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リトラと夜の幻想曲  作者: 本居 素直
第一章 湖上の花園
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人質


「プリムラ!」


 フェザーが少女の名を叫ぶが、その声が湖の中に届くことはなかった。


「五月蝿いわね……」


 ロベリアはその大声に顔を顰めると、踵で水面を打ち鳴らした。すると、牢獄の中の少女が飛び起きる。フェザーが怒りの形相でロベリアを睨み付けるが、彼女は更に挑発するように嘲うだけだった。


「ほら、ちゃんと生かしているでしょう?」


「声を聞かせて」


「駄目、今日はこれで満足しなさい。さて、貴方もこれで満足した?」


「直接会わせてはくれないんだな」


「今すぐに貴方が入れば、あの娘は出してあげる。入らなければあの娘を殺す。今、ここで。死体でも良いならすぐに会わせてあげるわ」


 それは囁くような声だったが、その囁きには脅迫の威力と実行の意志が込められていた。酷薄な笑みを浮かべるロベリアに、リトラは肩を竦めて溜め息を吐く。彼女にプリムラを出すつもりなど微塵もないことは分かり切っていからだ。


 ただ、生贄を欲していながら生かしているのだから、今のところ殺すつもりはないように思える。生かしているのは人質の他にも利用価値があるからだろう。とは言え、ロベリアの性格ならばやりかねない。また、当のロベリアをどうにかするにしても、今の彼女は水の彫像であって実体ではない。彼女の優位が揺らぐことはなく、外からではどうしようもない。幾ら考えた所で選択肢が増えることもない。リトラに出来ることは初めから一つしかなかった。


「ま、行くしかないよな」


 リトラは屈み込むと、躊躇うことなく水面に向かって手を伸ばす。今にも指先が触れるかという時、フェザーが咄嗟にその手を掴んだ。


「うわっ! フェザー? どうしたんだよ?」


「正気!?」


「いやいや、君は最初からこうするつもりだったんだろ?」


「それはっ……」


「責めてるわけじゃないんだ。君は友達を助けたかっただけなんだろ? ずっと迷ってたのも分かってる。それに、君は俺を突き落とそうとしなかったじゃないか。その方が簡単だし、やろうと思えば出来たはずなのに」


 事実、彼女にはそうすることが出来た。寧ろ、事情を知られて抵抗されることを考えればそうするべきだったとさえ言える。仮に抵抗していたとしてもロベリアによって囚われていただろうが、それはともかく。


「突き落としても心が痛まないような悪党を連れて来るつもりだったんだろ? でもさ、そんなやり方は君には向いてないんだよ。ここに来るまでだって散々悩んでいたみたいだし」


「何で……」


 何で、見ず知らずの、今夜出会ったばかりで素性も偽っている女に、ここまで協力してくれるのか。況してや、命を懸けるなどどうかしている。リトラにはプリムラがどうなろうと知ったことではないはずだ。フェザー自身もそう思っていた。いや、何度もそう思おうとした。プリムラを救えるならば、悪人共の命がどうなろうと知ったことではないと。しかし、彼女にはそうすることが出来なかった。


「ねえ、何で?」


 フェザーには分からなかった。人間とは欲深い生き物、見返りを求めずに危険に身を投じるなどあり得ない。そのはずだ。それに何故、彼は私を罵倒しないのだろう。何故、非難の眼差しを向けないのだろう。そうしてくれた方がずっとずっと楽なのに。罪の意識に苛まれるフェザーは、そう思わずにいられなかった。


「ごめんなさい……」


「泣いちゃだめだ、フェザー。あの子はまだ生きてるんだから」


 自分の手を掴んだまま泣き崩れるフェザーを、リトラは励ました。


「さて、もう行くよ。あの人も苛ついてるみたいだしね。ま、俺はなんとかやってみるから、フェザーも諦めちゃ駄目だ。なにが起きるかなんて、最後まで分からないもんだよ」


 そう言って掴まれた手をそっと解くと、リトラはふたたび水面に手を伸ばす。今度は止める間もなく指先が水面に触れ、そして、吸い込まれるようにして消えた。


「あ、あぁ……」


「素直な子で良かったじゃない。あの子、英雄にでも憧れていたのかしら? そんなものに憧れるような子には見えなかったけれど……」


 ロベリアは唇に指を添えて考えるが、生贄を理解しようとするなど馬鹿馬鹿しいと頭を振り、フェザーに向き直る。


「今回はあの子に免じて遅れたことは不問にしてあげる。ほら、さっさと行って次の贄を用意して来なさい。あの娘の眼をくり貫かれたくなかったらね」


 泣き崩れるフェザーに冷酷な笑みを浮かべ、ロベリアは無慈悲に告げる。フェザーは力なく睨み付けるが、ロベリアは薄ら笑いを浮かべたまま「待っているわよ」と水面に溶けて消えた。一人残されたフェザーは膝をつき、ひたすらに悔やんだ。


「私は何てことを。あの子が嫌うことをしてまで、私は……」


 こうなることは分かっていた。覚悟もしていた。そのはずなのに、他人を犠牲にしてしまったことを酷く後悔した。自分を慕ってくれる少女も、この行いを知れば軽蔑するだろう。罪を犯して救ったところで喜んでくれるはずもない。向けられた信頼と自身の誇りを裏切ってまで何を得ようというのか。たとえ負けると分かっていても、ロベリアに戦いを挑むべきではなかったのか。


 そして、もしこのまま生贄を捧げ続ければ、ロベリアは自由になる。そうなればプリムラを、次に自分を殺すだろう。それも分かっていたはずなのに、ありもしない希望に縋って、ロベリアの甘言に乗ってしまった。プリムラと共に生きることを望むあまり死を恐れ、ロベリアと戦うことから目を背けていた。フェザーは拳を握った。


「……これでは〈蜂鳥の騎士〉の名が泣くな」


 フェザーは自嘲し、そして立ち上がると、腰に差した針のような短剣に触れて、湖を睨んだ。


「最初から、こうするべきだった。これ以外に方法などなかった。ごめん、リトラ、すぐに戻るから、プリムラをお願い」


 フェザーは丘を駆け下りて、馬を繋いでいた杭を外して跨がると、悪党の集う地下酒場を目指して馬を走らせた。ロベリア、あの龍と戦うには、空を飛べなくては話にならない。そのためには、とにかく燃料がいる。できるだけ大量に食べておかなければならない。フェザーは馬を走らせた。


 その様子を、梟が見ていた。



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