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第7話 もう1人のエンハンサー

『君はエンハンサーの末路について、知らないんだね。』


あの日から、イナバの言葉がタケルの頭を離れない。



イナバから国内でユキの他に唯一現存しているエンハンサーの存在を聞かされたタケルは、ユキには黙って、溜まっていた有給を利用して会いに行った。

しかし実際には、「会いに行った」ではなく、「見に行った」と表現する方が正確であった。


その人は、とある山奥の施設に長年入所していた。

イナバからの紹介で来た、と告げると、施設のスタッフはどこかに電話で確認した後、タケルを案内した。


もう1人のエンハンサーも女性だった。統計上、エンハンサーは女性の方が多いらしい。

齢62歳とのことだが、白髪だらけで、見た目の年齢は80歳を超えているように見えた。一言も発することなく、車椅子に座ってただ虚空を見つめている。

施設の者によれば、彼女は30歳で廃人になり、以降30年以上この施設で暮らしているらしい。


タケルはその女性の姿に言葉を失い、立ち尽くした。


(なぜ、こんな姿に。)

(エンハンサーであることが、関係しているのか。)

(一体、彼女に何が起きたんだ。)


そこへ、彼女の後見人と称する初老の男性が、だしぬけにタケルに声をかけてきた。

「こんにちは。彼女に面会者が来ていると、施設の方から連絡を受けましてね。

…アカデミー出身の方、ですね?」

「…あなたは?」

「ハルオミ、と申します。もう引退した身ですが、あなたと同じ、もと特殊公務員の1人ですよ。

そして彼女は、…私の恋人です。」


「……え?」


ハルオミは、自嘲気味に笑った。


「まぁ、もう30年以上言葉を発していませんから、恋人と言えるかどうかは分かりませんがね。…少なくとも、私は、今も愛しているわけですが。」


タケルはハルオミの顔を見た。大きな苦難を乗り越えた後の、諦念の表情。


「アカデミーのね、3歳下の後輩だったんです、彼女。」


タケルの瞳が揺れる。

「お若い方。何か不安を抱えておられるようですな。私にお役に立てることがあれば、何でもお話ししましょう。」

「彼女は…エンハンサー、ですよね。なぜ、こんな姿になってしまったのですか。」

ハルオミは、タケルの顔をしげしげと眺めた。

「あなたにも、エンハンサーのお知り合いが?」

タケルは一瞬躊躇ったが、素直に白状した。


「俺の恋人も、…エンハンサーなんです。」


ハルオミの瞳の奥が、一瞬きらりと光ったように見えた。

「そうですか。…それでは、老い先短い老人から、お若いあなたに1つ教訓をお伝えしましょう。」

ハルオミはタケルの目を見つめた。


「エンハンサーの末路は、彼女のような廃人です。ブーストのたびに精神的に少しずつ消耗していき、やがて回復が不可逆になる臨界点がくる。…精神崩壊して、人としての心を手放してしまうのです。」


タケルは、眩暈がした。

ユキの笑顔が、脳裏を掠める。


「能力を…ブーストをしなければ、そうならない?」

タケルが、縋るように尋ねた。ハルオミは首を振った。

「残念ながら、能動的にブーストを行なっていなくても、実はエンハンサーは日々無意識に少しずつ精神エネルギーを放出していることが、分かっています。小さな穴の空いたバケツのように。だからこそ、他人の能力の発現に触れた時に、勝手にスイッチが入るわけです。

…もちろん、能動的に能力を使わなければ、廃人になる年齢はいくらか遅くなるとは思いますがね。」

ふー、とハルオミは息を吐いた。

「ただ…あなたもよく分かっているでしょう。エンハンサーは、国家にとって最終兵器です。ブースト能力を使わずに過ごすなんて、無理なんですよ。」

よく見ると、ハルオミの眉間には、深い皺がいくつも刻まれていた。

「使役させられて、消耗させられて…。それでも私は、彼女を守ろうと必死だった。心から愛していた。ですがね、お若い方…愛する、という感情もまた、精神エネルギーを大きく消耗するんですよ。」


ハルオミは、労わるようにタケルを見据えた。


「生きている限り、心は大きく動く。人を愛したり、喜んだり、悲しんだり。ですが、その振れ幅が大きいほど…エンハンサーの消耗は加速します。とりわけ、ブースト発現の時のように、誰かと触れ合っている時に心が動くと、穴から漏れ出すエネルギーは増えてしまうようです。

お若い方。あなたは、そんな恋人を、最後まで支える覚悟がありますか?」



*****

夜遅くに帰宅したタケルが、いつになく疲れ切っている様子を見て、ユキは心配した。

「大丈夫?…具合でも悪い?」

ユキがタケルの額に手を触れようとしたが、タケルは思わずその手を振り払った。

「あ…悪い。…今日は、早めに寝るわ。」

ユキは振り払われた手を、黙って見つめていた。



その日の深夜。

タケルは夢の中で、あの施設の中にいた。

ドアを開けると、暗闇の中で、女性が車椅子に座っている。

タケルが近づいてその女性の顔を見ると、


それは、



目から光を失った、ユキだった。




「………ッ!!!!」

タケルは飛び起きた。全身に汗をびっしょりとかいていた。

隣では、ユキがすやすやと眠っている。

タケルは思わずユキの頬に手を伸ばし、そっとキスした。


(眠っている間なら…ユキの心は動かない。)


ハルオミの話を聞いてから、タケルはユキに触れるのが怖くなった。ユキに触れたいと思うのに、それがユキの心を死に至らしめるかもしれないと思うと、胸が押しつぶされる思いだった。


愛してる。

間違いなく。

幸せにすると、誓った。


それなのに。



タケルは、目の前が真っ暗になった。



*****

タケルの態度が、おかしい。


有給を取得して、日帰り旅行に行った後から。


どこに旅行に行ったのか、何度聞いてもはぐらかされる。

そしてユキがタケルに触れようとすると、あからさまに拒絶を示した。


今朝も、タケルはユキが起きる前に仕事に出かけてしまった。ここ数日、わざと生活時間をずらして避けているように思えてならない。


ユキがデスクで大きなため息をついていると、ミオリが声をかけた。

「おいおい、どーしたのユキ。ついこないだまで、同棲が始まってあんなにルンルンお花飛ばしてたのに?」

ユキは、泣きそうな顔でミオリを見た。

「ミオリ…私、タケルに嫌われちゃったのかも。」




その夜、ユキは久しぶりにミオリの部屋に泊まりに行くことにした。タケルと顔を合わせるのが、怖かったのもあった。

タケルには短く、今日はミオリの家に泊まるとだけメッセージを送っておいた。

「わーい、ユキとパジャマパーティ、久しぶり♪こーゆーの、アカデミーの寮以来だねぇー」

ミオリが、床いっぱいにお菓子を広げて、はしゃぐ。

一方でユキは、どこか浮かない顔をしている。

「…それで?一体きみたち、どーしちゃったワケ?」


ユキは一部始終を話した。

「フーン。…その日帰り旅行っての、怪しいね。…まさか、他の女とか…!?」

「えっ」


思いもよらない発想だった。

確かに、タケルはモテる。モテまくる。

見た目はどう贔屓目にみてもかっこいいし、家柄はスーパーエリートで、能力も花形のアタッカー。どうしたって目立つし、浮気相手なんてその気になればいくらでもいるだろう。…


考え込んでしまったユキを見て、ミオリは慌てて言った。

「いやっ!いやいや、じょーだんだって!あくまで、1つの仮説っていうか!や、じゃなくて!タケルが浮気する訳ないじゃん!あんなにユキにぞっこんなのに!ほんと、何言ってんだろわたし!!」

「…ありがと、ミオリ。大丈夫だよ。」

はぁー、とミオリがため息をつく。

「…ったく、あの男、ユキをこんなに悩ませやがって…。絶対幸せにするとかなんとか、口の根も乾かぬうちにさぁ…」

ミオリがプリプリと怒るのを見て、ユキは少しだけ気持ちが軽くなった。

「ミオリ、ありがとう。私の代わりに怒ってくれて。

…私、ちゃんとタケルと話し合ってみる。」

「…うん。絶対、大丈夫だよ。案外こーゆー時って、些細なことだったりするんだから。

何かあったら、いつでもまた話聞くからね。」

ユキは、微笑んで頷いた。



一方その頃、タケルは1人で部屋のソファに座り込んでいた。ユキからのメッセージを、何度も見返す。

ここ最近の自分の態度がおかしいことに、ユキは当然気づいている。…そして、きっと深く傷つけている。

でも、じゃあどうしたらいいのか。タケルにも分からなかった。

正直に全部を話すことも考えた。だがそれは、ユキに死刑宣告を下すのと、ほぼ同義だ。


お前の行く末は、廃人だ。


そんなこと、…言えるわけがない。


タケルが頭を抱えたその時、スマホのメッセージ通知が鳴った。

ユキからかと思ってメッセージを開けると、それは意外な人物からだった。



*****

翌日は休日だった。ミオリとゆっくり遅めの朝ごはんを食べた後、ユキは昼前に自宅に帰った。

「ただいま…」

鍵を開けて、少し緊張しながらドアを開くと、タケルはいなかった。


(どこかに出かけてるのかな。)

(それとも、また私と会うのを、避けてるのかも…。)


ミオリと話して少し明るくなった気持ちが、また沈んでいく。タケルからは、メッセージの返事はない。


(とにかく、待ってみよう。いずれは、帰ってくるだろうから。…)


ユキはソファに座って、膝を抱えた。



そのまま、いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。

目を覚ますと、部屋の中は既に薄暗い。時計を見ると、17時だった。


タケルは、まだ帰っていない。


ユキは居ても立っても居られなくなり、上着を羽織って部屋を飛び出した。

どこに行ったんだろう。当てもなく、駅の方へ向かう。

雑踏の中にいると、自然と涙が溢れてきてしまう。


ふらふらと彷徨っているうちに、すっかり日も暮れてしまった。スマホを見ると、家を出てから、いつの間にか2時間経過していた。

タケルからのメッセージは、ない。



と、その時。

駅前のロータリーに停まった一台のタクシーが、何気なく目にとまった。

そこから降りてきたのは、

タケルと、見知らぬ女性の2人だった。


ミオリの言葉が、脳裏をよぎる。

タクシーから降りた2人は、何か話し込んでいる様子だったが、

ふと女性が、タケルの耳に内緒話をするように顔を寄せて、何かを囁いた。


ユキは、唾を飲み込んだ。

その時、ふとタケルがこちらを見た。


目が、合った。



次の瞬間、ユキは駆け出していた。

見たくない。

聞きたくない。

タケルはすぐにユキを追いかけた。

雑踏を掻き分けるように、ユキは逃げ続け、タケルは追い続けた。


とうとう追跡の果てに、タケルがユキの腕を掴む。

「待てって…!」

ユキはタケルの手を咄嗟に振り払う。

振り向いたユキの目からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。

「ユキ…」

「もう、…いいの。大丈夫だから。

もう、私のこと、…すきじゃ、なくなっちゃったんだよね。」

ユキは嗚咽をあげながら、途切れ途切れに言った。

「…!!ちがう、そうじゃないんだ…」

ユキは首を振った。

「ごめんね…何も知らずに、あなたのこと、縛り付けてて。

…わかれ、よう。」

ユキは両手で顔を覆った。

タケルは、目の前が真っ暗になる。



別れる?

ユキと?



絶対に、

……嫌だ。



タケルは、ユキを強く抱きしめた。

「た、ける…?」

人目を憚らず、ユキの唇にキスを落とす。


「絶対に、別れない。」


タケルは、きっぱりと言った。

自分の額をユキの額に当てる。


「愛してる。」


ああ。

だめなのに。

こんなにユキに触れて、愛を囁いたりしたら。

ユキは…



それでも、もう止められない。


タケルはリヒトのことを思い浮かべていた。

ユキを愛していたのに、去っていったリヒト。


俺は、絶対に、ユキを置いていかない。



あの日、誓ったんだ。



*****

2人は、数日分の空白を取り戻すかのように、ベッドの上で激しくお互いを求め合った。


ハルオミの言葉が、タケルの頭をよぎる。

こんな風に触れ合って、心を大きく動かすと、ユキの精神の消耗は速くなってしまう。

タケルはそれが怖かった。


でも、違う。

それが、当たり前なんだ。

触れ合って、愛を確かめ合う。

生きているからこそ。


タケルは、2人の間に寸分の隙間も許さないかのごとく、ユキを強く抱きしめた。




シャワーを終えて、ドライヤーで髪の毛を乾かしている最中に、盛大にユキのお腹が鳴った。

顔を真っ赤にして俯くユキを見て、タケルはくすくすと可笑しそうに笑った。

「そういえば、お昼も食べてなかったんだった…」

「そうか…。

分かった。ちょっと待ってて。」


ユキをソファに座らせて、タケルはキッチンに立つ。

冷蔵庫の中身を見分して、すぐにできそうなパスタに決める。にんにく、唐辛子、ベーコン、玉ねぎ、トマト缶。パスタはすぐに茹でがるペンネで。


10分そこそこで、ユキの前にあつあつのペンネアラビアータを置いた。

「ほぇー…すごい手際…」

ユキは初めて見る恋人の料理姿に、目を丸くした。

「まぁな。俺って、何でもできちゃうから。」

ふふっ、とユキが笑う。

ああ、やっぱり、ユキには笑顔が似合う。

「いただきます。」

美味しそうにペンネを頬張る恋人の様子を、タケルが目を細めて愛おしそうに眺める。

「うん、美味しい!ほんと、タケルってすごいね。」

「こんなんで良ければ、いつでもまた作る。…むしろ、いつも平日は帰りが遅くて、なかなか食事作れなくて悪かった。」

ユキは首を振る。


しばらく、沈黙がおりる。

ユキが食べ終わったお皿とフォークをタケルがシンクに運び、食後のコーヒーを淹れた。


先に沈黙を破ったのは、ユキだった。

「……さっきの女の人、だれ?」

「ユキが心配しているような関係じゃ、ない。

…話すと少し長くなるんだけど、最初から話してもいい?」

こくん、とユキは頷いた。


昨夜、タケルにメッセージを寄越したのは、ハルオミだった。何かあった時のためにと、念の為連絡先を交換していたのだった。

ハルオミのメッセージ内容は、知り合いの有能な『封印者(シーラー)』を紹介したい、という内容だった。

シーラーというのは、防御タイプの能力の1つで、能力を「封印する」力をもつ能力者のことを指す。


「シーラー?…」

「そう。…エンハンサーの力を、封じることができる力だ。」

「どういう、こと?」


タケルはひとつ、息を吐いた。

そして、先日タケルが施設で見聞きしたことを、包み隠さずユキに話した。

ユキは黙って、じっとタケルの話に聞き入った。


「それで俺は…ユキに触れるのが怖くなったんだ。…避けるような真似をして、傷つけてごめん。」

「……そうだったの。」

「黙っていて、悪かった。…さっき会っていた人は、そのシーラーだ。…ユキに贈る指輪を、依頼したんだ。」

ユキが、タケルの顔を見る。

「エンハンサーの力を封じる指輪だよ。完全に封じるのは無理でも、バケツの穴を少しでも塞いでくれる。…そうすれば、ユキの心の消耗を、少しでも減らすことができる。」

タケルは、ユキの手を握った。

「ここ数日間、ユキに触れられなくて、…正直ほんとにしんどかった。

ユキの心を殺してしまうかもしれないと思っても、俺にはユキに触れないことは無理だ。

…だからせめて、できることをしたいと、思った。」

「…うん。」


「指輪が出来上がったら、…受け取ってくれるか?」


ユキは、タケルの胸に頭を預けた。


「オシャレなデザインに、してくれた?」

ユキが、ふふっ、と笑う。途端に、空気が柔らかくなる。


「俺に、おしゃれとかセンスを求めんのは、間違ってんぞ…」

「あれ?何でもできるんじゃなかったっけ?」

ユキはニヤリと笑う。タケルは頭を掻いた。

「うそうそ、冗談。…もちろん、ありがたく、頂戴します。」


タケルは、ユキを抱きしめながら、覚悟を決めたように言った。


「結婚指輪の、つもりなんだけど。それでも?」


ユキは息を呑んだ。


再び、沈黙。


「…あのさ。今の、いちおう一世一代のプロポーズなんだけど。…黙殺すんの?」


ユキは、タケルの顔を見上げた。

「…タケルのご両親が、許してくれないよ。」

タケルは首を振った。

「もう根回ししてある。身内にエンハンサーがいることのメリットを、あの人達にさんざん吹き込んできた。」

「………わたし、は、」

ユキの目から、涙が溢れる。

「…いつか、心が、壊れて…

タケルを、…置いていっちゃうよ。

それでも…」

「だから、だよ。」

タケルは、ユキを抱きしめる力を強めた。

「だから、早く結婚したい。少しでも長く、一緒にいたい。

…もう1人のエンハンサーとその恋人に、教えてもらったんだ。

今のこの時間を、大切にしたい。」

「……っ」



タケルは、ハルオミと別れる時にかけられた言葉を思い出していた。

『ねえ、お若い方。もしよかったら、私の恋人の名前を、憶えていてくれませんか。

彼女の名前は…サクラ、と言います。』

ハルオミが、愛しそうに恋人の名前を呼んだその声が、頭から離れない。



今、この時。ユキは、俺の腕の中にいる。

生き生きと、心を燃やしながら。


「愛してる。

結婚しよう。絶対に、幸せにする。」


ユキは、タケルの腕の中で、静かに頷いた。


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