第6話 蜜月
アカデミー卒業から2年後。
ユキとタケルは、一緒に暮らし始めることになった。
引越しの日、ユキは自分のアパートからタケルのマンションに最低限の荷物を持ち込んだ。
「これで、全部か?」
段ボールを床に置きながら、タケルが尋ねた。
「うん。重いのに運んでくれて、ありがとう。」
「それはいいんだけど…荷物、少なくねぇか?」
「う、ん。冷蔵庫とかソファとかテレビは、処分してきちゃったから。服と、本くらいかも。」
そうか、と呟き、タケルは軍手を外した。
働き始めてから、タケルは激務続きだった。
能力によって忙しさは違うと聞いてはいたが、アタッカーがあまりに頻繁に呼び出されることに、ユキは当初驚きを隠せなかった。国外への派遣も多い。対照的にユキは、特殊任務に就くことはほとんどなく、きっちり9時17時の勤務が続いていた。
タケルは週末もなかなか時間が取れなくなり、ユキとゆっくり会う時間が減っていった。そのため、兼ねてから考えていたように、2人で暮らすことを決めたのだった。
同棲にあたり、ユキはタケルの両親に挨拶した方がいいのでは、と思案したが、タケルは「俺が話しておくから、ユキは心配しなくて大丈夫。」と告げた。
一応、何かの折ゲンドウと話す機会があった時に、一言「今度、タケルさんの部屋に引っ越します。よろしくお願いします。」と挨拶したところ、ゲンドウは「タケルから聞いてるよ」と少しだけ困ったような顔で微笑んだ。
荷解きはひとまず後にして、コーヒーを淹れて2人で一息つく。
これまでも、ユキはタケルの家に何度も訪れたことはあったが、今日からはここが帰る場所なんだと思うと、新鮮な思いがした。
「ユキ、あのさ…」
タケルが珍しく、言い淀む。
「どうしたの?」
「いや、あの…何ていうか、ちゃんと聞いてなかったから。
いま、うち、ベッドが1つしかないんだけど…」
「あ…そっか。タケルの迷惑だったら、私はソファで寝るよ、」
「いや!ちがう!!ぜんぜん、迷惑じゃないっ、…そうじゃなくて…」
いつも冷静なタケルが、あたふたしている。
「…ユキが、嫌じゃないなら…、夜は、一緒に寝たい。」
タケルが隣に座るユキの手を握る。
「…だめ?」
今度は、ユキが顔を真っ赤にして俯く。
そりゃ、そうだ。
一緒に住む、って、そういうこと、だよね。
信じられないことに、2人はまだ一線を超えていなかった。
「いや…ごめん。嫌だよな。とりあえず俺がソファで、」
ユキは首を振る。
「私もタケルと、一緒に寝たい。」
いったん意識し始めると、2人ともどことなく不自然になってしまう。
核心に触れる話題を避けながら荷解きをし、簡単な夕飯を済ませて、別々にシャワーを浴びる。
パジャマ代わりのTシャツと短パンを着たユキを見て、その無防備さにタケルは打ちのめされた。
本当に、ユキが今日から、ここで一緒に暮らすのか。
改めて、幸せを噛み締める。
2人はぎこちなく、ソファに隣りあって座る。
お互い触れないくらいの距離を保ちながら。
気まずい沈黙がおりる。
耐えかねて、タケルが口を開く。
「…あのさ、やっぱり、俺ソファで…」
と。
ユキが、タケルにもたれかかった。
「……!!?」
タケルは息を詰める。
「ね、…ちょっと早いけど、ベッド行こう?」
タケルもユキも、初めての行為だった。
痛くないか、と、タケルは何度もユキに聞いた。
ユキは毎回、大丈夫、と返した。
肌と肌どうしで触れ合うことが、こんなに気持ちがいいなんて、知らなかった。
ユキはタケルから与えられる快感に、ただただ身を委ねた。
ふと目を覚ますと、外は明るくなり始めていた。
ユキは、タケルの腕に抱かれたまま、眠ってしまったようだった。すぐ近くに、タケルの寝顔が見える。
今まで、タケルとたくさんの時間を過ごしてきたけれど。
昨夜初めて、タケルというひとを、深く知った。
そして、今までよりもっと、タケルが愛しくなった。
タケルの温もり。におい。筋肉質な体。
その全てに、ユキは酔い痴れる。
じっとタケルの寝顔を見つめていると、胸がじんわりと温かくなってくる。
ああ、幸せだなぁ。
ユキは、しみじみと思った。
*****
一緒に暮らし始めてから、ユキがますます可愛くて仕方がない。
朝食の席で、向かいに座って熱いスープをふぅふぅと吹き冷ましているユキを見ながら、タケルはため息をついた。
もちろん、これまでも、ユキのことは大好きだった。
だけど今は、自分でもちょっとまずいと思う程にユキに溺れている。頭のヒューズが焼き切れたように。
ユキと初めて体を重ねたあの日から、1日とおかずに毎晩、ユキを求めてしまう。ユキはいつも優しくタケルを受け入れてくれるが、無理をさせているんじゃないかと不安がよぎる。
「…タケル?どうしたの?」
視線に気づいて、ユキが首を傾げる。…もう本当に、何をしていても可愛い。重症だ。
「いや…昨日の夜も、無理させて悪かったと思って。体、どこか痛くないか?」
ユキはほんのり頬を染める。
「…大丈夫だよ。ありがとう。無理なんて、全然してないよ。」
にっこりと微笑むユキに、タケルはまた、ため息をついた。
「おい、タケル。お前、なんか最近浮かれてんな。」
サトルが、だしぬけに痛いところをバシッと突いてくる。
卒業後に気づいたことだが、有能なアタッカーであるサトルはアカデミーの教職のほか、しょっちゅう特殊任務に取り立てられていた。必然的に、タケルともよく顔を合わせることになる。
「……そう、ですか?」
タケルは動揺を隠しながら、返事をする。
「お前は隠してるつもりだろうけどさー。俺はお前のこと、こーんな小さい時から見てるから、分かっちゃうワケ。」
がしっ、とタケルの肩を抱いて、耳元で囁く。
「ユキちゃんと、同棲始めたんだって?」
「!!」
タケルは、珍しく耳まで真っ赤になる。
「うは、お前も、そんな照れることあるんだ?可愛いとこあんじゃん♪」
はぁー、とタケルは大きなため息をつく。
「…ほんとに悩んでるんで、あんまりからかわないでもらえますか…」
「悩んでる?何に?」
タケルは躊躇したが、サトルに促されて口を割る。
「ユキのことが、好き過ぎて…四六時中ずっと、頭から離れない。」
サトルは一瞬口をあんぐりと開けて、その後盛大に笑い始めた。
「おじさん…からかわないでくれって、言いましたよね…」
「ごめんごめん…いやー、俺嬉しくて、つい。
タケル、昔はウニみたいにつんつんトゲだらけだったのにさ。今じゃこーんなに丸く、人間らしくなって…。」
「…もういいです。」
業務に戻ろうと机に向き直るタケルに、サトルは続けた。
「いちお、年長者としてアドバイスを伝えておこう。
大丈夫、今は始まったばかりで燃え上がってる気持ちは、段々ちゃんと落ち着いていくから。ユキちゃんと一緒にいることが、タケルの日常になっていくんだ。
てことで今は、遠慮せず盛大に浮かれときな。」
タケルはサトルを見上げた。
「…珍しく、まともなアドバイスをありがとうございます。」
ふっ、とサトルが微笑んだ後、頭をぽりぽりと掻く。
「ただなぁ…お前最近実家に帰ってないから知らんだろうけど、お前の話題が出そうになると、みんなちょっとピリつくんだよ。アザイ家の奴らがこの腑抜けた姿を見たら、どう思うかな。」
「………」
「…ユキちゃんのこと、絶対守ってやれよ。」
「言われなくても…分かってる。あの人たちには、時間をかけて分かってもらう。」
サトルは肩をすくめた。
*****
ある日。タケルは、大阪に出張していた。
廃墟ビルでの爆破事件の調査で、【ゼロ】が関与している可能性があると判断され、念のため戦闘に備えてアタッカーも派遣されたのだった。
タケルは、サイコメトリーのイナバと組んで調査を行った。ツキシマと同じ能力だが、イナバは初老に差し掛かっていると思われる男性だった。
結論から言うと、この事件には能力者は関係していなかったため、後は警察に通常の調査を続けてもらうことになった。報告のため、2人は帰路につく。
「すごいですね…その能力。」
タケルは素直に感嘆した。ツキシマは普段はあまりサイコメトリー能力を見せることはなかったため、タケルはほとんど初めて目の当たりにしたのだった。
「はは、ありがとう。僕からしたら、君の方がよほどすごいけどね。僕には戦う力は、全くないから。」
「それでも、残留思念を読み取るって、こういう捜査の時には重宝されますね。」
「そうだね。おかげで、もうそろそろ引退したい歳なのに、なかなか引退させてもらえないんだけど。」
自嘲するように言った後、ふと呟いた。
「…それに、見たくないものまで、見えてしまうことも多いんだけど。」
イナバの言葉に含みを感じて、タケルは顔を見上げる。イナバは少し思案した後、覚悟したように切り出した。
「ごめんね…言うかどうか、迷ってたんだけど。
君、エンハンサーの恋人がいるんだね。」
「…え…」
「最初に挨拶で握手した時、見えちゃったんだよ。」
「そう、なんですか。」
あの一瞬の握手だけで、この人はユキのことまで視えたのか。
タケルは戸惑いを隠せない。
2人は歩きながら、しばらく沈黙する。
イナバがまた口を開いた。
「タケルくん。実は僕にも、エンハンサーの知り合いがいるんだ。」
「え?」
「僕のアカデミーの同級生の女性でね。…たぶん、いまニホンにいるエンハンサーは、その人と君の恋人の2人だけじゃないかな。」
「そう、なんですか。その人は、今どこに…」
イナバは、ふと立ち止まった。タケルは振り返って、イナバの顔を見る。
「その人は…もうずいぶん前に、引退してる。」
「…どういう、ことですか?」
イナバは首を振る。
「やはり、君はエンハンサーの末路について、知らないんだね。」
エンハンサーの、末路?
タケルの胸に、不穏な予感が急速に膨らんでいく。
「会いに行ってみたらいい。…まずは、君だけで。」




