反逆
「終わりだ、ロベリア」
「何故、いつもこうなのかしらね」
寂しげに笑うロベリアの呟きは、風に吹かれて虚しく散った。
時は僅かに遡る。
「忌々しい、これだから嫌なのよ」
龍の爪によって翼を切り裂かれたフェザーが地面に激突すると確信した瞬間、彼女の背中には新たな翼が宿った。その翼の放つ輝きには、先程よりも遙かに強い力が宿っている。自分がリトラの血液、現実の生命によって力を増したように。だが何故、何も奪わずしてそんな力を得ることが可能なのか、龍には理解出来なかった。
一方、新たな翼を得たフェザーは地上に立ち、二対の翼の性能を確かめるように動かしている。
「そんなものを得たところで私を殺しきる力はないはずよ」
だが、嫌な予感がした。それは〈いつもの〉感覚だった。窮地に立たされた蜂鳥の騎士は必ず立ち上がり、更なる力を得て悪を倒す。倒され続けた悪は、それを確かに感じ取った。このままでは負ける。本能がそう告げる。
ロベリアは即座に龍を形作る膨大な黒髪を〈全て〉解くと、大蛇の化身である黒髪の女へと姿を変える。突然の変身に虚を突かれ、フェザーは咄嗟に身構えた。しかし、変身の目的は攻撃ではなく言わば目眩まし。この隙に湖に触れて閉じる。それがロベリアの狙いだった。あの木菟が何者かは分からないが、此処にプリムラまで現れればフェザーを倒すことは不可能になる。今や水面が間近となった時、フェザーはロベリアの意図に一拍遅れで気付き、翼を振るった。
「もう遅いわよ」
ロベリアが空中から湖へと降り立とうとした瞬間、|白金の閃光がロベリアの体を捕らえた。それはまさに現実では有り得ない速度、本来の過程を飛ばして〈そこ〉から〈ここ〉に現れたような超高速の移動だった。
「お前の負けだ」
「黙りなさい」
「湖から離れたお前がどんな姿になるのか見せてもらおうか、ロベリア」
「囀るな、蜂鳥」
瞬間、空に棚引く黒髪が翼に変わる。ロベリアは一瞬の動揺を見せたフェザーを突き放し、何とか体勢を立て直そうとするが、翼の扱いではフェザーに分がある。彼女はロベリアに食らい付き、激しく揉み合いながら地上へと墜ちていく。ロベリアは自身を守るべく黒髪を展開、フェザーは直前に強く羽ばたき、落下の勢いを減衰させる。こうした空中の攻防の末、戦いの場は湖から外れた場所へと移った。
その時、ケフェウスが湖から飛び立った。その背中にはプリムラ、その脚にはリトラの姿がある。囚われの花が解放された今、ロベリアに勝機はないかに思われた。
「まだまだこれからよ、フェザー」
しかし彼女は諦めない。今や湖から離れてもその姿を保っている。それは彼女自身の力が高まっているからに他ならない。ロベリアは膨大な黒髪を右手に集束させ、フェザーを屈服させるべく強大な一個の暴力を形作る。それは巨大な棍棒、日出ずる地に伝わる怪物、鬼の持つ金棒に相違なかった。
フェザーもまたプリムラの帰還に気付いていた。ケフェウスは対岸に降り立ったようだが、今の翼ならば容易く近付くことが出来るだろう。しかし、新たな翼は先より大きいが故に、一度振るえば速いが振るうまでに僅かな隙が生まれてしまう。それを見逃すロベリアではない。彼女は湖から外れて尚もその力を高めている。黒髪の棍棒や黒髪の翼、それらはこれまでになかった力だ。次に何をしてくるか分からない。
二人は長く睨み合った。互いに力を計りかねているのだ。必殺の一撃を見舞うのか、手数によって攻め立てるのか、或いは搦め手を使うのか。先に動いたのはフェザーだった。危険ではあるが、ロベリアが今の速度に対応出来るのか、それを見極めるためにも先手を打ったのである。
「幾ら速くても狙う場所は一つでしょう」
巨大な金棒を正眼に構えて攻撃を弾く。フェザーは呆気なく弾かれた事よりも、金棒の強度に驚いていた。所詮は髪、龍の鱗を貫いた今の自分ならば、これも貫くのは容易いと考えていたからだ。しかし、あの金棒は巨大な龍を形作るほどの膨大な黒髪、それを一つに集めて生み出した得物。この異常な強度も別段おかしな話ではない。フェザーは翼を振るって一度距離を取ろうとするが、ロベリアが猛追する。
その細く青ざめた体からは想像出来ない力強い踏みによって一気に距離を詰め、圧倒的暴力の塊を振り下ろす。フェザーは一歩踏み込み、ロベリアの脇をすり抜けるようにして躱す。直後に鳴り響く轟音に、フェザーは戦慄し体を強張らせる。地面は広く、深く抉れ、土煙が天に昇る。彼女は今、自分に向けられた力の凄まじさ改めて実感していた。
「そんな暇があるのかしらね」
ロベリアが逃さず打ち掛かる。暴風の如く絶えず振るわれる破壊の力に、フェザーはその全神経を集中させ、鮮やかな脚捌きと柔らかな上体の移動とで躱していく。永遠に続くかと思われた暴力の嵐だったが、ロベリアが一度大きく振りかぶったその時、そのがら空きの胴に、フェザーが翼で加速した渾身の前蹴りを叩き込んで止める。その凄まじい衝撃がロベリアの体を宙に浮かせた。
フェザーは彼女が着地するより早く距離を詰め、開けた胸元を狙って短剣を突き出した。だがその時、フェザーに悪寒が走る。宙に浮くロベリアが唇の端を吊り上げて嗤っている。その背中、その長い黒髪が一気に逆立ったかと思うと、それらが一瞬にして数多の黒剣の雨となってフェザーに降り注いだ。この全方位からなる黒剣の雨を避けることは不可能。ならば、とフェザーは白金の翼で体を覆って外殻を展開する。このような試みはこれが初めてであり、翼の強度は未知数である。だが、この他に術はなかった。
一方、ロベリアには翼を貫く自信があった。高まった力を黒髪に集中させ、その強度、攻撃力共に以前の比ではなくなっている。何よりプリムラがいないのが大きい。たとえ幾つか防御されようとも、黒剣の一つでも刺されば終わる。かくして、数多の黒剣は白金の翼に吸い込まれ、連続する甲高い金属音が丘に鳴り響いた。そして。
「私の勝ちだ」
「……そのようね」
白金の翼、その殻の中から現れた蜂鳥が、龍の胸を刺し貫いた。宙に鮮やかな真紅が糸を引く。龍は地に墜ち、膝をついた。草を踏む足音にロベリアが顔を上げると、短剣の切っ先を向けたフェザーが見下ろしていた。
「終わりだ」
「何故、いつもこうなるのかしらね」
「お前が始めたんだ。何もしなければ、それで良かったのに……」
「そんな選択肢、私の中にはないわ。嗚呼、結局、現実でもこうなるのね。もう疲れたわ。さっさと終わらせて頂戴よ。〈いつも〉のように」
それは精一杯の皮肉だった。一方のフェザーは短剣の切っ先を突き付けたまま動けなかった。丘に吹く風が二人の髪を撫で、対照的な白金と黒曜が月明かりに輝いている。
「怖いのね? 私を〈殺す〉のが」
「ああ、怖いよ。〈この私〉は初めてなんだ。それにお前が死んだら、ロベリアはきっと永遠に失われてしまう」
「あら、貴方からそんな言葉を聞くときが訪れるだなんて思わなかったわ」
「私もだよ。もう何度も繰り返しているはずなのに」
「……もういいわ。さあ、こんな伝説なんて終わりにしなさい。私はもう二度と貴方に殺されることはない。そうと思うと、安心して眠れるわ」
「ぐっ……」
「フェザー?」
腹を貫かれ呻くフェザー、ロベリアは目の前で起きていることに理解が追い着かない。誰一人として動いてはいない。動いたのは地面に広がったロベリアの髪だった。解けた金棒、そこから伸びた髪は音もなくフェザーの背後に忍び寄り、背中から貫いたのだ。それを可能に出来るのは、ロベリアをおいて他にない。
だが、ロベリアが取った行動はそれとは真逆のものだった。彼女は今、フェザーを貫いた黒剣を懸命に引き抜こうとしている。しかし、黒剣はフェザーを貫いたまま動かない。先程まで手足のように動かしていた黒髪が、今や主人の命令を無視して動いている。
「戻りなさい、早く。こんなこと、今まで一度も……」
何度命じようと動かない。そして、黒髪は遂にロベリアにさえも牙を剥いた。周囲に広がる黒髪は彼女を拘束すると、フェザーに突き刺さってい黒剣が独りでに抜け、自らの根源であるロベリアのうなじに向かって振り下ろされた。
彼女は自分に何が起きたのか分からぬまま、為す術なく首を刎ねられるのだと覚悟した。しかし、黒い剣が髪をふつふつと切り落とし、遂に首に触れるかという寸での所で、突然現れた別の刃がそれを弾いた。
「ケフェウス!」
「任せとけ!」
ケフェウスの脚に掴まって飛んできたリトラは、擦れ違い様に黒剣を弾いて着地した。ケフェウスは勢いそのままにフェザーを掴んで飛び去っていく。
残されたロベリアは暴走する黒髪に拘束されている。リトラは拘束する黒髪を袖口から飛び出た刃で素早く解いていく。腕の拘束は解けたが、脚に巻き付く髪は中々切れない。その背後では、膨大な黒髪が何かを形作ろうと不気味に群がり蠢いている。それは断崖に打ち砕ける波濤のように、今や天に高く聳え立とうとしていた。




