記憶の生命
「それにしても……」
「とっても広いねえ」
高い壁を乗り越えた二人は、床に倒れ込んだまま天井を眺め、ため息を漏らした。
「何かさ、このまま天井見てると吸い込まれそうな気がするよ」
「怖いこと言わないでよ。高いところは苦手なんだから。あっ、天井が落ちてきたらどうしよう?」
「そっちの方が怖いよ。さあ、休憩は終わりだ」
「ねえ、リトラ君、天井落ちて来ないよね?」
「そんなふうに穴が空くほど見てたら落ちてくるかもね」
リトラがそう言って笑うと、プリムラはさっと身を起こし、リトラの脚をぺちんと叩いた。
「その元気があれば、きっと天井が落ちても大丈夫さ」
「ぺしゃんこだよ……」
こうして、二人は歩き始めた。そこは神殿といった様相であり、どこからか眩い光が差し込んでいる。そして例に漏れず、全てが規格外の大きさを誇っていた。このような偉大な建造物が小さな〈人間の手〉によって造られたのかと思うと、リトラは気が遠くなった。
規則正しく並ぶ支柱、光を受けて不規則に輝く床、本来空のあるはずの場所には天井があり、向かい側の壁は遥か遠い。中央には神殿を左右に分断するように、長々とした真紅の絨毯が敷かれている。要するにとても広い。自分達が縮んでしまったと錯覚するほどに。内部はしんと静まり返っており、今は二人の足音だけが響いている。
また、未だにロベリアが姿を現さないのは幸運だと言えるのかどうか、リトラには判断が出来ずにいた。牢にいた時から不審に思ってはいた。姿が見えないのが余計に不気味である。そうは思っていても、彼女を怖れているであろうプリムラの前でその名を出すのは憚られた。姿が見えなくとも震えていたのだ。このまま忘れていてくれた方がいい。
「ねえ、リトラ君、あれを見て」
プリムラが歩みを止めて、右手に見える壁を指差した。見れば、そこだけ色が違っている。何かに気付いた二人は頷き合い、遥か先の壁を目指して歩き出した。十分程かかって到着すると、それは思った通りのものだった。
「それにしたって何もかもが遠すぎる。でも思った通り、これは扉だな」
「うん、扉だね。どう頑張っても動かせそうにない扉だよ」
「壁に絵を描いただけとかじゃないだろうな」
通常の扉にするようにこんこんと軽く叩く。分かっていたことだが、分厚い壁を叩いているのと同じ感触だった。試しに思い切り押してみるが当然びくともしない。二人揃って溜め息を吐く。
「しっかし、この神殿は一体何を奉ってたんだ? 奉る存在がいなければ信者も何もないぜ?」
その時、プリムラが頭を抑えた。リトラは驚いてしゃがみ込み、苦しそうに呻く彼女の肩を支えた。
「プリムラ、少し休もう。きっと疲れてるんだ。ごめんよ、無理をさせた」
「違う……いたんだよ、リトラ君。多くの捧げ物を持って訪れる大勢の信者たちが」
「えっ?」
それは初めから知っていたかのような口振りだった。当のプリムラは、自身の小さな身体を抱き締めて震えている。それはまるで、その身体が散ってしまうのを怖れているように見えた。
「変だよね。知らなかったのに知ってるんだ。こんな場所は見たこともないのはずなのに、今では分かるの」
混ざり合った伝説、集まった一つ。彼女は自身の知らない記憶に困惑しているようだったが、その一つ一つを摘まみ上げるように、ゆっくりと語り出した。
「私とフェザーの前には、必ず〈大きな存在〉が現れた。いつもいつも、フェザーは〈敵うはずのないもの〉に挑まなければならなかったんだ」
「俺の知る〈蜂鳥の騎士〉の中では、その大きな存在ってのは龍だったはずだ」
「そうだね、一つはそう。でも言ったでしょ? 色んな私が集まって〈この私〉になったって」
「なら、ロベリアも?」
「うん。色んなロベリアがいたんだ。古城、湖、この神殿だってそう。それらは色んな彼女を表すものなの。きっと、そういうのが全部混ざっちゃったんだよ。おっきくて怖いものが、全部」
「それは、あんまり想像したくないな……」
蜂鳥の騎士、この伝説を基に、そこに似通った様々な伝説が混ざり合っても、主人公である二人のイメージが大きく変わることはなかった。
しかし、そこに登場する悪役には様々な種類がある。魔女、龍、人間の女、一口に魔女や龍と言っても描かれた性格や能力、その姿は様々だ。今のロベリアはそれらが混ざり合ったものだと、プリムラは語る。だとすれば、ロベリアは邪悪な魔女であり、貪婪な龍であり、欲深い人間の女でもある。そのような性格を付与された存在が、一体何を求めるのか。
「リトラ君、ロベリアは多分、現実になりたいんだ。一つの存在として世界に存在し続けたいんだよ」
「でも、それは……」
「うん、叶わない。リトラ君が私たちを伝説の存在と呼ぶように、私たちはそういうふうに存在することは出来ない。この状態だってきっと長くは続かないよ。気が付けば消えている。最初から何もなかったみたいに」
「プリムラ……」
「リトラ君、私たちはどこにでもいて、どこにもいないんだ。物語って、そういうものなんだよ」
少し寂しそうに、プリムラは笑った。ある日、突然、肉体を得て(肉体という表現が正しいかは別として)この世界に存在させられ、いつの間にか消える。きっと、泉の精霊もそうだったのだろう。それはとても怖ろしいことではないだろうか。世界に戸惑い、己の姿に戸惑い、いつ消えるとも分からない恐怖に怯える。もしかすると、プリムラが怖れていたのはロベリアではなく、いずれ訪れる〈その時〉ではないだろうか。
これが彼女たちに与えられた生だと言うのなら、誰が何を以てそれを与えたのだろう。リトラは天を仰いだが、答えはない。




