第一章 新たな習慣
バーナード星の惑星軌道上。 守護者たちの母船――その内部は、かつての地球の森を模した「居住ドーム」と化していた。
レンは、船の壁から自然とせり出してきたテーブルでコーヒーを啜りながら、窓の外に広がる荒涼とした惑星を見下ろした。
「……ここが、今の私たちの家か」
アルトが隣で、守護者から提供されたデータタブレットを弄っている。
「彼らの船は、我々の宇宙船というよりは、一つの『動く惑星』だな。エネルギーも、水も、空気も、この船が自律的に管理している」
守護者の指揮官が、静かに音もなく背後に現れた。
「君たちがこの船の制御系に、地球の古いOSを組み込んだと聞いた。……驚いたよ。おかげで、私の母船が、少しだけ若返った気がする」
「効率化だよ」とレンは苦笑する。
「私たちの知恵と、君たちの力が合わさった結果だ。……さて、明日は惑星の南半球に『最初の緑地』を配置する。準備はいいか?」
守護者はその瞳に、かつての亡霊のような暗さを消し、穏やかな光を宿して答えた。 「ああ。この『揺り籠』から、そろそろ星へ歩き出す時だな」
「――で、あるよ!」
ミサキの叫び声が、守護者たちの母船『ステラ・アルカディア』の居住区に響き渡った。
彼女の目前にあるはずの、昨日苦労して取り付けた「地球風の木製棚」は、跡形もなく消え去っていた。
壁は、守護者たちの建築様式特有の、冷たくも美しい真珠色の滑らかな曲面に完全に戻っている。
「またか……。もう三回目だぞ、ミサキ」 レンが苦笑しながら、手元にある工具箱を床に置いた。
「だって! 守護者たちの船は、少しでも埃が落ちたり、壁に傷がつくと、即座に『欠損』とみなして物理法則レベルで修復するのよ。
私の棚は『壁の一部ではない異物』として処理されちゃったの!」
ミサキは怒り心頭だった。
地球の思い出である古い家族写真の額縁や、アルトが持ち込んだドライフラワーの標本も、すべて「船の美観を損ねる不純物」として、どこかへリサイクルされてしまったのだ。
そこへ、母船の管理者である守護者の一人、セラスが音もなく現れた。
彼は船の壁に溶け込むように姿を現すと、困惑したように首を傾げた。
「ミサキ、なぜ君たちはそこまで『壁に穴を開ける』という破壊行為に執着するんだ? 意識を集中させれば、部屋の形など自由自在に変えられるはずだ。私の力を貸そうか? この船の演算能力を君の脳にリンクさせれば、棚など出さずとも物質を浮遊させ固定できる」
「違うのよセラス!」
ミサキは必死に訴えた。
「自分たちでネジを回して、木材を切り出して、少し歪んでいても自分たちの手で設置する……。
その『不便』の中にこそ、愛着が宿るの。
魔法で一瞬で出したものには、魂がこもらないのよ」
セラスは沈黙した。
彼の瞳が薄く発光し、船内の空間と共鳴している。
彼は理解できないという表情のまま、少しだけ歩み寄った。
「魂……質量のない情報が、物質に宿るのか。君たちの文明は、つくづく効率が悪い。だが……」
セラスが指先を壁に軽く触れると、真珠色の壁が柔らかな光を放ち、少しだけ凹んだ。そこに、まるで木目のような模様が浮かび上がる。
それは魔法で作られたものではあるが、ミサキが取り付けようとしていた棚の形を完璧に模倣していた。
「私の力で、壁自体を『君が置きたかったもの』と定義した。これなら、船の修復機能も『これは必要な一部だ』と誤認するはずだ」
ミサキは驚いて壁に触れた。そこには冷たさはなく、彼女が手作業で感じたかった「木の温もり」に近い感触があった。
「……セラス、これ、魔法じゃないわね?」 「いや、高度な共鳴だ。だが……君たちのいう『愛着』という概念を、船のOSに書き込むためのテストでもある」
レンはその様子を見ながら、通信機の向こうにいるエコーに声をかけた。
「エコー、聞いたか。次からは、居住区の壁だけは『手作りDIY優先モード』に設定しておいてくれ」
『了解です、司令官! ただし、棚が落下して誰かの頭に当たっても、それはあくまで「物理的な不便の共有」ということでよろしいですね?』
エコーの軽妙な声に、居合わせた全員が吹き出した。
冷たい無機質な母船の中で、初めて「人間らしい雑多な暮らし」が、魔法の加護を得て根を下ろした瞬間だった。




