第十三話 正義
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「私は次期藩主である兵介のお目付け役。小屋の中にいる人間よりお前を優先するのは、戌井家の人間として当然の理。武士ならば、己が指名を全うすべきだ」
「信正、お前!」
兵介は信正に掴みかかるが、信正の表情は変わらない。
「——義を見てせざるは勇なきなり。しかし武士ならば、為すべき正義を為さねばならぬのもまた道理。私は戌井家の人間である前に、一人の武士だ。私にだって、正義はある」
頷く信正を見て、兵介は飛び上がって抱きついた。
その様子を見て頬を緩める壱斎と弥作。
「ありがとう、ありがとう! 俺を信じてくれてありがとう!」
「離れろ、この馬鹿者。将来の藩士となる生徒たちをこの場で大量に失ったら、将来の藩政が傾くと危惧したまでだ」
「おう、それでいいさ! よし、そうと決まれば作戦会議だ。まずはここに残る人を決めて——」
「それなら私がやる」
腕をまくる兵介の言葉を信正が遮る。
「ここに残るものは祠の四方を守らねばならない。一番剣の腕がたつのは私だ。適任だろう」
「え〜、それなら俺でしょ?」
「いいや、試合で勝った回数は私の方が多い」
子どものように言い合う二人。
壱斎は気合いを入れるように、木刀を左手に持ち直す。
「よし、俺はそれがどこにあるか見ることができるから最後の三枚目は俺が担当する。弥作は体力が少ないから、その前の二枚目の札がいいと思う。壱斎は一枚目の札だ」
「分かりました」
兵介と弥作も木刀を握った。
「でもどうやって同時に剥がすの? もう俺たちの狼煙玉は使っちゃったし」
「俺が大声を出す」
「それだけ!?」
「あぁ、それだけだ。これでも俺を信じるか?」
兵介はからかうように壱斎に笑いかける。
「いいね、面白いじゃん。これで死んだら若様のこと呪っちゃうからね」
「馬鹿、そのときは俺も一緒だよ」
楽しそうに一通り笑うと、壱斎はきっと表情を引き締めた。
「じゃあ行こうか、二人とも。俺が先陣を切って道を開けるから、遅れずに着いてきて。弥作、どの方向に走ればいい?」
「あっちです!」
「りょーかい!」
壱斉は屋根から一気に飛び降りると、化け物の群れの真ん中を突っ切っていく。
弥作も後を追って走る。
兵介が走りながら振り返ると、屋根から降りた信正が祠の戸を背にして化け物の相手をしている姿が見えた。
兵介はたまらず前を向き、もう一度振り返ると、信正の姿は化け物たちの陰に隠れて見えなくなっていた。
* * *
三人は藪をかき分け斜面を駆け降り、時折化け物を斬りながら走り続けた。
「そろそろのはず……」
「あった!! 弥作、距離はどうだ!?」
「祠からここまでおよそ十秒……二枚目の札はここから南に百歩行ったところです!」
「じゃあ二人とも、頼むよ」
そう言って木に貼られた札の前に立つ壱斉のもとに、剥がされるのを妨害するかのように化け物が集まってくる。
「はは、この数はちょっとまずいかもなぁ。早くしてくれる?」
壱斉は二人に向かって不敵に笑うと、もうこちらを見ることはなかった。
兵介と弥作はお互いに頷くと、次の札を目指して走り出した。
* * *
そして到着した二枚目の札は、大きな岩に貼られていた。
「じゃあ弥作――」
札を見つけ、三枚目に向かおうと兵介が弥作を見ると、その手は細かく震えていた。そうこうしている間にも、化け物たちは二人のもとに集まってくる。
弥作は震える手で握る木刀を見つめる。
「僕だって、みんなが死ぬのは嫌だ……大丈夫、師匠が教えてくれたんだ……やれる……大丈夫……」
自分に暗示をかけるように小さく呟き続ける弥作。兵介は弥作の肩を掴んで、まっすぐに眼鏡の奥の目を見つめた。
「しっかりしろ! 弥作! お前は誰より賢いし、誰より強い!そうだろ! 信じてるからな!」
兵介の大きな声を浴びた弥作は、自分の手で思い切り頬を叩く。そして、それまで大事そうに背負っていた支給袋を兵介に渡した。
「兵介様、あとはお願いします!」
「任せろ!」
そう叫んで兵介が十歩ほど走ったとき、背後から弥作の悲鳴のような雄叫びが聞こえた。
兵介は振り返らず、ひとつ袖で顔を拭い、止まりかけた足を動かし続けた。
* * *
弥作の計算通り百歩ほど走り、ようやく太い幹に貼られている三枚目の札を見つけた。
しかし、札を守るように化け物の群れが立ちはだかる。
「くそが……最後の最後まで邪魔な野郎どもだな!!」
兵介は勢い任せに木刀を振り回し、化け物を薙ぎ倒していく。
――早く、早くしないと皆が!
少しずつ前に進むが、札まではまだ届かない。
――くそ、こんなところで……壱斎、弥作、信正……!
『私にだって、正義はある』
——俺にとっての正義はなんだ? 化け物を全員ぶっ飛ばすこと? 否——
兵介は思考を止め、木刀を腰に差し直すと、一気に駆け出した。
化け物たちが振り下ろす腕の間をすり抜け、一気に札の場所に到達する兵介。
他の三人が札を守りきれていなければ……もはや兵介はそんなことは頭になかった。
「……皆、いくぞ!」
兵介は息を吐き、そして大きく息を吸う。
化け物の腕が兵介の顔面を捉えようとしたそのとき——
「今だぁぁああ!!!」
勢いよく札を剥がす。
周囲からは何も音がせず、自分の荒い息だけが響く。
「……やった、のか?」
ゆっくりと振り返ると、そこにはまるで最初から何も存在していなかったかのように、ただ白銀の世界が広がるだけだった。
――やった! 皆、無事でいてくれ!!
しかし、兵介は祠へ戻る方向を確認し忘れていたことに気がついた。それは壱斉も同じはずだ。すぐにでも祠に戻りたいが、どの方角に進めばいいかわからない。
とりあえず上に登るか? と思案していたとき、二発目の狼煙玉が上がった。
兵介は光に向かって一直線に走り出した。
* * *
兵介が祠の裏手に着くと、そこには髪と着物がほどけた満身創痍の壱斉の姿があった。
「遅いよ、若様ぁ。俺、本当に死ぬかと思ったよ」
「うるせぇ、めちゃくちゃ急いだわ」
二人は拳を合わせる。
そのとき、森の方から物音がした。
化け物の残党かと二人が身構えると、音の方向から割れた眼鏡をつけた弥作が出てきた。
「お二人とも……! 良かったぁ」
弥作は二人を目にすると、気力が途切れたのかその場に倒れ込んでしまう。兵介は慌てて駆け寄り、抱き起こす。
「弥作! 大丈夫か!」
「だ、大丈夫です……ただ、体力の限界で……」
見たところ怪我はなさそうだ。兵介はほっと息をついた。
「おい、お前たち! 無事か!」
聞こえてきた声の方を向くと、祠に閉じ込められていた貴章たちがこちらに歩いてくる姿が見えた。
「おお! 貴章たちも無事か!」
「あぁ、急に体が軽くなったんだ。文吾が一番に目を覚まし、他の者たちの頬を叩いて起こして回ってくれた」
他の班員たちを見ると、皆一様に右頬を赤くして立っていた。
「あれ、そういえば信正は? 狼煙玉上げたのって……」
「それなら私が上げたぞ。こうなっては試験は続行できないだろうと思って」
そう言って、貴章は狼煙玉が入っていた竹筒を見せる。
「じゃあ信正は……?」
貴章が何かを言いかけるが、その前に兵介と壱斉は弾かれたように祠に走った。
そして戸の前には、折れた木刀と乱れた髪を地面に広げて倒れている信正の姿があった。
「信正!!」
「……なんだ、騒々しい。少し休んでいるだけだ」
顔は動かさず、目線だけ二人に向ける信正。その表情はいつも通りの仏頂面だった。
「よ、良かったー!!」
改めて全員の無事を確認した兵介は、自分の足をぱんっと叩いて気合を入れなおした。
「よし、全員生きてるな! 小屋も壊れてないし、このまま——」
「待て、文吾はどこ行った?」
貴章に言われて周囲を見渡したが、どこにも文吾の姿はなかった。




