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リトラと夜の幻想曲  作者: 本居 素直
第一章 湖上の花園
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沼御前


「リトラ君?」


「ん? ああ、ごめん。さあ、気を取り直して別の場所を探そう。プリムラ、やっぱり君はこんな所にいるべきじゃない。君はフェザーといなきゃダメだ」


 そう言って振り向いた時だった。この大門から一直線に伸びる真紅の絨毯の遥か先、一段高い台座のような場所に何か大きなものが見える。それは黒い塊のような何かだった。ここからでも大きいと感じるなら、一体どれほどの大きさだろうか。おそらく丘や山ほどもある。


「あんなのあったっけ?」


「ううん、なかったと思う……」


「何だろ、泥団子みたいだな」


「それにしてはつやつやしてるけど」


「じゃあ、丸まった黒猫」


「それがいいね。でも大きいのは怖いかな。ぺしってされたら潰れちゃうよ」


 などと言いながらも注意深く観察していると、それが動いた。表面がざわざわと波打ち、悶えるようにして形を変えている。すると、そこから一本の針のようなものがぬっと突き出した。実際にはこの神殿の柱ほどの太さだろうか。それが突然、二人を目掛けて凄まじい勢いで射出された。


「プリムラ!」


 リトラは咄嗟にプリムラを抱えて横に跳んだ。その直後、黒い柱は二人が立っていた場所を通過して、背後の扉に衝突した。だが、不思議と激しい音はない。この間にも、リトラはプリムラを抱えたまま支柱の陰に隠れようと走っていた。


 しかし、此処から一番近い支柱でさえ相当の距離がある。走りながらちらりと黒い塊を見ると、幸いにも今は静止しているようだ。その黒い塊から突き出した柱、それも扉に衝突したまま動く気配はない。リトラは走り続け、ようやく支柱へと辿り着くと、巨大な支柱の陰でプリムラを下ろした。


「プリムラ、大丈夫かい?」


「う、うんっ!」


「良かった。君は此処にいてくれ。此処なら、さっきの黒い塊からは見えないから」


「待って! 近付くのは危ないよ。だって、あれは多分……」


「あれもロベリアなんだろ?」


 プリムラはこくりと頷いた。


「二人でいるよりは俺一人の方がいい。此処には逃げ場もないからね」


「でも、どうするの? 戦うつもりなの? リトラ君じゃロベリアには絶対に勝てないんだよ?」


「それでも行かなきゃ。大丈夫、君には触れさせない。それに、フェザーはきっと来るよ。それまで耐えればこっちの勝ちさ」


「リトラ君!」


 引き留めようとするプリムラをその場に残し、リトラは柱の陰から身を躍らせて黒い塊に向かって走り出す。そのとき、静止していたはずの黒い柱が音もなく崩れ落ち、はらはらと解けて床に広がった。


しかし、本当の異変はここからだった。突き出た黒い柱の根源、黒い塊そのものが崩れたかと思うと、濁流のようにどっと波を打って流れ出したのだ。これに飲まれてはならない、そう判断したリトラは直ぐさま中央から脇へと逸れる。だが、湧き上がる黒い波の勢いは凄まじく、今や黒い大河となってリトラに迫る。必死に走るが到底逃げ切れず、リトラは足首から黒い川に浸かってしまった。


 その勢いは収まったものの、この黒い何かは未だにざわざわと波立ち、どこからか差し込む光を受けて、きらきらと輝いている。


「やっぱり、これ全部、髪の毛だ……ってことは」


「どう? 驚いた?」


「うわっ!? なあ、やめくれよ。そういうの良くないぜ? ホントに良くない」


 石畳に流れる黒髪の大河の中から、ロベリアが顔だけを出している。血の通っていないような、あまりに美しい、その青白い顔を。それはまるで、底なし沼に沈みかけているようだった。その当人が笑っているのだから、余計不気味に見える。


 一方の彼女はリトラの反応に満足したのか、黒髪の沼の中から全身を現した。湖で見せた色のない水の像とは違い、病的なまでに白い肌と艶やかな黒髪が鮮やかに映えている。大きく胸の開けた色鮮やかな着物姿は煽情的で、彼女の魅力をより一層強めていた。


「ごめんなさい、ちょっと虐めてやりたくて。それより、どうかしら? 実物の方が綺麗でしょう?」


 ロベリアは自身の容姿を見せ付けるように、穏やかに波打つ黒髪の上でくるくると舞っている。リトラはその姿に一瞬だけ目を奪われた。そして、数歩下がって距離を取ろうとした時には、既にがっしりと足を掴まれていた。まさかと足下を見ると、想像通り、大量の黒髪が両脚に絡み付いている。


「はい、捕まえた。どう? 囚われのお姫様とのお喋りは楽しかった?」


「実に色々なこと知ることが出来たよ。あんたの事もね」


「あらそう。それで? 私と違って〈現実に存在している〉貴方に、人間に、一体何が出来るのかしら?」


 どうやら、全てを聞いていたようだ。


「覗き見してたんだ。趣味が悪いですね」


「壁登り、見ていて楽しかったわよ? ひっくり返った虫が一生懸命に脚を動かしてるみたいで」


 リトラをぐいっと引き寄せ、ロベリアは嘲笑う。さらに威嚇するように蛇の眼で睨み付けるが、リトラは怯まなかった。


「伝説のままじゃ満足出来ないのか? 現実の人間たちは〈それ〉になろうとして無茶してるんだぜ?」


「私は〈この私〉に満足出来ないのよ。だから、やり直す。現実が伝説となったのなら、伝説もまた現実になれると思わない? 元々は現実に起きた出来事なのよ?」


 リトラの頬に蛇を象った黒髪をちろちろと這わせて、ロベリアが妖しく笑った。


「まあ、確かに……でも無茶だ。伝説は現実が辿り着ける最高の到達点であり、終点なんだ。つまり、既に現実の手からは離れている。一度至ったら〈そこ〉からは戻れない」


「いいえ、私には出来る。やってみせるわ。捧げられた人間の血肉を得れば、それが可能なる。それもまた、私の力の一つなのだから」


「だとしても、湖からは離れられないぜ? 遥か遠い土地、とある湖の伝承があんたを縛ってる。強大な力があっても、そこにしか存在出来ない」


「その為の血と肉なのよ。この神殿に封じられた霊的な存在から脱却して、私はこの場所と湖に縛られない新たな私を得る。それと、私はロベリアよ」


 その眼には、危うい光が宿っている。


「それは意地悪な魔女の名前だろ?」


「へえ、やけに詳しいわね。お勉強の成果を披露できて良かったじゃない」


「で、あんたは結局どうしたいんだ? 世界を食い尽くすのか? 蜂鳥から花を奪おうとした貪婪な龍みたいに」


「あら素敵。それもいいわね。世界を喰らい尽くしてぐっすり眠るの」


「独りぼっちでね」


「黙りなさい」


 黒髪がリトラの体をしゅるしゅると音を立てて這い回る。それはリトラの脚から胸にまで一瞬にして絡み付き、その体を容易く持ち上げてきつく締め付けた。


「知っているかしら? 蛇は捕らえた獲物が呼吸する度に、徐々に締め付けを強くしていくの」


「言われなくても身を以て知ってるところだよ」


「まだそんな事が言えるのね」


「ロベリア、あんたは自由に生きたいとは思わないのか? 無理矢理押し付けられた性格になんて従わなくていいし、戦いから逃げたっていいはずだ」


 瞬間、空気が一変する。ロベリアはかっと眼を見開き、黒髪で掴んだ足を引っ張ると、遥か後方の扉に向かってリトラを思い切り投げ飛ばした。


 鈍い音と共に背中を強打したリトラは、黒髪の上で膝を突き、酷く咳き込んでいる。直後、再び激しい衝撃がリトラを襲う。腹を蹴り上げられて宙に投げ出され、地面に衝突する寸前、帯状の黒髪がリトラの体を再び絡め捕った。そこから更に、幼児に弄ばれる人形のように、手足が千切れるほど乱暴に振り回され、分厚い扉に向かって何度も叩き付けられた。


 この間、黒髪が万力の如くリトラを締め上げ、血を滴らせている。リトラは一瞬にしてくたびれた布切れのような姿となり、先程と同じ、宙吊りの格好のまま、ロベリアと再び相対する。


「逃げる? この私が? もう一度言ってくれないかしら、聞き間違いかも知れないから」


「歳じゃないの?」


「貴方って本当に生意気」


 黒髪によって胴を縛り上げられたリトラを引き寄せ、その首に手をかける。ロベリアはその細腕に徐々に力を込めていき、指先が首に食い込んでいくと共に、その瞳も妖しい輝きを増していく。そして、次第に青ざめていくリトラの鼻先に顔を近付けると、薄く紅を引いた唇を歪めて、愉悦の笑みを浮かべた。


「貴方の血によって力が増していくのを感じるわ。大勢の生贄が必要になると記憶していたけれど、これなら貴方一人で事足りる」


 同時に鈍い音が響き、鮮血が噴き出した。ロベリアの瞳には歓喜の炎が輝き、満悦の笑みを浮かべている。大量に飛び散った返り血が、ロベリアの艶やかな黒髪に吸い込まれていく。




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