモヤが映った。よく目を凝らして辺りをぐるっと見ると、三つのモヤが森の中に点在しているのが見えた。


「見えた!! 弥作、今から指差すから、地図に書き記してくれるか?」

「はい! ただ、方角は星を見ればおおよそ分かりますが、距離は目算では分かりません。ここから一枚目の札まで行った際に距離を把握し、計算で二枚目以降の位置を特定するしかないかと」

「……できるか?」


 弥作は眼鏡の位置を直し、頷いた。

 そうして兵介は三枚の札の位置を指差し、弥作は時々空を見ながら絵地図にその位置を記していく。


 一方、化け物たちは屋根に登ることはできないのか、眼下で蠢いている。

 しかしそのとき、突然標的を変え、祠の壁をたたき始めたのだった。


「まずい、貴章たちが!」


 壁の一部が壊されても、屋根に登っている第九班は助かるかもしれない。

 しかし、小屋の中で倒れている貴章たちがどうなるかは想像に容易い。


「信正、壱斎、弥作。聞いてくれ。弥作によると、四枚の札を同時に剥がさないといけないらしい。そして四枚の札の位置はこの地図に書いてある。だから一人はここの札、三人は散らばってる札を剥がしに行く」

「そんなの……本当に、それでどうにかなるの?」


 まだ信じられないという表情で、壱斎は兵介に問いかける。


「なる。弥作がなるって言ったらなる。俺はお前たちを信じてる。だからお前たちも俺を信じてほしい」


 そう言って、兵介は両膝を屋根について頭を下げた。

 誇りも何もかもを捨てた決死の覚悟。ただあるのは仲間への信頼。


 信正はそんな兵介の姿を冷静な表情で見ていた。


「四人が散り散りになるより、一斉にここを降りて一気に下山すれば私たちは助かるだろう」

「信正!」

「私は次期藩主である兵介のお目付け役。小屋の中にいる人間よりお前を優先するのは、戌井家の人間として当然の理——」


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