第十一話 実践試験開始
泉平城の裏にある山――は標高七百メートルほどの山で、うっそうと生い茂っている木々は雪に覆われて一面白銀の世界だ。
昨日の喧嘩の後、信正と兵介は一言も口を利かずに過ごした。
いつもなら兵介や弥作をからかって騒ぐ壱斎も黙りこくり、一人弥作だけが状況を把握できないまま、四人は気まずい一日を過ごしたのだった。
朝食を食べた後、予告された実践試験のために一同は塞山の登山口に集合していた。
雪の季節に山を登る者はおらず、登山口といっても道らしい道は見えない。
担任の林田先生が全体に指示を出す。
「只今より実践試験を行なう。今回は全三回に分けて十二名ずつ行うこととし、貴様らはその第一陣だ。試験合格の条件はただ一つ、明日の夕刻の鐘が鳴る前にここに戻ってくること。なお、この山には日が暮れると姿を現す化け物がいる」
その言葉を聞いた生徒たちはどよめいた。雪山登山には驚かない生徒たちであったが、さすがに化け物が出るとなれば話は別らしい。
しかしその反応に気を止めず、林田先生は続けた。
「その化け物は山頂にある祠付近には近寄らないため、日が出ているうちに山頂に到達することを勧める。一晩過ごすために必要なものは、いまから配る袋に入っている。もし棄権する場合は、袋に入っている狼煙玉を空に向かって打つように。音と光で周囲に棄権を知らせることができる。それでは、この登山口からそれぞれ班ごとに登山を始めなさい」
「雪山に子どもを登らせるなんて、正気の沙汰じゃないです……」
周りの班が口々に不平や作戦を話しながら登山のための準備を進めていく中、弥作以外の第九班は誰も口を開こうとしない。
兵介はそっぽを向き、信正は無表情のまま周囲を観察し、壱斎はそんな二人を見て地面に視線を落とした。
「ま、まずは持ち物を確認しましょう……!」
事情の知らぬ弥作がなんとか三人に行動を促し、第九班はやっと支給袋の中身を確認する。
袋の中には携帯用の筆記用具である矢立、松明、縄、火打石、水筒、干飯、塩、塞山の絵地図、それから狼煙玉が入っていた。全て携帯用に最適化された道具たちであり、ちょうど一晩過ごすのに必要な物たちが入っていた。
「なんだこの地図、適当な絵だな。方角は書いてあるが……」
「地図なんて見ないでさ、とにかく上に上がっていけばいいんじゃねぇの?」
「山は一直線に上りが続いているわけではなく、上り下りを繰り返すのが通常です。今は麓にいますからしばらく上りが続くと思いますが、そのあとはどうなるかわかりません。方角を頼りにするのが一番確実に山頂へ到達できると言えます」
そう言うと、弥作は自分の影が伸びる方向を見た。
「朝食の後ということは、現在は午前七時頃。太陽を背にすれば、影は西に伸びるはず……しかし、今は春分を過ぎたばかりであるため、太陽の黄道はまだ南に傾いています。このまま太陽の方向を東と信じて進めば、東南へ逸れて遭難する可能性が高いです」
さらに正確な真東を示すため、弥作は太陽の方向に線を引く。そこから今の季節分の角度を左に修正する。“太陽より拳二つ分左”が、本当の山頂方向だと示す弥作。
「つまり、こちらの方向に進めば、山頂に着くはずです――ってすみません、一人で先走ってしまいました……」
方角の算出について語っていたときとは打って変わって、いつもの気弱な表情に戻る弥作。
三人は途中までぽかんと口を開けていたが、弥作が山頂を示すと、気まずさを忘れてその肩に手を置き称賛した。
「すげぇな、弥作……これが天文学の力か!」
「その通りだ。自身の強みを生かして班に貢献しようとするその姿勢、あっぱれだな」
「いいじゃん眼鏡くん。その調子で試験も頼むよ」
「へ、へへ……」
そうして第九班は一番最後に出発をした。
先頭を歩く弥作は、心なしか軽い足取りで登っていくのだった。
* * *
弥作の活躍により明るく歩き出した第九班であったが、次第に気まずさを思い出し、中腹を超えた頃には口を開く者はいなかった。
その雰囲気を感じ取った弥作は、なんとか場を盛り上げようと話題を出す。
「そ、そういえば、この塞山って怖い話がありましたよね?」
信正と兵介は全く反応しなかったが、壱斎が応える。
「あー、俺も聞いたことあるよ。この山——塞山って名前の由来。その昔、神様が巨大な岩で黄泉の国の入り口を塞いだ。だから、この山の下には黄泉の国が続いていて、亡霊がこの世に出てくる機会を待ちわびてるってわけ」
「……その話って本当ですか?」
「ん? どうだろうねぇ?」
この期に及んでふざけたことを言う壱斎に一言文句を言おうと兵介が振り返ると、壱斎はいつものにやけた笑みを浮かべたまま眉を下げていた。
どこか申し訳なさそうなその表情を見て、兵介はため息を吐いた。
「なんだよ、お前の作り話かよ。むかつく。無駄に怖がらせやがって」
兵介が壱斉を小突くと、弥作は少し笑った。
「なんだ、作り話でしたか」
「いやいや、そうとも限らないよ? ……え、ちょっと待って、あそこ」
そう言って壱斎が指差す方を見る兵介と弥作。
そのとき——
「わっ!!」
「うわぁあ!」
壱斎は振り返りながら大きな声を上げて二人を脅かすと、兵介と弥作は雪道に倒れ込んだ。
「はは、二人とも驚きすぎ〜」
「お、お前! あぶねぇだろ!」
立ち上がった兵介が壱斎の頭を叩くのを見て、弥作は座ったまま声を上げて笑う。
そして三人の騒ぎ見ていた信正は、そのまま黙って弥作に手を貸すのであった。
* * *
体力のない弥作に合わせて歩みを進めた第九班が山頂に着いたのは、日が暮れてから少し経ってからのことだった。
「や、やっと着いた……」
「僕のせいで、すみません……」
それまで木々に囲まれた道を歩いてきたが、山頂はパッと開いており、月明かりが小屋ほどの祠を照らしていた。
既に他の班は到着しているらしく、祠から何やら物音が聞こえてくる。
息を切らした壱斉は、一刻も早く温まるために三人を置いて小走りで祠に駆け寄った。しかし、古い木製の戸を引いてもびくともしない。
「え? 開かないんだけど。おい、中にいるんだろう! 俺たちだよ、第九班! 開けて中に入れてくれよ!」
「その声、壱斉か!」
中から貴章の声が返ってくる。
「私たちも外の様子を見るために開けようとしたが、何人で引いても開かないんだ!お前たちが閉めたわけではないんだな?」
「俺たちも今来たところだから」
「そうか。この祠、何かあるかもしれん――おい、大丈夫か!」
壱斉に説明をしている途中で、貴章は中の誰かに声をかける。
そして、少し遅れて祠を見た兵介は、すぐに壱斉の手を戸から離すように振り払った。
壱斉の手があった場所には、不気味なほど濃い紫のモヤがかかった札が貼られていたのだ。
しかもその札は戸を封じるように貼られているにもかかわらず、破けていない。ということは、誰かが意図的に貴章たちをここに閉じ込めたということだろう。
そして、第九班も遅れさえしなければ同様に閉じ込められていたはずだ。
札に込められた何者かの明確な悪意に、兵介は背筋が凍る。
「おい、貴章! 中はどうなってる!」
「――体が、重い……二班とも、中にいる、が……既に私以外は……気を失って……わた……し……も……」
そのとき、とうとう貴章の声が途切れ、どさっと重たい物が落ちる音がした。
「おい、貴章。貴章!」
壱斉が中に呼びかけるが、もう返事は返ってこなかった。




