伝説を超えて
ケフェウスが放った一瞬の輝き。
その全身から溢れ出す光輝は、この地上のすべてを照らし出したかのように思えた。二等星に比するその輝きは、翼ある黒蜥蜴の源、混ざり合った憤怒と怨嗟、羨望の苦痛、それらを掻き消す清浄の光。
宙に浮く二人に向かって伸ばされた無数の触手はその光に戦慄き、次の瞬間にはどろりと溶けて地に墜ちる。背に浮かぶ夥しい眼も瞬く間に光に焼かれ、その広大な背に溶け出した。今や丘を覆う程となった巨体も、光にその身を総毛立たせて震えたかと思うと、内側から弾けるように周囲に四散した。
「神話の輝き……」
フェザーは無意識の内に呟いていた。光が止んで視界が開けると、未だ淡く光り輝くケフェウスが、リトラの右前腕を覆うようにその全身を宿している。変形した胴から首までが右腕をがっちりと覆い、翼はそのままに、頭部と嘴は拳より先に突き出している。
今のケフェウスは〈二つの前腕に先立つもの〉、アルデラミンと呼ばれる恒星の輝きをその身に纏っていた。その輝き、その力は、〈母様〉の愛を享けるリトラの腕に宿った時にのみ発揮できる。
「おい、見えたぞ!!」
四散した黒蜥蜴、その弾けた胴体から円形に広がる波形の中心に、気を失ったロベリアが横たわっている。瞬間、白金の閃光が風を裂く。熱をも生み出すその爆発的な推進力は音を置き去り、中心に戻ろうと蠢く触手の大波に風穴を空け、横たわるロベリアを奪い去った。
その一瞬にも満たない出来事に、核を失った黒蜥蜴は狼狽えている。だが、ロベリアが辺りに居ないと分かるや否や、朽ちかける自己を存続させるべく、近場の生命にその手を伸ばす。
「げっ、マジかよ!」
「やっぱりそうか、あれじゃダメなんだ」
「オイ、どういうことだよ!」
触手の動きは先程とは比べ物にならないほど俊敏だった。死を間近に控え、追い詰められた意志なき獣、限界の飢えがもたらした恐るべき足掻きの力、飢えた無数の腕が二人に迫る。
「どうする! もうアレは出せねえぞ!」
「一度俺を落とすんだ!」
「馬鹿か!? んなことしたらお前が」
そこへ白金の翼が舞い戻る。「逃げて!」二人の迫っていた触手を短剣で斬り伏せながらフェザーが叫んだ。しかし、追い縋る後続の触手が既にそこまで迫っていた。彼女はその場に滞空したまま前に出る。その身を挺して逃がそうとしているのは、リトラとケフェウスにも分かっている。だがケフェウスと言えど、この飢えた触手からリトラを抱えた状態で逃げるのは不可能に近い。
「数が多い!」
何とか時間を稼ごうと奮闘するフェザーの脚に触手の一つが絡み付く。彼女は短剣で素早く切断するも、その一瞬の隙が決定的となった。フェザーは短い呻き声を上げ、首、腕、胴、次々に絡め捕られていく。懸命に翼を振るうも触手は翼をも絡め取って離さない。
決して逃がさないとばかりに、新たな触手が続々とフェザーに絡み付いていく。抵抗を続ける彼女の体からは徐々に力が抜けていき、触手は彼女を飲み込もうと引き摺り下ろそうとする。ケフェウスは焦り、フェザーが暗黒に引き摺り込まれるのを前にも後ろにも動けぬまま見ていた。幸い、触手は捕らえた獲物を逃がさぬことに必死で、二人に近付こうとする気配はない。
「リトラ、何かねえか!! あいつ、フェザーを替わりにする気だ!!」
「……フェザーに近付いてくれ」
目を見開いて戸惑うケフェウスに、リトラが更に叫ぶ。
「早く、時間がない!!」
地上からは、触手の主と思われる龍頭がその鎌首を擡げている。その距離は徐々に縮まり、龍頭は我が子が捕らえた獲物を今か今かと口を開けて待っている。フェザーはまだ抵抗を諦めてはいないが、触手は更にきつく彼女を締め上げた。呻く彼女の右手からは、今にも短剣が離れようとしている。
「今だ!」
「ナルホドな、ようやく分かったぜ!」
ケフェウスは一度リトラの右腕から離れると、フェザーの右手から零れ落ちた短剣に向かって突き進む。そこに触手が向かって来るが、既に獲物を得ているからか勢いはなく、その数も少ない。この機を逃さず、ケフェウスはフェザーと龍頭の間を彷徨う短剣を嘴に咥えると、落下するリトラに突っ込んだ。リトラは腕を突き出しケフェウスに叫ぶ。
「ケフェウス、奥の手だ!!」
「ほーよ!」
ケフェウスはリトラの〈左腕〉にその身を宿らせると、餌を待つ雛のように口を開けている龍頭の正面へと躍り出た。
「さあ、ケフェウス、終わらせよう」
リトラは龍の眼に向かって、短剣を咥えた嘴を構えた。
「ひへんのは? はいへはへんへふばへ?」
「こっちは神話さ」
その身に纏う輝きは真紅。ケフェウスに宿る紅榴石の星、太陽の数万倍とも言われる紅き光輝が体内で集束し、その嘴から溢れ出す。
「もう眠るんだ。後は全部、俺たちがもらっていく」
紅き光が、龍頭に向かって放たれる。龍頭の眼は大きく見開かれ、だらしなく開いた口から牙を覗かせたまま、紅の奔流に呑み込まれた。紅い光が夜空に尾を引いて、消える間際、ちかちかと明滅した。そして光が止み、音が消える。驚くことに、龍頭は未だその形を保っていた。光だけでは、全ての彼女の怨嗟を消し去るには至らなかったのだ。
「これでもダメなのか!?」
「いや、ケフェウス、もう終わったよ」
龍頭は空を仰ぎ、微かな吐息を漏らす。微動だにせず、たった一つの輝きを見つめる姿は、そこに永遠の安息を見出したかのようだった。丘を飲み込んでいた暗黒は、その端から白金の粒子となって夜空に昇っていく。自身が消え行くことなど意に介さず、龍頭はたった一つを見つめ続けた。その右眼には、か弱く儚いが、確かな光が宿っている。
今や、ほんの微かにしか感じられない痛みが、その光が確かな現実であることを教えてくれる。それこそが、全ての彼女たちが伝説に求めたもの。龍頭はその身を横たえると、自身が白金の粒子となって夜空に溶け出すのに任せた。
「求めたのは、たった一つ」
蜂鳥の騎士のMiséricordeをその眼に湛えて、龍頭は安息の中に消え去った。
「misericordia、全ての彼女が伝説に求めていたものは、それだけだったんだよ」
と、リトラはそこで気付いた。
「フェザーは!?」
「……いた! 向こうだ! 落ちてる! 気を失ってんだ!」
彼女の翼は力無く揺れ、その体は風に翻弄されている。ケフェウスは直ぐさま元の姿に戻ると、リトラの腕を掴み上げ、気を失って落下するフェザーに向かって翼を振るった。リトラはフェザーに向かって懸命に手を伸ばす。
「届くか!?」
「そろそろ、もう少しで届……いたっ!」
「よっしゃ! うお、重っ!?」
見た目に反し、フェザーの体は非常に重かった。ほぼ翼の重さだろうが、そのぶ厚く重い翼が二対、ケフェウスが全力で羽ばたいても落下速度を抑えるのが精一杯だった。
「リトラ、む、無理かも」
「ケ、ケフェウスさん? ちょっと、それだけは勘弁してくれませんか……」
「いや、もう、無理!」
ケフェウスの奮闘も空しく、遂に鉤爪が外れ、リトラとフェザーは宙に投げ出された。そうなれば、もうできることはない。決して逆らえない法則に従って、真っ逆さまに落ちていくのみである。




