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リトラと夜の幻想曲  作者: 本居 素直
第一章 湖上の花園
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「ロベリア!」


 残るは左脚のみ、しかし間に合わない。ロベリアの背後に湧き上がる黒い波は、今や彼女の背中に押し寄せ、その体を飲み込もうとしていた。


 古来、女性の髪には命、霊力、そして神が宿るとされる。しかし、彼女の黒髪に宿ったのはそれとは全く別のもの。自身を束縛する伝説。そこから解放されたいという切なる願い。自分を捕らえて離さない伝説(現実)を憎み、破壊したいという激情。混じり合った〈全ての彼女〉、その想いが髪に宿り、それが今主を離れ、その禍々しい姿を現そうとしている。彼女の生命を核として。


「何をしているの、早く逃げなさい」


 全身を黒髪に飲まれかけた自分の腕を掴み、懸命に引き抜こうと奮闘するリトラに、ロベリアは諦めたように呟いた。


「生きるんだろ!」


 リトラは更に強く腕を引き、叫んだ。


「もういいのよ。悪意(ロベリア)に呑まれる。私にはお似合いの最期だわ。さあ、離して頂戴」


「プリムラが待ってるんだ。きっとフェザーだって待ってる。君たちは誰一人欠けちゃ駄目なんだ」


「やっぱり、貴方って残酷……」


 黒髪は今尚も浸食し、リトラの腕にまで迫ろうとしている。だが、それでも彼は離さなかった。しかしその時、リトラの体が何かに掴まれ、瞬く間にロベリアから引き離されて行く。リトラは何が起きたのか理解出来ず、取り残されたロベリアの姿を見つめていた。


 ありがとう。彼女は穏やかに微笑んで、確かにそう言った。そして遂に彼女は、群がり寄せる悪意の波に飲まれて消えた。


「おい、無事か!」


「あんたは酒場の……」


「そう言えば名乗っていなかったな、俺はサルカラだ」


 サルカラがリトラを掴み上げて馬に乗せる。ケフェウスの見た第三の人影は彼だった。


「俺の出る幕などないと思っていたが、まさかこんなことになるとはな……」


 丘を行く馬の背後で、ロベリアを飲み込んだ黒い悪意が、ごぼごぼと音を鳴らして不気味に沸き立っている。


「サルカラ、このまま湖の向こうまで走らせて欲しい。そこにフェザーとプリムラがいる」


 サルカラは頷き、馬を走らせる。そこへ、フェザーを運んだケフェウスが戻って来た。


「リトラ、待たせたな。なあアンタ、正直助かったぜ! リトラがあのまま飲まれてたら、俺は母様に殺されるとこだった」


「お、おう」


 喋る木菟にサルカラは目を丸くしている。


「ケフェウス、フェザーは?」


「プリムラの横に寝させたら一発だ。パッと光って元通り。あれを見たら、どんな名医も免許を投げるぜ」


「そりゃあ良かった。問題はあれをどうするかだ」


 背後を指さしてリトラが言った。


「フェザーはあれと戦う気だ。でも……」


「プリムラか?」


「ああ、フェザーと一緒に行くって言って聞かないんだ。そうすると、その、〈花〉にならなきゃダメみたいで……」


 様々な変遷を経て、現在知られる蜂鳥の騎士は、プリムラの花を胸に挿した姿で描かれる事が多い。守るべき花を胸に彼女は悪と戦うのだ。という、見た目に分かりやすい騎士の物語。最初の物語からは大きくかけ離れている内容だが、どうもそうなっているらしい。


 もし、プリムラが言葉通りの〈花〉になれるのならば、フェザーは本来の蜂鳥の騎士の力を発揮出来るだろう。ケフェウスにはそこが気懸かりだった。


「彼女、オマエに続いてフェザーを癒したから、もうふらふらなんだよ。彼女は小さいし、フェザーもダメだって言ってるんだけど……」


「意外に剛情らしいからな、彼女」


「サルカラ!?」


 そこへ駆け寄ってきたフェザーは、此処にいるはずのない男の姿に驚いている。


「よお、フェザー、このお喋り木菟のお陰で状況は分かってる。その蕾の嬢ちゃんは俺が連れて行こう」


「そうして欲しい。あまり時間はない。今すぐにプリムラを連れて此処を離れて。誰かが傍にいれば無茶はしないはずだから」


「ダメだよ! だって、まだロベリアが!」


 フェザーが嫌がるプリムラを抱えて馬に乗せる。プリムラは何とか抵抗しようとするものの、その力は弱い。フェザーの危機に本能的に目覚め、無理を押して癒したのだ。いつまた気を失ってもおかしくはない。また、フェザーはプリムラの判断が間違っているとは思っていない。あの化け物に勝つとすれば、花の加護が必要不可欠だ。何より、プリムラの望むようにしてやりたかった。こうしている間に倒れてしまいそうでなければ。


「さあ行って。丘を下りて、ずっと遠くへ」


「……分かった」


 サルカラは彼女の意図を汲み、暴れるプリムラを左腕で抱き抱えると、馬を走らせ平原に走り去った。


「リトラ、ケフェウス、貴方たちも早く逃げて。後は私が何とかするから」


「一人じゃ無理だ」


 この言葉に食い下がろうとするフェザーを制して、リトラが続ける。


「いいかい、フェザー、君は無限に飛べるわけじゃない。もう何度も無茶な飛び方をしてるんだ。それ以上無茶をすれば燃料が切れる」


「それは……」


 フェザーは大量の砂糖水を摂取している。本来であれば、800㎞の海を中継せずに渡るだけの充分な蓄えがあった。事実、一部の蜂鳥にはそれが可能である。だが、それは一定の速度による移動に限った話であって、激しい戦闘となると話は変わる。先の龍との戦い。その最中に何度も行った急激な加速、急停止、急上昇によって、蓄えた糖分を大幅に減らしていた。


 それでも枯渇するには至らないが、新たに得た翼がそこに拍車を掛けている。もしもの時、彼女が飛べなくなれば、その〈生命〉に関わる重大な危機に陥るのは必至、それだけは避けなければならない。


「でも、貴方達はどうするの? あれと戦えるの?」


「任せとけって、女一人にあんなバケモノを押し付ける訳にはいかねえだろ」


 湖の向こうで蠢く〈何か〉を翼で指差して、ケフェウスが言った。


「本来なら、これまでに描かれた〈それぞれの彼女〉に宿っていた感情だ。きっと、一つになった彼女(ロベリア)には抑え込めなかったんだよ」


「全てのロベリアが、抱えていたもの……」


 フェザーは、ロベリアだったものを見つめた。それは地面を這い回る蜥蜴(とかげ)山椒魚(サンショウウオ)、或いは翼の生えた(わに)のようだった。大きく不格好な翼は生えているが、自重によって飛ぶことなど到底出来そうにない。丘を覆い尽くす程に膨張を続ける巨躯、それに釣り合わない不揃いの短い脚で、赤子のように這い回っている。


 また、その背には夥しい眼球が浮かんでおり、それらが見せる不規則な瞬きは嫌悪感を催すのに充分だった。溢れる黒髪の表面はざわめき未だ不安定で、現に短い手脚は溶けて戻ってを繰り返している。ロベリアであった頃の意識はなく、今では何もかもを飲み込もうとする暴食の生物でしかない。その姿を見たフェザーは酷く後悔しているようだった。これまでの過去、全ての伝説を。


「さあ、リトラ、もう行こうぜ。プリムラとも約束したしな」


「そうだな。じゃあ、そういうことだから。フェザーは此処で少し待っててくれ。合図を送るから見逃さないでくれよ?」


 まるで軽く散歩にでも出掛けるかのようにケフェウスに掴まると、リトラはそのまま飛び立とうする。その時、離れていく彼のコートの裾をフェザーが掴んだ。


「貴方も無茶はしないで、貴方には言わなきゃいけないことが沢山ある。だから……」


「大丈夫さ、必ず何とかするよ。終わったら沢山話そう。その時はロベリアも一緒にね」


 リトラはそう言って笑うと、今や醜い怪物となった伝説の成れの果てに向かって飛び立った。


「さあて、ケフェウス君、いつでも行けるか?」


「当たり前だろ? 奥の手ってのは最後の最後に使うもんだ」


 二人は上昇を続けながら、翼の生えた蜥蜴(とかげ)を見る。それは自分が何者かも分からず過剰に膨張し続ける化け物。元は美しい黒髪であったはずのそれは、今やどろどろと流れ出す汚泥のようだった。頭上を飛ぶリトラ達に触手のようなものを伸ばしているが、この高度に達する前に自重によって崩れ落ちている。


「さあ! 行くぜ行くぜ!!」


 ケフェウスが無謀にも降下を開始する。その姿を見ていたフェザーは驚愕し、思わず飛び出しそうになった。降下すれば、そこは当然触手の届く範囲内である。あの触手に捕まれば最後、あの黒い泥の中に飲み込まれて終わる。


 作戦も何もない、ただの突撃。そこに群がる無数の触手。それが二人の体を遂に捕らえようとしたその時、ケフェウスはその身体から光を放って叫んだ。


「さあ、その眼を開いてしかと見ろ! これが永久不滅、神話の輝きってヤツだ!」


 それはまさに、光の爆発だった。



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